はてなキーワード: 石原裕次郎とは
これは俺だけじゃなくて俺と同世代の人間は割とそうなのではないかと思う。なぜかというと俺は言ってみれば「キムタク世代」ど真ん中で、つまり10代の頃に「キムタクがこの世で一番カッコいい男だ」という刷り込みを受けて育った世代である。
もちろん別にキムタクのファンというわけでもないのだけれど、それでもキムタクのようなやや中性的で適度にフニャっとした感じの男がカッコいいのだという刷り込みは自分で思っている以上に自分の中に深く刷り込まれているのだと思う。
そういう俺から見ると石原裕次郎というのは下手くそなドラムを叩くゴツくてやや太った暑苦しい男、としか見えない。
そして今となっては兄の慎太郎のせいで石原家そのもののイメージが極端に悪くなっているので、裕次郎もほんとにただのクズ男にしか見えない。
自分の子供のころ、70歳こえた婆さんなんて、髪は白髪で普段着は和服で、つえついてヨタヨタ歩いているなんてのがザラにいた。
今の70歳って、そんな人いないよね?
タモリって71歳だっけ?
別に芸能人だからってことじゃなくて、ああいう感じの70代って身近に普通にいるし。
ちょっと前に千葉テレビで「太陽にほえろ」の再放送たまたま見たんだけど、石原裕次郎は52歳でなくなっているので、あれ40代なのだよな。
なんなんだよ、あの貫禄。
なんか、昔にくらべていろんなもんが幼いってか未熟ってか、そんなふうに見えてきて、それって自分が年取ったんだろうなあと自戒してたんだけど、
どうも、それだけでもない気がしてきた。
昭和の時代は55歳で定年だった時代もあるわけだし、60を過ぎれば引退して余生を楽しんでる感あったけど、
寿命というか健康寿命というか現役寿命というか、そういうのが伸びてるってのもあるんだろうなあ、と。
昔はそれだけで「鉄人」だったけど。
寿命が延びれば、相対的に成熟するのが遅くなってもバランスはあってるし・・・なんて考えてるんだが、実際のところどうなんだろう?
あのさー、
母と一緒にジャスコとかに行くと
手前の方からじゃなくて
あれみっともないからやめてくれない?って言ってもやめないのよ。
消費期限の1日の差の違いなんてないと思うの。
まあ、田崎真也さん級なら、
乳牛の食べた干し草の違いですら
牛乳の味の差として分かるかも知れないけど、
ビックリよね!
でもさ、そんなこんなで、
古いのが廃棄されるかも知れないじゃない。
本は上から2~3冊目のを取るけど、
うふふ。
なんか、とんかつの端っこを急に食べたくなったわ。
あの部分ってなんでとても
セクシーヤミーなのかしら。
とてもジューシーよね!
今朝寒かったのでストーブ付けたわ。
まだ私の所は桜前線は来ないのかしら?
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
1974年生まれぐらいの人から見て、手塚治虫ってこんな感じに見られてたなあっていう話。
僕が子供の時は各界に権威者つーか、記号みたいな人がいたのね。
美空ひばり=歌うまい、みたいな。石原裕次郎とかさ、リアルタイムじゃ「太陽にほえろ」しか知らんけど、あの固太りのおっさんのどこが恰好いいの?とか思ってても、裕次郎=二枚目、みたいな記号が権威をもってたんですよ。
いまさ、例えば歌姫って言っても、こーだくみも歌姫なら、浜崎だって歌姫でしょ。僕が子供頃だったら歌謡曲の女王ってたら美空ひばり、ミスタープロ野球ってたら長嶋茂雄、いや島倉千代子はどうなの、とか王貞治の方が記録を残してるよとか、そういう異論は通用しなかった時代なのね。
今だって神様だけどさ、もう当時はカテゴリー的には昭和天皇と同じカテゴリーなのよ。美空ひばりとか長嶋茂雄とか、石原裕次郎とかは皇室と同じポジションにいたわけ。
そういう意識を共有して、日本人は共同幻想体をシェアしてたのね。
タクシーに乗ってさ、いきなり運転手が「いやー昨日は巨人が負けて残念でしたね」って話しかけるみたいな、共同幻想ね。そこにはスワローズファンなんて存在しないの。いや、俺はホエールズファンだからなんてのはあってはならないの。石原裕次郎=二枚目ってのを受け入れるのはさ、天気の話をして場をつなぐ友好的な社交を受け入れるってのと同じことだったわけよ。
そういう仲でさ、手塚治虫=神様=天才=善人=医者、っていうさ、そういう受け入れられ方をしてたわけ。世間はアトムとジャングル大帝しか知らんから。
手塚の場合は、まあ、実際に天才だったわけだしさ、裕次郎が二枚目っていうのよりは実態があったけど、僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね。アニメは見たよ。
子供が多い時代だったから、しょっちゅうアニメは再放送されてて、「ジャングル大帝」「ふしぎなメルモ」「悟空の大冒険」「鉄腕アトム(リメイク版ね、♪ボクの腕と脚はジェットで空をとーべるー、の方)」「ジェッターマルス」とか観ていた。僕が一番好きだったのは「悟空の大冒険」だけどさ、まあ正直言って、藤子不二雄とか赤塚不二夫のアニメの方が面白かったなあ。
みたいなことを80年代に手塚は言ったらしいんだけど、晩年の手塚は権威を利用して、また新しいチャレンジをしてたね。
僕がリアルタイムで、手塚の「連載」を読んだのは「アドルフに告ぐ」なんだけど、これ、週刊文春に連載されてたんだよ。一般週刊誌だよね。週刊文春読んでる中学生もやな感じだけど、漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね。で、「火の鳥」と「ブラックジャック」がハードカヴァー版で刊行されたんだけど、漫画のハードカヴァー版も多分、手塚が最初。
権威を利用してたけどさ、最晩年の頃の手塚はむちゃくちゃ現役作家でさ、現役作家として再ブレイクしてたんだよ。ま、あの人、現役じゃなかった時代はないんだけど、藤子F先生が「ドラえもん」に専念して、赤塚先生がかろうじてコロコロとかに細々と連載してる中でさ、手塚は社会のど真ん中で新作でブレイクしたんだよ。
その最中に亡くなったんだけど、「アトム期」「レオ期」「どろろ期」「ブラックジャック期」って連続してるけど、それぞれ別の顔、別の座標軸でブレイクしてるんだよ。で80年代にもブレイクの山をもひとつこしらえたっていうかさ、死んだときは神様じゃなくて現役作家だったんだよ。
「ブラックジャック」とか「火の鳥」の名声で食ってたんじゃなくてさ、多くの読者に早く来週の掲載作品を読みたいって思われる作家だったんだよ。
まあ、おっさんのむかしばなしなんだけどね。
5月3日の日経に「日本人の金融行動は2極化しているのでは?」という問題提起があった。
「極端なリスク回避嗜好者(現預金嗜好者)と、FXとかにバンバン投資して、極端にリスクテイクする人と、
2極化していて、中間層(ほどほどにリスクを取る人)が希薄」という趣旨。
これって、金融行動以外の、市民の社会行動、あるいは各種リテラシーについても、言えるのでは?
30年前、40年前とかと比べて、中庸に山が来る正規分布から、「リテラシーが凄い人」と「リテラシーが全く駄目な人」に
2極化が進行している気がする。
例えば、行政が、医療費増大を抑えるために、市民に「健康啓発・運動啓発」をしているが、
「運動する市民」と「運動しない市民」の2極化が、30年前・40年前より、一層分化していたりする。
運動する市民の側は、より一層運動に励むが、運動嫌いな市民は、より一層運動時間が減少してしまったりする。
で、問題なのは、行政が「健康啓発セミナー」を開催しても、集まるのは
「もともと健康・運動好きな、健康オタク」ばかり来場してしまって、行政としてはもっとも来場して欲しい
運動好きな人にますます運動を啓蒙したら、活性酸素で却って体を痛めてしまうのだが・・・
厚生労働省とかが「市民の運動時間調査」しても、平均を見て論議するのは、全くの見当外れになる。
例えば「運動時間合計が1週間で1時間未満の人の比率が、30年前比でどう推移したか?」を可視化して、
運動とかの場合だと、例えば40年前とかは、職場で「大運動会」「ソフトボール大会」なんかがあって、
運動嫌いな人でも半強制的に運動に参加させられる「仕掛け」があったが、それが廃れて、
「運動と向き合わなくても生活していける時代」になった、という面が大きい。
・・・あらゆる場面で「嫌いなジャンル、苦手なジャンルがあっても、別に向き合わなくても構わない時代」になり、
リテラシーボトム層は、ますますボトムダウンする、という構図になっている。
一方、運動好きな人のサークルは益々盛んになり、より上手い人は上手くなり、運動量が増える。
なので、市民の間の「運動量の断絶」は、40年前比では相当酷くなっている。
「そういうスクールにも行かず、親が夏に海・プールに連れて行くこともない家庭の子」とでは、
水泳の技量に相当な断絶が発生してしまい、体育教育現場では相当問題化しているらしい。
40年前とかなら、芸能に疎い人でも、それなりに「山口百恵がどうした」「石原裕次郎がどうした」ということを知っていた。
おそらく世間話でそれなりに芸能の話題が出ていたので、あまり芸能に関心がなくても、必要に迫られて
しかし、今では別にAKBがどうした、EXILEがどうした、ということに全く無関心でも、まあ生きていける。
40年前と比べると、芸能情報に一切無頓着という「芸能オンチ」は、より一層深刻になっているのでは?
一方、ネットの深化で、芸能オタク層の芸能知識の深度は、40年前比でも相当深まっていると思う。
以前は芸能偏差値40~60に満遍なく分布してたのが、今は芸能偏差値80のオタクがいる一方で、
芸能偏差値20の「世間知らず」もそれなりに存在して、芸能偏差値40~60の中庸層は薄くなった気がする。
他にも「料理の腕」とか「日曜大工の腕」とか、さまざまなリテラシー、ライフハックで「2極化」が進行しているのでは?
あと、先日麻生副総理が、「1年間病院に行かない高齢者に、10万円あげることで、過度の病院通いを抑制できる」
とのアイデアを披露していたが、「病院通い」も2極化している気がする。
「用もないのに、病院にやたらと行きたがる、薬を貰いたがる人」と、
麻生氏は「用もないのに病院に行きたがる人」の抑制として「1年間行かなければ10万円のご褒美」というアイデアだったんだろうが、
これで「用もないのに・・・」という層が、果たして行動変化させるか?
結局、「医者嫌い」な人に10万円を交付するだけで、「用もないのに・・・」という人はなんら行動を変えない気がする。
→「医者嫌い」な人に10万円を交付して、「交付実績が上がった、政策効果が出た」と総括するようじゃ、単なるアホである。
この場合は「医師嫌いな人に、もっと病院に行ってもらうように啓蒙」しながら、一方で
「過度に病院通いする人に、あまり病院通いしないように抑制啓蒙する」という両面作戦が必要になるので、極めて難しい啓蒙戦略が必要になる。
石原裕次郎、松田優作、高倉健も、どっちかというと映画の人だから、元増田の挙げてた5人(確かに典型的な男カリスマなセレクションだ)は全員TVの人じゃないね。
むしろテレビという(当時としては)マス向けのメジャーな媒体で活躍することは、それだけで既に、若者の「俺は流されないぜ(キリッ」的な好みに反するから、カリスマ失格になっちゃうのかもね。
そういうことなのかもしらんけど、それって本当にそうなってるの?
おおよそそうなってるよ。
若者が誰かに憧れて、生き方までコピーする、って少なくとも戦後半世紀はずーっと続いてきた長期トレンドで、若者の本質に近いと思うんだけど。もしそれが無くなってるとしたらもっと注目されてもいい、凄い変化だよね?
テレビ局の収益からも明白なように、テレビを見る人が減り続けているんだから、テレビが作り上げたトレンドやカリスマが生まれにくくなっているのもまた当たり前の話。
http://anond.hatelabo.jp/20101002195907
じゃあ「映画」も追加。
テレビにせよ映画にせよ昔はそれが大衆の唯一の娯楽だった。しかし今は娯楽が細分化して「みんなが知ってるアイドル」みたいな存在が成立しなくなった。
喫煙者次々と死にますねぇ。 忌野清志郎もついに死にましたね。
赤塚先生も死にましたね。 元阪神の加藤博一さんも死んじゃいましたか。
いい人だったというけど「タバコやめろよ」
といってくれる真の友達や家族はいなかったんだねぇ。
阿久悠死んじゃったね(笑) 超ヘビースモーカーだったらしいね。
柴田恭兵も肺がんですかぁ。ヘビースモーカーの二子山も死にましたね。
ファンに同情されるようじゃミュージシャンは終わり。
なんですね。
ヘビースモーカーですよ、彼らはもちろんやめましたがね。
墓穴掘りますよ。
愛煙家の筑紫さんも癌ですか。
しかも肺癌とは(笑)。 鳥越は生きてるか。
今年になってからも公の席で「喫煙率が半減したのに、
といった発言を繰り返していたようだ。
こんなことを言っていたとは。
つくづくタバコは罪深いと思った。
http://www.style.fm/as/05_column/shudo158.shtml
シナリオ えーだば創作術??誰でもできる脚本家?? 首藤剛志
>12月16日(引用注:1997年・「でんのうせんし・ポリゴン」放映の日)のことは今でも覚えている。
>僕は、その日の『ポケモン』を仕事場のプロジェクターに接続したビデオに録画していてまだ見ていなかった
>出ると男の声だった。
>「ざまあみろ。あはは」
>それだけ言って電話は切れた。
>何の意味かよく分からなかった。
>いたずら電話にしても、男1人の仕事場に電話をかけてくる男はいないだろう。
>間違い電話かとも思った。
>夜の11時頃、妻から電話があった。
>「今、東京の妹から電話があって、『ポケモン』が大変な事になっているけど、知っている? って」
>「え?」
>「今、ニュースでやってる」
当時のポケットモンスターは、火曜日夕方6時半からの放映だった。
この事件が報道されはじめたのは当日の何時頃だったのかは、ハッキリとは覚えていないが、
自分が第一報と接したのは夜9時か10時のニュースあたりだったように思う。
というのは、腰を落ち着けて内容を知ったのが帰宅後のニュース23だったこと、
その時点では、録画したビデオを視聴しておらず、
(結局、その日のうちに視聴はしたが、肝心のシーンでは終始目を背けた)
さて、この怪電話の主。
首藤剛志氏の仕事場の電話番号を知っているというのだから、薄気味悪い。
そこに仕事場の番号を載せているとは思えないからだ。
一体、どんな立場の男なのだろう。
自分が火の粉かぶって大やけどの時に、被害がどんどん拡大しているその夜に
怪電話かけてる心的余裕があるとは思えない。
たった一言とはいえ、声で身元が判明してしまうかもしれない。
こんな電話をかける卑怯な人間は、そんなチッポケなリスクすら怖がるだろう。
…………どういう理由でそうなっているのか知らないが
脚本家というのは、徒党を組んでいることが多いようだ。
(ビートたけしや石原裕次郎のように、芸能人でもよくある話のようだが)
ソロで活動しているように見える人でも、一皮剥けば「××さんの弟子」だったりする。
演出や作画のように組織に属することから業界に入るのではなく、
誰かの紹介で仕事をもらうからかもしれない。
その誰かが脚本家ではなく、監督やプロデューサーだったとしても、
その監督・プロデューサーにとって使い勝手のいい人達と常に組むことになるからだ。
徒党を組んでいる人種から見れば、うちの親玉こそが業界一の脚本家だろう。
その親分が関わっていない、否、
偉大な親分を首領にいただく我々の誰一人関わっていない「ポケットモンスター」が
飛ぶ鳥を落とす勢いでヒットしているのは、
面白くない事だったりするのかもしれない。
…………もしかしたら、首藤氏本人にも、心当たりはあるのかもしれない。
わかっちゃいるけど、大人のお付き合いがあるので、
あえて気づかないフリをしているのかもしれない。
…………なんだか、脚本家の世界というのは、ずいぶんとしんどそうだ。
顔を合わせるのは新年会&たまの飲み会、何かの機会の合宿だけの
ライトノベル作家の方が楽しそう。
……実入りは少ないのだろうけど。