はてなキーワード: 部落とは
話が明後日の方向に飛んでてビックリした。盤外戦の話を俺に向けるな。
身長で選ぶことを俺は何一つ否定してないんだよな。なんで身長で選ぶのは許されて部落出身かどうかで選ぶのは許されないのかと聞いてるだけで。
まあとりあえず
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220924173730
特定の集団に対する一方的な評価を、その集団に属するとした特定の個人に対して、機械的に当てはめるという不当な過程により、当該個人の権利利益を侵害するのが差別なので、それで考えて
部落差別と身長の高低の違いは、部落差別は実態のないニセの差異であるということ。現実には何も差異などないのに、部落出身に何かあるかのように思い込ませ、差異に基づく差別を正当化しているのが部落差別。
何をもって差別か差別じゃないか決まるのかという知りたかったことについて100文字で丁寧にまとめていただきありがとうございます。
なぜ部落出身かどうかを選択する基準にするのかということを掘り下げれば自ずと判断できるということと理解しました。
個人の中で完結していようが許されない差別はしてはダメなんですよ。現に苦しんでる方がいるんだから。公募制という0か100かみたいな極論持ち出して全て一般化するのは端的に詭弁です。
これを見ればわかりますけどいまだに結婚・交際について10%くらいの人が差別被害を受けてるんですよ。家族からの反対だけだと思います?
交際相手や結婚相手(問13)については,「気にならない」(57.7%),「わからない」(25.4%),「気になる」(15.8%)などの順となっており,近隣住民(問12)や後述の求人に対する応募者,職場の同僚(問14)についての質問と比較して「気になる」と答えた人の割合が高くなっている。
「気になる」の割合は近畿,中国,四国で20%を超えるなど高くなっている一方,北海道,東北では10%を下回っている。また,年齢別では,30歳代以下では「気にならない」の割合が70%以上であるのに対し,60歳代以上ではその割合が40%から50%程度にとどまるなど,年代によって認識に相当の差異が見られる(図20,表4-20)。
このように自分自身でも気になるって言ってる人が15%いるんですよ。30代以下は10%、20代以下は8%ですからまあ減ってきていますけど。
ともあれ家族からの反対だけじゃなく個人の選択として差別を受けていることが示唆されるのはわかりますね。
これを踏まえた上で。ブコメもトラバも見るに堪えないんですけど個人の選択であれば部落差別は差別ではない、もしくは許されるって本気で書いてます?
いや確かにあえて交際と書きましたよ? 結婚と書くとより教科書的で部落差別と容易に結びつくので、家と家の関係が薄い交際にしました。
ただ部落出身の方々が結婚のような個人の選択で苦しめられたときに、家と家の関係とはまったく別に、交際相手から無碍にされた事例なんていくらでもあるでしょう?
それに対してそれは差別じゃないんだ、あなたは部落に生まれたからそれを理由に相手と別れるのは仕方ないことなんだって言うんです? すげえなお前ら。日本の部落問題の解消に尽力してきた方々が泣くぞ。
個人の自然な感情による選択の積み重ねが差別になりうるなんて当たり前のこと言わなきゃダメですか?
あなた達普段は「寝た子を起こすな論」批判してますよね? だから当然あれほど典型的な差別問題100人が100人差別と判断すると思ったんですよね。人権問題の何を勉強して寝た子を起こすな論批判してるんですか?
なんであなた方はLGBTQのような新しい差別問題には敏感なのに同和問題のような古い差別問題には異常なまでに鈍感なんですか?
人権啓発動画「『誰か』のこと じゃない。」部落差別(同和問題)編
https://www.youtube.com/watch?v=FEi60hJei5U
初歩的なところですがこの動画でも見てください。
この動画では結婚したい子が親に反対されるという構図ですが、これが例えば子供から相手が同和出身だから別れたいって相談されたらどうしますか?
個人の選択なんだから差別だけどそれでいいよって言うんですか? 親が個人の選択に介入するのはグレーだから窘めないんですか?
まともな人間はそれは差別だから許されないって言うんですよ。言わなきゃダメなんですよ。
個人の選択は全て差別にならないわけではありません。当たり前ですが差別的な基準を元に行った行動は個人の選択だろうが差別です。
個人がその選択をしたことが新たに差別的な環境を生みかねないんですから、繰り返し繰り返しその選択は差別だと非難し続けなければいけないんです。
部落出身者だから付き合わないという判断も個人の選択なら構わないなんてのは「寝た子を起こすな論」と変わりません。差別を差別じゃないと見て見ぬふりしてるだけです。
部落出身だから別れるという理由が内心に留まるのであれば差別だとしても判断できないっていうのはそれはそう。でもこの場合内心に留まらず行動に移してるけどわからないだけでは……?
そういう内心を生む環境自体が差別的なんだから、思考実験の回答としては「外見的にわからないかもしれないけど、そういった判断をすることは差別で許されない」と言うべきでは。
部落差別と身長の高低の違いは、部落差別は実態のないニセの差異であるということ。現実には何も差異などないのに、部落出身に何かあるかのように思い込ませ、差異に基づく差別を正当化しているのが部落差別。
一番最初に引用したのもう一度引用しますけど部落差別は何も差異がないのにあるかのように思い込ませているのが問題なんですよ。
広義の定義でいえばどっちも差別だが、元増田はそういう事を聞きたいわけじゃないよね。
「もしネットで『身長170cm以下の人とは結婚したくない』という発言をしてもそれほど非難されなそうだが、『部落出身の人とは結婚したくない』という発言をしたらたぶん強く非難されるだろう。同じ生まれついての属性なのに、非難の程度に差がつくのはなぜか?」
https://anond.hatelabo.jp/20220924173730
あくまで交際相手を選ぶという一場面に限定して言えば、部落出身者かどうかで相手を選ぶのも別に差別じゃないでしょ
部落出身者と結婚する事によって自分や子供に不利益が及ぶのを避けたいから、合理的な選択として部落出身者との結婚を避ける
部落出身者かどうかを基準に交際相手を選ぶ事自体は何ら差別ではないけれど
その前提には差別がある
高身長の方が社会的に評価されやすい、出世しやすく金を稼ぎやすい、という傾向があるから
つまり差別をしているのは社会であって、交際相手を選んでいる人間ではない
例えば特定のペーパーテストの結果で選ぶべき場面なのにそれに関係ない性別を反映させたりだとか。
交際相手を選ぶのは個人的な好みで選んで何ら問題ない場面なので、その如何なる基準で選ぼうが全て「差別」とは言わない。
外国人とは結婚したくない、異性とは結婚したくない、障害者とは結婚したくない、低身長の人とは結婚したくない、被差別部落出身者とは結婚したくない……全て差別ではないのでどうぞご自由に。
差別になるのは当人達は合意で結婚したがっているものを、周囲が部落だったり障害だったりを理由に反対して引き離そうとするとかそういう場面。
「部落出身かどうか」ってのは「友人関係や親戚関係に問題がないか」ってことやろ?後者に問題があれば部落じゃなくてもお付き合いしない方がいいし、そうでなければ部落かどうかはあんまり関係なくなる。それより根本的なのは「好き嫌い」にポリコレを持ち込むなってことや。嫌いとポリコレ違反が一致しても堂々と嫌い、と言え!
「部落出身かどうか」ってのは「友人関係や親戚関係に問題がないか」ってことやろ?後者に問題があれば部落じゃなくてもお付き合いしない方がいいし、そうでなければ部落かどうかはあんまり関係なくなる。
インターネットでわざわざ部落を晒したら、それを部落解放同盟が「まだ差別は残ってる!!」って言って運動に利用するんだよ
みんなで触れないことでくっそ面倒くさい問題をすこしずつ薄れさせて言ってるとこなの
で、どこが部落なんだよ!!
そんなの無かったな。で、どこが部落?
で、どこが部落なの?
選ぶということは差をつけて別けることなので本質的には差別である。
問題視される差別は社会的、公的な差別であって個人単位での差別をことさらにあげつらうべきではない。
人と交際するのってそういう風にスクリーニングして決まるものではなくて遍歴を後から眺めたときに背の高い人が好きなんだなあと気づくものではないか。
など言いたいことはいくつかあるが、せっかくなので何を差別と感じて何を差別を感じないか、あるいは許容される差別であるか。を考えていきたい。
結論から言うと、その属性そのものを見ているか、に尽きると思う。
単純に見た目の好みとして「背が高い人」を好む何者かに対して悪い意味での差別性を私は感じない。
しかし「背が高い人が良い」の理由として「身長が低い人は性格もひねくれているから」と言われたら、差別的だな、と思う。
同様に「背が高い人は知能も高いから」も十分に差別的だと私は感じる。
まとめると、「背が高い・低い」ということを「背が高い・低い」という事象そのもので受け取らず、知能や性格に関連付けてしまうような論理の飛躍、偏見に対して差別を感じるのだ。
これは相関関係のあるなしは問題ではない。仮に身長と知能、性格に相関関係があったとして、目の前の人物がどうであるかには一切関係がないからだ。
男性のほうが、黒人のほうが犯罪率が高いとしても、目の前の黒人男性が犯罪者かどうかはその人自身を見なければわからない。
そもそもある集団の犯罪率が他の集団より高かったとしてもその集団内での犯罪者の割合は些少なんだけどまあそれは別の話。
出自が人物に影響を与えることは当然あるだろう。しかし判断は結果としての現在の人物を見れば良いだけのことである。
出自を問うことに意味はないし、書類の出身地を書き換えたからと言って能力や性格が変わるわけではない。
つまり、出自を元に人物を判断するということは、出自に結びついた何らかの論理の飛躍や偏見が必ず存在することになる。
当人の言を聞くまでもなく、差別的であると判断することができる。
最後に微妙なラインについて考える。「運動部出身の人はなんか怖いから苦手」これは差別だろうか。
部活動の種類と危険度には何の関係もないので、運動部出身を恐れる客観的な理由はない。ではこれは偏見から来る差別なのか。
これについては、差別的には感じるが問題のないレベルだと私は思う。何が違うかと言うと、判断の責を誰が負っているのか、である。
ここで言われているのは「なんか怖い」という主観である。運動部出身の人が悪いわけではなく、「なんか怖い」と思ってしまう自分に責がある。とはいえどう繕おうが「なんか怖い」ものは仕方がないのだ。
なので個人レベルでは問題ないと判断する。行政や企業にそういう情緒で動かれたら批判せざるを得ないが。
ちなみに「運動部出身は粗暴だから苦手」という主張だったらどうだろう。「粗暴」という相手の責になっている。
これは容易に「粗暴な人間を生み出す運動部を廃止しよう」という社会的な流れへのモチベーションになる。ここまでくれば直球の差別と言っても差し支えないだろう。
特に着地点も決めないままダラダラと書いたが、とりあえず2つの考えに達した。
偏見、論理の飛躍から来る特定の属性への決めつけ、及びそれを元にした判断、について差別的だと私は感じる。
なぜそんなことを断言できる?
部落出身者が外の人より同じ部落の仲間と付き合いたいよ、と考えたとしてもなんら不思議はない。
部外者によってマイノリティの内心までもが決めつけられるのは通常、差別だと思うが?
その中で部落出身者と付き合いたい人が存在しなかったとする。増田の説明にのるなら、その時点で部落差別は好みじゃなくなってしまう。社会環境によって好みか好みじゃないかが決まるのは不合理だ。
好みか差別心かを分別する基準がない。それが「恋愛における好みは合理で差別じゃない説」の欠点❶だ。まだ疑問がある。なぜ恋愛だけ無敵の免罪符「好み」が適用されるのか。面接でブサイクを落とすのだって、好みじゃない容姿の人と共に働くのはパフォーマンスが下がるから合理と言えるんじゃないか? 恋愛を特別視する理由が不明瞭、それが欠点❷だ。