はてなキーワード: 公共広告機構とは
ごめんごめんお正月三ヶ日までは広瀬すずでいさせてちょんまげ。
まあそんなわけで、
いつまで続くんだよ!って
お餅食べ過ぎ注意よ!
で3学期はじめの始業式にお餅何個食べたぜ!って自慢の嵐になっちゃうわ。
まあそんなことより、
初夢なに見たでおなじみの
今日2日なんだけど、
そんで毎年恒例の初詣は、
近所の神社に行ってきたんだけど、
お参りの人で超長蛇の列よ!
参ってるってレヴェルじゃねーぞ!って言っちゃいそうな
お急ぎの方は正面横2箇所に設置した臨時鈴緒でどうぞ!ってあるのよね。
そっちには全然列をなしてなくて、
神社境内の参道の下の階段からの大勢の参拝客でどうしようかと思ってたけど、
お参りは諦めて境内でも見に行こう!って上がっていったら、
その臨時鈴緒見つけたのね。
最後まで諦めたらそこで試合終了ですよ!って諦めなくてよかったわ、
そんないい加減使い古された、
そんなわけで、
思ったより速くお参りできたから良かったわ。
さすがに鮮魚の港入りはないようで、
鮮魚コーナーは全滅よ!
もう盆と正月が一気にきたような、
私は買わなかったけど。
でもきっとカリフォルニアから逆輸入されたでおなじみのカリフォルニア生まれの和食風味の
ITAWASAにしたらきっと美味しいかもね!そうかもね!って思っちゃったわ。
今年から樹木希林さんのお正月を写す世相テレビCMがもうなくなっちゃってたのも、
さすが女優ねって。
私もそんな風に、
もしくわ、公共広告機構のようになりたいなって。
お参りした時お願いしたわ。
車内でこっそり食べたいわ。
2つ目に食べるお弁当は、
今はじめて食べる1個目のお弁当ですけどってそんな涼しい表情で。
そう崎陽軒ならね。
うふふ。
ピッザトーストで私の心のヒーローにリスペクトしてカワバンガだわ!
2枚平らげちゃった!
みんなも真似していいわよ!
メモってそしてコピっていいわよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
どこの保険会社?医療団体?が馬鹿なこと言ってるの?と思ったら、公共広告機構だった。。。。orz
少子高齢化により労働力の低下が進む現代日本では、ガン患者ですらも働かされる時代がやってきたのだった。
実際の動画
https://www.ad-c.or.jp/campaign/support/support_06.html
「二人に一人が、がんに罹る」といわれる現代は、働きながらがんと共に生きる時代です。がん患者が働くことを「ながらワーカー」というワードに置き換え、相談しながら、話し合いながら、通院しながら、治療しながら働くという、現代のがん治療のスタイルを伝えていきます。
なにが、「ながらワーカー」だよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/zuisho.hatenadiary.jp/entry/2017/08/16/015649
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170816113637
ブコメ含め、脊髄反射でバッシングしている人があまりにも多すぎる。
CMの主人公には問題があるが、CMそのものに問題があるとは思えない。
まず、CMの主人公は、現代の価値観からして屑だと言われても仕方がない。
例えば、公共広告機構がああいったCMを流して炎上するのならまだ理解できる。
あのCMが訴えたいことは、牛乳石鹸の価値の不変性という点に尽きるのではないか。
牛乳石鹸の与えるものは全く変化していないのだということを訴えたいのではないか。
そのような視点で見れば、主人公がいかに屑かということは、まったく本質的な問題ではない。
昭和の頑固親父という存在は、かつては確かに価値があるように思われた。
しかし、現代の家庭にあの頑固親父の価値を持ち込もうとすれば、ご覧の通り、ただの屑だ。
一方、牛乳石鹸という存在の価値は、あらゆるものの価値が変化してしまった今の時代も変わらない。
浴室で牛乳石鹸を使っていた過去を回想し、変わらない価値もあることに気付く。
浴室から出てきた主人公は、少しばかり成長し「さっきはごめんね」と妻に謝罪する。
そして最後のバスのシーンでも、以前よりも穏やかな表情で窓の外を眺めるようになっている。
そういった変わらない価値に触れた主人公の内面的成長を描いたCMではないか。
制作者の意図が読み取れないからバッシングすることにも疑問を感じざるを得ない。
今回の炎上によって、このCMが葬り去られるという流れになってしまったならば、
広告収入で運営してるから、って自分騙すのもそろそろ限界。最近の広告のマナーの悪ささすがにキツい。
会社に言ったところでマナー悪い方が効果いいし、予算も消化できて売上うはうはになるんだから改善は見込めない。今の敵はリテラシー高い広告踏まないユーザーで、あの層をいかに最後まで騙すかって一生懸命考えてるらしい。ネット広告には公共広告機構みたいなのないし、これからもどんどん不快な方向に進化するんだと思う。
でもさ、愛し合ってたら相手に暴行していいわけじゃないし、人事の権限持ってるからってサービスの強要や人権侵害していいわけじゃないだろ。
そういう感じで、広告にも程度ってのがあるんじゃないの。
なんでも度を越したものを許し続けるのは違うと思う。どこで線引きするかは個々の基準によるので人に倣えとは断じて言わんけど。
確か10年ほど前に、ACが「電車はあなたの部屋ではありません」みたいなメッセージを打ち出したCMが流れていた。
部屋でヘッドホンをつけて音楽を大音量で流しながら、ハンバーガーを食べている青年だったが、実は部屋ではなくて電車内でそれをやっていた、という演出。
個々での認識としては以前からそれなりにあったと思うが、そのCMが流れて周知のものとなったということを考慮すると10年前くらいになると思う。
というか、この手の社会通念は、大体ACとかの公共広告機構が一枚噛んでいる気がする。
まあ、マナーとかの社会通念は咎める側も守らない側も主観が入り込む余地が多くて、そもそも理由自体が合理性を欠くというケースも少なくないからね~。
だからケースバイケースみたいな陳腐な結論にならざるを得ないというか。
マナーを謳う多くの人は「何となく不快だから」位にしか認識してなくて、それを正論に摩り替えて、大義名分に仕立て上げているだけだと思う。
でも、そういった感覚的なものの最大公約数として出来たマナーに関していうなら、理由が何であれ社会の均衡を保つ一助になるのも確か。
「自由」と「勝手」は違うわけだけど、まあ自分の行為が他人の許容だとか順応をアテにしたものでないのならば「自由」の範疇と捉えて、今後も享受していっても問題ないとは思うよ。
で、でんでんででん!
春、春、春!
で、でんでんででん!
春、春、春!
とりあえず、迫り来る何かに追われてるの。
ひょ、ひょっとして
は、春!?
春がやって来るわ!
そして、次から次にやって来る。
迫る初夏!
初夏が来る前に
春がアイルビーバッグと言って
また来年やって来るわ。
そして、また迫り来る初夏!
繰り返されるこのポリリズム!
もう、何回も何回も何回も言ってるけど
この歌好きなのよね。
まあ、そんなもうミニスカなんてガラじゃないけど、
そんなことしたら、
そんな適当なことを言ってたら、
恐るべし春!!!
そう言えば、
あれって、当時IBMの一歩先行くために
ふーん。
そんなことより、
桜が咲くのももうすぐだし楽しみね。
桜餅の葉っぱって食べる派?食べない派?
私は食べてもいいもんだと思ってたわ。
きっと正確なのが導き出せボッシュートされるはずよね。
うふふ。
お店を変えてみたわ。
手軽に歩きながら食べれるのがいいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
2016年度全国キャンペーン:ライバルは、1964年|ACジャパン
ACジャパンが今年7月1日より開始した『ライバルは1964年』というCM。
自分がよく聴く民放ラジオ(基本的にTBSラジオ)では結構な頻度でこのCMが流れている。
自分はこのCMを耳にする度に、得も言われぬ不快感に襲われる。
とはいえ単なる根拠に乏しい繰り言でしかないので、そこは留意してほしい。
このCMにおいては、「笑顔」や「夢」、「思いやり」といった根拠の不確かな理由で過去を美化している。
加えてこのCMには「あの頃の日本人と比べて笑顔や夢、思いやり、心の豊かさで負けているのではないか」という言外の意味も込められていると考えられる。
そうでなければ、律儀にあの頃の日本人と今の日本人を比べる必要なんてないはずだ。
つまり、居酒屋談義としての「昔はよかった」の変奏でしかない。
また、この10年ぐらい俗流の「昔はよかった」に対するカウンター的な言説も勃興している。
これらのカウンター的な言説の場合、だいたいは統計などのデータを用いた上で「昔はよかった」的言説の欺瞞を浮き彫りにしている。
『ライバルは1964年』で提示される「昔はよかった」を構成する要素のうち、「思いやり」は犯罪件数の推移をもとに論駁が可能であるかもしれない。
しかし「笑顔」や「夢」の場合、犯罪統計のような定量データは存在しない。そのため、「笑顔」や「夢(の大きさ)」を昔と今とで比較するのは至難の業である。
結果「あの頃の日本人と比べて笑顔や夢で負けているのではないか」というCMのメッセージに論駁することすら叶わなくなる。
論駁不可能な概念を持ちだすということは、それだけ「昔はよかった」ことをゴリ押ししたいのだろう。そこにはある種の狡猾さすらも感じさせる。
このCMにおいては、東京で五輪が行われた1964年と東京で五輪が再度行われる予定の2020年とが対比されている。
2020年に向けて日本を考えようというのは、東京五輪に向けた行動をとれというメッセージを婉曲して表現しているということは容易に推測できる。
また、ACジャパンの公式サイトの記載より、「日本を考える」ことは具体的に「(東京五輪に向けた)ポジティブなモチベーションと、日本人の活力を高める」を指すようだ。
今の日本において、五輪は政治的な意味合いが強いイベントとして意識されているようである。
例えば、2012年に取りまとめられた「スポーツ基本計画の策定について」には以下のような文言がある。
(中略)
国際競技大会等における我が国のアスリートの活躍は、国民に日本人としての誇りと喜び、夢と希望をもたらし、国民意識を高揚させるとともに、社会全体に活力を生み出し、国際社会における我が国の存在感を高めるものである。我が国のアスリートによるメダル獲得は、その一つのあらわれである。
また、2009年には塩谷立文部科学大臣(当時)が以下のような発言を行っている。
2016年のオリンピック招致については、立候補ファイルを2月12日までに国際オリンピック委員会に提出することになっていまして、そのために今準備を進めているところですが(中略)やはり、国威発揚ということも含めて、ぜひ、招致を実現したいと思っています。
これらのことを踏まえると、今の日本において五輪は政治的意味合いが非常に強いイベントと位置付けられているようだ。
特に「国威発揚」や「日本人の誇り」といったナショナリスティックな意識の醸成のための手段として強く意識されているようである。
これは、IOCの掲げる「政治的・商業的利用がなされない五輪」という理想とは大きくかい離したものである。
さて、ACジャパンの行うCMの特徴として、政治的・宗教的な事柄は一切扱わないということがある。
(中略)
一方『ライバルは1964年』においては、政治的意味合いが強いイベントである五輪に向けた行動をとれというメッセージが提示されている。
解釈によっては、「日本人の活力を高める」ということもナショナリズムと連関したかたちで捉えられる可能性もある。
このことから、『ライバルは1964年』は政治的・宗教的な事柄は一切扱わないというACの方針とは大きくかい離したCMであるといえる。
可能性として一番高いのは、制作者サイドがIOCの提示した「政治利用されない五輪」という理念を無邪気に信じ込んだということである。
一方、五輪の持つ「国威発揚」や「日本人の誇り」といった事柄は政治的事柄ではないと誤認している可能性も完全には捨てきれない。
愛国心の醸成といったイデオロギー丸出しの教育が「偏向ではない」と見做される時代である。
なお、2002年にも公共広告機構(当時)は『ニッポン人には、日本が足りない』というCMを放映していた。
しかしこれは国際交流の推進を目的とするものであり、『ライバルは1964年』とは似て非なるものである。
ACジャパンの公式サイトに新聞広告の画像データが掲載されている。
小学生が作ったような(プロとしては)粗雑なコラージュに、テレビCMのナレーションが文章としてこれみよがしに綴られている。
もう藤原紀香だけでいいじゃねえか!
お前紀香の全盛期知ってんのか?それはもうすごかったんだぞ!
それがなんだお前らは奥州藤原氏だのなんだのと!バカじゃねえのか!
紀香は最高だったんだよ!なのにあんなクソ芸人と結婚しやがって!
なんだっけ名前名前名前!ああそうだった陣内智則だよ馬鹿野郎!!
貴族の時代、戦国時代のような合戦は行われておらず陣内などという概念はありませんでしたってかやかましいわ!!!
ああ、今のは適当に書いたから「受験生のクセにアホすぎワロス」とか書くんじゃねえぞこの野郎!ボケ!このスカタン!
なにが道長だ!藤原氏を理解するまでの道は長いですぞ道長だけになんてねはっはっはじゃねーよクソボケが!
もう紀香とかどうでもいい!すごくどうでもいい!
でも離婚した直後に出演したCM、よっぽど今まで大変だったのかどれもはしゃいでてちょっとかわいかったとか思ってねーよばーか!
バスロマンのCMとかそれはもう抜きまくったわ!あれ絶対全国の小学生目覚めてるだろ!ちっとは規制しろよ公共広告機構!!
ポストフームンだろ!間違えたフーミンだよコラ!!!あと規制しなくていいよ!!大好きだよバスロマン!!
紀香たんうわあ~クンカクンカって言うとでも思ったかスッポン野郎!もう実際に声に出しちゃってるよ!言いまくってるよ!
それはともかく絶対小学生はあれ見て夢精してるよ!絶対おのれのシンボルに通った管からあふれんばかりの精を放出してるよ!
初めて味わう快楽に戸惑いつつも、次第に陰茎を刺激することがやめられなくなってくる頃合いだよ!!
ぜったいこれ「たまらんですなあ~藤原氏デュフフ」とか言っちゃってるよ!!日本はバカばっかじゃねえか!
おいおいまた藤原氏の話か!滅んだはずなのにまた出てきちまうのかもう引っ込んでこの貴族野郎!
今日日貴族なんて独身貴族と鳥貴族しかいねえんだよこのニワトリ頭!
っていうかもうバスロマンのCM紀香じゃねえじゃねえか!この増田書いてるの受験生じゃないってバレたじゃねえかアホ!
うるせえ夢見ることをやめなかったらそれはもう受験生なんだよ!今から大学入ったっていいじゃねえか!!
「自慢じゃないけど」とは「今から誇るけど、悪く思わないでね」という意味の言葉だ。
どういう脈絡でそういう話になったのかは覚えていないが、ある時友人が会話の中でこんな言葉を口にした。
私はこの言葉を聞いて思った。
「いじめの当事者になった事がない人にとって、いじめの被害に遭う事はやはり恥ずべきことなのだ。いじめに遭わない事が誇ることならば、いじめに遭っていた事は恥ずかしい事なのだ。」
かつて公共広告機構のテレビCMで「いじめ、かっこわるい」というフレーズがあった。
毎日のいじめが原因で自尊心を傷つけられ惨めな気持ちで過ごしていた私は、そのフレーズのおかげで自尊心を失いきらずに済んだ。
「ああ、私はいじめられ連中の笑いものになっているけど、格好悪いのは私じゃないんだ」と思えた。
しかし。
この言葉を友人があまりに気負わずさらりと口にしたときから、気にするのをやめた筈の古傷が疼く。忘れたはずの連中の名前を一人ひとり思い出す。憎しみがじりじりとせりあがってくる。あの時のストレスがフラッシュバックする。
そんなわけで、今日家に帰ってきたら、ちょうどその話がニュースでやってる。
いやあ、笑っちゃったね。
そのニュース、何を報道しているのかと思えば、朝方、路側帯を逆走している自転車に対し、
「逆走禁止ですよ~」と声をかける警官の姿。
いやいやいや、捕まえろよ。
懲役3ヶ月だか罰金5万円だか知らんけど、そこでさっくり捕まえなよ。
テレビカメラが回ってる前で、十数人と、律儀に顔モザイクをかけられた連中が逆走してんじゃん。
いい見せしめにもなるし、そこでとっ捕まえればお前らのノルマ?的なものにも良いことなんじゃないの?
一気に2桁も捕まえられるんだぜ?
何言ってんのさ。法律に「知らんかった」なんて通じるわけ無いじゃん。
「人殺しちゃったけど知らなかったし(・ω<)テヘペロ」が通るわけ無いのと一緒でしょ。
それでも「いやいや人殺しとたかが交通違反は全然違うし……」とか言う馬鹿がいたら、もう一度勉強し直せ。
いやもちろん稀なケースだよ。稀なケースだけど、起きてんじゃん。
そこまで分かっていて、「やっぱり突然捕まえるのは……」と言うのであれば、
じゃあなんでお前たちはもっとまともな周知法を考えなかったんだ?
今さっき全国に放映された、「逆走禁止ですよ~」っていうのは、改正法が施行される前にやるべきじゃねえの?
もっとテレビとか通じてさ。ACだっけ? 公共広告機構[*2]通じてとか、そういうこと出来なかったのかねえ[*3]。
こんな夕方ニュースの目の前で、「逆走はダメですよ~」なんてのほほんとした注意しか出来ないことを世間に見せちゃったら、
自転車乗ってる人も「どうせあんな注意しかないんだし、大丈夫でしょ」とか言って逆走は止まらないぞ?
結局のところ、ああいう警官の姿をお茶の間に繰り広げている時点で、
「この改正道交法は施行しても誰も知らないだろうし……」っていう、ネガティブ思考が丸見えなんだよ。
誰も知らないだろう、って捕まえる側が最初から思っちゃってるから、むやみに捕まえられない。
その結果、あんな注意で済むのか、って知っちゃった自転車乗りが、逆走をやめない。
改正法施行した以上、逆走で事故なんて起こされちゃダメでしょ。
もう少し周知を頑張って、明日からでもとっ捕まえられるようにしなさいな。
……ところで全然話は変わるけど、以前違法ダウンロード法なんちゃらが改正された時には、
問答無用で逮捕者が出たような気がする[*4]んだけど、これと今回の道交法改正の違いはなんだろうね。
……さらに全然関係ない話だけど、特定秘密保護法案ってあんじゃん。
あれ、可決して施行されたらどうなるんだろうね。
##########匿名だと脚注が使えないらしいので人力脚注##########
[*1]1つくらい事故のソースを持ってこようと思ってググったら、どれもこれも道交法改正のものばっかり引っかかって見つからなかった
[*2]調べて初めて知ったんだけど、この名前ってもう旧名なんだってね。知らなんだ……
[*3]自分は広告とかの話はよく分からないから、警察庁からそういうCMが出せるのかどうかって話はあくまで例ね
[*4]気がするだけ。ソースなんて無い。間違ってたらすいません