出所はこれかな?
「RSSリーダーがフツーの人に普及しなかった訳」
http://d.hatena.ne.jp/core/20080219/1203426866
フツーの人の気持ち・感情を理解するのは、ネットにどっぷりはまってる人ほど難しそう
この記事は問題提起としてすごくいいと思う。
特に上記引用の一行は自分も思い当たる。
でもですね、ここで言う「フツー」という概念は議論の方向性をひどく限定してしまうと思うのです。
RSSリーダーは自分も一時期使いましたが、今は使うのを辞めました。
なんか時間をすごく取られて、大量に情報を手に入れた気分になる割には、実は手に入ってる情報はネット上にある情報だけというむなしさ。
だから、「フツー」の人に勧める気にもならない。
なんで、ネット上にある情報がつまらなく思うかというとですね、例えば最近自分が感じた実例でこんなのがあるからです。
こないだ53歳の人と話したんですよ。
その人の話題を聞いてるとすごくおもしろい。
その人の友達には経営者もいれば、親の介護で実家に帰って田舎で気ままに暮らしてる人もいる。(その人自身は経営者)
会話の中で、「七転八倒」のような今時あまり聞かないボキャブラリーを普通に使う。
性欲がなくなって行く話しを笑いながらする。
昔の東京の町並みがどうだったか、そしてそこを自分がお金を節約するためにひたすら徒歩で歩いていた話しなど。
ネット上で若者が侃々諤々の議論をしている事柄の一例が実体験の話として次々にあふれてくる。
そういう人と話してると、ネットではまずお目にかかれない広い世界の一端を見せてくれるんですよ。
日頃、情報をネットに求めてしまう自分を、ひどく反省せずにはいられませんでした。
よくこういうキャズム議論では「デジタルデバイド」という上から目線の用語でいかにもらしく議論が進むが、そもそも「使いこなせる=上級、進歩的」なのかということすら怪しいんじゃないか。
そこらじゅうに頭のいい人はいます。
特に大学や、会社の上層部でリーダーシップを発揮している人や、テレビやネットから遠ざかって本の情報を重視している人には。
そういう人に、RSSリーダーを勧めて、「よりたくさんの情報を仕入れることができますよ」と言っても、あまり魅力的には感じてもらえないんじゃなかろうか。
さらに言うと、そういった高度な知性を持った人が、どういうツールでその高度な知性を得たかというと、それが「RSSリーダー」のようなものではないことは確実です。
「フツー」とか「デバイド」とかが問題じゃないと思うのです。
キャズム理論は面白い思考の枠組みであるけど、世の中は「人類が高度化するとRSSリーダーを使いこなせるようになる」という直線的な世界ではないと思うのです。