はてなキーワード: 阪神大震災とは
スペイン風邪 15歳
太平洋戦争開戦 38歳
終戦 42歳
東京オリンピック 61歳
大阪万博 67歳
オイルショック 70歳
2000年 97歳
東日本大震災 108歳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E3%82%AB%E5%AD%90
団塊ジュニアで氷河期世代。同世代の人口が多いから受験も就職も競争が激しくて大変だった。大学を卒業して就職する頃は、山一証券とか北海道拓殖銀行とかが破たんして、景気が悪く大恐慌寸前みたいな雰囲気だった。思い返してみるとその数年前の阪神大震災とかオウム事件とかから、世の中が悪くなっていくカウントダウンが始まっていたような気がする。
社会人になってからは必死に働いた。新卒で入社した会社の同期達とは仲良かったけど、上からは、使えない奴はいらない、仕事できないのは干す、というプレッシャーをひしひしと感じていた。同世代の人数が多いものだから、上の世代からすると、いくらでも取り換えが効く、使い捨てにすればいい、という感覚だったのだろう。捨てられないためには必死に働くしかなかった。
20代半ばで結婚したけど、仕事は忙しいし、将来の見通しも立たないから子供を作ろうという気にはならなかった。家族の生活に責任を持つ自信が持てなかったのだと思う。その後、何度か転職して、気が付いたら20年経って、40代後半に突入してしまった。非常に運がよかったので、今は平均よりも数倍高い給料をもらっている。ただ、この立場も安泰なものではなくて、常に不安はある。
この歳になり、ふと我が身を振り返ってみると、友達が1人もいなくなっていた。コミュ障でもともと友達は少なかったが、自分の時間やマインドシェアを仕事に全振りして、交友関係を維持する努力を怠っていたのだから当然だろう。大した趣味もなく、勤務先以外には所属コミュニティが1つもない。休日はジムに行って1人で黙々と筋トレして、黙々と泳いで帰ってくる。コミュ障なので、ジムで他の常連さんに声をかけることもできない。幸い、妻とは仲が良く、出かけた際には年甲斐もなく手をつないで歩いたりする。
今最も後悔しているのは子供をつくらなかったこと。ふとした瞬間に、俺には子孫がいないのだなということを認識すると、ものすごい喪失感と絶望が込み上げてくる。結婚までは勢いでしてしまったのだから、何でそのまま勢いで子供を作らなかったのか、あと少しの思い切りと勇気が無かったのか、すごく後悔している。
阪神大震災とは、世界中のダム地震と同じく、山を削って住宅地にして、その土砂を使って人工島を二つも作り、淡路島から渦潮のど真ん中に目釘を置いて行き、瀬戸内海と太平洋の海流を邪魔すると、あ~ら不思議、岩盤が割れて新しい活断層が出来て、淡路島から宝塚に至るまで、800ガルを超える浅い震源での直下型大地震が起こり、既存の土地の木造住宅が倒壊して、7000人の貧困層とか若年低所得者とか高齢者が木造アパートに住んでるのを全員計画的に抹殺しましたと言う人災。
熊本の震度7の大地震と言うのは、トヨタとかホンダなど世界中の中心となる基幹工場を九州に建設し、東南海地震の心配がある危なっかしくて手狭な中部地方から、企業城下町ごと九州に移転させて、稼働するところまで行ったのに、建設地震で全て崩壊して、基幹工場移転計画までおじゃんになったバカ丸出しの人災。
阿蘇山の溶岩ドームを割って、中央構造体と言う九州から和歌山に至る日本最大の活断層沿いに震源が移動して行き、日本滅亡フラグが立って大爆笑。もし東南海地震が起こるか阿蘇山が終局噴火すると、富士山の600倍のエネルギーで日本が滅亡し、7300年前に終局噴火した九州南方の海底火山、鬼界カルデラが(富士山の400倍)噴火した時以上の破滅がもたらされる。
当時山口県まで火砕流が到達して、勿論九州全滅で焼けただれて窒息死、縄文時代の栗の木などを中心とした集落とか、東北まであった巨木信仰の集落がすべて消え失せ、太陽である天照大神がお隠れになると言う伝説が残り、相撲の神とされるタジカラオ神が岩戸を投げたという伝承通り、長野県や奈良県まで巨大な噴石が大気圏を突破して飛び、今も天岩戸神社として信仰されている。
三渓ダムを建設した時のダム地震は、四川省大地震と、多分アンダマン海で起きたマグニチュード9.1の地震で、インドネシアやインド洋に面するアフリカまで到達する大津波で、数万人の犠牲者を出して、衝撃波が地球を三周した大地震。
三国志でも、「諸葛孔明もまた書生であった、寒い漢中では暖かい南方から持ち込んだ麦は穂を付けなかったのだ」のと同じく、自然のしっぺ返しを一切考えない書生で子供の戯言。
一番酷いのはカタログスペックだけ眺めてこたつ記事でYoutubeチャンネル作ってる奴
大抵がハウスメーカー批判だけしてて「工務店で十分」とかいう感じなんだけど
住宅をカタログスペックで買う奴いるんかな?最近はいるのかな?
例えば耐震性って耐震等級ってのがあるんだけどマックスの3って今時当たり前なんだよね
こういう知識ってちょっと住宅を検討したら嫌でも知ることになるんだけどYoutuberで知らない人結構いる
地震後の壁のひび割れとか補修がいかに少なく済むか、っていうレベルで競ってる
ちなみに「実大実験を何回やっても半壊すらしませんでした!」とかもはや嘘っぱちだからやってない
実大実験って間取りとか窓の大きさとかほぼ無視で建てるから実態に即してない
阪神大震災の10倍を10回やっても倒れませんでした!とか、どうでもいいから。
そもそも倒れないし、事実新築の家ってほとんど倒れてないから。
他にも断熱性能とか気密性能とかも性能数値があるんだけど
これの0.1とかを競っても意味が無くて大手メーカーはほぼ公表してない
間取りとか窓の大きさで断熱とか気密ってかなり変わるから性能数値ってほぼ意味ない
ある程度満たしてたら施主の希望を叶える方(窓大きくとかリビング広くとか)が満足度は高い
自分語りしかしないから、自分の人生の時間無駄にしたくない奴もここでバイバイしてくれ。
あと自分自身何聞いても何も行動を変容させられないって理解してるから、そういう奴もいるんだな程度に聞いて欲しい。
俺は小学生のとき親に6年制大学に入れって言われて生きてきた。
親の期待に応えるために小学生の頃から週6塾行って、進研ゼ〇の通信講座も受けてるって感じの生活だった。
ここまででわかる通り、俺の父親は結構良い稼ぎで母親は専業主婦。
一般的に見れば、今時そんな家庭あるんだなってくらいのまあまあ裕福な家庭だと思う。俺の兄弟が流産で死んでるってこともあって俺への期待は相当なものだった。
めちゃくちゃ贅沢な話だけど、俺はそうやって進路を固定されてただ塾へ通う生活が嫌でたまらなくて、小6で自死を考えるようになった。
勉強が嫌いだったんだよな。周りの友達が楽しくデュエマやってる中、一人塾行くのにチャリンコ漕いでるのが惨めに思えた。毎日泣いてた。俺もデュエマやりたかったし、モンハン3rdみんなとやりたかった。
自殺できる奴ってすげーよな。ニュースになる度に尊敬してる。痛いの怖いし。親を殺したって話も、俺にはやりたくてもできなかったから本当に凄いことだなって思う。俺は死ぬ度胸もなくて、周りの大人や友達に助けられながら中学受験を乗り越えた。
そうしてまた凄惨な毎日が、なんてことはなく、そこから俺は幸せな毎日を過ごすことになる。中学生になってすぐ、口から出す言葉は「死にたい」しかなかった俺にも優しくしてくれる人はいっぱいいて、いつのまにか普通に生きれるくらいにメンタルが持ち直してた。
どうしていじめられなかったんだろうって今でも不思議だ。本当に優しい子ばっかりだったんだと思う。
でも、毎日楽しく生きているはずなのに、俺は心の底では死にたいって気持ちが消えなかったんだ。正確には、生きていなくて良いなって感じかな。特別うおおお!今から死ぬぜ!!!!っていう気持ちがあるわけじゃなくて、機会があったら死にたいですね、くらいの。軽い死にたい。
なんでなのかわかる人いる? というか、一回死にたいと思って心折れたら、一生この死にたいという気持ち(いつでも死ねる、死がそばにある感覚)って消えないもんなの? ちょっと詳しいこと分からないけど、俺はそのまま生きてる。
話を戻して、そこから粛々と勉強して受験して大学入った。そこそこ辛い受験勉強だったけど、小学生の時に比べたらそんなでもなくて、いや勿論強く死にたいと思うこともあった。あったけど、3日に1日死にたいと思うってくらいで自分からしたらそんな辛くなかった。
そんではっきり言ってマジで幸せな日々を過ごした。とんでもなく幸せな時間をずーーーーっと過ごしてる。今も現在進行形で。
ネットで同人活動をやってたんだけど、大学生になって本出して「好きです」って言ってもらえて、本当に嬉しくて。今は同人活動やりつつも隠居って感じで、毎日ネットの友達とヴァロかlolやってる。リアルもまあ充実してる。あー幸せだなって思う。
けど、今は「もう人生満足したから死にたい」って思ってるんだ。す〜〜〜〜ごい満足してる。もう過不足ないんだ。
リア友もネットの友達もいて、大学通ってて、俺は嫌だけど一般的に見たらイイ親がいて、家に金があって不自由ない生活を送ってて、本当に幸せな毎日を過ごしてる。
6年制大学って試験が辛いんだよ。今も辛いんだけど、その先に国家試験ってのがあるんだよな。きっとそれって小学生の時のあの受験以上に辛い世界になると思うんだよ。周りのみんなはそれなりの志があって、立派で、頑張ってて、親のためにって理由でここに入った俺からしたら眩しすぎるんだ。そんな人たちでさえ国試辛いって口を揃えていってる。俺はきっと耐えられない、今度こそ。
だから、人生に満足して、最高ハッピーな今死にたいんだ。めちゃくちゃ死にたい。安楽死制度できないかな(いやわかる。終末医療患者ならまだしも健康な人の安楽死なんて働き口死なすだけで政府に一切メリットないし、色々な問題が付随して起こるだけってことはよく理解してる。現実にできるとは思ってない。でも欲しいと思ってしまうんだよな)
「将来のことじゃん。その時になって悲観しろよ」
わかる。俺もそう思う。こうやってうだうだ将来の来るかもしれない苦難に頭を悩ませるって馬鹿だよな。明日南海トラフが来るかも!!って言いながら失禁してるのと同じレベルなんだよな、俺がやってることって。ウケるよね、笑っちゃうよな。
でもさ、一回阪神大震災とか3.11経験した人がそうなってたら笑えなくないか。もう一回経験してるんだ、その辛さを。そして地震みたいに来るかも、じゃなくて100%来ることなんだ。俺は怖い。
「そんなに悩むんだったら大学辞めれば?」
わかる。俺もそう思う。でも、俺は両親の期待を裏切るのが怖いんだ。臆病だから。今まで一回も親に反抗したことないんだよな。両親が少し人様よりヒステリックだったし、もう豆腐みたいなメンタルを小学生の頃から抱えてた俺は親と衝突する元気すらなかったんだ。布団の中で泣くしかできなかった。あとノートに両親への呪詛書くことくらい。本当に笑って欲しい。二十歳超えて親に怯えてるんだ。
今はちょっと思う。どこかで失敗していたら。もし自殺未遂をしてそれを親に見つかっていたら、塾をサボっていたら、中学受験に失敗していたら、中学の特待を取り落としていたら、高校で3年間オール5を取らなかったら、大学受験に失敗していたら、どこかで親を落胆させる経験をしていたら、俺はきっと今のように身動き取れなくなってなかったんじゃないかって。
まあ多分実際そうなってたら親に産まなきゃ良かったとか言われて、絶望して死んでたと思うけど。それもそれで衝動で死ねて楽だったんじゃないかって思うんだ。
「贅沢な悩みだな、死ねよ」
わかる。マジで俺もそう思う。金も友達も環境も全てがあって、あとは俺が勉強頑張るって思うだけで大団円なんだ。本当にクソだな、本当にクソ。
たださ、ブラジルの子どもが腐ったパイナップルを食べて言う美味しいと、金持ちのご子息がキャビア食って美味しいって言うの、差があるのかな。どちらの方がおいしいと感じてるのかな。
俺は多分どっちも変わらないじゃんって思ってる。ブラジルの子は一般の美味しいものを知らないから、腐ったパイナップルの美味しさをめちゃくちゃ美味しいハッピーって感じるだろう。もちろんキャビアも美味しい。そこに差はないって思ってる。
けど違うんだよな。ごめんな。(詳しく知りたい人は消費税/所得税あたりの話を検索するとコレ出てくると思う。関係はないけど)
俺はこの例えで言うキャビア側だ。もちろんクズっていうのは本当に俺もそう思う。
これから今までの話関係ないクソなこと言うから、鬱病の人本当にごめん。匿名サービスでこれ言うの卑怯だし人類のクズだし罵って欲しい。
鬱病って診断されたら、俺は報われるのになって最近ずっと考えてる。
鬱病だから誰かに優しくして欲しいって思ってるわけじゃなくて、鬱病というステを使いたいわけでもなくて、鬱だと診断されることで俺が今まで生きてきた努力が肯定される気がするんだ。俺はもう頑張ったなって思いたい。いや、全然頑張れてないんだよ。頑張れてないからこうやってうだうだしてんだけど。もうちょっと頑張れよ俺。なんで勉強嫌いだなんて思うんだよ。
鬱病の人、羨ましいとか思ってごめんな。本当にごめん。現実では絶対に口に出さないから。本当にごめん。
「ここまで読んできたけど、結局未来の辛いことが原因で死にたいだけであって、満足してるから死にたいわけではなくない?」
俺もそうかなって思ってたんだけど、俺幸せを感じるたびに死にたいって思うんだよね。幸せなのが怖くて。いつこの幸せがなくなるのかと思ってずっとビクビクしてるの。
じゃあこれから先絶対幸せなことしかありません!って未来は100ないじゃん。たとえばここで大学辞めて適当なとこに就職しましたってなって、そこでも絶対に辛いことはある。努力しなきゃ生きていけないじゃん。生きるって努力するってことじゃん。
俺は努力して生きてないよっていうやつも、絶対に疲れたとか怠いとかそういう気持ちを押し留めて生きてるんよ。みんな本当に偉い。俺はもうどんな些細な苦痛も耐えられない。メンタルが豆腐どころか空気。生きてること自体が苦痛。もう幸せだから、満足したから、死なせて欲しい。
たとえば神様にもう一回人生やる?って聞かれたら、俺はやらないって応える。たくさんの幸せがあったけど、辛いこともあった。
その比率はきっと人様々で、大きな苦痛ばかりの人生の中の小さな幸せを金塊と感じて、もう一度生きたいと思う人もいると思う。ただ俺はたくさんの幸せの中の小さな苦痛が水瓶に垂らされた毒に感じるんだ。
本当にそう思う。ここまで見てくれてありがとう。読んでくれた君の今日が幸せな日であることを祈ってる。
今日のテーマはとても良かった。白饅頭氏は阪神大震災のサバイバーで自分の周りが一変した、そこから大きな影響を受けているって話ね。
今のリベラルの人達、リベラル理解度8、保守理解度2みたいなステータスで保守(リベラル理解度15ー20、保守理解度15-20で保守を支持)みたいな人達を徒党組んで燃やしてる(そして返り討ちに合う)から正直成長ねえ猿だなぁって思ってるんだけど、それも幸せな事だ。
白饅頭氏はなんというか成熟してるけどそれも阪神大震災(だけではないし勿論当人の普段の努力の成果ではあるけど)みたいな理不尽に合っての事。成熟するにはある種試練が必要かはわからんけど助けになるのは事実で、試練には人の死が付き物だ。時たま訪れる理不尽な試練乗り越えられず狂う人もたくさんいる。人に成るのに死人が要るなら、人に成ってない人が多い方が世界はよっぽど良いだろう。
勿論そのような試練は色々な形を変えて今も存在してる。天然の試練と養殖の試練があって、天然の試練は大体人命を伴うんだろう。進撃の巨人の新兵を殴るシーンがわかりやすいかな。面構えから違ってしまっていたし、ただ殴られる程度でその試練はクリアだった。だけどその差は仲間が死に始めるまでずっとあっただろう。今でも受験だの就職だの上下関係だので用意されてはいるけど、結局地獄を見たり人の命を背負う羽目になったりしないとダメなんだ。だからやっぱり、天然物のまともな大人なんていない方が良い。作るのに犠牲を伴うものだから。俺も多分天然物ではないし。
ここでいう試練と同じものかはわからないけど殺しもかなり効くらしい。爺さんが庭から芋虫たくさん取って来て目の前で踏みつぶし始めて、お前もやってみろって。一匹アゲハの幼虫だけ虫かごに入れて2,3匹潰してギブアップした。今は考えがなんとなくわかるし、全部潰すべきだったしアゲハも潰すべきだった。というか害虫(ひいては害獣、人)を分け隔てなく全員殺せるかって試練だっただろうから、ちょっとしか殺せなかった上に一匹一番大事な奴を残した俺は失格だったんだろう。あの時から爺さんはあまり俺に目をくれなくなった。
多分殺すなら人に近いほど良い。虫や魚だと遠い。哺乳類が良い。結局人殺しが一番伝統的かもしれないけど現代だとちょっと俺も許せないかな。それでどんな優秀な奴が生まれても俺は一応リベラルだから。でも自分の視界の外の人たちを見殺しするくらいなら自分で殺したやつの方がマシって考えもあるから結局のところはわからない。
今は家畜殺さんと肉喰えないから家畜殺しはセーフだしやった方が良いんだろうけど、それも許せない気合入った皆さんも居て人口肉作るのに気合入れてる。あれはあれで筋通ってていいと思う。