はてなキーワード: キリンジとは
どちらを選びますか?
Mr.Children BUMP OF CHICKEN 椎名林檎 RADWIMPS 米津玄師 サカナクション SEKAI NO OWARI
One ok Rock UVERWORLD ASIAN KUNG-FU GENERATION フジファブリック クリープハイプ
ムーンライダーズ 少年ナイフ 曽我部恵一 ホフディラン ボアダムス キリンジ 小島麻由美 朝日美穂
Alfred beach sandal ミーマイモー 高橋翔(昆虫キッズ) cero 前野健太 シャムキャッツ おにんこ
The Collectors スピッツ THE YELLOW MONKEY 坂本慎太郎(ゆらゆら帝国) くるり ゲスの極み乙女
ペイパードライヴァーズミュージックやFine、For Beautiful Human Lifeなどなど絶賛ヘビロテ中なんだが
あの人はソロになっちゃうとサニーデイサービスの曽我部のソロとなんとなく印象がごっちゃになるんだよね
俺だけかな
彼はキリンジ脱退以降、ちまちまとした活動はしていたが、先日ようやく新作ソロアルバムをリリース。今回はいわゆるレコ発ライブ。
私はキリンジをインディーズの頃から長い間聴き続けていた。バンド末期は、メロディー、アレンジ、ひねくれた歌詞、ライブパフォーマンス含めてすべてが完璧な状態だったと思う。だからこそ堀込泰行脱退の話を聴いて愕然とはしたが、これも彼が新しい音楽を生み出すための第一歩なのだろうと好意的に解釈した。
それから3年後、新しく出たアルバムの出来もそこそこ良いと感じていた。ライブ前のプロモーション活動もこれまでを思うと信じられないほど精力的だった。その分、期待は大きかった。
ライブ当日、歌声は完璧、演奏もそこそこのレベルを確保していた。が、私は結局最後まで乗り切れなかった。セットリストにキリンジの曲が多く含まれていたのが直接の原因だと思う(調べてみたら21曲中7曲がキリンジであった)。堀込泰行としての新しいライブパフォーマンスを期待していた自分にとっては、かなり期待はずれだった。
思うに彼は兄の呪縛から離れて自由に自分の音楽をやりたかったのだろう。兄を含めたキリンジ内での彼の立ち位置や評価、脱退直前のゴタゴタ騒ぎを思えばそれは十分理解できる。
キリンジはKIRINJIとなり、まったく新しいバンドとして昇華しているように思う(あんまり聴かないけど)。堀込泰行は、キリンジのまま。あれだけ完成されていたキリンジを脱退してまでのソロ活動、ライブパフォーマンスが、キリンジの楽曲を多く含むことに、寂しい気持ちになった。
MステにBack Numberが登場した時、タモリとトークするBack Numerの後ろの席に、マッキーと平井堅が居た。
マッキーはBack Numerの作詞作曲をしている清水依与吏をべた褒めで、「今後は清水氏に(Jpopの)「切なさ(だったと思う)」の部分はまかせるから」って言ったという話をしていて、その瞬間、平井堅の表情が一瞬曇った気がした。
平井堅さんには「切なさ」なら俺っていう自負があったのかなって、その時、思った。
ボーカルとパフォーマンスを含めてトータルでは悪くないんだけど。
さて、作曲家としての才能は、好き嫌いはあるにしても、世間一般の評価・認識はだいたい同じになると思う。
以下、私の評価だけど、皆さん、どーでしょうか?
<特Aクラス>
「誰もが認めるその才能。メロディは多彩に富むがどの曲を聴いてもその人が作曲したとわかる。長年に渡って第一線で活躍する。ヒット曲多数。」
桑田佳祐、松任谷由実、桜井和寿、スガシカオ、山下達郎、槇原敬之、椎名林檎、藤原基央、菅野よう子、澤野弘之
<Aクラス>
「複数のヒット曲。その後の活躍によっては、特Aクラスへ移行する可能性あり。ややメロディの多彩性に欠ける。」
奥田民生、キリンジ、スキマスイッチ、中田ヤスタカ、宇多田ヒカル、久保田利伸、絢香、中島みゆき、矢野顕子、飛鳥
<Bクラス>
「悪くないんだけど、どこか物足りない。大ヒットを飛ばしたが、その後、出す曲がいまいち。ファン層が限局的で、メジャーになかなかならない。Aクラスより更にメロディの多彩性に欠け、出すシングル曲がどれも似て聴こえる。」
平井堅、やくしまるえつこ、ゴールデンボンバー、いきものがかり、小室哲哉、斉藤和義、福山雅治、西野カナ、SEKAI NO OWARI、ゆず、miwa、アンジェラ・アキ、コブクロ、浅倉大介、長渕剛、オレンジレンジ、L'Arc~en~Ciel、
<Cクラス>
「これくらいの曲なら俺でも作れるなあって思ってしまう。」
氣志團、浜崎あゆみ、B'z、神田沙也加、ナオト・インティライミ、加藤ミリヤ、レディ・ガガ
異論は、大いに認める。
歌を録音して、動画を作って、題名に「歌ってみた」の文字を添えてニコニコ動画にアップロードしている。そんなことをもう3年ぐらい続けている。
多くの「歌い手」がそうであるように、私もボカロ曲やアニメソングなどを主に歌っている。でも、最初からそうだった訳ではない。一番最初に「歌ってみた」のは戸川純の「諦念プシガンガ」だった。戸川純ファンと思しき人々から辛辣なコメントが次々に投稿されたので、怖くなってすぐに削除してしまった。今にして思うと、それほど激しく攻撃されたわけではないけれど、不特定多数からネガティブな感情を突き刺されることに慣れていなかった当時の私は、すぐにパニックに陥ってしまったんだと思う。
話が前後するけれど、私が「歌ってみた」を始めたそもそもの動機は、ざっくりした言い方をしてしまうと、チヤホヤされたかったからだ。いや、チヤホヤとまでは行かなくても良い。ただ、自分が起こしたアクションに対して、誰かから何かしらの肯定的なリアクションを返してほしかった。
当時の私は実生活があまりパッとしなかった。地方の大学を卒業して、それなりに名前が知れた電機メーカーに入社して、東京に配属されて、そこでずっと働いていた。それ程極端に忙しいわけでもなく、賃金にも満足していた。会社での人間関係も悪くない。
しかし、仕事を終えて、職場を一歩離れてみると、途端に宙ぶらりんになる。
たまに職場の飲み会に参加したり、数少ない友達とご飯を食べに行く以外には、特にやる事がない。やりたい事がない。資格の勉強をしてみたり、ジムに通ってみたり、ライブや映画を観に行ったり、ウクレレを練習してみたり、色々と手を出してはみるものの、それでも一人の時間を持て余す。新しい友達を作りたい。でも、友達をどうやって作れば良いのか分からない。恋人もずっといない。友達の作り方も分からないけれど、恋人の作り方となると見当もつかない。今となっては誰かを好きになるという気持ち自体がよく分からない。
決して不幸ではないし、普通に生きていけているけれど、その普通さに、波風の立たなさに、だんだん気持ちが押しつぶされていくような感覚を覚えながら、毎日を過ごしていた。
そんな時、キリンジの動画を観たくてYouTubeを検索していたら、どこかの少女が自宅で撮影したと思われる動画に行き当たった。顔が見えない角度でギターを弾きながら「エイリアンズ」を歌っている動画だった。冷やかし半分の気持ちで再生してみると、ものすごく上手くはないけれど、原曲の雰囲気を大事にしながら丁寧に歌っていることが伝わってきて好感を抱いた。
その動画は、元々はニコニコ動画にアップロードされたものを本人がYouTubeに転載したものだった。ニコニコ動画の、同じ動画にアクセスしてみると、コメント数は50程度で「雰囲気が良いね」、「頑張っている」といった、私が抱いたのと同じような感想がぽつぽつと付けられていた。
それ以前にもニコニコ動画の「歌ってみた」の存在は知っていたけれど、若い子達が派手なアレンジの曲を大げさに歌った動画に対して、賛否ともに過剰なテンションのコメントが弾幕のようにつけられているような、私とは世代も文化も違う人達が集まる場所だと思っていたので、この「エイリアンズ」の、まるで地方都市の駅前の暖かな路上ライブのような雰囲気は意外だったし、好ましくも感じた。
それから何週間か、毎晩ニコニコ動画で自分が好きなミュージシャンの名前の後ろにスペースと「歌ってみた」という文字を付けて検索して、色々な「歌い手」の動画を観て回る日々が続いた。多くの動画は、3桁に届かない程度のコメントしかついておらず、お世辞にも盛り上がっているとは言えなかった。
だけど、どの動画にも、最初に観た「エイリアンズ」と同じように、「歌い手」達に対して押し付けがましくない程度に好意を伝えるコメントが並んでいて、それらのコメントを眺めていると心が落ち着いた。同じ音楽を愛する人たちが集まって、それこそ「ニコニコ」しているような、楽しさがそこにあった。
でも、多くの「歌い手」は決して歌や演奏が上手なわけでは無い。色々と動画を観ているうちに、「この程度なら私でもできる」と思う事がだんだん増えていった。そして、ある動画を観ていて「何で普通に歌っているだけで、みんなから褒められるんだ。ズルい」と思った瞬間に、私は我慢できなくなった。すぐさま、Googleで「諦念プシガンガ コード」を検索した。自分で歌ってみるならこの曲だと、実はもうずっと前から決めていた。この曲なら、私が弾ける唯一の楽器であるウクレレでも似合うはずだと思っていた。
しばらくの間、家にいる間はずっとウクレレで「諦念プシガンガ」を練習した。夜中にウクレレの弦が切れたので、慌てて池袋で一番遅くまで開いている楽器屋に駆け込み、ウクレレの弦を3セット、そして、思い切って19800円の新しいウクレレも買った。今まで使っていたのは雑貨屋で買った1980円のものだった。
毎日毎晩、練習した。そして二週間。私は、今まで殆ど使ったことがなかったパソコンの動画撮影機能を起動させて、最初に観た「エイリアンズ」の彼女のように、自分の顔が映らないようにディスプレイの角度や、座る位置を調節して、目一杯緊張しながら「諦念プシガンガ」を、歌ってみた。三回目の撮影で、声がひっくり返らず、音程も飛ばず、ウクレレも殆ど間違えなかったので、それをアップロードした。
それでも懲りずに、「歌ってみた」動画をアップロードし続けた。一週間から二週間かけて、歌を決めて、練習して、撮影して、公開する。そんな生活サイクルが自分の中で定着してきた。ネットで検索してコードが分かる曲の中で、自分にも歌えそうな好きな曲を選んで、少しずつ歌ってみた。再生数もコメント数も少なかったけれど、動画にアクセスする度にちょっとでも再生数が伸びていたり、一つでも新しいコメントがつくと、無性に嬉しかった。「新曲待ってました」というコメントが目に入ってきた時は涙が出そうになった。この人は、私の歌を待っていてくれた。私のことを待ってくれていた。それは、初めて感じる種類の喜びだった。
そのうち、オーディオインターフェイスやマイクを使うようになった。パソコン標準の動画撮影機能の音質では物足りなくなったのだ。初めてそれらの機材を使って録音したときは自分の声がはっきり録れすぎていて、その生々しさに怖気づきそうになった。「どうにでもなれ!」という気持ちで公開すると、「ものすごく聴きやすくなった」という暖かいコメントが返ってきた。再生数が伸びる速さが、少し上がった。
「ボカロを歌ってみてほしい」というコメントがついたので、ウクレレで試しに「メルト」を歌ってみたら、再生数がさらに跳ね上がった。初めて、再生数ランキングの下の方に自分の動画が表示された。否定的なコメントも「諦念プシガンガ」の時とは比べ物にならない程の数が寄せられたけれど、それ以上に好意的なコメントもどんどん書き込まれた。生まれて初めて「萌えた」と言われた。
多分あの時、私は、気持ちの上で一線を超えたんだと思う。
すぐに私は、ボーカロイド関係のウケが良さそうな曲を選んで歌ってみるようになった。私のウクレレの腕では弾けない曲ばかりだったので、出来合いのオケを使うようになった。歌の練習だけで済むようになったので、ずっと楽になった。再生数もさらに増えた。コメントも増えた。それまで自覚していなかったのだが、私の声は一定の人々の「萌え」をくすぐる要素があるらしい。そういう人達のコメントを眺めることが、たまらなく快感だった。最初からこうしていれば良かったと思った。「ウクレレじゃないと魅力が半減」というコメントも投稿されたけれど、しばらくは見て見ぬ振りでやり過ごし、やがて「ウクレレ」をNG設定して自分の目に触れないようにした。
それまで日常的に使っていたTwitterアカウントとは別に、「歌い手」としてのアカウントを作った。最初は「新しい動画を公開した」といったアナウンスに使っていたのだけれど、少しずつ他愛のない呟きや、自撮り写真を載せるようになった。
フォロワーの人たちは私のちょっとしたツイートにFavをつけたり、リプライをくれたりした。私が精一杯角度や光を工夫してボロが出ないように撮影した顔の一部や、素肌を撮影したボンヤリした写真に「100万回保存した!」と反応してくれた。
Twitterは、ウクレレで弾き語るよりも、オケにあわせて歌うよりも、ずっとずっと楽だった。準備もいらない。練習もいらない。ただちょっと踏み込んだ事を言ったり、気を引くような写真を見せるだけで、肯定的なリアクションが返ってくる。最初はウサギのイラストをアイコンにしていたけれど、途中からTwitterで知り合った絵師の女の子が私をイメージして描いてくれたという、素顔の私とは似ても似つかないウサ耳美少女の画像に変えた。フォロワー数が激増した。
先週、ある男の子に会った。
その日、私はお台場で開催された岡村靖幸のライブ会場にいた。満員の客席で、開演を待ちながらスマートフォンで「今から岡村ちゃんのライブ♪」などとツイートしていると、後ろから肩を叩かれた。まだ二十歳にもなっていない程度の、知らない男の子だった。そして、彼自身のスマートフォンに表示された、私が投稿したばかりのツイートを指差しながら、不安げな顔で、口の動きだけで「◯◯さん?」と、私の「歌い手」としての名前を呼んだ。血の気が引いた。
彼が誰だったのか、何でそこにいたのかは分からない。たまたま、私のことをフォローしていて、客席で私のスマートフォンの画面を見て気付いたのか、あるいは以前から岡村靖幸ファンを公言していた私に会うためにライブ会場にまで来たのか、今となっては分からない。彼は、名前を呼ばれて凍りつく私の顔をしばらく見た後、そのまま振り返って、他の観客の間を押しのけて、客席のずっと後ろ、私から見えない位置にまで移動してしまった。
全身が震えた。姿を見られた。
岡村ちゃんと同い年の、歳相応の容貌の私の姿を、私の子供でもおかしくないぐらいの男の子に見られた。
もし、彼一人がネット上で私のことをバラしたとしても、恐らく多くの人は真に受けないだろう。写真を撮られたわけでもなければ、私が自分で「はい、歌い手の◯◯です」と認めたわけでもない。
頭では分かってる。絶対大丈夫。今までと何も変わらない。
でも、あれから一週間。私はニコニコ動画にもTwitterにもアクセスできずにいる。
この世界にたった一人だけでも私の生身の姿を知っている人がいると思うと、私はもう、私とは似ても似つかない萌え声ウサ耳美少女歌い手の◯◯になれない。
そして、全てのきっかけになった「エイリアンズ」の歌詞を思い出す。
この星の僻地で、私が自分自身にかけた魔法は、あの日、あの一瞬で解けてしまったのだ。
キリンジ「Drifter」という曲を聴いていたのだが
最後のほうの
ムーン・リヴァーを渡るような~
(もっと書きたいけどあんまり引用しすぎると問題あるかもしれないので。
↑権利は大事にされるべきだけど、誰に請求するつもりなのかとか線引き曖昧すぎるから呆れられるのに…閑話休題)
というところでいつも泣きそうになる。
言葉の響きと楽曲の節のはまりぐあいが琴線に触れるのかなと思う。
http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=B07005
たとえ鬱が夜更けに~というところにも弱い。
だからそれを踏まえての最後の
ムーン・リヴァーを~のところで一気に来る感じがするのです。
趣味がモロバレになるが(そして俺はこの趣味について過去に何度か増田に書いたことがあるが)、俺が優れた詞だと思うJPOPを挙げる。
これらが全てだというつもりは全く無いけど。
いわゆる恋愛系の歌詞だと同じくキリンジの「まぶしがりや」が最高に好きだな。
アニメっぽいのだと「うちゅうひこうしのうた」とか。詞が良いってのとは少し違うけど。
冨田恵一*キリンジの「Etoile」の詞も凄みがあって良い。これは確かバレエマンガのアニメ化だかドラマ化だか映画化だかのテーマ曲だったはず。
よくわかんねーけど、キリンジオタの俺からすると"Drifter"あたりを聴けと言いたい。
キリンジ推したい気持ちはわかる。が、もう二人とも30代後半なんだよな。
ムーブメントに繋がる知名度もない(ある程度色々な音楽を聴いてまわった人にしか知られてない)
自分はファンだけどキリンジを売れるようにするにはどうすればいいか見当もつかんw
前にも、「ゼロ年代ってなんにもなかったよね」ってエントリに対して「アンテナ伸ばしてないだけ」ってレスが付いたけど
個人的にはキリンジを推したいけど、新しい世代と言うには歳がいきすぎてるんだよなあ…。
YOU AND MEは、やっと2枚組ベストに入ってくれて嬉しかったなぁ。
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サザンオールスターズはサザンって略称で書いてる奴も多いだろうけど確かにキリンジ多いな。まあ11件とか8件じゃ一人が頑張って何とでもなるって感じのあれだけどw