はてなキーワード: エビとは
どっちも違うぞ
そもそもゴキブリは単独行動する種が多いものの、ご存知の通りフェロモンで集合するし(集団行動しないソロだけど人混みが好き)、
さらには、ワモンゴキブリとか 単為生殖 メスだけで増えるからな
ブチハイエナもメス中心のクランで自分で狩りをするし狩り成功率高いし絶対的な女権社会で
ゴキブリもハイエナも、どっちもメスが強い立場にいる生き物だぞ
ただ、3億年以上そのままの形で人カスと比べること自体が失礼なゴキブリさんの有能さはそれとして、
ワイは節足動物は無理だな。キミらだってたぶん無理でしょ。絶対節足動物が苦手だと思ってるよ
そうした上で、ぶつかりおじさんという存在の社会的意義は無視できないよねという話。
譲るという感覚ごと欠落しているくらいに譲らない。
譲るという感覚が欠落しているからこういう話をしても通じなくて、とにかく一方的にぶつかってくる方が悪いという話にしかならない。
歩道を歩いている時も自分が逆走していたって必ず壁側を歩こうとするし、側道から出てくるときでも平気で人の前に割って出たりする。
なんで正しくルールを守っている側が車道側にでて危険な思いをしながらお前をよけなきゃならんのよ。
側道から出てくるときだってこちらに減速を強いっておいて割って出た割に歩くのが遅かったりする。
それで夜道なんかだとチラチラ後ろ振り返ってくるのとか、頭イカれてるんじゃないかと思うよ。
もちろんそうじゃない女性もいるし、男性でもこういう人間はいる。
極端な話をすると、男性同士でこれをやるともう喧嘩を売っているようなものと一緒。
相手が悪ければ因縁をつけられてボコボコにされても文句は言えない。(もちろん暴力は犯罪だが、反面で自業自得という側面もあるということ。)
だから男性は、相手が男女関係なく自分から道を譲るという文化が染み付いているし、自分が悪ければ一言お詫びを言うのが当たり前になっている。
そういう意味では、女性はぶつかられるだけで済んでいると言っても良い。
お詫びを言われたことがない人はよっぽど自己中心的な歩き方をしていると思って自らを省みたほうがいいと思います。
正直、ぶつかりおじさんというのは現代に生まれた妖怪なのではと思う。
女性があまりにも道を譲らないから、それに気が付かないと痛い目に遭うよと身をもって教えてくれる妖怪。
その結果、道を譲ろうとしない女性だけがぶつかりおじさんの被害にあって、自らもぶつかりおじさん絶対にゆるさない妖怪へと成り果てていく。
それでも自身を省みないでぶつかりおじさんに切れ散らかす女だけが被害に遭い続けるとか、爽快以外の何物でもないよねというのが自分の結論です。
そもそもこれを「わきまえろ論」だと勘違いしてしまうところが問題で、突き詰めて考えれば誰が悪いとかは関係がない。
妖怪ぶつかりおじさんを退治したければ、みんなで譲り合える世界を作る以外にないんじゃないかってことに一日でも早く気がついてほしい。
箱根にそばがないわけではないが、箱根固有のそばというものはない。東京のかけそばを箱根と称して売ってるだけのそば。コロッケがカレー味なのは意味不明。だが神奈川県民はそばに思い入れがないため問題になっていない。
家系ラーメンは北関東系のラーメンショップのパクリ。横浜発祥のサンマーメンや中華街のラーメンと明らかに系譜が違う。だが神奈川県民はラーメンに思い入れがないため問題になっていない。
江ノ島丼は伊豆などで採れたサザエの玉子とじを載せたどんぶり。神奈川県民はサザエに思い入れがないため問題になっていない。
鎌倉はバナメイエビなどのフライを玉子とじにしたものを載せたどんぶり。神奈川県民はエビに思い入れがないため問題になっていない。
横浜港のお土産と知られているありあけのハーバー。製造している工場は湘南地方にある(一時期は町田に工場があった)。神奈川県民は横浜に思い入れがないため問題になっていない。
Bardにも聞いてみた
日本語では一つの名前で表されるが、英語では二つ以上の名前がある現象は、言語学では「語彙の異文化性」と呼ばれています。これは、2つの言語が同じ概念を異なる単語で表す、または同じ単語で異なる概念を表す現象です。
語彙の異文化性は、言語の歴史や文化など、いくつかの要因によって引き起こされます。たとえば、英語と日本語は異なる言語の歴史を持っています。英語はゲルマン語族の言語で、日本語は日本語語族の言語です。そのため、英語と日本語には、同じ概念を表す単語が存在しない場合があります。
さらに、言語は異なる文化を表します。英語はヨーロッパの言語で、日本語はアジアの言語です。そのため、英語と日本語には、同じ概念を表す単語が異なる場合があります。たとえば、英語では「turtle」という単語は海亀を表しますが、日本語では「亀」という単語は陸亀と水亀の両方を表します。
語彙の異文化性は、言語学習者にとって問題になる可能性があります。言語学習者は、異なる言語が同じ概念を異なる単語で表すことを認識し、言語の正しい使用方法を学ぶ必要があります。
あなたの例で言えば、
亀:日本語では「亀」という単語は陸亀と水亀の両方を表しますが、英語では「turtle」は海亀、「tortoise」は陸亀を表します。
ワニ:日本語では「ワニ」という単語はワニとクロコダイルの両方を表しますが、英語では「alligator」はアメリカのワニ、「crocodile」はアフリカとアジアのワニを表します。
カエル:日本語では「カエル」という単語はカエルとヒキガエルの両方を表しますが、英語では「frog」はカエル、「toad」はヒキガエルを表します。
蜂:日本語では「蜂」という単語はミツバチとスズメバチの両方を表しますが、英語では「bee」はミツバチ、「hornet」はスズメバチ、「wasp」はハチを表します。
エビ:日本語では「エビ」という単語は車エビとその他のエビの両方を表しますが、英語では「prawn」は車エビ、「shrimp」はその他のエビを表します。
これらの例は、語彙の異文化性が、2つの言語が同じ概念を異なる単語で表すことができる、複雑で多面的な現象であることを示しています。