いつか内部告発してほしい
高齢者の暴走が世間を騒がせてる。オレも今日、直進が黄色から赤になりかけ右折時間になりかかる瞬間に、直進で突っ込んできた対向の軽自動車を見たとき「危ねえな」と思った瞬間相手ドライバーを確認してた。婆さんだった。ウンザリする。高齢者が暴走してたから? 違う。「暴走してたから高齢者なんじゃないか」と自分が心の中で予断を持っていたことに対してだよ。相手の顔を見て「やっぱり」と一瞬思ってしまったことに対してだよ。
言うまでもなく、若いドライバーだって暴走する。中年ドライバーだって暴走する。デブのドライバーなんて運転中に心筋梗塞起こすかも知れねえ。運転に自信があるドライバーなんて最悪だ。周りが全員下手に見えて始終イライラ運転する。社会的地位の高い連中もたちが悪い。周囲が自分に譲って当然だと思ってるから、運転が尊大で危険な存在だ。昔ならセンチュリー、今ならプリウス。運転下手な車種の代名詞だ。廃版にしたほうがいい。スポーツカーなんて存在価値がない。ただただ暴走するための存在だ。購入者にはバカほど高い保険を義務付け、些細な違反にも罰を重くしようじゃないか。誰もかれもが、暴走予備軍だといえるだろう。
…でもな。実際に暴走して叩かれるのは、高齢者だけだ。若いドライバーが、中年が、デブが、運転に自信のあるドライバーが、地位の高いやつが、センチュリーやプリウス乗りが暴走しても、その属性自体が攻撃されたりはしない。属性持ち全体が批判に晒されたりはしない。どれをとってもの「高齢者という属性」と同じくらい有意に暴走との相関があるだろうに、誰も、「あいつらから免許を取り上げろ」とは言わない。おかしくねえか?
分かっている。高齢者が、判断力や反射神経が衰えた結果、事故の原因となりやすいということは。そこを否定したいわけではないんだ。ただ、昨今の報道が、事故の原因を「高齢者」という属性に起因させようとし過ぎているのがフェアじゃないと感じるって話なんだ。「高齢者は危険な存在」って話の持って行き方が、あまりにも誘導臭くて危険に感じるんだ。それが、自動運転車を普及させたい自動車会社と国の隠れた共同キャンペーンであり、実際そこにあるのがあくまで「善意」であると仮定しても…(そして自動運転社会が早く到来してほしいと思うオレにとって、大変都合の良い世論が形成されつつあるとしても)…それでも、そのように特定の属性について安易にその権利を制限する(免許を返納させろ!という空気を形成する)ことには、もっと慎重であるべきだと思う。そんな簡単に、人の権利を取り上げないでほしい。充分に慎重で善良でしかも生活に車が必要な高齢ドライバーに、やたらとプレッシャーを与え後ろめたい気持ちを感じさせないでほしい。
思慮の足りない若者が運転していいなら、反射神経が衰えた老人だって運転していいはずなのだ。こういうと、「お前は高齢者の暴走で家族を殺されても恨まないのか」とか言う奴がいる。馬鹿じゃね? そんなん恨むに決まってんだろ。相手をぶっ殺したいと思うだろーな。でも、それは相手が高齢者でも若者でもデブでもなんでも同じだ。そして、それはあくまで「ソイツ個人の問題」であって、その属性の問題とはしない、程度の理性は保っておきたいと思う。この社会は車の運転を一般人に許容しその利便性を享受する半面として、そこから生じる被害をリスクとしてすでに計上しているんだ。俺たちはすでにカードゲームを楽しんでいて、お互いにジョーカーを押し付けあって、自分だけは「アガリ」を引こうとしてる。だが、一定のリスクがある以上誰かが最後にジョーカーを引く。それはゲームの一部だ。ジョーカーを引いてから文句を言ってもしょうがない。最後に泣く奴が出るのをあくまで防ぎたければ、この車社会と言うゲーム自体を変えるしか無い。そしてそのための方法なら、オレたちはすでに手にしているのだ。
だから報道は、センセーショナルな高齢者バッシングよりも、素直に自動運転車の実証実験、早期推進キャンペーンやろうぜ。その方が確実に、社会を幸福にすると思うんだけどな。
ほんこれ
マジ無理
親戚だからってお風呂を任せるとか性的に消費させること絶対にしないのに
ロリ趣味がバレて罵倒されると被害者コスプレして権利主張とか何様?
本当に迷惑だしアリエナイ
研究用品を探しているのだが、買収と統合が進んで、生産終了になった製品が多い。
後続製品が出ていたり、規格が変わってしまってもう誰も使わないといった類であればいいのだが、
Amazonにいけば3000円以下の物は増えているように思う。
対GDP比で研究費は多い日本ではあるが、世界的に物の値段が上がっていて輸入にお金がかかっているだけになっているのではないか。
日本の国家プロジェクトは失敗するというが、企業が取れないリスクを取るのが国家プロジェクトなのだから当たり前だ。
その中で失敗しないようにどうするか、性別や年齢などに執着するのを辞め、成功するためのリソースを何としても確保する。
その中で人材育成もされる。
https://mainichi.jp/articles/20190517/mog/00m/040/008000c
見城徹は紀伊国屋パブラインのヘビーユーザーだから、他社の出版物の売上がわかることも当たり前で、実売数はオープンデータだと思っているんじゃないだろうか。
全国各地の拠点に店舗を出している紀伊國屋さんの前日のデータが翌日に見られる、こんなすごいことはない。また、私以上に見城もそう思ったものですから、とにかく、PubLine データに日々かじりつくことになりました。回収した売行きデータよりも、PubLine を見て判断をしていく、というように変わったと思います。慌ただしかった月曜日がなくなり、楽になったと思っていたのですが、それはある意味試練の始まりでもありました。毎朝出社と同時に見城から会社に電話がかかってくるので、1 点 1 点売上の状況を説明するために、頭をクリアにして臨まねばならない。
また、先ほども長渕さんがおっしゃっていたように、他社のデータを見られるという機能がありますので、それも頭にいれておかねばならない。他社が真剣に売っている本を全く把握していないではないか、とよく朝からボコボコに怒られていました。
さらに、当時の PubLine は設置型の端末だったので、会社に行かないと数字が見ることができない。土日も、当時上司だった米原(一穂)と会社に行って、朝一で見城の電話を待つという日々でした。それがさらに盆、暮、正月となってくると、さすがにきつくなってきたので、その後は PubLine 当番なるものを設けて、営業部員で交代して対応していました。そこでまた少し楽になったというのもつかの間、今度は PubLine が web サービスになってパソコンがあればどこからでも見られるようになり、さらにリアルタイムでデータが見られるということになりました。今は、朝の 8 時から夜中の 12 時まで常に緊張の日々です。おかげさまで創業当初は週に 1 度の重版会議を行っていましたが、今は 365 日毎日です。とにかくスピード感をもって判断できるので、私たち幻冬舎は PubLine という装置を大変重宝させてもらっています。
https://publine.kinokuniya.co.jp/publine/pages/contents/publine_seminar_2015.pdf
この講演録に幻冬舎の新刊企画書が載っているが、「PL実数」という欄がある。パブラインの実売数を記入するのだ。
パブラインの数字を見ることで、その著者が過去に(他の出版社から)出していた本の実売数は筒抜けで、「あの作家は売れない」ということが分かってしまい、新たな本の企画が却下されるという話は幻冬舎に限らず他の出版社でも聞く。
それでも編集者の熱意や出版人としての判断で刊行に踏み切ることも当然ある。津原泰水氏の本が実際に出版されているわけで、見城徹が「編集担当者がどれだけの情熱で会社を説得し、出版に漕ぎ着けているか〜」と書いたのもまた事実なのだ。
「日本国紀」を攻撃されて文庫化を中止した経緯から出た発言ではあるが、「あの作家は売れない」という情報を、機密ではなく攻撃でもないと考えていた可能性は高い。
租チンと罵られても興奮する性癖に目覚めるんだ
租チンと罵られても興奮する性癖に目覚めるんだ