はてなキーワード: 平身低頭とは
「町本会」の記事にコメントをつけた元書店員です。ぶしつけな質問にわざわざエントリをたてていただいてありがとうございます。なんだかお手数おかけしてしまったみたいで、申し訳ございません。それでお返事をしようと思ったのですが、ちょっと長文になりそうなのでこちらに書かせていただくことにしました。読んでいただければ幸いです。
さて、空犬さんは「『町には本屋さんが必要です』というのは『前提』であり『命題』だ」と書かれていますが、それは私もまったく同感なのです。私も別に、「なぜ町には本屋さんが必要なのか」を問うことで「必要でないという可能性」をさぐってほしいというのでは全然ない。そうではなくて、「なんで自分は本屋がないと困るんだろう」ということをあらためて洗いだして言語化することで、何か新しいものが見えてくるのではないかと思うのです。「『なぜ』については、関わる人それぞれに、その人なりの理由があればそれでいい」とのことですがこれもまたその通りで、参加した人それぞれの「本屋の理由」が明らかになれば、その分だけ本屋の魅力をひっぱりだすきっかけになるのではないでしょうか。ちがうかなあ。
もうちょっとぶっちゃけて言ってしまうと、「なぜ町には本屋さんが必要なのか」というのはつまり、「なぜAmazonじゃダメなのか」ということです(Amazonというのはつまりネット書店ということですが、ネット書店一般というよりはやっぱりAmazonと言わなきゃならないような気がします……けど、まあこの話はおいといて)。
まわりを見ると、「もうAmazonでいいじゃん」という人が大多数だったりします。「本屋に行っても置いてないし」「注文しても1か月かかるし」というわけです。書店員時代も何度「Amazonにはあるのに」「Amazonだと明日届くのに」と言われたことか(泣)。そういう意見に触れるたびに私は個人的に「いや、Amazonばっかりになっちゃマズイんですがね」「今時は注文してそんなに時間かかることないんですよ」と啓蒙にはげんでいるのですけど、あんまり共感してもらえることはありません(あっちなみに書店員としてお客様にそういうことを言ったりはしてません。ひたすら「申し訳ございません」と平身低頭でした。念のため)。
けれど、やっぱりAmazonだけじゃダメなはずです。いやAmazonで買ってもいいんですけど、それだけになってしまうと決定的に失われてしまうものがある。空犬さんは「どのように話しても、理念的な、抽象的な議論にならざるを得ない」とおっしゃってますが、そんなことありません。具体的な話だっていくらでもできます(ここではしませんけど)。そこんとこをしっかり伝えていかないと、どうにもならないんじゃないかなあと思うのです。
空犬さんの記事の後段で、「部外者・第三者ののんきな意見はプラスにならない」とありますけれども、そういうのんきな人たちの「Amazonで買えるから近所の本屋1軒くらい潰れてもいいや」というのんきな態度にきちんと向き合って、そうじゃないんですよと言うべきなんじゃないでしょうか。……いや、すでに業界をはなれた自分が「べき」とか言っちゃいけませんけど。「言ったほうがいい」というのもなんだか上から目線だし、えーと、言ってほしい。言ってください。
ちょっと長くなりすぎたのでそろそろ終わりにします。とりあえず、「なぜ「なぜ」が必要なのか」という件についての私の意見は以上のようなものです。礼を失した部分があるかもしれませんが、真意をくみとっていただければありがたいです。どうぞこれからもがんばってください。では。
追記
記事の終わりの「こんなふうにしたら」なんですが、前回参加した際には質疑応答があったらよかったです。会議のあとの交流会ではあちこちでいろんな話が出てましたけど(私は横浜の本屋さんの話を隣でずっと聞いてたんですが)、ああいう話もある程度共有できたらいいんじゃないかなーと思いました。
ないないないそれは無いw
これを貫き通せばいいと思う。
という疑問とともに、F子さんに対する懐疑も出てくるだろうに。
だから、ぐだぐだしていることはF子さんにとっては損だ。
なんて方針、ネットの観客席はじぇーんじぇん求めてないよw 仮に最終的にそうなるとしても。
「何故裁判しないんだ」という懐疑も出てくるだろうに?
俺、それ匿名ダイアリーで繰り返しわめいてる奴(お前)以外からは聞いたことないよ。
ネットでゴチャゴチャやってくれるほうが見てて面白いじゃねえか。
(なんかものすげー金額かっぱいで報告してくれるなら面白いがな)
一方で、裁判にならない限りは(いや、なったとしても)
会社側には「払わない」という強硬姿勢を貫く選択肢が常にある。
とか言っておけば、事情を詳しく知らない人は納得する。
わざわざことの詳細を知りたがる人は少数派だ。
「ソラノート」でググったら自社サイトより前にこのみっともない騒動のまとめが出てくるんだぜ。
自社サイトの下の検索順位も軒並みこれに関連するソラノートのアホンダラ行状の記事だ。
これがネットとまるで関わりの無い業種で、顧客が堅いおじさんばっかとかなら、
お前の希望的観測どおりの展開もあり得るけど。
だから
そんなことやってるからユースト垢まで失うんだろw
一旦平身低頭謝った(なんかずれてたけど)のに居直ったりするのは
中の人が混乱してるか、F子にむかついてて自制が利かないかだ。
その分、集団側はどうかんがえても有利。
ここだけはその通りだが
既に普通の奴ならとっくにうんざりするかダウンしてる頃なのにこうなってる。
実際ソラノート側はダウン&うやむやになることを期待してのらくらやってたのかもしれないが
見当が外れたでしょ。
直接想いを告げることはできませんでしたが、いつも一緒に遊んでいました。
時を経て、高校生となり、一丁前に恋人ができ、すっかり忘れていたつもりでした。
ところがどっこい、ある日突然私の前に現れて、楽しかったこと、
私が楽しくなれるようなことを次々としては去っていきました。
そう、夢の中で。
あれ?なんでこの人の夢を見るのだろう?
とっくに忘れていたつもりだったのに。
その後も何度か、突然夢の中に顔をだしては
心がポワンと温かくなるようなことを次々としでかして去っていきます。
学生から社会人となり、大人の階段を徐々にのぼり始めていました。
その後私は
いろんな人と出会い、いろんな人に恋をし、
その時その時を全力で
楽しんだり苦しんだり泣いたり笑ったりしながら過ごしてきました。
そしてある日、
その代わり、今後は別の人が現れるようになりました。
その頃私は、ブログを立ち上げ始めた時期でネットという世界に興味津々。
その日は普通に会話をし、
気にせず帰ってきました。
その後、メッセンジャーを通して文字で会話をするようになり、
この時も私には、付き合い始めたばかりの彼氏もいて、
ただただ、会話するのが楽しくて
それどころかいつも怒られてばかりで
というか怒らせるようなことをしでかしている私が悪いのですが
その人が突然夢の中にでてくるようになったことは
本人には口が裂けても言えません。
言ったら「きめえよ、ふざけんな」と怒られること確定だし。
また、言ってしまうことで大事な何かが壊れてしまうような気がして
ところがそんなことに気を遣うなら、もっと別のことに気を遣えよ
と、自分で自分を責めてあげたいことをやらかしてしまったのです。
平身低頭で謝ったのですが、許してくれる気配がまったく感じられず
なのに夢の中には相変わらずちゃっかり現れてくれちゃって
目頭が熱くなるようなうれしいことをジャンジャンやらかしていくのです。
夢から目覚めると、指先までほわっと温かくなっていて
定期的に夢の中にはでてきてくれますが、
実際には二度と話すことができなくなってから2.3年の月日が流れていました。
ベッドに横になり漫画を読み始めた時にそれはやってきたのです。
ひとりぼっちだった寂しさと、6階という高所にいた為、
「私、淘汰されるかも・・・今度は私の番だったんだ」
という諦めと恐怖が入り混じった感情がドクドクと体中を駆け巡りました。
棚という棚から物が飛び出し、食器や鏡が割れる音が響き渡ります。
ニュージーランドで起きた震災の家屋倒壊をニュース映像で見ていたので
あの映像が頭の中でシンクロしていきます。このマンションは突貫工事で建てたっぽく
新築なのにあちこちに不具合がでていて、やばそうな気配を醸し出していたからです。
揺れが若干収まったあたりで、外の様子を見てみることにしました。
そして子どもの泣き声が。
2つ先の部屋に住んでいる子でした。
ドアが開いていたので様子を見に行くと、お母さんが放心状態で立っています。
小学生の女の子がワンワン泣いている2.3歳くらいの妹を抱きかかえるようにして立っています。
とりあえず避難だ!
幸いにもここは避難所である学校の近くです。その親子と一緒に避難所に向かいました。
一人じゃないっていうことで、私自身がすごく救われた気分になりました。
避難解除がなされ、深夜頃、自宅に戻ることができました。
「私まだ、生かされてる」
再びベッドにごろんと横になり、ここで私の走馬灯はまわりはじめました。
私がかかわってきたいろいろな人が頭の中をめぐりはじめました。
真っ先にあの人のことが浮かんできました。
今更連絡なんてできないしなー
なんて思いながら、幸い停電することもなかったので
なんと、あの人からのメッセージが地震直後に入っていたのです。
「だいじょうぶだったか?」
たった一言、
たったその一言だけなのに
まだオンラインっぽかったので、
なんと返事が返ってきました。
2.3年ぶりの会話です。
お互いに地震直後の状況を軽く報告しつつ
最後に
「生き残れたら、また一緒に遊ぼうね」
「絶対やだ」
と帰ってきました。
うんそう、いつも通り。昔と変わらない反応です。
夢の中でいつも助けてもらっていること、
すごくごめんなさいってずっと思っていたこと
言いたいことはたくさんあったけど、
あえて言う必要はありません。
あの人にとっては、ほんの軽い気持ちで声をかけてくれたのでしょう。
全てを伝えてしまうにはあまりにも重過ぎて、
というか
ほどけかけていた紐が、またかろうじて繋がったのに
でもだけど
心って結構通じるんじゃね?
って思えたことは事実だし、
「災い転じて福となす」って結構本当のことなのかもしれません。
知らず知らずのうちに、誰かを救っているかもしれない。
人は誰もがどこかで誰かの救世主になっているのかもしれません。
今日もどこかでまた別の人を救っていることでしょう。
やはり潜在的に想いがあるのかもしれない。
ということで、このお話は一生自分の中にしまっておくつもりでしたが、
今回の大震災で心を病み
あれこれ考えすぎて思い悩んでしまっている人に送りたいと思います。
人と人は繋がっていて
自分の意思とは裏腹に、人を救ったり、時に人を傷つけている。
ということを。
で、結局、私はその救世主にいつかその話をするのかって?
これ以上嫌われると本当に口も聞いてくれなくなりそうなので
「収奪行為」って言われるとなんだか日本が奪いに行ってるみたいじゃん。
日本は収入に応じて課税するしくみがあって、それは国籍を問わない。
日本の経済力を利用して儲けようと思って来た人に、「不当に奪われた!」って言われてもなぁ。
無理やり連れてきたんならともかく。
しかし今は強制されたと言ってるわけで、仮に嘘だとしても、もう訂正がきかない所にまで行ってしまってるのも事実(今更嘘でしたなんて言ったら彼らのアイデンティティが崩壊しかねない)。これはその時すぐに反論せず半端に信じて長年放置してきた日本人にも責任はある。
重要なのは、事実がどうだったかではなく、強制連行された「事にしておく」方が得かどうかだと思う。神が人を作った「事にしておく」方がうまくいく国や文化もあるわけだから。
ええええええええええ(誰かあのAA貼ってくれ)
「自分が被害者だ」という嘘を勝手に思い込んで訂正がきかなくなったのは、勝手に加害者認定された人のせいなんですか?
こわい、こわすぎる。それおかしいよ。
通りすがりのひととふと目が合って、相手が「ガンつけやがった」と思い込んだら、その人は平身低頭謝らなきゃいけないの?
「事にしておく」のが他の人に影響しないことならそれでもいいかもだけど、他人にまで強制するのは違うだろー。
平身低頭、いつも人に優しい 上司には優しく接する。敬意を持って接する。
慇懃無礼、態度がでかい 上司には、慇懃無礼、でかい態度で接する。
私に優しくしてくれる必要はない、たとえば、派遣のお姉さんに優しくできる上司には、尽くす。
派遣なんて、所詮派遣、いくらでも換えが効くという上司には、所詮上司なんて、プロジェクトいくつか、サボタージュしてとばせばいくらでも換えが効く・失脚するという態度で接する。
俺が不思議なのは、他人に対して無礼な上司というのは、無礼に接するのがコミュニケーションなんじゃないのか?
郷にいれば郷に従えで、上司のルールにあわせているだけなんだが?
俺に優しくしろとは言わない、派遣の人や、新人など、弱い人にやさしくできるかどうかが、尊敬を受けるかどうかだと思ってる。
それは、間違っているのか?
そいつが苦労したかどうかなんて知らん、他人に弱者に優しくできるかどうかと思う。
苦労なんて、両親不在で奨学金で、とか夜学でとか、専門学校出とか、いろいろしってるよ。
トイレットペーパー工場に勤めるはずが、教師の薦めで大学に来られた奴とかな。
そういう努力には敬意を払う。上司だというだけでは敬意は払えない。
すくなくとも、他人を捕まえて、頭がおかしいどうのこうの、という文章には敬意は払えない。
インターネットの発達で、紙の本や雑誌は滅びる――そういわれてから何年たつだろう。そしてそろそろ事態が動きはじめたかと思われる節がある。まずグーグルが世界的にすさまじい量の書籍の電子化に乗り出した。コンテンツはこれでかなりの蓄積ができた。またリーダー機器の面では、日本では未発売だがアマゾン・コムがキンドルという電子ブックリーダーを発表し、一定の成功を収めている。流通も、アマゾンの電子ブック販売や、アップルのiTunesストアなどが手法をほぼ確立しつつある。
だがその過程で、電子メディア特有の問題も次第にあらわになりつつあるようだ。それを示す事件が最近立て続けに起きている。
アマゾン・コムのキンドル用に、オーウェル『1984年』『動物農場』の電子ブックを買った人は、6月に驚愕した。版元に問題があったから、としてこれらの本が手元のキンドルから勝手に消し去られていたのだった。いったん買った本や雑誌やソフトが、自分の本棚やパソコンから勝手に消し去られるなんて、これまでは物理的にもありえない!
アマゾンは、この対応について平身低頭し、二度とやらないと宣言した。が、そもそもそんなことができるということ自体に多くの人が戦慄した。そしてその舞台がまさにそうした情報統制社会の恐怖を描いた『1984年』だったとは、なんたる運命の皮肉か。
一方アップルは、オンラインのiTunesストアで販売されるiPhone/iPod用のソフトの健全性に、たいへん神経を使っている。わいせつ語が入っているソフトは、軒並みアダルト指定を受ける。先日、なんと普通の英語辞書がこれを理由に改変を要求され、ストアへの出店を拒否された。アップルは対応のまずさを認めたものの、方針にはいまのところ変化はない。
わが国では動画投稿サイト、ニコニコ動画が同様の問題を示した。酒井ノリピーの昨今の騒動を受けて、彼女の替え歌を歌唱ソフト『初音ミク』に歌わせた動画が投稿された。ところがなんとその歌唱ソフトのメーカーであるクリプトン・フューチャー・メディアが、そんなことに使われたら自社ソフトのイメージダウンだ、と称して削除を要求したのだ。
当然ながら彼らはそのコンテンツについて何の権利ももっていない。が、信じられないことに、ニコニコ動画を運営しているニワンゴは、この無根拠な抗議にあっさり応じて、問題の動画を削除してしまった!
ニワンゴの経営陣でもある西村博之がこの対応に疑問を述べ、その後同社は、問題の動画を復活させた――投稿者に対する自主検閲を促すコメントつきで。
ネットは著作権無視の違法コピーが横行する面ばかり取りざたされることが多い。でもじつはデジタルコンテンツの真の問題は、コントロールができすぎてしまうことなのだ。今回取り上げたケースが如実に示しているように。
これはネット法学の第1人者ローレンス・レッシグの10年前からの主張だが、それが急激に現実味を持ち始めている。紙媒体では物理的にできなかったことが、デジタル媒体では平気でできてしまう。そのとき、いま当然と思われている権利や自由があっさり破壊されかねないのだ。
いま多くの日本のコンテンツ運営業者は、抗議があればそれが正当なものだろうと不当なものだろうと、人に不快感を与えてはいけません、といった低級なお題目の下に問題のコンテンツをとりあえず消して、ほとぼりが冷めるのを待つ、というのがありがちな対応だ。ニワンゴの対応はその好例だろう。ブログの罵倒合戦くらいならそれでもいい。
だがデジタルメディアが紙媒体を置き換えるなら、紙媒体で建前にしても重視されている規範をどう維持するのかも考えるべきだ。目先の個人的な快・不快なんかより重要なことが世の中にはあるんだから。デジタルコンテンツも、それを考えざるをえなくなりつつあるのではないか。そしてそれを私企業の倫理だけに任せられないとしたら、どんな規制がありうるだろうか?
じつは今年、そのヒントになりそうな出来事がもう1つあった。脳科学者の肩書で各種メディアに頻出している茂木健一郎が、ネット上のボランティア執筆による百科事典ウィキペディアでの自分に関する記述に文句をつけ、それをかなり我田引水なかたちで大幅に書き直した。それに対して項目執筆者たちはひるむことなく、ウィキペディアの執筆ルールに基づいて茂木の苦情に形式的には対応しつつ、ほぼ従前の記述を復活させて、誠実な対応とメディアとしての中立性を見事に両立させたのだ。
こうしたネット上の自主的な倫理や規範も多少の可能性があるのでは? むろん、それがどこまで公的な権利保護の規制を補完代替できるかとなると、まだまだ考える必要はあるのだが。
日本をミクスチャーにしたい人なんかいないよ。俺は別にどっちでもいいし。
どうしてもそうしたくないんだとわめき散らしている人の、したくないのは本人の勝手だとして、その際に言ってることがおかしいから変だと突っ込んでるだけだけどね。
で、この国のデザインについてあんたの頼み通りに投票行動してやる義理は誰にも無いしね。「平身低頭(pgr」そんなことを強制されたらそりゃ普通の人は怒るわw
でまあ、私有地に立てこもるか引きこもるかする分には確かに文句は言いにくいだろうね。ゲーテッドコミュニティってやつだな。
日本をミクスチャーにしたい人たちがいるんだとはわかった。分けることを差別としか考えられない人たちが一定数以上いるのもわかった。
で、日本人保存会みたいなものはそういった圧力にどう対処すべきか?
一つは「ミクスチャーの理想は日本列島以外でかなえていただけないでしょうか?」と平身低頭お願いすること。
でもこれは「ここでやりたいんだ!やるんだ!なんで俺らがわざわざ出て行かなきゃならないんだ!」とお怒りになるであろう。
そうなるとあとは、「ノアの方舟」としての日本人居留区(アメリカのインディアン居留区みたいなの)を作ってそこで保存するってのが現実的なんだろうな。
そこで価値観が同じな連中が集まって暮らす。日本各地のどっか人がいない田舎にでもそういう場所をいくつかどかんどかんと作ってそこで保存するしかないんだろうな。
しかもその居留地が私有地であればもうミクスチャー教の人たちも手出しはできんだろうと思う。
うーむ。どっちかというと、自分が普段地味女そのものだから(でもたまに化けるので、いざとなれば化けることが出来ることは知っている)、服装やメイクに惑わされて、あの素材を「ある意味カタワ的な容姿」と形容してしまうような見る目のない男性を揶揄する意図はあったけど、地味女に対する嫌味はないよ。当事者からそう読めると言われたら、まあ平身低頭ごめんなさいするしかないけど。
非モテにお薦めってそんなに嫌味かな。自分は非モテ的な地味で素朴なタイプが好みだから、どっちかというと、相手にしてくれよ!って気分で書いたんだが。件のお嬢様もそういう男性が好みだったじゃん。
http://blog.livedoor.jp/habuakihiro/archives/65115500.html 「元請けにこだわる理由」に
とあったので、すでにスーパースター級の人が答えてるけど、凡庸な人も答えてみる。こっちの方が圧倒的に数は多いので、意味なくはないかと。
自社のバックオフィスの方が、外注先に対してどんな立ち居振る舞いをしているのかご存じですか? 自社と外注先との間の契約がどのようになっているのかご存じですか? それを目の当たりにしても同じことを言い続けられる自信はありますか? そういうことはスーツの仕事とレッテルを貼って見て見ぬ振りをしてませんか? それでいて業界を変えたいなどといいますか?まず自社の外注先との関係をもっとしっかりと構築する気概を見せて頂きたい。
ほとんど知りません。たまに購買部署から納品・検収日をずらせとか指示が来るので、結構えげつない事もしてるかもとは思います。その問題は重大です。重大ですがしかし、それが重大だからと言って、技術が重要である事には変わりありませんし、外注さんにとっても技術を磨く事が有益である事も変わりはないので、言い続けない理由がないです。購買部署もコスト削減のために数人で数百の発注を滝のようにこなしつつ、常に上からの指示される目標数字に実態に合わすための仕事に忙殺されていて、1開発部門の1開発者が理想論をぶっても聞く耳を持つ余裕はないようです。
みんなで技術力を向上しようなどとアジテーションを繰り返しても、その成果を挫くような契約形態を取ってる会社に属して禄を食んでいるのが事実なのではないですか? 会社名の入った名刺を持つ時点で、会社の看板を担う一人なのです。住宅ローンを組むときに所属企業の信用があるから組めるというのは、それは「会社と自分は関係ない」などとは言えないということなのです。自分の信用は自分だけの力ではないのです。
すみません。ごめんなさい。生きててすみません。ただ、たしかにローンもカードも作れますが、給料については大学の同期で金融とかメディア系とか他業種に行った連中の話を聞くと、うーんって感じではあります。それでも、計算機が好きなので、後悔はしてませんが。
エンドユーザのところに謝罪に行く際に外注先を連座させて「開発したのはこの会社です」などとやるなら、だったら元請けなどやらなければいい。何のためにマージンを抜いているのか? お金を頂くに値する仕事をすべきです。
そんな事は自分や自分の周りではあり得ません。たとえ外注さんがこっちの言う事を無視して隠れて手抜きをしたのが原因であっても、謝りに行くのは我々です。厳しいお客さんは、原因の顛末の詳細を文書で要求しますが、当然元請けであるうちらの不手際という内容の文章を作って提出します。
作業が忙しいのと仕事が忙しいのは別の話です。俺たちだって忙しいんだ、などと下請けに対しては死んでも口にするものじゃないのです。言うべきは「お仕事を引き受けてくれてありがとうございます」です。その程度の節も通せないから、デスマるのです。プロジェクトマネジメントの筋も曲がってしまい機能しなくなるのです。筋を通すために体を張れずして何がマネジメントぞ。
これは意味が分りません。もちろんパートナーなので下に見るのはいけませんしそう心掛けていますが、上に見なくてはいけない理由が分りません。こちらの仕切りの迷惑を掛ける事もありそう言うときは平身低頭でお願いしていますが、逆に隠れた手抜きとかショボイ出来やスキルが追っつかなくてそもそも全く出来ないとかそういうを、外注さんがほとんど帰宅して家でのんびりだか彼女とよろしくやってる頃に、事務所で必死に尻ぬぐいしてるのも事実です。パートナーはパートナーです。
弊社などとは比較にならないほどの資本力と人材を持っていながら、一向に生産性が改善されないのは何故ですか? 相変わらず外注頼りなのは何故ですか? 自社で完結出来ない案件を受注するのを恥ずかしいとは感じないのですか? 何故10年前と取引価格が変わらないのですか? ブログなどで社外の人に向けてに叫ぶより先に、自社の中で行動して自社を変えてください。身の回り一つ変えられなくて、何が業界ですか? 何が社会ですか? 何が世界ですか? やりたいこと・出来ることをやってるだけで、世の中が変わるほどそんな都合のいいことはないのです。社内で上り詰めて改革をするくらいの気概を見せてください。
外注さんのメンバーは身の回りですが、購買部門も自社システム部門も開発部門からはまったく身の回りでないどころか別世界です。あと、重要な事を言いますと人月ベースで生産性が上がっていないというのは、本業としてお客さんには申し訳ないですが、外注さんにとっては生命線と言って良いほど必要なものです。もっとアジャイルでどんどん回せるような人だけでやれば生産性は上がりますが、通常の外注さんでそのレベルの人はリーダクラスとか一部だけです。多く見積もっても3??4人に一人がいいところ。羽生さんの所のような高スキル集団は極端な例外。そんなやり方をしたら、外注さんの売り上げはよくて半減、そして外注さんの7割は飯を食えなくなります。自由競争の社会ですから仕方ないと言えばそうかも知れませんが、自分は一緒にやっている外注さんのメンバがそうなるのは忍びないと感じるのは正直なところです。
1年前と・3年前と比較して、何をどれくらい変えることが出来ましたか? その実績をこそ叫んでください。これからの話よりも前に、これまでの苦闘とその結果を語ってください。であればこそ、その奮闘の先にある未来を信じることも出来るでしょう。プロは結果でのみ評価されます。
購買部門も自社システム部門も手が届かないので、身の回りは低レベルながら変えています。無駄なモノは作らなくて良いようにしたり、意思疎通を改善したり、外注さんのスキルアップをしやすいシステムにしたり、などなど。もちろん、羽生さんや比嘉さんみたいなデッカい事は出来ていませんが、コツコツとやっています。
購買部門も自社システム部門も、経営レベルで「これでは立ちゆかない」という危機意識を持たない限り変わらないと思います。一開発部門の一開発者が叫んでも、煙たがられて消されるだけです。自分も消されはしてませんが、圧力は何度も受けています。彼らに危機意識を持たせるには、羽生さんのような所が頑張って追い込んで貰うが非常に重要だと思っていて、影ながら応援しています。これからも頑張ってください。
これに対し、松本さんは「偶然似ることはないし、万一、私の著作を知らなくても頭を下げるのが、創作者としての倫理感だ。一言謝ってくれれば終わりにしようと思ったのに、公式の謝罪がない」と反論した。
「倫理観」というより、「仁義」だよね。今回の件がパクリかどうか、俺には判断できないけれど、
著述やら研究やらが、意図せずして前からあるものに似てしまうことは、
経験あるひと、少なくないんじゃないか。そういうとき、学術研究の場合だと、
読んでないこちらが悪いので、頭を下げざるを得ない。
ただ、それにしたって、「謝罪」とまではいかないな。こちらが悪意をもって剽窃したなら別だが、
ふつう、文章やら論文の一部の主旨が、偶然似てしまったからといって、
わざわざ先方に連絡とって謝るようなことはしない。
実際に会うことがあったら、「不勉強でご迷惑をおかけしまして、失礼しました、
大変はずかしいです」くらいはいうだろう。それがマナーだから。
もし、相手が大家で、烈火のように怒っている、とか伝え聞いたら、仕方がないので平身低頭、
謝罪の手紙を書くよ。だけど、心の底では、ケツの穴の小さいひとだ、って小馬鹿にすると思う。
それより、
法廷では、まず槇原さんが尋問に立ち、「問題の歌詞は、仏教の『因果応報』の教えに基づき、『あきらめずに時間をかければ、夢はきっとかなう』というメッセージを込めて自分で考えた。泥棒扱いされて非常に不快」と発言。
仏教なの、あれが?
下請けが協力会社と呼ばれて久しいけど、
直接業務で関わることはないので業務上役に立っているのかどうかはわからないが、
マナーというか振る舞いが目に余る。
エレベーターはいつも煙草吸いに行く協力会社の連中でいっぱい。お客様を連れた自分が来ても、問答無用で目の前でエレベーターの扉を閉めやがる。
予約もしていないのに会議室を占拠する。平身低頭で「予約しているんですが・・・」と伝えても「なんだよ」って態度で謝ることもしない。
便所(大便器)は協力会社の連中の息抜きの場なのか、いつ行っても閉まっておりピコピコと携帯を押す音が。トイレーダーか。
「お客様」のオフィスで我が物顔のように振舞うのってどうなんだろう。
何かがおかしい。やっぱり「下請け」って呼んだほうがいいよ。絶対なにか勘違いしている。
おまえらだよ、IンチキBジネスマン!
朝、ちょっと時間があったので、いつもと違うコースを通ってみた。勤務先は駅から離れている上、健康のためさらにひと駅前で降りているから、ルートのバリエーションはかなりある。でも、大体いつも決まったコースを歩いてしまうものだ。下手をすると歩数まで同じなんじゃないか、というぐらいに。たまにはそれを徹底してうち破りたくなる。
近隣のコンビニの位置は大体把握している。朝は必ずコンビニに寄ることにしているからだ。今日のコースにかかるコンビニは1軒。普段はあまり行かない、それはコースのせいもあるのだが、おにぎりの味が微妙に好みではないのと、肉まんがまずいことだ。別に肉まんを買う用事がなかったとしても、なんとなく足が避ける。
駅からほど近いそのコンビニは、出勤時間帯にもかかわらず、さほど混んでいなかった。タイミングの関係で、これから電車に乗って目的地へ赴く人の比率が高いからだろう。それを如実に物語るかのように、2つあるレジのうち1つは仮精の真っ最中だった。「仮精」とは「仮締め」ともいうが、つまり、レジ金の勘定をしてレシートログと照合する作業。肉まんをどうしようかひとしきり眺めたあと、さて、レジに並ぶか、と思ってふとみると、仮精中の女の子が「どうぞ」と言っている。でも、品物を置いても、まだ電卓を打っている。仮精は途中で邪魔が入るととても面倒なのだ。それでも私は厚意に甘えることにした。というか、今から並び直すのは逆に意味不明だ。こちらもこちらで寸刻を争うわけでもない。ゆっくりやってもらって結構だ。
でもって見ていると、この女の子、袋詰めのとき縦にしては具合の悪いものをちゃんと横に入れてくれている。あたりまえのことのはずなのだが、大抵のコンビニ店員はこちらがつっこむまで気付かない。で、こちらが平身低頭につっこんでも、ふてくされたように大きい袋に入れ直したりして、そのたびにそのコンビニに行きづらくなるのだが、そんな御時世、…こやつ、できる。などと密かに感心しつつ。
で、面倒なときは何を入れようがスルーするが、今日はこちらも余裕があるので声を掛ける。「あ、お箸とか、いいです。」
と、レジの女の子は明らかに動揺したようだった。「…! え、あ、はい。」途端にぎこちなくなり、釣り銭の返し方もなんというか、ちぐはぐだった。なんか逐一流れをぶった切るような真似をして悪かったのかな、なんてことを思いながらそそくさとコンビニをあとにする。
歩きながら、先程買った「特製豚角煮まん」(やはり肉まんは避けた)をほおばりつつ、なんとなく今の店内の出来事を反芻してみて、私は愕然とした。まさかとは思うが、フラグが立っていた1%の可能性を、私は否定できない。
でも、あのコンビニに私が次に立ち寄るのは、恐らく1ヶ月以上先のことなのだ。確認のしようもない。
先日の未成年者による痛ましい殺人事件を受け、いくつかの暴力的テレビアニメが放送を自粛した模様ですが、まだまだ十分とはいえません。子ども達に悪影響を与える暴力的・反社会的テレビ番組は巷に溢れており、それらを放送禁止に追い込む事はわれわれ親の世代の責任です。皆様の更なるご助力を期待しております。
「生まれながらの身分の違い」を主張する主人公と、その取り巻きたちが人々を平身低頭させて回るストーリー。主人公の理論に納得しないものは暴力によって屈服させられます。ただ暴力的なだけではなく、非常に差別主義的・非民主的な番組。本筋とは無関係な所で性欲を喚起させるような場面が挿入されるのも問題です。
将軍職にあるはずの主人公が、秘密裏に町を徘徊しては最終的に人を殺すという筋立てが毎回繰り返されます。「水戸黄門」と同様、差別主義的ニュアンスもありますが、特にこちらはその暴力性が際立っているといえるでしょう。本件の主人公は「峰打ち」であるため殺人ではないというご指摘を受けましたが、これは逆に鈍器による殺人(鉄パイプ、金属バット、ゴルフクラブ、バールのようなもの、等)を誘発しかねません。
一見、法廷劇を装いながらも、弁護人に類する者は一切登場せず、被告人の主張を「やかましい」と一蹴、イレズミを見せびらかして恫喝を行う判事が主人公。現代法体系を愚弄する反社会的ストーリー。直接的に映らないとはいえ、毎回のように「首の切断と死体の遺棄」を示唆するセリフが登場するなど、猟奇的な側面もあります。
奇怪な扮装を施した主人公が、訳のわからない事を言いながら巨大な刃物で大量殺人を行う。この手の番組の中でもその殺人数は際立って多く、暴力的です。本件の主人公は自分をおとぎ話の主人公になぞらえるなど、現実と虚構の区別がつかない昨今の若者像を象徴しているかのようです。
住所不定無職の男たちが、町々を巡っては結託して人を殺します。凶器は刃物だけに留まらず、登場人物の一人は銃を使う場合があります。
金で殺人を請け負う主人公が登場する反社会性の強いドラマ。超暴力的。
同上。説明不要。
…飽きた。