うむ。労働力の時間売りって形も否定しないし、ちょっとした工夫でもっと高く売れるならそれに越したことはないよ。
でもオフの時間潰して自己研鑽して自分の価値を上げることに励むぜ、なんて言い出すなら、もらえる給料の額を気にするよりもまず、労働の切り売りをどうやってやめるかを考えた方がいい。
成果で仕事が出来るようになってからもサラリーマンやることはできるし、その場合、給料ってのは「専属契約料/拘束料」の意味も込みになるから単なる労働力の切り売りよりもずっと高くなる。
経営者にとっては、切り売り労働力のまま勝手に自己研鑚してくれる労働者は有難いけれどね。相手が「給料」を欲している限り、力は雇う側にあるから。労働者側が切れるカードは転職をちらつかせるくらいだもの。
そういう考え方もできる働き方もあるけど、労働者は労働力を売る仕事なのでいかに効率のよいところに売り込むか、そのための価値を作るかって考え方は大事
ときどきフルキャストでバイトに入るんだけど、正直70歳とか60歳のおじちゃん(50歳くらいのおっさんも)とはあんまり働きたくない。
そりゃあ、すごいスキルのあるひともいるんだろうけど、
でも、たいてい年取って日雇いの人って、
・動きが鈍い。
・言うことをきかない。
・受動的
・勝手な行動をとる。
・飲み込みが遅い。
・ミスが多い
・雑
みたいな感じで仕事の効率が悪いし、一緒に働いていてめんどくさい。
もちろんそうじゃない人もいる。すごい人もいる。
でも8割がたこの傾向が強い。
効率でみれば、1.5倍くらいの違いがあると思う。
それでも、時給は同じ。
そりゃあ、企業もかえしたくもなるよね。
でも、若い世代と老人が同じ時給で働くってことに無理があるんじゃないかなぁとも思う。
たとえば、年齢による時給の差はあってもいいと思う。
あとは、日雇いとはいえ、年齢、経験、性別もわからないで採用を決めるのも無理があるとも思うし。(裏側はどうだか知らないけど・・・)
給料は評価についての一つの目安ではあるけど、あくまで目安にすぎないってのをわかってないと危ないよ。特に「自分の価値」とか言い出しちゃうと、「自分を売るにはどうすればいいか」って方向に走っちゃうから。
仕事ってのは成果と報酬を交換するもんだぜ。自分自身を売り払うならそれは奴隷だ。いくら高い値がついてもね。それだけ忘れないようにしな。
だとしてもさ、何で炎上っておこるんだろうな。別に自分の知り合いでもないし、ほっときゃいいのに。なんで態々時間を割いてまで、反論したくなるんだろう?
噛みついてるわけじゃなく相手も自分の考えを垂れ流してるだけでは?
ネットを徘徊していると、自分とは真逆の意見を主張している人をよく見かける。その意見の表明の仕方は様々だ。ただひっそりと呟いている人もいれば、かなり強い言葉で熱く語る人もいるし、やたら攻撃的な文章を書く人もいる。考えてみれば、そういった行為にはなんの問題もないはずだ。ただ自分の意見を垂れ流しているだけ。なのになぜ、自分は自分と真逆の意見を言っている奴に対してこうも噛み付くのだろうか。なぜ相手の考えを否定し、自分の考えを押し付けようとするのだろうか。例え自分にとっての白が他のやつにとっての黒だった所で、自分の世界に何の影響も与えないのに。
気に入らないスレやトピックを見つけては池沼だのアスペだの書き立てていたのも今や昔。
そんな言葉遣いではあなたの溢れる知性をブコメ欄から伺うことはできません。
「皆の『ためになりそう』と思うような記事を探す」
そして、
ことが重要です。
今日はブコメ欄を利用して「書き手の上を行く」3つのTipsを紹介。どれも今すぐ実践できるものばかり!
何か言いたげなフリをして何も言わない
「これ、実際にやるとなるとなあ。概念としては面白いんだけどね。」
何でもいいからアラを探してそこを突く
思想的な話をすると、大きな金額を稼いだ人、高所得者は自発的に所得を放棄できる、つまり自発的に低所得者になれるのです。つまり「税金が高くなるのをわかってて勝手にいっぱい儲けた」。だからその儲けを奪っても問題ない。現在の税制哲学ではそういう理論になってます。まあ建前ですけどね。
本音のところをいいますと、制度制定は多数決で行われます。民主主義ですね。ですから圧倒的多数の低所得者が多数決という数の暴力で高所得者の私有財産をうばいにきてるんですよ。それが善だとか悪だとかは関係ありません。レスで「人間の価値はその所得ほどに差はない」なんておっしゃってるひともいますけど、そもそも人間の価値だなんてのは時代によっても文化によっても変わるあやふやなものです。自分らのやってる収奪をごまかし、自尊心を慰撫するための欺瞞でしかないです。要するに「おれたちが多数派なのでお前らは言うことを聞け」以上のシステムではありません。つまり暴力です。
人間世界は相克する暴力の応酬でしかないので、高額所得者は、高額所得者なりの経済的暴力で低所得者を蹂躙するとよいでしょう。低所得者は多数決という数の暴力で簒奪を図ってきますので、そこまでして初めて暴力vs暴力でフェアになりますね(というかもともと世界は弱肉強食という意味でフェアなのです)。
こういう記事を書くと「社会には法というものがあって」とかいう人がいますが、そもそもその法自体が参加者の合意(多数決の理論)でつくられてる暴力だという自覚が足りないだけです。だからこそある業界や分野が規制(=不遇)されたり規制緩和(=優遇)されたりするのですね。法制定(政治)の分野は基本的には数の論理でうごいてますが、まあその辺は高所得者も金をばらまくロビー活動とか経団連とかを使ってうまい具合に自分に有利な法をねじ込むべきです。また法の範囲内で自分に有利な運用をする、たとえば資産を海外に転移したり、会社組織にして税金を回避したりするとよいでしょう。
日本では資産家や高所得者に対するヘイトが高いですし高まっています。べつだん自分のことを嫌い攻撃してくる低所得者に、高額所得者が卑屈になる必要なんてないのです。できる範囲で反撃したり殲滅してください。人数が圧倒的に違うのですから、低額所得者の人生を数千人単位で破滅させても問題がありません。要するにやるかやられるかです。
冬は寒い
どこでいようと座る所が冷える。
おまけに乾燥しててノロウィルスがいたりインフルエンザにまみれている。
食べてる時は基本、さっさと食べる
隣に入ってきた奴が長居しそうなのをはやくでていけと促すようにトイレットぺーパーをからから廻して流水頻度を上げる。
箸はぜったいに落としてはいけない。
おとしたらもう捨てる。
除菌ティッシュでふいた指で食う。
サンドイッチの時はサラダの音が響くので周囲にばれないようにする。
タクアンとかばれるだろ。
ハンバーグは結構臭うからスプレーで消臭したあとも再チェック。
かならず緑茶は持っていく。
この季節ならあった甲斐のがいい。
寒いので手が温まる。
200ブクマ超えの某同人エントリに対する逆襲反応、ようは「自分(たち)がネタにされたからムカつく!!!」しか言ってない。
「笑って見過ごせや」で自分たちは暴れまわっといて いざ自分らがネタにされるとブチ切れる。よくいるねこういうの。お前たちはどうしようもない大馬鹿野郎だよ
今年の日記を読み返した。
延々、延々と上司と営業についての悩みばかりを書いていたことに気付いた。こういうのに悩むのが社会人として当然のことだと思っていたけど、違う。これは異常だ。客観的に見て、これは転職の合図だ。この日記が他人のだとしたら即座に転職をすすめるだろう。1年日記を書いていながらまったく気づかなかった。俺は本当にずっと彼らのことで悩まされているのだ。こういうのって誰に相談しても「俺も悩んでるんだからがんばれ」なんて意味不明なアドバイスしか来ないように思うので、転職しよう。双子葉。
とにかく今一番やりたくないことから手をつけよう、
今そう心がける習慣を養っている最中。
これをいうと、真面目、殊勝な心がけ、と言われるが、
これって要は根が腐ってる、いい加減だってことなんだろなと自覚するようにしてる。
性根が曲がってるからわざわざ心がけなきゃできないってんで。
根が真面目な人なら考えるまでもなく当たり前にやれているにちがいない。
で、根がいい加減だと自覚するのは、別に自虐のためとか諦める言い訳のためじゃなくて、
ずぼらな人間がいかに楽をして丁寧に物事を片付けられるか、そのやり方を探ることに楽しみを見出しているのです。
いかに育てるか、その気にさせるか、そういう視点で自分を見つめて面白がってるもう一人の自分がいる。
そいつにうまいこと舵を取らせて、現状より少しでも生き易い仕組みを手に入れようという心算がある。