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「ダメな科学」を見分けるためのおおまかな指針-訳文できました - うさうさメモ
「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター - うさうさメモ
医学生物学論文の70%以上が、再現できない! | Vol. 10 No. 11 | Nature ダイジェスト | Nature Publishing Group
心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
相関と因果は一致しない 女性平均寿命 NHKの放送受信契約数
科学的に物を言うには、「ブラインド(二重盲検査法)」という手法を使わなければいけません。その検体が誰のものか分からないという設定でなければいけません。
2.理論や技術がピア・レビューされあるいは出版されていること。
3.結果を評価するために誤差率や標準的な手法が明らかにされていること。
分析的基準が決められ、それがどの程度の誤りが生じるのか明らかにされていること。
4.専門分野で一般的に受け入られていること。
もしも起訴されたら99.9%有罪になる―無実でも有罪になる「密室裁判」というシステム (日文新書): 井上 薫: 本
刑事裁判の光と陰―有罪率99%の意味するもの (有斐閣人権ライブラリイ): 渡部 保夫, 大野 正男: 本
「無実を探せ! イノセンス・プロジェクト DNA鑑定で冤罪を晴らした人々」 Actual Innocence|朝日新聞グローブ (GLOBE)
BS世界のドキュメンタリー|冤罪から救出せよ ~アメリカ無実プロジェクト~
asahi.com:米の死刑囚ら188人、DNA鑑定で続々、無実を証明 - 国際
銃器工具痕鑑定の非科学性を主張する元FBI研究室長の宣誓供述書
写真から指紋を複製、認証システムをスピード突破可能に… : ギズモード・ジャパン
はてなブックマーク - 足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)
++ 【飯塚事件】国家による殺人か? 〜有罪の決め手は科警研が実施した精度の低いDNA型鑑定だった」第二の足利事件といわれ ++
DNA 証拠の許容性ー Daubert 判決の解釈とその適用
G2|DNA鑑定はウソをつく(諸永裕司)|第1回:突然の死刑執行〈1〉
全文表示 | 日展審査で「不正発覚」と朝日スクープ 美術関係者「あ~あ、そこは秘密ってコトだったのに」 : J-CASTニュース
ただただし氏が数十年後、「自然エネルギーに騙された」と言わないために - ただのにっき(2011-04-08)で科学的懐疑心の重要性をとき、本旨の導入として斉藤和義の「ずっと嘘だった」とその態度への批判をしている。
ただ氏の批判を抜粋する。
断っておくけど、おれは別に原発推進派でもなければ反対派でもない、強いていえば消極的容認派だけれど、だからといって今さら「絶対安全って言ってたのに! 騙してたなんてひどい!」なんて騒がないよ。世の中に「絶対」なんてものがありえないって知ってるし。悪いけど、「絶対安全です」なんて言われて信じるほうがおかしい。
こんな歌、十代の子供なら許されるかも知れないけど、斉藤和義はもう44歳、おれと同世代じゃないか。この歳になったら言っていいのは「(自分より若い世代に対して)無知でごめんなさい、騙されててごめんなさい、黙っててごめんなさい」だろうよ。いい大人がイノセンスぶって責任回避かよ、情けねぇ。
さて、ただ氏の言うように斉藤は今回の事故をキッカケに、これまでの「絶対安全」が嘘だったことに気づき、「ずっと嘘だった」を歌った情けない大人なのだろうか。
「ずっと嘘だった」の歌詞には「原発が54基」「ほうれん草食いてえな」というフレーズがある。
これは忌野清志郎が1988年に発売したカバーズに収録された曲「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」を意識していることは明白だ。
松永英明氏がキヨシロー「Love me tender」のアンサーソングとしての斉藤和義「ずっとウソだった」の無力感[絵文録ことのは]2011/04/08でその対応関係を指摘している。
キヨシローの「放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ」を受けて、斉藤は「風に舞う放射能はもう止められない」「ほうれん草食いてえな」と歌った。違うのは、放射能(放射性物質)はすでに放出されていることだ。
そもそも、タイトルやサビ自体がキヨシローへのアンサーである。斉藤の「俺たちを騙して、言い訳は「想定外」」「ずっとウソだったんだぜ やっぱ、ばれてしまったな」という歌詞が、キヨシローの「たくみな言葉で一般庶民をだまそうとしても ほんの少しバレてる、その黒い腹」という歌詞を受けているのは明白だ。23年前はほんの少しバレてる程度だったが、今や安全神話は崩壊した。
なお、「サマータイムブルース」の歌詞との対比を追記しておくと、「37個も建っている原発がまた増える」は斉藤の「原発が54基」、「それでもTVは言っている「原発は安全です」」は斉藤の「教科書もCMも言ってたよ、安全です」に受け継がれている。
これを見るだけでも斉藤が「騙された!」とは違った文脈で「ずっと嘘だった」を歌ったことが伺える。
何しろ斉藤は東海村JCO臨界事故の翌年2000年に発売したCOLD TUBEに収録した「青い光」で原発批判をすでにしているのだから。
青い光を見たんだ
とてもきれいな青だった
青い光を見たんだ
とてもきれいな青だった
ヘリコプターがハエのように・・・うまく思い出せない・・・
青い光を見たんだ
いつも通りにやったんだ
今日も髪がたくさん抜けた
斉藤は原発に対して、関心があり、懐疑心を持ち、曲を書き歌うことで反原発を訴えていた。
以上をふまえて本旨にツッコミを入れていこう。
どんな技術にもメリット・デメリットがある。メリットばかりを吹聴されて、それを盲信しないためには、科学的な懐疑心が欠かせない。われわれ日本人は、えてして道徳的な立場から人を疑うのはよくないことだと教えられるが、正しい判断をするために、いや「生きるために」、科学的懐疑心は必要なスキルだ。あらゆる意見は「仮説」として受け止め、反証できないか考える。検証されない仮説は採用しない。訓練は必要だが、なにも難しいことはない。人を疑うのではなく仮説を疑うのだから、道徳的にはなんの問題もない。
いやいや、あんたは斉藤和義が騙されて喚いてるって検証もしないで決めつけてるだろwしかも人を疑ってるしw「訓練は必要だが、なにも難しいことはない(キリッ」ってw面白すぎるw自分ができてないww
40代にもなって「騙された!」と騒ぐような情けない大人にならないためには、きちんとした科学教育が必要だ。それも、教科書を丸暗記すれば試験に合格するようなエセ科学教育じゃなくて、正当な懐疑心を養い、仮説検証を経ない理論は採用しないといった「科学の心」を持つための科学教育が。ちゃんと人を育てるところから始めないと、また数十年後におかしな責任転嫁を聴かされることになるよ。
「科学の心」を持つと科学以外のことに対する懐疑心は無くなっちゃうの?ただ氏が数年後におかしな責任転嫁を歌うことを楽しみにしてるよw
おまけ
数十年後、「自然エネルギーに騙された」と言わないために - ただのにっき(2011-04-08)のブコメ
俺
id:songe 清志郎へのアンサーソングなのに清志郎の歌を知らないもんだからこんなエントリーになっちゃった 2011/04/09
ただ氏
id:sho 「アンサーソングと知らないのか」ってコメが複数あって笑った。年代的に知ってて当然だという反証を思い浮かべもせずにお気に入りの結論に飛びついちゃうあたりが、ダメな大人の典型だねぇ。 2011/04/10
俺の追記
id:songe 清志郎へのアンサーソングなのに清志郎の歌を知らないもんだからこんなエントリーになっちゃった/知っててこのエントリーなら日本の言論的リテラシー教育の重要性が問われるな 2011/04/09
もちろん、知ってて当然だという反証は思い浮かべてました。そして、知ってたらこんなエントリーは書かないだろうとも思ったので確認の為にコメントしてみました。
「懐疑心を持つことが大切だ」というテーマのエントリーの導入部でいきなり決めつけから入っていたので。こんなことググれば十数分でわかることですし。
お笑い芸人の水道橋博士が、何かの番組で、「面白いということは、強さなんだ」ということを言っていた。
この強い(強さ)とは何か。
例えば水道橋博士の師匠であるビートたけしの芸には強さがあり、それは内在する純粋な狂気がもたらしている。
そしてその狂気は、タレントとは別の北野武としての映画作品により顕著に露呈している。
一方、最近の新しいお笑い芸人、あるいは創作者一般でもいいが、この強さ=面白さという要素が弱化してきている。
それはなぜか。
新しい世代には、古い世代の持っていた純粋な狂気が不在しているからであり、それにかわってイノセンスが補填的な力として代用されているからではないか。
イノセンスとはピュアさであり、素直さでもあり、また己の弱者性ということでもある。
そのようなイノセンス的な芸というものは、フレームを破壊したり、新しく一から構築するといった力はなく、あくまでも従来のフレームを踏襲したものであるにすぎないことが多い。
けっきょく、イノセンスというのはそれそのものが甘美なものであるから、そこから目新しくて力強い面白さが発揮されることはないといっていい。
寝る前に今日感じたことを書いちゃうぞ。ってなのりで。
新海誠の新作は、批判が多そうな予感ですね。ジブリに似ているとかいろいろ言われていますが、
僕としては「また『イタセツナ』系かよ」。また、そっちの方向に行っちゃうのかよ。
もうすでに毎日心が痛いのに、また心を痛くさせる気かよ。
僕は弱さの水がめだ。少しでも揺らしたら、水のように弱さと涙がこぼれてしまう。
そんな自分を何とか現実に落とし込もうとしている最中に、この新作の発表は正直キツい。
そういえば昔地元で『秒速5センチメートル』の公開があったときに、
新海誠が女性のスタッフ(結構美人)を連れていましたが、質疑応答の時に
一緒に見に行った兄貴が『新海監督は隣にいるそちらの女性とセックスしてるんですか?』
っていう質問を投げかけようとしたので慌てて止めたことがあったなぁ。気が狂ってるとしか思えん。
かなり脱線してしまったけど、胸が痛くなるような物語って、今の時代にどうなのよ?
みんなツラいことばっかりじゃないですか。今の音楽って、若者の自意識が耐えられなくなって
発狂しているようなバンドばっかりじゃないですか。それがウケているこの時代に、
痛切系は…どうなのかと思うのよ。作風、変えた方が良いんじゃないでしょうか…。
言葉が先行してて、明確な定義はないのだが、ハテナによるとこんな定義がされている。
1.過剰な自意識を持った主人公が(それ故)自意識の範疇だけが世界(セカイ)であると認識・行動する(主にアニメやコミックの)一連の作品群のカテゴリ総称。
2.[きみとぼく←→社会←→世界]という3段階のうち、「社会」をすっ飛ばして「きみとぼく」と「世界」のあり方が直結してしまうような作品を指す。
アニメでいうと「新世紀エヴァンゲリオン」が代表格になるだろう。
で、小説の世界だと「0世代」にくくられる西尾維新や佐藤友哉らがこの文脈で語られることが多い。
で、「ライ麦畑で捕まえて」を一読して、この世界的な青春小説は「セカイ系」の元祖だったんじゃなかろうかなんてことを考えた。
成績不良で高校を退学させられたホールデンが、実家に戻るまでの「三日間の彷徨」を口語体の一人称によって語るというものだ。
道中ホールデンは様々な人に会うのだが、いちいちこいつ病気じゃないのかという態度とり、悪態をついては、相手を怒らせる。回想シーンに登場する旧友や恩師にたいしても、冷笑的な批判をくりかえす。
ホールデンにとって「よきもの」として騙られるのは、死んだ兄、妹、道中に出会った尼くらいのものである。
じゃ、ホールデンの思考回路が支離滅裂かというと、価値判断の基準だけはぶれがない。
ホールデンは、大人社会の「欺瞞」や「スノッブ」に対する徹底的な反抗者としてかかれており、彼の「ピュア」や「イノセンス」は一貫してくどいほど強調されている。
その「ピュア」や「イノセンス」に触れるものに対して、彼は悉く過剰反応を起こす。
ただ、ホールデンのいう「インチキ」というのは、大人が嬉しくもないのに「nice to meet you」ていうのは許せないとか、その程度のもので、潔癖症に近いものがある。
おまけに最期にホールデンが語る夢は、「聾唖になって森のそばに住みたい」だとか、「ライ麦畑で遊ぶ子供たちの監視員になりたい」とかもう「引きこもりの妄想」の領域に入ってる。
「ピュア」でも「イノセンス」でもいいけど、いいかげんにしろって感じだ。
どっちかというと「イノセンス」というよりただのヘタレなんじゃないだろうかという話はさておき、ホールデンの不幸は、自分がその「汚らしい大人」の領域に踏み込みつつあることを自覚していてそれゆえに「壊れて」いくことにある。彼は病気になることで、自らの「イノセンス」に殉死したとも言える。
私が「ライ麦」をセカイ系だというのは、このホールデンの過剰な自意識と、自分の価値観に基づく自己愛。そして学校を辞めたことに端的に表出されている「社会」をすっとばしたセカイへの直結(あるいはセカイからの逃走)がセカイ系の特徴とリンクしてるなと思ったからだ。
さらに「壊れていく自分」というのはセカイ系でも定番のモチーフなんだが、「ライ麦」では、壊れていく自分の攻撃性は外部に向かうのに対して、エヴァや0世代の文学では、その攻撃性は、自分へと向かい、「自虐的な自分語り」に落ち込んでいく。
この差が、時代的なものなのか、お国柄なのかはわからんけど、セカイを憎んだ「ライ麦」は、ジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンや、レーガン元大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーに愛され、21世紀最大の知能犯「笑い男」(攻殻機動隊SAC)を生んだ。
大学院生の人に聞いてみたい。大学院に入ると、周りに優秀な人が多くて、皆、自分がいかに凡人であるか自覚すると思う。科学の発展のために優秀な人材を集めることも重要だけど、「天才のクローンを作った方が手っ取り早い」と内心思う人は、どれぐらいいるのだろう?
だって、才能が開くかどうかわからない何千何万の原石(大学院生)の中から宝石(ScienceやNatureに論文を通せる人)を捜すより、既に見つかっている宝石を大量生産するほうが、コスト的に安上がりで効率がいいのは、誰の目にも明らかじゃないですか。ぶっちゃけ、後、数十年すれば、大学院の運営コストよりも、天才のクローンを作るコストの方が低くなると思う。そうなったら、どう対応するの?企業は、絶対、比較するよ?原石で花開くかどうかわかっていない大学院生と、既に天才であることが分かっているクローンと、どちらが適切な投資対象か。どっちを雇ったら、儲けが出そうか。
今の大学院生が生きている間に、きっと、そういう時代が来る気がする。日本やアメリカは倫理問題でもめてやらないだろうけど、シンガポールなら、天才のクローンを作りそうだ。
追記:
「後何十年も先の話をするなら、AIその他に賭けたほうがいい。」
という意見がありましたが・・・すみません、僕の専門はAIの一分野です。結論から言えば、数十年後には、下記の科学者ロボットのような方法で、セレンディピティ(偶然による発見)を効率的に行うようなロボットは可能だと思います。ただ、論文や設計など、何かを生み出す行為については、結局、人間の専門家の介在が必要になると思います。それは、機械が劣っているから、ということではなくて、論文や設計は、「人間の役に立つかどうか」が最終的な評価基準になるからです。「人間の役に立つもの」は人間にしか評価できないので、それを作り出すのも結局のところ人間だと思います。
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-37315620090403
また、「クローンの天才が同じ能力を発揮するとは限らない」といった意見をもらいました。結論から言えば、この辺は、「実際に天才のクローンを作って実験してみないと分からない」ですよね?おそらく、クローンの専門家にとっても、そうだと思います。それに、生まれてきた後の教育方法の方が、クローン技術より、成功に大きく関わると思います。天才のクローンを作ることは、確かに倫理的に残酷ですが、凡人の世界では才能の不足によりそれより倫理的に残酷なことが日常的に行われているのですから、それに比べれば、特に問題はないのではないでしょうか。学業で失敗して自殺したり、学資が滞って学業をあきらめたりすることに比べれば、天才のクローンとして生まれる方が、よっぽど倫理的に残酷でないと思いますけどね。
「天才の定義が明らかでない」という問題は、多数決で決めればよいのですから、そんなに問題ではないと思います。「天才を一人推薦してください」では語弊があると思いますが、「クローンを作るのに値する人物を推薦してください」と素直に聞けばよいでしょう。既に世の中は、そうやって投票や推薦で決まる賞であふれているわけです。「自分のクローンを作る権利」が賞品としてもらえる賞を一個新設した、と思えばいいでしょう。自分がイメージしているのは、数学的な天才です。テレンス・タオとかたくさん増えたら、数学が発展しそうじゃないですか。
追記2:
やはり、数学優位の分野じゃないと、否定的な意見が多いのですね。一応言っておくと、僕は東大の院生です。自分の分野では、本人にいくらやる気があっても生まれ持った数学的な才能がないと、真に革新的で素晴らしいと言える業績は挙げられない、と思っています。「やる気はあるんだけど、数学がなぁ・・・」という人を、何人も見てきました。一応、自分程度の才能でもそこそこの業績は上げられそうな気がしているので、大学院にいますが。
自分も、科学全般について天才のクローンを作ることにそこまで意味があるとは思っていません。分野によって、天才のクローンを作ることに意味がある分野とない分野があると思います。極端な話、DNA発見者で、優生学的な発言をしているワトソン博士のクローンを作っても、意味はないでしょう。彼がいなくても、別の人がいずれDNAの構造を発見し、今に至っていると思います。その意味で、アインシュタインの業績も、彼がいなくても他の人が同様の発見をしたと思います。当時最先端だったテンソルなどを持ち込んだのは、アインシュタインの大学時代の同級生で数学教授だったマルセルでしたしね。
ただ、数学・数理科学に関しては別です。数学は才能に頼る部分がとても大きいので、天才のクローンを作ることに意味があると思います。最初にこの記事を書いたとき、数学に限定しなかった僕が悪いのですが。「天才のクローンを作ろう」といっておきながら、「後の教育に依存する部分が大きい」というのが矛盾だという意見がありましたが、別に矛盾していないと思います。
という、至極当然のことを言っているだけです。実際に、このように考えて、教育すべき(自分が時間を割いてあげるべき)学生を選んでいる(大学)教員の方は多いのではないでしょうか?
端的に言って、自分の意見は、「数学に関しては、天才のクローンを作れば、いい業績を上げてくれると思う」というものです。もちろん、倫理的な問題はありますし、心理的な抵抗もあります。ただ、心理的な抵抗があるからといって避けていては、本当のところは分かりません。倫理的な問題・心理的な問題は置いておいて、「数学に関しては、天才のクローンを作れば、いい業績を上げてくれると思う」ということが正しいかどうかのみを問うているわけです。
自分は、IQの高い人やノーベル賞学者の精子を集めた精子バンクには、あまり意味がないと思っています。それは、「子供にどれだけ親の知能が引き継がれるのか」というところに大きな疑問が残りますし、仮に、その点がデータで示せたとしても、子供の知能の分散が大きくなれば、結局、「クローンを作らずに普通に学生を集める」という選択肢と比較したときに採算が合わなくなります。「クローンというのは単なる年の離れた一卵性双生児だ」という意見がありますが、であるならば、一卵性双生児の間の知能の相関などの値から概算して採算があえば、この案を採用してもよいということになってしまいますよ。
追記3:
"取り敢えず、攻殻機動隊を見た方が良いんじゃないか。"という意見がありましたが、僕はアニメ版は攻殻機動隊は、ほぼ全て見ています。SAC、2ndGIG、SSSと、映画のGHOST IN THE SHELLとイノセンスを見ています。
僕は自他共に認める「変な人」です。
まあ「君変わってるね」と言われるのは、変人にとって言わばほめ言葉なので
ぜんぜん問題ない(むしろ嬉しい)のですが、この前モヤっとすることがあったので書きます。
そんなにたいした問題ではないのですが・・・。
そのときも「増田君って変わってるよねー」という辺りの話から盛り上がってたのですが
そこで「でも、Aさんの前じゃ結構、増田君って普通じゃない?」と言われました。
Aさんというのは、自分たちの共通の上役の女性で、周りはそんなことなかったみたいですが
自分とはどうしてもウマが合わず、言ってしまえばちょっと苦手なタイプの人物でした。
そこで「いや、さすがにAさんの前で変なことはできないよ」という内容を話したところ、
なぜかその場にいたメンバー全員から非難の嵐が。
いやいや、そんなことはないですよ。ただTPOをわきまえているというだけで。
という内容の弁明をしたのですが、受け入れられてもらえず。
その後も「それもやっぱりキャラなんじゃないの?」などと言われる始末でした。
あ、こうやって文章に書くといかにも険悪に見えますが、実際はそんなことないですよ。
酒の席と言うこともありますし、ある程度の悪口?は言い合える仲とお考えください。
でも帰り道「どうしてあんなに嫌悪感を示したんだろう」と考えたところ
「変であることを『変だ』と自覚しつつ、それでも変に振舞おうとするのが理解できないんだろうな」
という結論に行き着くことに。
はてなという「変な会社」のサービスをわざわざ利用してる方なら理解していただけると思いますが、
変人というのは、その多くが「世間から常識や価値観がずれている」人ではありません。
自分が周りと比べて変であることを「自覚」しつつ、それでも「変であること」を志向します。
なぜならば、普通に振舞うより変であった方が楽だったり、あるいは楽しいからです。
でも彼女たちは、きっとそれが理解できない。
常にグループを組み、空気を読んで行動することが当たり前になっている「いまどきの人間」にとっては
「わざわざ変であることを分かって行動する」と言う発想が、そもそも思考回路に存在しないのだと思います。
あるいは僕に「イノセンスであること」を、無意識に押し付けていたのかもしれない。
おそらく彼女たちは空気読みの達人でありながら、気づかないうちに肥大する「空気の圧力」というものに、人一倍疲れている。
そんな中で「空気が読めない変な人」をある程度は蔑視しつつも、心のどこかでは憧れている、とでも言うのか。
(お前それは自意識過剰ってやつだよ!と言われれば確かにそうですが・・・)
でもその実「空気が読めない」ではなく、「空気を読まない」であったことが分かってしまった。
その結果、今まで僕に抱いていたキャラクター像が崩れてしまった→「キャラ作ってたの?」、ということなのかなと。
でもそれってさー。今まで僕のことを「キャラ込みで」接していた、ということになるじゃない?
別に承認ゾンビになりたいとは思いませんが、こう思い当たってしまうと、さすがにモヤっとするものがありますよ。
というわけで、このまま家に帰っても気分悪いので、家の近い友達を二人呼び出して、また飲み直しましたとさ。
もちろんそいつらも「変な奴ら」です。
いやあ、気の置けない友人と飲み合うのはやっぱり楽しいね。
http://www.excite.co.jp/News/column/20090128/Getnews_4200.html
Amazon ukがポンド安でめちゃくちゃ安いからネット通販するといいよという記事です。
記事にもあるように,海外はDVDやBDがもともとの価値的に大分安い。(というか日本がぼった)
そこにポンド安がきちゃったもんだから,超激安と言っても過言ではない。
前々からイギリスやアメリカから個人輸入で買い物してたんで,もう少し耳よりな情報を書いてみます。
輸入DVDでは2点クリアしないと日本では見れないけど,輸入BDは1点クリアで良い。
元記事では攻殻のDVD-BOXを比較していますが,記事にもあるように
イギリスと日本はDVDリージョンが同じですが,映像形式が違います。(イギリスがPAL,日本がNTSC)
普通のDVDプレイヤーではリージョンが同じなのでディスクの再生自体はできますが,映像が読めません。
パソコンは映像形式が関係なのでリージョンさえ同じなら見ることが出来ます。
しかし,BDは違います。
BDは映像形式にPALやNTSCという規格自体が存在しません。
つまり,リージョンさえ一緒ならディスク再生&視聴が可能です。
なので,日本語字幕 or 音声がつきのBDを海外から買うと激安です。
だいたい日本の定価の3分の1程度で購入できます。
残念ながらBDであるのは,アニメのアップルシードとイノセンスくらいです。
じゃあどうするの?てか,そもそも,海外で売られてる海外の作品には日本語なんてないでしょ?と疑問がでるでしょう。
しかし,作品によっては日本語字幕 or 音声 or 両方が存在しています。
例えば,ダークナイトはパッケージには書いてませんが日本語音声&字幕が入ってます。
他にもマトリックスも両方入っています。
そう言った情報は,amazon.jpのブルーレイフォーラムの輸入盤の音声情報トピや輸入BDを売ってるお店を見るとわかります。
イギリス盤とアメリカ盤で収録音声が異なる場合があるので,そこは十分確認してください。
また,英語わかる!という方は再生できるどうかのリージョンコードさえ調べておけば大丈夫です。
その情報はhttp://bluray.liesinc.net/index.php?region=bでわかります。
注意点として
DVDと異なり,BDはイギリスと日本はリージョンが違いますので
イギリスから買う場合は要リージョン確認です。(ソフトによってはリージョンフリーのがあります。)
逆にDVDの時はリージョンが違ったアメリカとは,BDでは同じリージョンになっています。
ですので,アメリカのアマゾンから買うのもオススメです。(というかこっちのがいいと思う)
僕は先日,アメリカのアマゾンでマトリックスのBDBOXを買いました。
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
そういえば、ロボット三原則って意味がよく分からないものなんだなと思った。
人間って奴隷を求めるくだらな生き物ですって明言したようなセリフとも取れるんだなと思った。(もちろんそれが、原作・イノセンスともにテーマなんだが)
ロボットにも生命としての人権のような物、人格を認める必要性。そう言う物が全くない。
という思想とまったく同じ物なんだなと
雨宮ねいさんがチラ見してくれたようなので脊椎反射してしまいました。
みなさん、よいお年を!
ニコラス・ルッカ(Nicolas Rucka)
様々な風景を見せるようになった日本アニメにおいて、押井守は彼独自の場所を築き上げるに至った。SFエンターテイメントという枠に捉えられる事もしばしばだが、彼の仕事はその要件を遙かに凌いでいる。押井はジャンルという括りに疑問を投げかけ、SFと現代の生活との間にまっさらなリンクを構築してみせた。彼のこうした姿勢は、アニメーションという体裁の境界を拡張するアプローチ・スタイルと結びついている。それは「攻殻機動隊」のすばらしい続編である「イノセンス」に見てとれよう。
ルッカ: あなたの作品は第二次世界大戦前後のヨーロッパの様式、とりわけ東側諸国の影響が大きいかと思います。それはどのように培われたのですか?そしてこれまでの作品で表現されてきたあなたの世界観にどのような位置を占めていますか?
押井: 若い頃からヨーロッパ映画を見て、楽しんできた。古典的で、古いスタイルの様式、雰囲気といった東ヨーロッパ的なものは静謐で美しく、そしてノスタルジックで、ひどくそそられたね。
ルッカ: もうちょっと続けますけど、あなたの映画で言及される70年代終わりから80年代にかけての欧米産サイバーパンク小説や映画、ウイリアム・ギブソンの「ニューロマンサー」やリドリー・スコットの「ブレードランナー」などは日本の街並み、風景、そしてテクノロジーの影響を強く受けています。で質問なんですけど、こうした話法を引き続き採用するのか、それともより高位のゴールでこれら要素を取り入れるかって事なんですけど?
押井: 僕の作品はサイバーパンクに分類される事が多いけど、個人的はそうじゃないと思う。「ブレードランナー」みたいに本当に楽しまされた映画があって、映画作りの上である程度役に立っている部分もあると思う。でも僕以外にもっと影響を受けている人ってたくさんいるんじゃないかな?人間とサイボーグを題材にした映画を作るなら、「ブレードランナー」にふれないわけにはいかない。このテーマに関する先駆けだからね。こうした話法を採用するか、それともしないのかなんだけど、僕のゴールは未だかつて誰も見た事のない新しい映画を作る事だからね。それは「イノセンス」で証明できたと思ってる。
ルッカ: あなたの作品、とりわけ「アヴァロン」なんですけど、タルコフスキーを偲ばせる要素が多く見受けられる。そうした影響は?
押井: 今はそうでもないけど、昔はすごい好きだった。でも「ストーカー」や「惑星ソラリス」、「鏡」は今でも好きだね。
ルッカ: 押井さん、これは私見なんですけど、犬との交わりを人間より優先させているかと。こうした傾向は主題的化身の選択、それとも人間という形態はもはや必要ではないという人間意識のあり方のどちらと結びついています?
押井: 僕個人的には犬との結びつきを優先させる。でもそれは人によってまちまちだと思う。人間が「主体」の一部を失い出すと、己が何者かを知るために他の何かと関わらざるを得ない。それは僕のように犬だったり、猫や他の動物かもしれない。生き物である必要はない。機械、車、コンピュータ、街、自分以外だったら何でもいい。それが失われた「主体」を見つけ出すって事です。
ルッカ: 人類というあり方は時代遅れのものですか?もしくはそうなると?
押井: おっしゃりたい事に確信はもてないけど、間違いなく人類というあり方は失われつつある。動物は常に同じであったし、これから先も変わらない。でもテクノロジーの発展によって人類は常に変化するし、変化せざるを得ない。でも、変化や進化を恐れてはいけないし、それを受けいれ、共存する事を学ぶ必要があると思う。
ルッカ: 映画作りの際には何から手をつけますか?印象的なイメージ、本、音楽から着想します?まずは脚本から?
押井: 僕の頭の中には違ったアイデアがたくさんある。それをどうやって映画で生かすか、って事なんだよね。企画が来る頃にはすでに何かが頭の中にあるんだ。発想の多くは小説や写真集に目を通したり、いろんなクリエイターと話す事によって生まれるけど、実際の具体的なアイデアや映画の基礎といったものは作品作りの前に決まってるんだ。
押井: いつもって訳じゃないけど、だいたいそうだね。実写か、アニメかによるけど、中核となるグループはたいてい同じ。彼らは本当に才能があって、辛抱強いと思うし、あ、でもわがままで頑固だけどね、ぼくは十全の信頼をおいている。彼らがいなかったら、映画は絶対に作れない。
ルッカ: 制作準備にはどのくらいの時間をかけます?そこでは何を?
ルッカ: 「イノセンス」では実際の制作、そして編集ははどれくらいかけました?
せっかくid:heartless00が起こしてくれたので、森岡正博×宮台真司 なぜ日本人は結婚しなくなったかに好き勝手突っ込んでみる。発言順の編集有。
30~34歳の未婚率
70年 男 11.7% 女 7.2%
05年 男 47.1% 女 32.0%
しかし30代前半ということはこれから結婚の可能性が高く、単に晩婚化を示した数値だからなあ。寿命が延びて教育が長期化した当然の帰結だし。「なぜ日本人は結婚しなくなったか」がテーマならせめて30代後半、生涯未婚がテーマなら40代以降の数値を出して欲しかった。
まあどの年代の数字を出してもこの傾向は示せると思うけど、テーマに対する的外し感と一番数字が離れて見えるとこを狙った感が見え見えで萎えるなー。
早く男性性なんて捨てちゃえばいいのにね。2人口で細々やっていくか、女に食わせてもらうのも普通になればいいんだよ。
女の子は女の子で、その汚い射精や劣情を惹き起こさせる存在である自分を汚いと思ってるよ。どうせ汚いなら他人の汚さ(を喚起するという自分の性質)に振り回されるより自分でなんとか出来る方がいいじゃんね。自分の汚さの源泉が他人の欲情だったらもう本人にはどうしようも無いよ。鈍感になるくらいしかないよ。女に生まれたかったなんて考える潔癖症気質の繊細クンは実際に女に生まれてたらもっとドツボにはまってたと思う。(そういう性質の人にとっては)男に生まれてラッキーだったと思うよ。
宮台:アキバ殺傷の書き込みを見ると、「顔が醜いからモテない」それが彼を絶望に追いやっているが、これはありえない勘違い。ナンパカメラマンは平均的な顔で、イケメンはむしろ女性に警戒される。
女の行動原理は自らに向かうナルシズムであり、イケメンはナルシズムの妨げになる。話は逸れるが、女性描写でこのナルシズムを正確に書いてあると、やるなこの筆者と思う。男から見た俺が女だったらこうだろう描写が多すぎるから。「顔が醜いからモテない」はその典型例だなー。お前が顔重視だから他人もそうだってことにしといた方がリアルティがあるんだろ。
武田:キャリアウーマンの女性は・・ネタなのか、自分を負け組と定義していたりはするようだが・・
宮台:あれはむしろ女子高文化的、「他とは違う自分」肯定の身振り。
宮台うぜーーー。お前が負け組語りをするとしたら「他とは違う自分」動機しかありえないってだけだろーが。まさに手前が○○だから他人もそうだってことにしといた方がリアルティがあるメソッド発動中。女で高学歴高収入高キャリアってのはヒエラルキー的には下がるんだってば。履歴見ただけで高慢で嫌な奴だと推定されるからお腹見せスタンスではじめてバランスがとれるんだよ。お笑いで生きづらさを解消してるんだよ。他にもピエロ役いっぱい買って出てるって。そんなん現代を生きていたら嫌というほど分かるって。
森岡:事実婚というカテゴリーはどうなっているのか。ヨーロッパでは事実婚が大きな位置を占めている。
森岡:婚活とか言われているが、法律婚にすぐ結びつくのは危険。男女の関係、いっしょに生活をする観点から考えれば法律婚だけが結婚ではないはず。法律婚一種類を前提にすることが少しおかしい。もっと多様な結婚形態があるべき。
法律婚とか待ってるから少子化とかするんだよ。もっと婚外カップルやその他のパターンの婚外子を想定すべきだよなあ。そんで授かったもんは全部有難く育てればいい。産む人と育てる人が別でもいいよね。養子制度がもっと普通になってさ。
森岡:「草食系男子の恋愛学」は恋愛のススメではない。今の社会は「恋愛しなればならない」という言説が振りまかれすぎている。その言説によって苦しんでいる男女がたくさんいる。それは問題で、「恋愛しなければ一人前じゃないというのは嘘だ」というのは前提として・・。
森岡:私の若い頃はモテず、好きな女性からは必ずフラれていた。それでも恋愛したかった。肉体的な欲求もあったが、もっとメルヘンチックな感じの欲求があった。
どうでもいいけど非モテとか草食系男子(予備軍)とかは非モテ同士でくっついて慰め合って、必要ならセックスもそこですればいいのに。お互いに一番よく分かってるじゃんね。メルヘンチックな欲求も劣等感も。そんなもん他人に向けんなよ。
森岡:それは微妙で・・。世界的に見ても「男たるもの、マッチョたれ」という言説があふれてて、「草食系でもいい」というメッセージはあまりない。だから私はそういうメッセージを投げたかった。
森岡:僕の場合草食系だったけど、モテるためには肉食系にならなけばならないと思って、筋トレしたり、マッチョに付き合ったりしたんだけど、結局アイデンティティークライシスに陥った。
読めば読むほど自分(達)で完結すべきで、他人を巻き込むなよと思うんだが。森岡はストレートに先輩非モテから後輩非モテへのメッセージだけしてればよかったのに。なんでそこで女を介さないといけなかったのかね。対象にされた方は気分悪いよね。
森岡:私の場合は思春期の頃、自分が男として生まれてきた事がどうしても肯定できなかった。今だからその感覚を言語化して考える事ができるが。社会は男にマッチョたれとずっと言って来た。稼げ、戦えとか。それも疑念だったがそれとは別に、男は汚いと思っていた。すね毛は生えてくるし夢精はするし、肯定できなかった。
宮台:僕もまったく同じで、自分が女の子だったらよかったのになと思っていた。小学校の頃、女の子とよく戯れていて、男子中高で女の子と接しなくなって、大学に入ったらショックを受けた。合同サークルの女の子達は男に色目を使う性的な汚い存在だった。
再び女の子になりたい発言。しかしこの発言、この2人の対比がよく出てるな。どっちかというと森岡氏の方が付き合いにくそうな。こういう思考が内に篭るような、なんかあると全部自己に帰着させちゃうタイプの人は扱いにくい(哲学者なんで本業のためにはいいんだろうけど)。女なんて汚ねーとか言って外に出してしまう方がまだ健全な気はする。
森岡:社会は男の子はかくあるべし、と言って来たし、いつのまにか女の子もそれを内面化してたのかもしれない。僕は今でも女の子が2人で手を繋いで歩いてるとこ見ていいなぁと思う。男同士じゃ出来ない。
そんなこと言わないで非モテ同士で手をつないで歩けば世の中も平和になるのに。その代わりこっちも一切の男性性を求めないから。
宮台:デートレイプの話ですが、今は彼氏彼女がいてもメルトモがいたりする。束縛男の場合、疑心暗鬼になって相手の携帯を見る。30分おきに居場所を報告させる。自分がいるところの写メを送らせる。そんな監視状態に置かれた女の子がどんどん増えている。それは暴力的で、女の子開放してあげたいと思うし、男の子も不自由だと思う。監視を承認の代替物として受け取っている。そんな男の子にどう言えばいいのか。
いや宮台それはちょっとレア事例すぎだよ。それになんでこれがデートレイプなんだ?いくらなんでも言葉を軽く使いすぎじゃないの。
ステージ(笑)。前後で言ってることは間違っちゃいないけど、それ以上に、こういうことを高いだの低いだので発想するのがそもそも「ステージが低い」わ。陳腐過ぎて眩暈がする。このひとホントに言論人かね。想定読者を意識して意図的に言ってるんだとしても、読者を馬鹿にし過ぎな印象。
しかしこの引用しながら偉そうに言いたいこと吐くid:**********メソッド(各自好きなidを入れてお楽しみください)ってうざいな。我ながらキモいものを書いてしまった。
はてブを見たら、追記をしておく必要を感じたので。
この記事を書いた自分は、射精や男の体そのものが汚いとは全く思わない。しかし「思春期の男子が」「射精をする自分は汚い」と思う、そう思ってしまう子が一定数いるのは無理もないと思う。そして自分の欲望を汚いと思いながらそれを向けるとき、向けられる側としてはどうしようもないということ。欲望を持つ側がそれを汚い欲望だと思えば「汚い欲望を喚起する汚いわたし」になるし、そう思わなければならないで済む。
ほってんとり経由で
http://blog.livedoor.jp/news2chplus/archives/51283909.html
火の鳥じゃね?
ロビタ?チヒロ?
大事故で手術の後、人間が人間に見えなくて作業ロボットが唯一人間らしく見えたほうはチヒロだっけか?
ロビタはムーピーと心中してロボットになったエリートの後日談だったような・・・
イノセンスにも似てる?
もしくはSACのささやかな反乱。
この原則を守りつつロボットの尊厳らしきものを守る行動が自殺。
ロビタでも、イノセンスでも。
チヒロのケースは忘れた、SACの3話はマスターの命令に背いて犯罪行為を止めたんだっけ。
イブの時間も2話のラスト付近でロボットの個性がどうのこうのというネタになっていたから、個性の果てに自殺するのかなぁ
イノセンスもロビタも中身は人間から・・・というケースだったからイブの時間でもゴースト元があるとかだと内容的にヤバイネww
人工知能は高度演算処理プログラムじゃなく、ネットワークの海で生まれた人形使いであってほしいな・・・シナプス的に(で増田が人工知能の日記となるとwww)
いやね、嫁と「スカイ・クロラ」行ったわけですよ。昭島のMOVIXにね。
そしたら、となりが若い娘の二人連れでポップコーンとか食ってるわけですよ。
「押井映画見ながら物食うな」とチャーチルも言ってるでしょう。
もう、檄怒ですよ。
押井映画っていったら、それこそクラシック聞くようなもんで、物音ひとつ立てずに、咳払いも楽章間でしかしちゃいけんわけですよ。
すなわち、はじまったらさいごまで、まんじりともせず、まばたきひとつせずにいるべきなんですよ。
普段、クラシックのコンサートで、となりのオヤジが指揮したり、鼻歌うたっても気が弱くて、注意もできない私ですが、今日ばかりははじまってからもボリボリやりやがったら絶対注意するき満々でした。
でもね、始まったらのっけからの押井ワールドに、修行僧のような集中力が発動し、娘のボリ音なんか全く気になりませんでしたよ。
あっとういうまの2時間。
「イノセンス」と「立喰師列伝」でやりたいほうだいやったから、かなりわかりやすい話になってるし、ましてや、押井映画で泣くとは思いませんでした。
エンドロールがはじまる直前のシークエンスもすばらしく、最後の静寂は、まるでマーラーの交響曲第9番が終わったあとの永遠の寂寞のようで、私の頭の中に美しい「無の和音」を響かせていました。(すいません、意味不明で。つまり、劇場内、まさに水を打ったような静けさですた。)
ほんと、終演後は思わず拍手をしそうになったし、心から生きていてよかった、この映画を見れてよかったと思いました。
空はどこまでも蒼く、犬は可愛い。世はすべてこともなし。
あと、信者なら大丈夫だと思うけど、エンドロール終わるまで席たつなよ。
後悔するぞ。
付記
私は押井中道リベラル原理主義者なので、右派の人みたく、加瀬某がどうとか、菊池某の演技がどうとか、そういう瑣末なことでは怒らないのです。
私にとってこの映画は、完全無欠です。
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今、自分のブログをスクラッチしているので、こちらで。→2008/9/28 スクラッチ完了!BLACK-OUT.CSS公式ページ
作りました
要は、LynxのようなシンプルWebに世界がなればいいのになと思っている方。
そして、どんなサイトでも目線は左右に動かしたくない!スクロールは上下だけで済ませたい!
と、強く考えておられる方むけの情報です。
私はテキストブラウザのLynxを時々使っているのですが、これでサイトを見るとシンプルに見れるのですごく良いんですよね。
ただ、LynxはFlashとか画像が見れないし、マウスが使えないのはいざって時にちょっと不便。
で、Firefoxをテキストブラウザ化できないかなあと、ふと思いまして、思いつきで作ってしまいました。
私めもwebデザイナーやっとるんですが、上記のように、昨今のwebデザインなんて普段はなくていいって思っている奴でして。
仕事じゃ3カラムのサイトとか作りますが自分はそんなん好きじゃないです。色がサイトごとに違うってのも理解できない。
必要なのは情報であってデザイナーのデザインなんてどうでもいいんですよ。
そんな訳で、どんなサイトでもテキストブラウザ状態で閲覧できるFirefox用の拡張cssを作りました(やっつけだけど)。
ただ、ニュースサイトで画像が見れないと困る時もあるので、普段は小さなサムネイルで、カーソルを合わせた時だけ大きく表示されるようにしています。
@このcssはコンセプト実証モデルです。思いつきで作ってるのでちょっと問題もあります。フィードバックとか意見など頂けると嬉しいかも。
@将来的には、グリモンでjsも組み合わせてもっとコンソールのような感覚でブラウジングできるようにしたい
@(参考用)私のよく見るサイト・・・ニコ動、wikipedia、スラッシュドットジャパン、2nn.jp(2ch)、mixi、はてなでホッテントリに上がっているブログ各種
ちなみに、こんなん使うな、既にこんないいのあるわいってのをご存知の方は教えてくれると嬉しいです。
それなりに探したのだけど、見当たらなくて・・・だから自作したので。
/* * ---------------------------- * black-out.css * author zamamin.com * build 2008.8.09 15:03 * version 0.0.31 * fix @namespaceを書いてなかったので追加 * ---------------------------- * */ @namespace url(http://www.w3.org/1999/xhtml); /* 全てのエレメントをリセット */ body,body * { background-image:none !important; background-color:#000 !important; border-color:#333 !important; text-decoration:none !important; color:#aaa !important; /*<- テキスト色 */ font-size:16px !important; /*<- 文字サイズ */ font-weight:normal !important; padding:0.15em !important; margin:0 !important; line-height:1.25em !important; text-align:left !important; text-indent:0 !important; font-family:Arial,Helvetica,Verdana,'ヒラギノ角ゴPro W3','Hiragino Kaku Gothic Pro',Osaka,'メイリオ',Meiryo,'MS Pゴシック',sans-serif !important; float:none !important; clear:both !important; position:relative !important; width:auto !important; height:auto !important; } body { background-color:#000 !important; padding:0.5em !important; } body * p, body * div, body * h1, body * h2, body * h3, body * h4, body * h5, body * h6{ margin-bottom:0.3em !important; float:left !important; clear:both !important; } /* リンク色 */ body * a, body * a *{ color:#a50 !important; } /* アクセス済みのリンク色 */ body * a:visited{ color:#a50 !important; } /* カーソルを合わせた時のリンク色 */ body * a:hover, body * a:hover *{ color:#0aa !important; background-color:#609 !important; } /* 画像は普段は小さくサムネイル表示。鬱陶しいので薄く表示 */ body * img{ opacity:0.3 !important; height:15px !important; width:15px !important; } /* 画像はマウスカーソルもっていけば原寸サイズになる */ body * img:hover{ opacity:0.9 !important; height:auto !important; width:auto !important; } button, input, select, option, textarea{ color:#f00 !important; padding:0.05em !important; height:auto !important; } /* テーブルのスタイル */ table{ border:none; } table td, table th{ border:none; border-right:1px dashed #999 !important; border-bottom:1px dashed #999 !important; } /* for 2ch(暫定) */ body * dt{ font-weight:bold !important; } /* 二コ動 */ embed#flvplayer{ height:540px !important; width:952px !important; }
エンタな作りだったし、非常に良かった。途中で寝なかったw
ポニョがアドリブの固まりなら、こちらはまるで推理小説の様に理屈で綿密に
構築されている様な作りだ。
イノセンスは、世界に広がりがなく、小さな事件で終わってしまってがっかり、
みたいな部分があったが、今回は違う。舞台装置たる世界設定が良く
できているというか、世界(認識)に対する説明自体が、「推理小説を解くように」
CGと手書きアニメのギャップは相変わらず。いや、さらにギャップが大きくなって
いる。具体的には、CG中心の時は実写的なカメラワークを使っている。チャレンジ
としては面白いかも知れないが、正直まだこなれていない/未完成感はあった。
ヒロインの最後の笑顔は、なるほど、そうやって人は年を取っていくのか、という感じ
だった。パンフまで買ってしまった。(ポニョは買わなかったんだが)
興味のある方は映画館で見るべきだと思う。
まあ、どのくらいの数のちょいケルオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかしちょいケルの童貞臭さを肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないちょいケルの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アニメのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「the most relaxing feel」「iamge」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うイベント、「芸能山城組ケチャまつり」「Sound Horizon Live Tour - 領土拡大遠征」などの参加は避けたい。
あと、いくらちょいケル的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
ちょいケル好きが『JVC WORLD SOUNDS』もちょいケルだ!と言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ちょいケル知識はいわゆる「テレビまんがから流れてくる劇伴」を除けば、菅野よう子程度は聞いている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「Enya以前」を濃縮しきっていて、「Enya以後」を決定づけたという点では
ただ、ここで「Enyaの姉がClannadというアイリッシュ・トラッドグループに参加して……」と言ってしまうと、「エロゲーオタ超キモイ!」と彼女との関係が崩れるかも。
この多重録音過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の癒しポイントを彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力(ニューエイジ臭くなりがちなちょいケル暗黒部をできるだけスルーするという意味合いにおいて)」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなヒーリングミュージック(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ちょいケルオタとしてはこの二つは“音楽”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のちょいケルオタが持ってる自然への憧憬と、エリック・ムーケとミシェル・サンチェーズのオタ的なサンプリングへのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもDeep Forestな
の二要素をはじめとして、オタ好きのする要素を音楽にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「Hallucinogenだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、このアルバムに収録されていた「Divine Moments Of Truth」がFlash作品となって大人気になったこと、
アメリカなら亜流が大量に発生して、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
ちょいケル界隈でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりちょいケルはアニメによく収録されているよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「地球少女アルジュナ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける原の思いが好きだから。
ガムラン使いてーと言ってAKIRAで先につかわれくそー!と思ってもアルバムに収録されている「逃走」で使っちゃうっていう所が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
クゥの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
宮崎アニメの久石譲だったらきっちり自分の音楽の枠内にしあげてしまうだろうとも思う。
なのに、若草恵に頭下げて東南アジアの楽器を取り入れた劇伴を作らせてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ原がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今のちょいケル若年層で生のそのままのブルガリアン・ヴォイスを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
菅野よう子よりも前の段階で、ちょいケルの哲学とか女性ヴォイス技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品が民俗音楽として大昔にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくちょいケル好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる「Zone of the Enders Beyond the Bounds - Theme from Anubis」でしかブルガリアン・ヴォイスを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
KOKIAの「声」あるいは「歌詞づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない祭を毎日生きる」的な感覚がちょいケルオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそテイルズ オブ イノセンスの主題歌はKOKIAや姫神以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というちょいケルオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「ちょいケルオタの気分」の
源はKOKIAなどの女性ヴォイスにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。彼女がカネダーテツオーと騒ぎ出すか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうむき出しのエスニックミュージックをこういうかたちでアニメ劇伴音楽化して、それが非オタに受け入れられるか
ナカマーハシルーを誘発するか、というのを見てみたい。
サンホラとかルルティアくせーハルヒのキャラソンとかあればゲラゲラ笑いながら聞きてーなぁ。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。