はてなキーワード: キャズムとは
漫才だけじゃなくネットの議論の場にも役割みたいなのがあるよね
その場合だと、ボケとツッコミじゃなくて意見とツッコミってかんじかな
そんで僕が問題視してるのは、ツッコミ役を好む人達がいるってこと。つねにツッコミポジションを崩さない人たち
それがわかったんだよ
ネット右翼を今更あれこれいうことはないなと思ったから左翼に絞るけどさ
でもけっきょくこの突っ込みたがり体質で発信力の無さが
日本で左翼がしんでるというか支持されてないのもこのせいだろうと思うんだ
自分から発信する、意見するという立場に立つ人材。これが左翼には圧倒的に足りない。
勝ち馬に乗るじゃないけど、負け馬をうしろから突くあのいやらしさしか左翼から感じられない。ほんとこの点ネット右翼と似てる
自民党のやることを常に反対して与党になっても自民党自民党言い続けた。まさに万年ツッコミ体質と言った感じだ。
こう言うとおそらく
「いやどこ見てんだよいるだろ。〇〇さんとかいるだろ~」なんていう人が出てくるだろう。
うんそうだね。でもね圧倒的に数がいない。その意見がみんなに広がっていくための熱量。キャズムの谷を超えられないのよね。
この左翼とネトウヨのツッコミ側にたって、万年勝者みたいな態度をとってる感じ
どうにかならないだろうかと思った。
同時にネット上では、
いや、そのデータを処理するならせめて
「ガキの使いは今年の民放で一番つまんね!」って意見が多くて実際は視聴率トップ…なら矛盾だけど。
「ガキの使いが以前よりつまらなくなった」と「2012年民放トップ」は矛盾無く両立しうるよね…?
「キャズム」で示されてるように、
ええー
中高年か。
俺がガキの使いのプロデューサーなら民放トップ取れてる限り続けるだけだが
良くなってるか悪くなってるかの観測自体は大事なんじゃないの。
やってないわけはないとおもう。
(その場合照合すべきデータは多年度視聴率推移だけどな、繰り返しになるが)
確実にいえるのはお前は頭が悪いってこと。
お前は情報の処理の仕方を全くわかってないぴんぼけおじさんだ。
WinMXでのダメぽ事件とか、Winnyの逮捕とか、ああいうのリアルタイムで見てきた「アーリーアダプター」はだんだんそういうの卒業して「コンテンツにはきちんとお金を払うべき」に行き着いてる。一連の流れを見ていて、お金を払わないってことがどういうことかわかってくるから。
支払いに対する倫理観も一緒にレイトマジョリティたちに伝わればよかったんだけど、彼らは「ネットってなんでもタダですごい!」みたいな無邪気な連中だし、そもそも勉強の意欲もないから、痛い目に合わなければずっとそのまま。
好きなアニメを紹介しようとしたら「無料でアップされてるサイト教えて」って無邪気に言われて切ない気持ちになったので書いた。もうちょっと時間あるときにきちんとまとめたい。
楠木坂コーヒーハウスの人が書いている。
そもそも虚構新聞って、記事のリンクを開いて虚構新聞だったときのガッカリ感、逆に「これは虚構新聞だろう」と思って開いて本当にそうだったときの勝ち誇った感を味わうような、僕と読者との一種のゲームだったのですよね。昔なら「くそー、釣られたー」か、「虚構新聞余裕でした」の反応をちまちま見ながらほくそ笑んでいたのだけど、最近は人が増えたせいか、本気で怒り出す人が「虚構新聞つぶれろ」とか「死ね」とか言い出すようになって、気持ちが滅入ってしまうことも多かったです。
俺はそういうメディアが虚構新聞だけであるならば、別に「虚構新聞にまた引っかかったー」で済んでいたと思うんだけど、実際はそうじゃなくなった。2ちゃんねるまとめサイトや、他のネットニュース関係の奴等がPV欲しさにそういうタイトルを付けまくっている。虚構新聞は、いちおうソースが「嘘」だと明示してあるだけまだマシだ。それでいうと、2ちゃんねるまとめサイトもソースが「2ちゃんねる」と明示しているだけマシなのだろうか。とにかく、今のインターネットには釣り師が多くなってしまった。昔のインターネットは恐らく「釣り」というのがそれほどメジャーじゃなかったからこそ、こういう遊びが先鋭的であった。既に、もうそんな遊びは先鋭的ではなくなって、ありふれた「悪質なデマサイト(by アンサイクロペディア)」なのだ。(高校生がTwitter上で釣りを楽しんでいるのは知っているだろう)
もはやリテラシーがある層だけを相手にしていればいいという、放牧的なインターネットの時代は終わった。ひろゆきの「嘘と嘘を見抜ける人は」という念仏を唱えていれば防御できる時代は終わった。必要なのは、人を騙しても厚かましい顔をしている性格の悪さだ(言い換えると2ちゃんねる的な性格の悪さだと言い換えてもいいだろう)。そして、「騙された奴が悪いのだし、そういう奴はバカだ」と言う性格の悪さだ。既にインターネットにとって、釣り師の資格とは「ディスプレイの向こう側を楽しませたい」というエンターテイメントではなく、そういう性格の悪さだ。この人は、たぶん見ていて「人がよかった」(人の評判を考えるくらいには、ね)のだろうけど。
どこぞのブログが僕を名乗って「虚構新聞、閉鎖します」とかいう余計にややこしいことを拡散させたせいで、ツイッターが軽く再炎上したけど、閉鎖はともかく、状況が落ち着かないことには、執筆もろくにできないし、そもそもの本業である寺子屋にまで影響しかねません。
既に、「虚構新聞」というゲームは、その内部だけでゲームが完結するものではなくなった。「ソーシャル」、そして「キャズムを超える」ということは、その「ゲーム」を理解しないひとを常に引き寄せるものだ。ネット上で気軽に共有されるという事態は、そのルールを知らない人を常に呼び寄せるものだ。「リテラシーのない層に配慮せよ」というのは、別に「弱者のことを考えろ」ということじゃないんだ。そうではなく、身を守るための防御策であるに過ぎないんだ(リテラシーのない人が騙されて怒るコストは、それをバカにできるほどの性格の悪さがなければ、それなりに減らした方が、自分のためであるというのは合理的な判断だ)。
「虚構新聞」が恐らく「虚構新聞」と読者という簡単な関係で終わらせたかったのだろうと思うのだけれど、そうではなかった。「虚構新聞」のリテラシーは、その外部に持ちだされて、同じルールで殴られた。該当のブログを読む限りだと、そのブログもジョークサイトだと名乗っており、シュールなギャグで埋め尽くされていた。虚構新聞は、そのルールにしたがっている限り、何かしらの混乱が生まれてしまう、ということを認めてしまっているようにも思える。
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ていうかtwitterがただのコミュニケーションツールの1つとして使われているのは、むしろだいぶそういうネットコミュニケーションに対する偏見が減った結果かなと思っている。
その昔あったパソコン通信をテーマにしたドラマではパソコン通信らしさを演出するために「モデムに向かって語りかける」なんていう場面があったりしたわけで、それに比べたら格段の進歩だよな。
別にコミュニケーション取れるならtwitterじゃなくてもmixiでもブログでも一緒じゃんというのは実際まさにその通りなわけだし。
ネットで知り合うことの特色といえば、顔あわせる前から既に相手とある程度密なコミュニケーションをとっていてなんとなく知った気になれて、だけどその気になればリアル生活については詐称することもできるっていう部分なんだから(そういう行為の是非はともかく)それがまことに正しく表現されてるんじゃないか。
ハンドルで名前呼び合うのは気持ち悪いっていう価値観の人も別にそうめずらしいものでもなくて、ネットやってない人の間では割とメジャーな言説だったりする。
逆にそういうスタンスの人でも使っているネットツールという形で紹介されたのは「キャズムを超えた」ってことなんじゃないかね。
なぜそんなことをするのかというと、論者自身も反知性主義だからだ。妄想に凝り固まって、政治的立場のためなら嘘も許されるという戦術を取る論者は、倫理を信じない。
もちろん普通我々の世界はそうはなっていなくて、現実的な認識をして、真実を喋り、嘘をつかないことで、さまざまな高度な価値が成り立っているわけだ。
だいいち論者がよってたつ政治的立場というのもかなり高度な価値であって、妄想や嘘に支えられていて、他人に妄想や嘘だと思われたら、もうその価値はほとんどなくなる。
だが、論者は妄想に囚われているから、ほとんど価値のない政治的立場に身を預けて平気だし、嘘に騙される人は一定数存在する。そういう妄想や嘘は検証に一定の時間がかかるし、普通の人はそこまで慎重でも暇でもないからだ。そうなると陰謀論も一定の地位を占めてしまう。妄想や嘘から出発しても、いったんキャズムを越えたら政治的立場は成立してしまうわけだ。
そういうのをどうしよう。俺も暇じゃないからそういう妄想や嘘に付き合ってられないんだけど、そういうのが政策になるに至ってはもう逃げ場なしって感じだ。特別永住者地方参政権とか、何が正しいか分からないし、皆「自分の頭で判断しろ、だが俺が正しいから俺を信じろ、マスコミも政府の白書も信頼できない」と事実上言ってくる訳だ。判断材料は妄想や嘘で汚染されつくしている。自分の見たものが正しいと信じることもできない(それだけでは妄想と区別がつかないからだ)。これでは大変困り果ててしまう。ますます政治に関わりたくなくなる。
今日の深夜~早朝にかけて、同人音楽界隈から一歩出れば無名に近いokadadaのUstreamでのDJに2000人以上という異例の人数が殺到するという出来事があった。詳細は以下のブログで。
http://tofubeats.blog107.fc2.com/blog-entry-235.html
トブ iPhone: 記録的な聖夜!8畳に2000人を集めたUSTREAM DJ @okadadada
http://applembp.blogspot.com/2009/12/82000ustream-dj-okadadada.html
67.DJ okadaの衝撃。歴史が変わる瞬間を目撃してるのかもしれない。 - ちょっとギークな(中略)のブログ。
http://d.hatena.ne.jp/kazzwatabe/20091224/1261683822
この出来事が起こった背景と、出来事それ自体、そしてTwitterと音楽はキャズムを超えられるのか?という問いについて。
この出来事を読んで(あるいは体験して)、多くの人は2chの「祭り」を想起したのではないか。無名あるいは匿名の個人から発した動きがインターネット(の一部)で爆発的に広がり、多くの人間がそこへ参加していく、と言った構図は確かに「祭り」と通ずるものがある。
しかし、これは「祭り」ではない。もっとすごいものだ。それなのに「祭り」として処理されそうになっている。この文章を書いたのもそれに反対するためである。
最も大きな違いはこれだ。
「祭り」はよく指摘されているように、「祭り」のネタ・内容に意味があるのではなく、参加すること自体が意味であり目的である。
「Twitterで有名人に群がる」と言えば広瀬香美のことが思い出されるが、この点においてあれもまた「祭り」の変形として捉えることが出来るだろう。2chであればニュースや企業の不祥事といったコンテンツをネタに「祭る」ことができるが、ツイッターの場合はその性質上、どうしても「コンテンツとしての人間」(http://d.hatena.ne.jp/gotto-s/20091201/1259675416)が必要になってしまう。
翻って今回の場合は、集まる中心に音楽というコンテンツ(ネタ)が据えられており、その分だけ「参加することそれ自体」への志向性が低い。これによって、よく「祭り」について言われる空虚さや無意味性といった点を克服している。この点こそが「祭り」と今回の件を分けて考えなければならないとする最も大きな理由である。
さて、今回の件から「魅力的なコンテンツさえあればそれが多くの人に届く環境が用意された」と言うことも出来るだろう。
「でもそれってインターネット始まって以来ずっと言われてきたことじゃない?」
その通り。でもよくよく思い出してみると「魅力があるが無名のコンテンツがインターネットを通じて一躍有名に」というケースは実はかなり少ない。なぜなら、これまでは「一躍有名に」できる力を持つ人間が少なく、また力があっても「一躍有名に」できるような環境が整備されていなかったからだ。
今回それが可能となったのは「今、ここ」を垂れ流しに出来るTwitterの存在があったからに他ならない。例えば有名人が「御用達の店」を紹介する際、グルメ番組はもちろんのことブログに書くにも紹介しようと思いついて紹介文を書き投稿されるまでに結構な取捨選択が行われてしまう。その点Twitterは、「○○でランチなう」「××おいしい!」という、紹介するという意識もないような一言で済ませることが出来る、「人々が情報を広めやすい」(easyだけではなくtend toの意味でも)メディアであると言える。
2chで、ある情報が「祭り」として認知されるためには、大勢の名無しがスレッドに書き込みスレッドの勢いを上げることが必要である。
対して今回の場合、爆発的に広めるきっかけとなったのはいとうせいこうのtweetである。
say yeah! USTdj→http://bit.ly/Ds7aL
seikoito(いとうせいこう)
(http://twitter.com/seikoito/status/7005117342)
「結局有名人が必要なら今までのメディアと大差ないじゃないか」という意見もあるだろう。しかし、これまでのメディア(マスメディアだけでなくBlogも含む)とは違い、Twitterにおいては、有名人がメディアを使うのではなくメディア(Twitter)が有名人を使うのだ。言い換えれば、Twitterは既存メディアが作り上げた「有名人」を取り込んでしまう。
有名人に限らないことだが、上の例で述べたように、Twitterは利用者にコンテンツを紹介するという意識を持たせないまま紹介させる。上のいとうせいこうのtweetにしたって非常に小さな情報でしかない。この性質こそが既存メディア比べたときにTwitterが決定的に違い、また強いポイントだ。
つまり、今回の件はTwitterでなければ起こりえなかったと言える。(いとうせいこうがブログだけを使っていたら深夜のUstreamを取り上げただろうか?2chのスレッドにUstreamのURLを貼って2000人が集まっただろうか?)
この点で、今回の件は既存メディアによるものと異なり、また「祭り」とも異なっている。
しかしそうはいっても、結局音楽はあまり関係無しに「祭り」として楽しんだ人もかなりの数に上るだろうし、そうでない人たちも結局終わった後はそれぞれのクラスタへ帰ることとなる。
確かにそうかもしれない。だが、今回の件はあってないような(なくてあるような)それにして確固としたクラスタの壁を突き破ることが出来たということもまた事実である。
それはゆるく広い繋がりを志向するTwitterの功績でもあるが、それだけではなく、壁を破る原動力としての音楽の価値も認めて良いはずだ。いくら有名な人間が勧めたとしても、批評についてのUstreamや高校生の独り言を垂れ流すニコ生では、こうはいかなかったように思う。それは恐らく音楽の持つ普遍性によるのだろう。
音楽が中心にあり、その周りで人々が騒ぐ。この構図を見ると、これこそ括弧無しで祭りと呼ぶのにふさわしいのではと思える。
中心に別に音楽でなくてもいい。しかし、中心に何もなくただ集まるだけの「祭り」の行き着く先は袋小路だろう。
そう考えると、Twitterがキャズムを超える日が来るとすれば、それはカリスマやコンテンツ化した人間の存在や「祭り」の場であるがゆえでなく、価値あるコンテンツと人々を媒介する場としてであろう。
Twitterのこうした媒介としての側面は、これまであまり触れられてこなかったことのように思う。しかし、有名人のTwitter参入が相次いでいることや、アルファTwitter-erの出現を見ても、今後はこういったケースがますます増えていくはずだと考えられるし、別に有名人やアルファTwitter-erでなくても媒介することは可能なはずだ。
ちんにちは、ちんにちは。
今日なにげなく、はてなブックマークの人気エントリーを見ていたら
「現役GoogleプログラマーがすすめるiPhoneアプリ一覧」なんて感じの煽り感の強いタイトルの記事が…!
中身を眺めてみると、あれれーどこかでみたことあるような一覧…?
しかもこれ最近みたような…。
ちょっと探してみたらありました!
これかな。
1. 元記事 [2009-12-11 21:20] 一介ユーザーのiPhoneアプリまとめ (567 users)
2. パクリ記事 [2009-12-11 23:36] 現役GoogleプログラマーがすすめるiPhoneアプリ一覧 (19 users)
3. パクリ記事のコピーブログ 現役GoogleプログラマーがすすめるiPhoneアプリ一覧|増田にゃんねるβ (332 users)
これもし2がパクリではなく、本人による再投稿であるならば、
1でせっかくそこそこキレイに使われていたはてな記法もコピーして使うはずですよね。
より煽りの強いタイトルへ改変しただけのものだと思うんですが…、
わざわざそんなことをする理由は…なんなんでしょう?
うーん。
考えられるとすれば…
3. リンク(ブクマ)を集めておいて、みんなが忘れた頃に本文を(違うサイトへのリンクを含むテキストに)書き換えてSEO
こんなところでしょうか…。
いまだこのことを誰も指摘していません…。
近年、衆愚衆愚と騒がれていた感じのはてなブックマークですが、
いよいよ本格的にキャズムとやらを超えようとしているのか、
特にリニューアル以降は、ユーザーの盲目ぶりが目立っている気がします…。
そしてうんこ報告書
ゴーストうんこ 出たと思って下を見ると、便器には落ちてない。でも紙にはちゃんと付くうんこ。
クリーンうんこ 出たと思って下を見ると、確かに出ている。でも紙はよごれないうんこ。
ウェットうんこ 50回ふいても、まだ付いている気がするうんこ。万一のことを考えて、パンツにトイレットペーパーをあてがってトイレを出る。
セカンドうんこ 終わってパンツを上げかけたところで、再びもよおすうんこ。試してみると、確かにまだ出る。
ヘビーうんこ 食べ過ぎ飲み過ぎの翌日のうんこ。重くて流れにくい。
ロケットうんこ すごい速度で出てくるので、パンツをすばやくおろさなくてはならない、そんなうんこ。
パワーうんこ 勢いがあるので、水がピチョンとはねかえってくるうんこ。広範囲をふかなくてはならない。
リキッドうんこ 液状で、一般に痛みと音がすさまじいうんこ。3日たっても痛いことがある。
ショッキングうんこ においが強烈なため、便後1時間は誰もそのトイレに入れない、そんなうんこ。
アフターハネムーンうんこ すぐそばに他の人がいても、平気で音とともに出せるようになる、そんなうんこ。
ボイスうんこ あまりにも固くて切れないので、出すのにかけ声が必要なうんこ。
ブレイクうんこ 量が多すぎるため、休憩をとっていったん水を流さないとあふれてしまううんこ。
バック・トゥ・ネイチャーうんこ 森の中や田舎のあぜ道、時にはビルの地下などにナチュラルにしてあるうんこ。
インポッシブルうんこ 絶対にトイレに行けない状況のときにもよおすうんこ。すべてをあきらめるか、バック・トゥ・ネイチャーうんこしかない。
今日なにげなく、はてなブックマークの人気エントリーを見ていたら
「現役GoogleプログラマーがすすめるiPhoneアプリ一覧」なんて感じの煽り感の強いタイトルの記事が…!
中身を眺めてみると、あれれーどこかでみたことあるような一覧…?
ちょっと探してみたらありました!
これかな。
1. 元記事 [2009-12-11 21:20] 一介ユーザーのiPhoneアプリまとめ (567 users)
2. パクリ記事 [2009-12-11 23:36] 現役GoogleプログラマーがすすめるiPhoneアプリ一覧 (19 users)
3. パクリ記事のコピーブログ 現役GoogleプログラマーがすすめるiPhoneアプリ一覧|増田にゃんねるβ (332 users)
1でせっかくそこそこキレイに使われていたはてな記法もコピーして使うはずですよね。
より煽りの強いタイトルへ改変しただけのものだと思うんですが…、
つまりタイトルにある「現役Googleプログラマーがすすめる」というのはウソ。
わざわざそんなことをする理由は…なんなんでしょう?
うーん。
考えられるとすれば…
3. リンク(ブクマ)を集めておいて、みんなが忘れた頃に本文を(違うサイトへのリンクを含むテキストに)書き換えてSEO
4. コピーブログ運営者が、より煽り感の強いタイトルの元記事が欲しかったので元増田を捏造
こんなところでしょうか…。
パクリ記事のコピーブログ、現時点で332ユーザーもブックマークがついていますが、
いまだこのことを誰も指摘していません…。
近年、衆愚衆愚と騒がれていた感じのはてなブックマークですが、
いよいよ本格的にキャズムとやらを超えようとしているのか、
特にリニューアル以降は、ユーザーの盲目ぶりが目立っている気がします…。
元増田。
twitterはあくまで個人のつぶやき。口コミがリアルタイムで広がる速報性。ネタの裏付けは自分で行うべきであり、他人の発言に信憑性は求めないほうがいい
この辺は同意。私も結構適当なことを言ってる。
ただ気軽な呟きの場に対して素で本気と捉えたりとか、その暇つぶしを利用して金にしようとする連中もいるから話が混ぜこぜになってる気がして。そんなのが結構出てきたから悪い意味でキャズムを超えたと思ってる。
今に始まったことじゃないけど。
ひとつだけ言えるのは積極的に情報や物を発信する層から消極的な層に広がったんじゃないかと。それと禄に物事を検証しない。適当な嘘を間に受けすぎる。ソース調べろっつーの。
でも問題があってもtwitterの場合unfollowすることで反論をなかったことにできる。2chや増田ならレスを返すことで反論自体は消せないんだけど(スルーはできるが他者にとってそれはオカシイという意見は残る)
それと困ったことに「自分たちはマスゴミ、2ch、mixiを見てる人に比べて優秀だ」と決め付け、都合の悪い/自分の考えとは違う情報を跳ね除けている。例えば極度な円高になってきたとき「国が悪化する。鳩山民主は売国奴」という意見をどれだけ見かけたことか。円が少し安くなってきたけど、そんな情報は入っていないのか。民主が行ってる政策すべてがいいわけではないけど、悪い点だけを晒して擦り付けているだけじゃないのか。(ちなみに私から見れば情報が足りなくて何が良くて何が悪いか判断できていない)
こう書くと「お前もtwitterにいる連中をゴミと決め付けて客観視してるだけで大差ないじゃん」といわれるかもしれない。でも私が言いたいのはそうじゃなくて、新聞/メディア/2ch/twitterどこにいる人も物事をちゃんと調べて、何が良くて何が悪いかを考えるべきなんじゃないかと思う。
というわけで私は新聞・テレビのニュースも見るしtwitterもする。twitterのfollow範囲も似た意見しか見えないのでできれば違う視点をもってる人を探したいけどなかなか見つからない。ただし先ほど上げたゴミみたいと感じる連中を外すのも、それはそれで都合の悪い情報を跳ね除けてるだけな気がしてならない。まあ全部の情報の真偽を追うのも大変だから、せめて疑いを持つかぬるま湯につかってるか位は考えてみたほうがいいと思う。
でも全部の情報の真偽を追えるような人はそろそろtwitter去ってるんじゃないかなぁ。次の行き先がどこだかわからないけど。
面白い人が面白いことをする
↓
面白いから凡人が集まってくる
↓
住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
↓
面白い人が見切りをつけて居なくなる
↓
残った凡人が面白くないことをする
↓
面白くないので皆居なくなる
の、第3段階から第4段階へ移行しつつあるなと感じる。
今年に入ってから、サービスが日本語化したときですら感じなかったTwitterの普及を感じる機会が増えてきた。自分と同属性の人はTwitterなんかにすぐ飛びつく連中であり、最近始めているという人は、それだけで自分と根本の部分でおもしろさを共有できない相手だということだ。
サービス開始直後の2007年頃の日本人界隈は、活発な1000人程度のアーリーアダプターが和気藹々と遊んでいる集団だったので、ふぁぼったーに載るような人はだいたい見たことあるIDだったし、実際に300人もFollowしていればある程度全体を把握できている感じはあった。
しかし、最近は感覚としても数万、数十万単位の集団となっており、オフ会で特定のユーザーや話題に対して場が盛り上がっていても、完全に観測範囲外ということが珍しくなくなっている。今まで把握できてたものが完全に把握できなくなると、いつの間にか他人のものになったという勝手な認識すら沸いてくる。少なくとも、自分のTL=Twitter全体なんて勘違いをさせてすらもらえない状況だ。
こういう状況ですら、Twitter普及のキャズムを越えつつある段階でしかないだろうし、きっと現実にはそんな段階には足もかかっていないんだろう。そうなると、今はまだ何とかやっていけてるが、あと1年後に続けていられる自信があまりない。
自分のTLが、mixiの日記コメント欄における馴れ合いと変わらない様相を呈しており、こういう率直な事も書きにくくなってきた。読む人が読めばわかる書き方をしたので、あいつはそういう考え方なのかと思ってて欲しい。誰か、こんな自分に避難場所を教えてください。
確かに田舎ではクルマがないと笑っちゃうほど何も出来ない。ニートもワーキングプアも車は必需品。しかし車は走ってくれさえすればいい。そんな構図が統計から見えてくる。
走ってくれればいいや、という観点で軽や小型車を選んでるんじゃなくて
昔は大型車じゃないとまともな車がなかった。
軽なんて走る棺桶もいいとこだし狭いし五月蠅いしダサい。
ところが今は開発が進んで小型でも丈夫でしっかり走る車ができた。
だったら安い方がいいじゃん、ということで小型の車が売れている。それだけ。
確かに大きくて高い車はそれよりいいんだけど、誰もそんなの望んでないっていうだけ。
PS3の美麗グラフィックじゃなくて、Wiiのショボグラフィックで満足、というわけだ。
自動車の研究開発が進んだ結果、安くて便利でいいものが出てきたっていうごく自然な結果なのに
そう!恐らく30代後半以上のギークな人はエンジンの構造から種類からターボの方式から可変バルブタイミングまで全部知ってる。(たぶん)
で、普通に若いギークな人も実は知っている人が多いと思う。自動車に興味なくても鉄道なら好き、とか。VVVFとか大好きとか。
ようはそういう人がキャズムの向こう側にいて頑張って引っ張ってたのに
そういう車は減ってしまってキャズムの向こう側には何も無くなってしまった。(方向性が変わったってことかもしれんけど)
もっといろんなアイデアでもっと安全で楽しい車を出せばいいのに出さないもんだから
「なんでそんな高い車買わなきゃならんのだ」
ということになってる。
その結果、車好きな人が減っていって売れなくなった。
都会では車は必要ないとか、たぶん嘘で、あった方がいいに決まってる。
駐車場が高いとか全然使わないとかいうのが動機の人は全体の一桁%じゃなかろうか。動機付けになってる人は多そうだけど。
車は個人用移動手段として形を変えながらずっと生き続けると思う。
安全で簡単な小型ジェットでも開発されれば別だけれど今のところそれは無理そうだし
陸上を移動しなければならないというのは必ず必要なことだ。
だから、魅力は感じなくても必要であることに変わりはない。
後は自動車メーカーがデザインやありきたりなマーケティング商品のような魅力を感じない車ではなく
「新しい車」を出せるかどうか、だと思う。
あそこまで、AV女優からエスタブリッシュメントまでなって、キャラもできて、
人脈もできていたのに。独自のポジションで、生きていけたんじゃないかな。
テレビではAVってことを言えないのか、言わせないのかだったけど、
夏目ナナも、及川奈央も、蒼井そらも、昔だと朝岡実嶺も葉山レイコも
キャズム越えしなかった。自伝まで出して儲けて映画化もしてるんだから
もう恐れ入るしかない。
他の人になくて飯島愛にあったのは、ある種の知性だろう。
ポジションを意識して振る舞える土台にあったのは人より強いだろう自我の強さ。
コンプレックス。でも、その結末が、その自我に負けたってんだったら、やりきれない。
http://anond.hatelabo.jp/20080810033615
これを書いた人なのですが,コメントに「居酒屋はてな」というのがありまして,???って思ってましたら,こういうことだったんですね!
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20080810033615
これは面白いです!!!メタブックマークっていうんですね.
なので,ぜひ元ブックマークページに「○users」ってのを付けてくれたら便利だと思いました.
これはさすがに反対する人いないですよね.技術的にも難しくないはず.
なんかそういうのを要望するやり方があるんでしたっけ?
元記事ですが,皆様いろいろなコメントありがとうございました.楽しく拝見しました.
いろんな見え方があるんだなあと勉強になりました.
はてなブックマークの現在の雰囲気はアーリーアダプターに過適応していてキャズムを超えにくくしているような気が個人的にはします.
あとブックマークってコメント機能あるのが普通なんですね.教えてくれた方ありがとうございます.
しかし,はてなブックマークは特にコメントの存在感が大きい印象があります.
livedoorやdeliciousとコメントを付けている人の割合を比べてみると面白いかもしれませんね.
コメントの存在感を実際より過剰に感じるのは,いわゆるラウド・マイノリティーの認知に僕が失敗しているのかもしれません.
出所はこれかな?
「RSSリーダーがフツーの人に普及しなかった訳」
http://d.hatena.ne.jp/core/20080219/1203426866
フツーの人の気持ち・感情を理解するのは、ネットにどっぷりはまってる人ほど難しそう
この記事は問題提起としてすごくいいと思う。
特に上記引用の一行は自分も思い当たる。
でもですね、ここで言う「フツー」という概念は議論の方向性をひどく限定してしまうと思うのです。
RSSリーダーは自分も一時期使いましたが、今は使うのを辞めました。
なんか時間をすごく取られて、大量に情報を手に入れた気分になる割には、実は手に入ってる情報はネット上にある情報だけというむなしさ。
だから、「フツー」の人に勧める気にもならない。
なんで、ネット上にある情報がつまらなく思うかというとですね、例えば最近自分が感じた実例でこんなのがあるからです。
こないだ53歳の人と話したんですよ。
その人の話題を聞いてるとすごくおもしろい。
その人の友達には経営者もいれば、親の介護で実家に帰って田舎で気ままに暮らしてる人もいる。(その人自身は経営者)
会話の中で、「七転八倒」のような今時あまり聞かないボキャブラリーを普通に使う。
性欲がなくなって行く話しを笑いながらする。
昔の東京の町並みがどうだったか、そしてそこを自分がお金を節約するためにひたすら徒歩で歩いていた話しなど。
ネット上で若者が侃々諤々の議論をしている事柄の一例が実体験の話として次々にあふれてくる。
そういう人と話してると、ネットではまずお目にかかれない広い世界の一端を見せてくれるんですよ。
日頃、情報をネットに求めてしまう自分を、ひどく反省せずにはいられませんでした。
よくこういうキャズム議論では「デジタルデバイド」という上から目線の用語でいかにもらしく議論が進むが、そもそも「使いこなせる=上級、進歩的」なのかということすら怪しいんじゃないか。
そこらじゅうに頭のいい人はいます。
特に大学や、会社の上層部でリーダーシップを発揮している人や、テレビやネットから遠ざかって本の情報を重視している人には。
そういう人に、RSSリーダーを勧めて、「よりたくさんの情報を仕入れることができますよ」と言っても、あまり魅力的には感じてもらえないんじゃなかろうか。
さらに言うと、そういった高度な知性を持った人が、どういうツールでその高度な知性を得たかというと、それが「RSSリーダー」のようなものではないことは確実です。
「フツー」とか「デバイド」とかが問題じゃないと思うのです。
キャズム理論は面白い思考の枠組みであるけど、世の中は「人類が高度化するとRSSリーダーを使いこなせるようになる」という直線的な世界ではないと思うのです。
かつて死刑囚・松本智津夫は、麻原彰晃と呼ばれ崇められていた頃にこういうセリフを吐いたことがある。
「私に対する疑念、それを煩悩と言う!」
京都移転を表明した jkondo こと近藤はてな社長、および彼を支持してやまない者たちは、まさに松本が主宰していた「オウム真理教」のごとく行動しているように見える。
jkondo および umedamochio が嬉々としながら行ったはてなのアメリカ進出が仮に失敗だったとしても、誰もそれを責めるつもりはない。いやもし誰か責めたいという者がいるのであれば、今やアナクロニスティックな「日経ビジネス」の「敗軍の将 兵を語る」あたりで愚痴を開陳してもらえばよい。
ところが、経営的視点から jkondo およびはてなの行動を批判する者は、はてな真理教の教義に反するとして信者から叩かれるという構図が一部作られつつある。そして信者の勢力が拡大するなら、はてなを支持しながらも臆せず批判を行う層は「ポア」の憂き目に遭うかもしれないというところまで来ている。
はてなの経営に関する議論は、言論の自由という基本的人権レベルのレイヤよりもはるかに上方、メタなところで語られるべきものだ。そこでは、現代の企業あるいはベンチャー経営に必要な新旧のノウハウの全てをもってして議論が尽くされるべきである。ましてやはてなの利益を享受しているユーザであればなおのことだ。ユーザの批判は許さないというのは、まさにユーザを「ポア」する行為だ。
はてなが、何らかの経営におけるパラダイムシフトを成し遂げようとしているのであれば、それ相応の成果ないしは途中経過を見せて欲しい。Google の創業者であるセルゲイとラリーは、最重要のステークホルダーである株主の意見すら遮りつつ「俺たちに任せておけば心配ない」と言い放った。jkondo はそこまで言えるか?否、である。皆 jkondo が心配で心配でしょうがないのだ。
はてなの将来に期待するからこそ、信者・アンチという単純なくくりの下にアンチを黙殺あるいは「ポア」しようとするのではなく、はてなの持つビジョンを明確に説明してくれることを強く望む。
はてな村という限定されたコミュニティの中で大勢の支持者に取り囲まれている安穏とした状況では、umedamochio の言う「キャズム」を超えるのは永久に不可能だろう。