はてなキーワード: ホラー漫画とは
ネットの充実感とは何だろう。
① ネトゲなどでの優越感
② 萌え、恋いににた何か
③ 新しい情報の刺激
個人的にはこの3つだろうか。
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ポーカーやFXなどで、稼げる時は確かに優越感があるが。 勝てない時は優越感どころか、嫌な気分になる。
そういうときは、ニコニコ生放送などで、煽りコメを書き込みまくる。
やっぱ、安定して勝てるわけではないというところが、ネットゲームの嫌なところ。
こう、、、なんつーか、トキメキ??? が無い。
アイドルの追っかけはする気にはなれない。
エロゲやギャルゲーもやる気がせず、とりあえず実況プレイでいいやっていう気になってしまう。
オナニーをしても、違うなあ という感じ。
クロスチャンネル、こっすこす、最終痴漢電車3、彼女×彼女×彼女、娘姉妹 あたりの、絵師が神とか、そういう感じっつーか。
萌え??? でもいいんだし、 美麗??? でもいいんだけど。
なんかこう、心に突き刺さってくる何かが無い。
20年くらい前のエロ漫画が俺は好きだった。 20年くらい前のエロ漫画って、ストーリーや表現が重視されてたんですね。
田沼雄一郎『seazon』 とか 大暮維人、小林少年丸、栗田勇午
なんでもいいんですが、 こう、エロを『表現』していたんですよ。 エロで抜かせるとか、そういう路線もありましたが、そうじゃない路線、ある種芸術だったんですよ。
萌えにしても、昔の萌えは『表現』だった。 小公女セーラ、あばれはっちゃく、ど根性ガエル、 なんでもいいんですが、 なんつーか、萌えを表現せず萌えだった。 というか。
今の萌え、って、ワルキューレロマンツとか、なんつーか、わかりやすすぎるんですよねえ。
これは、今でもそこそこありますね。
最近では、2ch名人 という将棋板まとめブログの実況系を過去までずっと読んでます。 将棋ってルールは知ってたけど戦法とかほとんど知らなかったので、覚えてみるとおもしろいですね。
ただ、問題は、 単にまとめブログやアンテナサイトを見ていても、刺激が少なくなってしまったことです。
まとめサイトを見だしたコロは、いろんな刺激にあふれていましたが。
現在は、1分ごとに100の更新があっても、どれも陳腐に見えてしまう。
一応、ニコニコ動画はおもしろい。 ゲーム実況、迫真空手部 あたりはおもしろい。 だけど、ニコニコはやっぱりペースが遅い。
ブログというのも、おもしろいのだけれど、おもしろいブログを書く人は、更新頻度が遅い事が多い。
まとめサイトじゃないけど、「個人がおもしろいと思うサイトを登録しまくって、他人がそれを自由に見れる」みたいな、そういうサイトがないかなーと探している。
わくてか速報
インモラル
ワロタあんてな
ニュー即vipあんてな
2ch名人
ひろぶろ
くらい。
おもしろいサイトって、 おもしろいというか、 おもしろかった という感じ。
新都社では、そういうのが多い。
おまえだけがバカなんじゃない
はおもしろかったのだが、終わったのか、中断なのか。
サイトのおもしろさ、っていわば、ホラー小説、ホラー漫画みたいな感じ。
先週「はだしのゲン」を巡る大きな騒動があり、ここはてな界隈でも話題となったことは記憶に新しいと思われます。
また、教育委員会自体は否定しているものの、右翼系団体からの圧力があったという話があったことも話をさらに大きくさせました。
この辺の話は極東ブログさんが事実関係及び時系列を客観的にまとめた記事があるので、そちらを読んだ方が手っ取り早いと思われます。
さて、ここでブックマークを拾いながら「はだしのゲン」を閉架処理にしてしまうことがいけない理由を見てみたいと思います。なお、これは私がチェックした時点(8月22日深夜0時)においてスターを多く集めている順に書いていることをあらかじめここに記しておきます。
まずは一番目に挙げた記事から見ていきましょう。
調べてみたら在特会が噛んでいた事案だった http://www.nicovideo.jp/watch/sm17718509
ケロイドまみれの人とかヒロポン中毒者とか、発達期の子供が読むとトラウマになる描写ばっかだからいいんじゃん。おかげで子供ながらに戦争・原爆とか絶対ダメだこれって思えたよ。
絵が嫌いで読まなかったけど、それを選ぶのは子ども自身であり、閉架扱いにしたら選択の機会が事実上殆どなくなる。閉架は隠すことと同じだろ。
わからんでもないんだけど、これって「なんか聞かれても答えられる自信がありません」っていう教育委員会の敗北ではないのかな。
不謹慎な言い方かもしれないけど「はだしのゲン」はホラー漫画であり、仁義なき戦いであり、人間の虚飾を引っぺがしつつ、人間賛歌でもあるという極上のエンターテインメントだよ。ぜひ小さいうちに読むべし!
進駐軍によるレイプシーンの事かな。私はあれでレイプの酷さを知った。小学生高学年以上なら大丈夫だと思うけど。/戦争の汚くそして酷い面を覆い隠して、何がしたいんだろう。
こうして見ると、はだしのゲンを戦争の悲惨さを刻み付けるために読ませるべきだという意見は三人ほどおり、またそれに賛同の意を示すかたが意外と多いという事実が分かります。(ちなみに、私はスターを入れていませんが、id:panamolyfumizouさんや、id:IGA-OSさんの意見に共感しました。)
二番目に挙げたブックマークでは某レイシスト集団、ひいては歴史修正主義者に対するコメントばかりなので、「はだしのゲン」という作品そのものに関するコメントは、人気ブックマークに現れていませんでした。もちろん、そういったコメントもあることにありましたが、人気のブックマークの一覧にはありませんでした。当該まとめが取り上げている事案が事案なので仕方がないでしょう。
とは言え、他の「はだしのゲン」を取り上げた記事においては、必ず一つは人気ブックマークにおいて「はだしのゲン」でトラウマが、「はだしのゲン」の描写によって戦争反対が云々、などと言及されているものがあります。また、子供の頃トラウマになった作品挙げていけなどといったしょうもないまとめ系記事でも必ず挙がり、ここでも戦争が云々などと必ず触れられます。統計的なデータは取っていませんが、ネット界隈を見渡す限り、このあたりは共通認識であると言っても構わないでしょう。まあ、統計云々以前に、少なくとも、「はだしのゲン」を読んで性的欲求を満たされただとか、積極的に首ちょんぱしたり戦争を行うべきだという思想を獲得したなどという感想はないことは言えるでしょう。
さて、長くなりましたが、ここからが本題、即ち表題に書いてることについてです。
表現規制賛成派がどういう理由でもって表現規制に賛成しているかはみなさんもよくご存知の通り、漫画やアニメにおける描写が現実の性犯罪を引き起こす恐れがあるということからです(もちろん、他にも理由はありますが、ここではこの理由に絞ります)。
つまり、例えば漫画やアニメの中で小学生あるいは中学生にしか見えない見た目の登場人物が、和姦であれ強姦であれ触手であれ蟲であれ、何らかの性的行為を行っている描写を読者が見て、現実世界でも実行しようという誘引が働くという訳です。米国で問題になったレイプレイの議論も参考になります。また、他の暴力描写が含まれる作品、例えばバトルロワイヤルなどを巡る議論も同様です。フィクションにおける描写が、現実世界においても同様の事例を発生せしめる可能性があるという科学的根拠のない意見でもって、規制をなそうという暴論がまかりとおっているのです。
ところで、上記に述べた「はだしのゲン」を小中学生に見せようという意見を見てみましょう。彼彼女らは、「はだしのゲン」を読むことによって子供達に何らかのトラウマを与えて、また戦争の悲惨さを教え、更にはレイプやシャブの非道さを教えられるというのです。
今度はポルノ表現を見てみましょう。ポルノ規制反対派は、猥褻描写が行われている漫画あるいはアニメを見ることによって、例えばレイプされても感じるのだからレイプしようだとか、現実の児童にも手を出そうとか、そんなことを読者が考えるとみなしているわけです。
この論理構造、本質的には一緒じゃないですか?即ち、何らかの視覚的表現が何らかの影響を読者に与えるというのです。私は、この点でもって、「はだしのゲン」は戦争の悲惨さを云々だという論理には危うさを覚えています。しつこく繰り返しますが、描写が凄惨な漫画を読んで反戦争を唱えると、レイプ漫画でレイプされている人が感じるということを"知って"実際にレイプするとは、本質的に同じ論理構造です。
私自身は、今回の閉架処分には反対です。理由は実に簡単で、漫画の表現なんて現実世界に何の影響も及ぼさないし、そもそも現代においては「はだしのゲン」なんか可愛く見えるくらいグロテスクな表現を使ったブツが大量にあるからです。そんな中で「はだしのゲン」だけを閉架処分にするだなんて無知きわまりないです。また、表現の自由という観点からもありえない決定です。ましてや、「はだしのゲン」が特定個人を誹謗中傷している作品ならまだしも、少なくとも史実にしたがって描かれた作品なのです。やはり、今回の松江市の決定は悪しき前例以外の何物にもならないでしょう。
なお、反戦に関しては、個人的にはたかが漫画を使うのではなく具体的なデータ及び記述でもって丁寧に教えた方がよっぽど良いと思います。情緒に反戦を訴えても意味がありません。それは、より強い思想によって塗り替えられるだけです。確固たる客観的記述を知ることの方が、歴史修正主義者たちの出す捏造された資料を読んで騙されることがなくなるためはるかに有用です。個人的に、ネトウヨがこうもうじゃうじゃいる理由はここにあると考えています。教育関係者には自省を促したいところです。
http://hiro.asks.jp/87078.html
休み時間にはその子の周りに集まってノートに描かれた絵をを見せてもらっていた。
どの絵もプロの漫画家のように上手で私もその子をべた褒めしていた。
私の顔で一番コンプレックスがある部分を強調したデフォルメ絵で描かれていた。
私は不愉快だったが、みんな「似てるー!」「そっくりー!」と盛り上がっていたので、愛想笑いで返すしかできなかった。
次の時、今度は絵柄が変わってホラータッチにデフォルメされた私の似顔絵を持ってきていた。
もちろん私のコンプレックス部分は強調されたままで。
その絵では体が妖怪に描かれていたので、友達グループの中ではその妖怪名で呼ばれ始めた。
その絵は他のクラスメイトにも出回り、一部の男子からも妖怪名で呼ばれるようになった。
「私いじられキャラになってるんだ」その時気づいた。
今だったら即「イジメられてるんだ」とまで思い至ったかもしれないが、当時は「いじられてる」としか思わなかった。
そしてそれはとても不快なことだった。
私はその子に思い切って言った。「そんな絵描くのやめて。キモいから」
「いや きもtくなんかによ。おもしロィよ。ウケるし」
これ以上いじられて傷つかないための「逃げ」だった。
私は休み時間に特定のグループで集まることはなくなったが特に学校生活に不自由することなく上手くやっていた。
元の友達グループでは似顔絵描きがしばらく続いていたようだが、いつの間にか休み時間にその子の周りに人が集まることがなくなっていた。
私がグループを離れたことで、その子は他の友だちの似顔絵を描くようになり(もちろんデフォルメのキツい気持ち悪い絵)、みんな離れていったとのこと。
これは元の友達グループにいた子が「あの時ゴメン」と私に謝りにきてくれたときに聞いた。
自分たちがされるまでここまで不愉快になると気づかなかったと言っていた。
元凶の子は私に謝りにくることもなく、休み時間は1人で絵を描いてばかりいるようになった。
「キモイと言われていた」
「1人で絵を描いてばかりいた」
とか言っているのをネットで見つけた。
どうして都合の悪いところを無視する。
「私も昔いじめていた」
「クラスメイトの容姿を妖怪に見立ててからかって遊んで友達を傷つけていた」
「後悔してるし謝罪したい」
「いじめはやめよう」
神田駅でSuicaをフルチャージし、西口商店街の松屋に入る。
店内で手を洗ったり、二十秒ほどトイレに行ったりしていたら、いつのまにかうとうととカレギュウを注文してしまった。
席について、食券を机に置く。
店員観察にも飽きて、壁の広告を黙読。ひとしきりセール情報を学ぶ。
退屈しのぎに牛丼の価格変遷を思い返すが難しすぎる。店員の雑談で中国語の勉強。
舌にヒリヒリくる感じが実に心地良い。
注文を思い出して、簡単な暗算をする。
ちょっと手持ち無沙汰になって、また壁の広告を黙読。
カレギュウが来た。
吉野家ではこうはいかない。
それだけで株価が高いのではないかとさえ思う。
頼んでもいないのに味噌汁が出る。
カレギュウを書き込んでから、生野菜を食べ、また味噌汁を飲む。
ひとしきり食べてから、思った。
こいつは最高の朝食だ。
ありとあらゆる食材が、ここにある。
カレーが、肉が、生野菜が、そして味噌汁が、もう松屋専用に作り込まれている。
カレギュウを食べてから牛丼を食べると、実に窮屈で無理矢理な印象を受ける。
漬物がなくて、甘くもない。
ほんの数か月前までは牛丼が駄目だなんて考えもしなかった。
だが、カレギュウを一度でも食せば、誰もが僕と同じ感想を抱くだろう。
つまり「こっちが本物」なのだということを。
むしろ牛丼は、カレギュウが登場するための伏線に過ぎなかったのではないか。
たぐい稀なる完成度を誇る実験食。真打はむしろカレギュウで、その前には牛丼はもちろん、全ての牛丼もどきが色褪せて見える。
コーイチはそう言っていた。
ホラーが一流の大衆娯楽として昇華し、世界中の人々のイマジネーションに強い影響を与え、それ以後のホラー漫画は、どこか漂流教室のようだった。
そして、カレギュウは、すべての食事におけるそれだ。
カレギュウ以後、わずか数年で僕の食生活はカレギュウとカレギュウ的なもので埋め尽くされるだろう。
グッバイ・牛丼
カレギュウの具材にはまだ肉が必要だ。
けれどもそういう時代もすぐに終わるだろう。
おそらく大多数の人にとって、カレーで事足りるのだ。
カレギュウ以外のメニューを必要とするのは一部のプロだけになり、そういう食事さえもいずれはカレギュウ的なものにとって変わられるだろう。
松屋のカレーがでたとき、あんなメニューじゃ満足できないという人がいた。
しかし実際には満足出来てしまった。
一方、もうやってしまったのが一流のすき家である。
そしてカレギュウはすべての牛丼屋にそうしたいと思わせるのに十分な魅力を持っている。
新しい時代がここからはじまるのだ。