はてなキーワード: 教習所とは
と、このエントリで主張したい訳ではありません。本当に容認しているといえるかどうかは、増田を読んでから、ご自身で考えていただきたいと思っています。
どうも、「山道を制限速度でチンタラ走り続けるドライバーは運転が下手」(https://anond.hatelabo.jp/20230912211531)で炎上した増田です。先日は大変お世話になりました。山道の走り方を指南する増田(https://anond.hatelabo.jp/20230913120412)を寄稿していただくなど、大変勉強になりました。
さて、本日は校則違反にまつわる増田(https://anond.hatelabo.jp/20230916165514)が人気エントリに上がっています。炎上した増田に引き続き、ルールを守ることと破ること、そして、その程度と倫理にまつわる話題が、最近の増田では絶えません。ルールを守ることが絶対であるという意見に対し、ある程度柔軟な対応も必要だという意見がぶつかり合っています。
スピード違反に対する警察や企業、そして行政の対応について紹介することを通じ、この問題提起を行うことが、この増田の目的です。
なお、スピード違反の程度や罪の重さについて、この増田で個人的に主張するつもりはありません。私はこの増田で、スピード違反を断罪しないし、擁護もしません。警察、行政、そして自動車やオートバイメーカーの対応をこの増田で紹介しますから、それを踏まえてご自身で考えていただきたいと思います。
なお、コメントやブコメの際は、本文を最後まで、よく読んでからお願いいたします。本文が長く分かりづらい場合は、せめて最後の章だけ読んでほしいです。
スピード違反についてですが、先日炎上した増田(https://anond.hatelabo.jp/20230912211531)でさんざん炎上していたとおり、「1km/hたりともスピード違反をしてはならない」という意見が多く寄せられていました。しかし、炎上していた増田でも触れたとおり、警察は15km/h以下のスピード超過をほとんど取り締まっていません。令和4年の結果では、15〜20km/hの取締が約28万件に対し、〜15km/hの速度超過は200件以下と非常に少ない件数に収まっています。
ちなみに、2017年ごろは100件にも満たない件数でしたが、2020年に入ってから増加傾向にあります。それは、移動式オービスによるゾーン30(通学路などに指定されているような非常に狭い道路で30km/h制限)での取締が行われるようになったからです。おそらく、制限速度40km/h以上の道路では、15km/h未満の速度超過は全く行われていないと思われます。
また、全国の公道では、10km/h程度の速度超過が常態化している道路が非常に多くあります。自動車の運転を少しでもする方なら、この現状をお分かりいただけるのではないかと思います。
スピード違反の話題では、自動で規制速度にリミッターが効かないようにするべき、という意見をネットなどでたびたび目にします。
トラックの場合、大型トラックと一部の中型トラックで90km/hのスピードメーターの装着が法的に義務付けられています。しかし、乗用車やオートバイは、法的な規制はなく、メーカーの自主規制として規制が行われているのが現状です。ただし、自主規制は行政側からの要請で始まる場合が多く、メーカー独自の規制というより、行政とメーカーが一体となった規制であると言えるでしょう。
さて、その自主規制の内容ですが、普通自動車は180km/h、軽自動車は140km/hのスピードリミッターが自主規制で装着されています。現在、制限速度の最高速度は新東名などの120km/h区間なので、スピードリミッターは制限速度に対しかなり余裕がある値となっています。なお、改造によりリミッターを解除することは合法です。
一方、スピード違反につながる過剰なパワーを抑えるための規制については、23年9月現在、軽自動車以外には行われていません。しかし、過去には自動車とオートバイの両方で、自主規制による馬力制限が掛けられていました。
自動車の場合、馬力競争の激化を受け、1989年ごろから280馬力に出力を抑える規制が行われました。オートバイの場合は80年代の走り屋ブームが問題視され、排気量により細かく馬力規制が敷かれました。オートバイの3ない運動もこの頃です。
しかし、自動車は2004年ごろに、オートバイは2007年ごろに規制が撤廃され、現在は軽自動車以外に馬力規制は存在しない状況になっています。
また、オートバイに関しては1996年に、免許制度の規制緩和が行われています。大型二輪免許を教習所で取得できるようになり、取得難易度が大幅に易しくなりました。その結果、大型二輪免許の保有率が急増し、高性能な大型バイクの販売台数が大きく増加しました。
最後に、自動車メーカーや、オートバイメーカーの対応についてお話したいと思います。前述の自主規制を各メーカーは行っていますが、実際にどのような製品を作っているのか見てみましょう。
スピード違反を助長すると批判されがちなスポーツカーですが、最近はスポーツカーのラインナップが充実しています。トヨタはスポーツカーを5車種ラインナップしているほか、日産は「フェアレディZ」を、ホンダは「シビックタイプR」を新たに発表したことが記憶に新しいですね。いずれも、かつての馬力規制(280馬力)に近い、もしくはそれを越える性能を誇ります。
さらに、高出力化はスポーツカー以外の場合でも最近のトレンドになっています。
例えば、今年発表された新型のトヨタ・プリウスはのPHEVモデルの場合、最高出力は223馬力、0→100km/h加速は6.7秒です。これはスポーツカーである、先代のトヨタ・86/スバル・BRZを上回るスペックです。日産スカイラインの特別グレードである「スカイライン400R」に関しては最高出力405馬力を誇り、これはランボルギーニ・カウンタック(4.8Lモデル、377馬力)を優に越える出力です。スーパーカーでもなんでも無いオヤジセダンなのにですよ。
さらに、オートバイに関してはこういった点がさらに顕著になります。
1990年代、ヤマハ発動機は「ツイスティーロード(=峠)最速」のキャッチコピーを引っさげ150馬力のスーパースポーツバイク「YZF-R1」を発売。カワサキとスズキは市販車最高速バイクの名をほしいままにするべく、熾烈な性能争いを繰り広げました。スズキが送り出した「GSX1300R Hayabusa」のスピードメータは350km/hまで刻まれていましたが欧州で問題視され、300km/h以上出せないようにすることと、スピードメーターは300km/hまで、という自主規制が敷かれることに。ホンダも似たようなもので、「CBR900RR FireBrade」や、「CBR1100XX SuperBlackbird」など、前述のヤマハ・YZF-R1やスズキ・ハヤブサと同じようなコンセプト、性能のオートバイを販売していました。
しかし、こういった出来事はあくまで90年代で昔の出来事。企業の社会的責任が重く問われる令和の時代になり、だいぶ様相が変わりました。オートバイメーカー各社は、「高性能なスポーツバイクは、サーキットを走るために買ってね」という方針にシフトし、カタログにはサーキットを走行するイメージ写真ばかりが並びます。しかし、サーキットを走るためのオートバイにも関わらず、依然としてナンバーを取得し公道を走行できる仕様で販売されています。
私がこのエントリを書いた理由は、速度超過を容認しろ、と主張したいからではありません。スピード違反というルールを破る行為について、それを取り締まるべき警察や行政、そして社会的責任を負うべき企業が、なぜある程度ルーズな対応をしているのか。それを考えてほしいのです。
「ルールは厳しく守るべきだ」と考える人にとって、警察や行政、メーカーの対応は生ぬるいと言わざるおえないでしょう。警察は15km/h以下のスピード違反もバンバン取り締まるべきだし、自主規制のスピードリミッターは義務化して規制速度を下げるべきだし、メーカーは高出力で過激な製品を作るべきではない。そう思うのではないかと思います。
では、なぜ警察は15km/h以下の速度取締を行わないのでしょうか。自動車メーカーやオートバイメーカーは、なぜ過激な製品を作り続けるのでしょうか。そして、それに対して行政は規制をかけるどころか、なぜ規制緩和を行うのでしょうか。
なぜ、世の中ではルールを軽視するかのようなルーズな対応が取られているのか。それを考えることは、盲目的にルールを守ること以上に価値があることだと私は考えます。ルールを守ることこそが絶対の正しさだと考える方が一定数いらっしゃると思いますが、なぜ世の中は、その絶対的な正しさにまっすぐ向かっていかないのか。その理由を考えた先に、ルールと倫理の本質が見えてくるのではないでしょうか。
何遍も言うが俺はおやすみプンプンの主人公小野寺プンプンが免許取ったのと同じ教習所に通ってたんだ。
あれって一種の逃避行ものなんだけど、逃避行する前は小野寺プンプンの幼少期からの成長を見つめる話なんだよね。幼少期もやや不気味な伏線は入るんだけど、みんな大きくなってそれぞれを追う群像劇になってく。過去と今、自分と旧友の対比をする。その後に小野寺プンプンの逃避行にフォーカスしてく。あ、もちろん逃げる時は車で逃げるよ。せっかく免許取ったし。確か。
でさ、俺はもう何年も運転してないのよ。なあ、これってコントラストだよな?成長して動き続けていくおやすみプンプンの世界と、俺の動かないエンジンと。
運転してないってさ、そりゃ都内だからってのもあるけど、そっから動かない俺の行動力のなさっていうか、生活力のなさっていうかさ。成長してないんだよ。将来車なんて運転できるのかな〜って心配してたガキから。
なぁ、頼むから俺のエンジンを動かしてくれないか?キーを挿してくれないか(ま、挿すのは俺の方なんだけどねwww←URLの最初についてる草)?
増田からは「あおりハンドル」の話をしようと思います。こちらの記事の「あおり運転」と言葉は似ていますが全然違うものです。
あおりハンドルの治し方も本稿の後半で述べていますので、「あおりハンドルがどういうものかは知っている。治し方が知りたい」という人はそこまで飛ばして読んでも大丈夫です。
交差点などで曲がる時に、いったん曲がる方向とは反対へハンドルを切り、逆側にふくらんでから大回りをする動作のことです。
大型車など、あおり動作をしないとカーブをクリアできない車両もありますが、よほど狭隘な交差点でない限り普通の乗用車には必要ない動作です。
左折をする時に右側に車体を大きく振るケースが多いですね。本稿では普通乗用車の左折シーンを題材として話を進めます。
あおりハンドルの危険性には、上のようなものが挙げられます。ひとつずつ見ていきましょう。
あおりハンドルで左折するドライバーの注意は、曲がろうとする左側に集中しがちです。彼らは右側をろくに見もせずハンドルを右に切ります。片側1車線ならば対向車と、片側2車線以上ならば右側を並走する車と接触する危険性があります。これに怖い思いをしたドライバーはたくさんいるのでは。
あおり左折の車は、左に合図を出しているにもかかわらず右に動きます。これは周囲の交通にとっては予期せぬ、意表をつく動作です(二段階右折しようとしている原付のことはちょっと忘れててください)。
このような動作は、合図を見て進路を変更したり加減速を行おうとする後続車両の判断を誤らせる危険性があります。最悪の場合は事故になるでしょう。
あおり左折では、右側にふくらむため左側の余地が大きく空きます。車道の左側をすり抜けて来たオートバイや自転車などの二輪車がこの余地に入り込み、交差点で左折車に巻き込まれる事故が起こりやすくなります。
右側にふくらむと後続車に左ウインカーが隠れてしまい、後方からすり抜けてくる二輪車から合図が見えにくくなります。左折時はしっかりと左に寄せろと教習所で習いますが、これは、すり抜けの余地をブロックするだけでなく、左ウインカーの合図をしっかり後方に見せるという意味合いも大きいのではないかと思います。
あなたのあおりハンドルはどちら? もちろんこのふたつが複合して心配、という人もいるでしょう。
それぞれに対策を見ていきましょう。
左折時に縁石を踏んでしまうとしたら、それは後輪の軌跡が内側すぎるのではなく、ハンドルを切るタイミングが早すぎるのです。後輪がカーブにさしかかるまでハンドルを切るのをがまんして直進してください。車道の左端に沿って進み、ハンドルの切り始めを遅らせる(ちょっと通り過ぎる)。これだけです。簡単でしょう?
前輪にしか舵のない自動車は、リヤカーと同じです。リヤカーの牽き手は曲がり始めを少し通り過ぎる必要があるのです(リヤカーを牽いたことがなくても何となくわかりますよね?)。
ところで、
「それだと今度は曲がった先で車の前のほうが反対車線にはみ出てしまうじゃないか」
といったご心配もあろうかと思います。それについては次でお話しします。
左折した先の左車線に無駄なくスポッと車の鼻先を収めるためには、あらかじめ車体を右に振る必要があります。これがあおりハンドルです。
ですが、左折した先の左車線に無駄なくスポッと車の鼻先を収める必要は「ない」のです。
交差点の(曲がろうとしている自分から見て)左側には、横断歩道があったり、対向車線の停止線は少し後ろに下がっていたりして、車の頭を取り回すスペースが十分にあります。このスペースは広く利用してよいのです。
こんな経験はありませんか? 交差点で信号待ちをしていたら、右方からバスが左折してくる。自分の車にぶつかるかというほど鼻先スレスレまで迫ってきたけど、うまく曲がっていった……みたいな。つまり、待っている車の鼻先は通ってもいいのです。停まっているんですから。
あるいは、狭い道路の十字路で、停止線がやたら手前にあるのを見たことがありませんか? これも、左折する大型車の頭を取り回す余地を作るための工夫です。このスペースを使って、外輪差を回収するのです。
あおりハンドルであらかじめ外輪差を作るのではなく、普通にハンドルを切って、できてしまった外輪差は曲がった先で元に戻します。
火事が起きて途中中止になったけど花火は最期まで上がっていたといういたばし花火大会だが、実は戸田市との共同開催になっていて、荒川を挟んで板橋側だけが中止になったのだ。荒川を挟んで両岸で打ち上げまくるのね。
でも板橋区の方では「いたばし花火大会」としてしかアナウンスされないし、戸田市側の方は「戸田橋花火大会」としてしか案内されないから、東京都民or板橋区民の中には戸田市の方でも打ち上げてるのを知らない人が結構いるし、反対側の埼玉県民、戸田市民の方も然りで、「中止になったのに最後まで打ちあがってたのは何故???」というなぞなぞみたいな事になってしまった。
そして両岸で共同開催という珍しい形になったのは、荒川の改修工事が元になっている。
赤羽の岩淵に岩淵水門という隅田川入口を締め切る水門があるんだが、そこから下流の荒川は大正から昭和初めに掛けて開削した放水路だ。それまでは荒川の全水量が今の墨田川に流入していて水量が増えると東京の下町の方が洪水になってその都度大損害を出していた。
そこで荒川放水路を掘るという大工事に至ったのだ。普段は岩淵水門を開けておいて水は隅田川の方に流れているが、水量が増えたら水門を閉めて全部放水路の方に流れるようにする。
同時に岩淵水門の上流も大改修する必要があった。荒川がうねる様に大蛇行していて、当時の堤防というのは河道から500m~1kmも離れた所にあり水が溢れたら堤防までの土地(堤外地)は水没、という扱いになっていた。
これを止めて直線的に流れるようにして堤防に対する攻撃力を下げる。そしてちゃんとした高い堤防で完全に水を封じ込むようにする。
ついでに合流する河川も改修する。新河岸川は彩湖の付近で合流していたが、荒川の堤防だけ高くしても洪水時は新河岸川の方に逆流するからそこから洪水になって無意味だ。
そこで新河岸川の堤防を荒川準拠に高くする代わりに、新河岸川の合流地点を延長して荒川と平行して流し、赤羽まで持って行く。そして岩淵水門の下流で隅田川に合流させるのだ。確かに荒川の水量の影響を受けなくなるがすごい工事である。
で、その河道はどうするかというと、蛇行している荒川の頂点に接線を引いて、北側接線を荒川、南側接線を新河岸川にした。
すると接線の間にはサインカーブで分断された土地というのが出来る。
そしてそれまでは荒川が埼玉県と東京府の境だった。荒川の位置を変更して北側接線にしたから、東京府側に下に凸型の埼玉県飛び地がいくつか出来たって事になる。
このサインカーブ飛び地問題、今の埼玉県川口市&東京都北区、埼玉県戸田市&東京都板橋区が影響を受けるが、川口市&北区側は早々に解決した。
今の埼京線浮間舟渡駅~北赤羽駅の浮間地区は元は埼玉県横曾根村の浮間だった。だが荒川改修直後に横曽村と川口町の合併(川口市へ)が控えており、その時に東京府に割譲すると取決めがされてその通りになった。
一方、戸田村の船渡地区は東京府との協議が難航していた。浮間の方は横曽村がほぼ丸ごと東京側に行くのに大して、戸田村の集落は埼玉側にあり、その船渡地区だけが東京側に行く。
時折線が入り組んだ複雑な県境があるが、それが出来る理由というのは同じ地主の土地が県境で分かれないようにする為というのが多い。この場合は地主の土地を引き裂く県境引き直しだから難しい訳だ。更にその土地が工場に売られたりして更にややこしくなった。
そうするうちに戦争が始まってしまう。東京府と東京市は無くなって東京都と板橋区が出来て話し合いの主体もリセット。もう解決不能である。
戦後になって流石に復興する前にあれ何とかすべきだという事になり、1950年、難航の末に戸田町と板橋区の間で県境を荒川にする事で合意。今の地図を見ても蛇行の名残は見える。
https://goo.gl/maps/uEMgZazGCHPmMV2Q6
新河岸川の角みたいなのと浮間公園の池が蛇行の跡で、戸田葬儀場があるU字型の土地が戸田町から板橋区に割譲された船渡地区だ。
そこでこりゃ目出度いって事で、戸田橋花火大会を開催することになり、板橋区もそれに協賛という形で加わる形となった。後に協賛じゃなくて戸田市側の戸田橋花火大会、板橋区側のいたばし花火大会同時開催という形に変化。
そしてこのいたばし花火大会の開催&打ち上げ地点というのはこの戸田市からぶん捕った土地の河川敷なのである。これは飛び地問題解決を祝って始めた花火なのでここじゃなきゃいけないわけだ。
荒川の河川敷は今の経緯から見ても判る通り、元は農地だった。戦後すぐまでもそのままで農民は河川敷の農地を所有し堤防を越えて農業をしに来ていた。
だが堤外地で増水時には水没する土地でもあり自治体は土地を購入して運動公園への転用、ゴルフ場や教習所など水没前提の事業者への売却を促してきた。つまりは「平地」として活用されてきた。
だがそのうち荒川旧河道は誰の土地でもないから放置されて荒れ地のままになっていた。それも昭和後期あたりから公園や払下げなどが進んできた。
だが現河道と旧河道の合流部は敢えてそのまま残される事になった。水面が切れ込んでいるので水生生物が流されにくい。そしてその周辺は敢えてそのまま荒れ地のままにしてバードサンクチュアリにする。
という事で、他の部分は運動場などで使うので綺麗に芝刈りされているのに「一か所だけ荒れ地のままにしているところでナイアガラをする」という条件が揃ってしまったのだ。
旧河道付近は荒れ地のままにして、戸田市からぶんどったこの土地でやるのが元々の花火のテーゼだから仕方がないのだが条件が悪いな。
増田の推測だと他の悪条件も重なったと思われる。
まずは2019年の台風19号。これによって荒川は増水し、昭和初期の堤防の高さを超える位置まで水位が上がった。
水が引いた後は河川敷の教習所もゴルフ場も泥まみれである。これらは2~5cm以上にも達し、人力で除去されたのだが、荒れ地の泥はそのままだったはずだ。
そして洪水の泥はナイル川デルタに文明を発生させるほどに肥沃であって、泥がそのままの荒れ地は猛烈に雑草が繁茂したはずだ。
更に2020~2022は東京五輪とコロナの為に開催中止。肥沃な泥で荒れ地の雑草たちは伸び伸びと繁茂しまくり、その中には葛も含まれていた。こいつが来たらもう手に負えない。
そんな悪条件で更に当日は風が強かった。堤防下に管理用道路があり、その脇の数mは普段から草刈りされていて、そこでナイアガラするのだが、そこを遥かに超えた所まで火が飛んでしまった。そしてそこには台風19号で肥料を大増量されて3年以上も繁茂しまくっては枯れと繰り返した雑草、特に葛が居たのである。悪条件が重なりすぎなのだ。
戸田市側の堤防の向こうには戸田のボート場があるが、これは東京五輪用に作られたものだ。
だがこの五輪は2020大会でもなけりゃ戦後の1964年大会でもない、幻となった戦前の1940年大会用に作ったものである。日中戦争激化でキャンセルされた幻の五輪に向けてこれだけ大きなボート場を作ったのだ。でも当時は埼京線は無いし交通はどうするつもりだったのか?都電が戸田橋の南詰まで走ってたがこれは戦後開通だし。
今は西側1/3をギャンブル競艇、東側の残りの水面を大学や実業団の漕艇部が使うという形になっていて、それらの艇庫がズラリと並ぶ。
飛び地問題を早々に解決した川口市の方は荒川での花火大会は無かった(最近出来た)。
だが戸田&板橋の花火大会が羨ましくなった川口市はたたら祭りという祭りを開催。その〆に花火を打ち上げている。
これは川口オートレース場で行われるが、狭いところで打ち上げるので尺玉などは無くて、数も3500発位と、スペックだけ見たらしょぼく見える。
だがオートレース場は観客席と防音壁で囲まれており(数年前までマフラー無しの直管だった)、そこで打ち上げるので音が反響してもの凄い迫力である。また打ち上げ場所が近いので灰や花火の殻がバラバラと沢山降ってきてかなりワイルドなんである。
これは高級スポーツカーよりレーシングカートの方が楽しいとかジャンボジェットよりもセスナやブリテン・ノーマン アイランダーの方が体感的というのに似ている。
先のgooglemapsの航空写真では船渡地区のU字の丸い底の方に工場群が写っているのが見える。
これは新日鉄の工場で、新河岸川は舟運が出来るので戦後すぐに出来たものだが(貨車、トラックに乗らない長物が運搬できる)、実は今は解体されて無くなっている。
都内最大の超巨大物流センターになる予定で、ドローン配達の基地にもなるそうだ。
ただ、ここは実はスーパー堤防予定地である。また、対岸側の川口市の方にはやはりスーパー堤防予定地にタワマンが数棟建っている。
いいの?と思うがスーパー堤防の整備年数は400年、タワマンや工場の耐用年数は60年で、修繕しても120年くらいだから建てちゃっていいそうなのだが、スーパー堤防の壮大さというよりも大言壮語さに驚いてしまう。
花火会場の直ぐ近くを東北新幹線と埼京線が鉄橋で渡っており、埼京線は打ち上げ中は徐行して渡る。新幹線は普通に走っているので乗客へのサービスと思われる。
韓国の雑踏事故とコロナのせいで有料席だけとして無料の人は出ていけとしている大会が増えていて今いたばし&戸田橋もそうだが、これだと市街地の道に人が溢れ、トイレやゴミ箱の設置が無いからその始末を住民がする事になって運営が無責任だ、見えなくしただけだという感じで結構ヘイトを買っている。このやり方はまずいんじゃないのか?
自動運転のAIは仮想現実の世界で気が遠くなるほどの学習機会を得て実際の現実世界での運転に役立てている。
こうしたシミュレーターを人間による自動車教習でももっと役立てて欲しい。
自動車の運転が出来る・出来ないの境目を隔てる壁というものは確かに存在する。
どれだけ運転をしても、その知的能力の壁を超えれないものは運転をするべきではない。
といってもその壁は決して高いものではない。
ある程度の理性と、簡単なパズルゲームを解ける程度の知能があれば超えれるものだ。
しかし、現状の自動車教習のシステムではその壁を顕在化することが出来ていない。
路上教習では、実際の運転の世界とはかけ離れた運転をすることがその原因だし、
その特殊運転をしている限り、現実の運転が出来るかどうかの判断をすることが出来ない。
交通における状況判断能力とか、その判断に基づいた運転が適切に選択できるかどうか?
を路上教習という普通の交通からは切り離された特殊空間では判断することが出来ないからだ。
A地点からB地点まで移動してください。
というカリキュラムを運転者自身が考えて実行するという訓練を受けさせないといけない。
とはいえ、そのようなことが今すぐに出来ないであろうということも当然わかる。
建前が現実よりも価値があるものとして捉えられることが多い日本という国では
そのような実践教習を実現するのは高いハードルが数々と待ち受けているはずだ。
だったら、シミュレーターによる実践的な自動車運転の機会を増やすべきである。
それは座学と教習所内での運転講習の時間を削ることで実現可能なはずだ。
標識の意味など、◯✕で答えさせるよりもシミュレーター内で実践的に覚えさせるほうが有益だし、
それと同時に実践的な運転方法をドライバーが学ぶことが出来るのだから一石二鳥だ。
そして、そのシミュレーターでの運転を見ることにより、本当にどうしても運転免許を発給出来ない対象というものを発見できるはずだ。
だがしかし、スクーターの見た目がかっこいいと思えなくて買いたくない。
これ、ずっと仕組み変わらないけど進化の余地はもうないということなのか?
DCTもあるけどミッションが大きくなってオイル量も増えるんだとか。
車との違いとして、
足指でペダルを上げるため靴が痛む。
車はエンストしてもまたセル回すだけだがバイクはエンストからのたちゴケの危険性がある。
低速でバランスとりながら半クラ、シフトインジケータあるなら見て、2速くらいにして曲がりながら駐車スペースへ。フロント握りすぎるとエンストからのたちゴケ。
気使うよなーと。この前ローソンの駐車場でレブル乗ったねーちゃんがエンストしてこけそうになってた。そこそこ重さあるから周りの人に助けられてた。
クイックシフターもそこじゃないんだよ。半クラを自動にしてほしいのよ。普通に走っててギア変えるときの操作は別に大した負担はないんだよ。
そんなこんなでハンターカブに乗ってるけどこのミッションもっと増えてほしい。
この春から地方の大学に進学して、ひとり暮らしをはじめた息子のようすがすこし心配だ。よくある五月病だったらいいのだけれど(よくないけど)、とにかく一度顔を見にいくことにした。
息子はバカではないが成績が良かったわけでもなく、小~中~高と見事に「下の上」あたりをキープしつつ受験生となった。それでも受験の年には勉強も頑張り、あっぱれ第一志望の公立校に合格、腕試しに受けたそこそこの私学もなぜか受かり、合格祝いのPS5をかかえて引っ越していったのが4月の初旬。ちなみに地方の大学というのは親戚が通っていたこともあり、遊びついでに何度かいったことがある。というかそれで気に入って志望校にしたらしい。また、私自身が(そこではないが)地方大学で下宿生活経験者なので、最初はさびしいぞー、みたいな話は家でよくしていた。
最初に電話で話をしたのが4月の中旬、ひとり暮らしが思っていた以上につらいという。仮面浪人して、地元の大学を受けなおしたいとのこと。大学にはちゃんと通っているらしい。というか部屋で一人だとさびしいので、できるだけ毎日講義があるようにカリキュラムを組んだそうだ。ぼっちというわけでもなくて、会えば普通に話す程度の友人もいるみたい。バイトもして自動車教習所にも通って、なんかふつうの大学生じゃんとおもうんだが、それでも帰りたい帰りたいと思いながらくらしているんだとか。
その電話の時は、こりゃほっときゃおさまるな、と思ったので、「夏休みまでは真面目に大学生して、そのときになってもまだ悩むようなら仮面浪人の勉強をはじめれば?とりあえずそれまではちゃんと単位を取るつもりで通いなさい」というようなことを話した。
次の電話がちょうど1ヶ月後の5月中旬、なんと担当教官に他大学受験の相談をしたらしい。そこで後期は休学したらどうなるかとか、あと授業料の話なんかもしたらしくって、ようするに後期の休学かなんかの申請をすれば授業料が減免(?)される、その締め切りが5月末までなのでどうしようか…。という相談の電話だった。
こっちはてっきりおさまりつつあるもんだと思っていたので、まださびしい帰りたい病が続いていたことにおどろいた。とりあえず「前回の電話での話はまだ変わらない、夏休みまではちゃんと通え・夏休みに考えろ、あと金の話は気にすんな、5月末の締め切りとか考えなくていいよ」と答えた。ほかにも話を聞いてみると、仮面浪人するから一年よぶんに学費がかかるのを気に病んでいるらしい。仕送りのお金も使い切ると申し訳ないからと節制しているという。アホか、遊べ。
ちょっとさすがにこれはまずいかなと思ったので、次の日に会いに行くよとメールした。なるべく早く行きたかったんだけど、その後こっちの別件でなんやかんやあったので、けっきょく明日になってしまった。ということで行ってくる。
まだどうなるのかぜんぜんわからない。とりあえず当たって、後は流れで。だな。
一番大事なのは本人のメンタルヘルスだと思う。ただの五月病ならいいけど、うつ状態とかになるのは絶対に避けたい。それくらいなら戻ってきたらいい。それが大前提だけど、それがクリアなようであれば、なるべく続けてほしいなと思っている。もちろん金の問題、一年ロスの時間の問題もあるけど、なにより「しなくてもいい挫折体験」はせずにすませてほしいから。
明日会って、いろいろ話して吐き出してスッキリしてくれるといいんだけど。
【以下追記】
コメントありがとう!!会ってきた。きょう帰ってきたので報告です。二晩いっしょに食事しながらいろんな話をして、笑ったりときどき泣いたり(←息子が)でした。
とは言っても、正直いって報告するほどの進展というか、成果みたいなものはありません。二日間の印象ではこのままうつになりそうな感じではなかったし、仮面浪人の意思はけっこう固いものの、後期も休学はしないつもりでいるらしい。とかいいつつ、本人の気持ちにもまだ揺らぎがあるみたいで、最初の晩には「受験してだめだったら切り替えて4年間通う」と笑ってたのが、次の晩は「でも帰りたいな…」とちょっと涙ぐむとか、そんな感じ。
というか、会いに行ってわかったんだけど5月中旬の二回目の電話のときが結構ヤバかった。いままで二回ほど寝坊で講義を欠席しちゃったとか言ってたのがちょうどそのころらしく、聞いたら寝坊というかまあ寝坊なんだけど、そこで目が覚めても布団から出る気になれずにそのまま休んでたらしい。ほかにも休みの日に映画を見に行ったけど何を見たか覚えてなかったり、たぶんそれアカンやつやん。ほんと危なかった。よく持ち直した。
いまは本人にも当時はヤバかったという自覚があるみたいなので、もう一度そんな状態になったら、なりそうだったらすぐ連絡しろとよくよく言い聞かせつつ、ほんとうに持ち直しているのか気を付けてみておかないと、と肝に銘じる。
ともかく本人が「会って話ができて本当に良かった」と言ってくれたので、ああ行ってよかった。間に合って(間に合ったのか?)よかった。
そういう過去のヤバさはあるものの、いまは落ち着いている感じだったので、元増田でも書いた私の考え(うつを避けるのが一番とか、しなくてもいい挫折体験とか)はそのまま伝えました。たぶん伝えて大丈夫だと思う。それから教習所を早く卒業して、夏休みまでにいちど帰省して免許とりに行くことにしました(住民票そのままなのです)。これも息子はお金を気にして夏休みにとるつもりだったらしいけれど、しばらくはこまめに帰省させたり、こっちから行ったりしたほうがいいと思う。息子も「教習がんばる!」とのこと。
奴が検定でしくじりまくらない限り、来月にはまた会うことになるはずなので、またいろいろ話をしようと思います。
コメントのからみでもうちょっと書くと、浪人・留年の評価については私はわかりません。息子に言わせると、「なぜか受かったそこそこの私学」だとちょっと残念な気がするらしい。そのもう一ランク上の私学を目指して仮面浪人するつもりだそうです。まあ大学によるってことですね。
グループワークや課題、泊まり込みなんかは、息子のすすんだ学課ではそうでもないみたいです。他大学に進んだ高校の同級生からそんな大学生活も聞いているみたいで、うらやましがっていました。
異性の雰囲気は…なかったですね。いや昨今は異性とは限りませんが、そういう雰囲気は。あればたぶん素直に言う息子だと思いますし、隠したとしても見抜けない私ではない、と思う。そんな感じです。コメントありがとう。