はてなキーワード: 媒介とは
致死率がめっちゃ高いウイルスだったら可能な限り早くワクチン打つけどそうじゃないので打つ気は無い
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9272/?ST=m_news
コロンビア大学メイルマン公衆衛生大学院、ジョン・スノウ冠教授で同大学院感染症・免疫学センターのディレクターを務めるW・イアン・リプキン(W. Ian Lipkin)氏は、
「もし世界中の全ての人にワクチンを接種するとしたら、ある人がワクチンに対して副作用を起こす可能性は、MERSを発症する可能性よりも高いだろう」と話す。
◆予防の鍵はラクダ
SARSのときにはウイルスを媒介する動物の駆除が制圧を早めたように、MERSのさらなる感染拡大を止めることが何より望まれるという点では誰もが一致している。
リプキン氏は、最も有効なのがラクダだと期待する。MERSの予防ワクチンを人に接種するのではなく、感染拡大の鍵を握っているらしいラクダへの接種に焦点を移した方がよい。「宿主としてのラクダを根絶すれば、MERSを抑え込む合理的な一撃になるだろう」とリプキン氏。
ラクダ用ワクチンの開発であれば、人間用ワクチンの開発よりも安く、早く、容易に実現するだろうし、人間の場合に比べて安全性の懸念も小さいとリプキン氏は話す。
古代ギリシャ的な素朴な議論になってしまうかもしれないが、人間が他の人間を認識する時には、『自分と似ている部分』を共通項にすることで、認識が上手くいくようにしている。
単純な話、自分と全く違う人格を持っていたり、自分と全く違う経験をしている人間のことを理解することはできないけれど、自分と似ている部分を持っている人間や似たような経験をしたことのある人間はより理解しやすいということである。本当に単純な話だ。
このようにして、人間は他者を理解する。ある意味、自分の一部分を他者に擬態させて、記憶するのである。自分の中に他者の疑似人格を構成していると言っても差し支えないだろう。
ある意味、この疑似人格は、作成した当初は、自己の人格をアレンジしつつ複製したものと言ってもいいので、完全な他者ではない。
とは言え、その他者(自分の中に複製した他者ではなく、現実にいるオリジナルの他者)を認識し続けることで、その疑似人格としての他者は変化を続ける。現実の、オリジナルの他者について認識を続けていく中で、この疑似人格が当初の認識から変様を続けていくのである。
このように認識が変化すると、どうなるのか。
つまり、当初自身の人格の疑似複製でしかなかった他者が変化し成長することで、自己の複製としての他者人格が変化し、それによって自己自身さえもが変化していくのである。自身と他者との共通項を基に形作られた疑似人格が変化することで、共通項を基点として自分自身の人格が変化し、時に新たな属性を手に入れることになる。つまり、自己が『延長』されることになるのである。
そんな風に、誰か自分と共通項を持った他者に関する認識が、その他者との交流を通じて変化し、新たな属性を身につけ、その新たな属性によって自己そのものに変化が及ぼされる過程――そのような仮定を、人は愛と言っていいのではないかとか、そんなことを思うのである。
そんな感じ。
この話のポイントは、このような自己の『延長』は、そもそも自分と共通項のある他者(を基に作り上げた疑似人格)を媒介にしてでしか成立し得ないということである。人は時に、自分と全く異なる人間に対して、愛着に似た感情を抱くことがある。これは、ある種環境に堪えうるための多様性を人が獲得しようとして生じる現象なのではないかと個人的には思っている。とは言え、このような愛着は、自己を延長させうる愛にはなり得ないと個人的には思っている。何せ、共通項が希薄な人間に関しては、自己を延長させ得るような疑似人格を構成することが難しいのだから。
反ワクやが?
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9272/?ST=m_news
コロンビア大学メイルマン公衆衛生大学院、ジョン・スノウ冠教授で同大学院感染症・免疫学センターのディレクターを務めるW・イアン・リプキン(W. Ian Lipkin)氏は、
「もし世界中の全ての人にワクチンを接種するとしたら、ある人がワクチンに対して副作用を起こす可能性は、MERSを発症する可能性よりも高いだろう」と話す。
◆予防の鍵はラクダ
SARSのときにはウイルスを媒介する動物の駆除が制圧を早めたように、MERSのさらなる感染拡大を止めることが何より望まれるという点では誰もが一致している。
リプキン氏は、最も有効なのがラクダだと期待する。MERSの予防ワクチンを人に接種するのではなく、感染拡大の鍵を握っているらしいラクダへの接種に焦点を移した方がよい。「宿主としてのラクダを根絶すれば、MERSを抑え込む合理的な一撃になるだろう」とリプキン氏。
ラクダ用ワクチンの開発であれば、人間用ワクチンの開発よりも安く、早く、容易に実現するだろうし、人間の場合に比べて安全性の懸念も小さいとリプキン氏は話す。
https://anond.hatelabo.jp/20210911192700#
https://anond.hatelabo.jp/20210902171048#
私は表現の自由というか、漫画やアニメ、ゲーム、イラスト表現等を媒介するセクシュアリティの自由くらいしか興味が無いけど、だからこそ今回は立民に入れるかなぁ。
山田太郎さんとか赤松健さんとか、藤末健三さんとかもそうだけど、彼らは単に「自由であるべき」という以上に、「これから漫画アニメ文化を盛り上げていこう!」っていうキラキラした目標があるよね。私はそういうのはあんまり興味が無い。まあ彼らのことは応援してるけどね。
Jean-Marc Sabatierは、CNRSの研究ディレクターで細胞生物学と微生物学の博士号取得者とのこと。
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29th 6月 2022 - 9:02 am by Emilien Lacombe
https://frenchdailynews.com/health/5036-covid-19-the-limits-of-vaccination
BA.4およびBA.5亜種によるCovid-19の流行反動は、第4次ワクチン接種キャンペーンを開始する保健当局を心配させている。しかし、ワクチン接種そのものが感染を促進する可能性がある。説明する。
確かに、Covid-19ワクチンを複数回注射すると、SARS-CoV-2のスパイクタンパク質に対する中和抗体の産生を促進するだけではありません。このスパイク蛋白に対する抗体の中には、ADE(抗体依存性増強)と呼ばれる現象で、注射・接種した人の感染を実際に促進するもの、つまり促進するものがあるかもしれないのです。
また、これらの複数回のワクチン注射は、必ずしも促進抗体の産生に依存しないERD(enhanced respiratory diseases)と呼ばれる広い現象を介して、注射/ワクチン接種者の感染増強(その後SARS-CoV-2亜種に感染した場合)を引き起こす可能性もある。
ERDでは、サイトカインストームの誘発・増悪や細胞媒介性免疫病理などのメカニズムも関与している。このように、ADE/ERD現象は、ウイルスの感染過程と劇症効果を促進する。
複数回のワクチン注射後のこれらの現象に伴うリスクは現実的であり、SARS-CoV、MERS-CoV、FIP(感染性猫腹膜炎)コロナウイルス、さらにデング、ジカ、HIV、エボラ、麻疹ウイルスなど多くのウイルスですでに記述されている。
あるSARS-CoV-2亜種にADE/ERD現象が存在する場合、注射/ワクチン接種を受けた人の(この亜種による)ウイルス感染が促進され(これらの人はより容易にウイルスに感染する)、この促進された感染が、これらの人が注射を受けていなかった場合よりも重症のCovid-19病につながる可能性がある。
Guerinらが発表した論文では、SARS-CoV-2の新たな亜種(Omicronとその亜種であるBA.20BA.5を含む)が、ADのこれらの有害事象を促進する可能性が強く示唆されている。)は、これらのADE、さらにはDREの有害事象を促進する可能性があり、複数回のブースターワクチンは、その後の感染の際に劇症化する可能性があり、望ましくないことを示しています(これらのブースターワクチンに加え、ワクチンスパイクタンパク質やメッセンジャーRNAワクチンにおける脂質ナノ粒子などのこれらのワクチンのアジュバントの直接毒性の危険性があります)。
SARS-CoV-2に感染したり、Covid-19を接種したりすると、私たちの体はウイルスタンパク質に対して指向性のある抗体(SARS-CoV-2感染や不活化ウイルスワクチンの場合)またはスパイクタンパク質に対して特異的に指向する抗体(現在のメッセンジャーRNA、ウイルスベクター、組み換えスパイクタンパク質ワクチンの場合)を作り出します。作られた抗体は3つのカテゴリーに分類されます。中和抗体(ウイルスの感染を阻止するため望ましい)、中性抗体(ウイルス感染に影響を与えない)、促進抗体(ウイルス感染を促進するため望ましくない)である。
その後、被接種者がADE/ERD現象に「反応」するSARS-CoV-2の変種に感染すると、既に存在する促進抗体がSARS-CoV-2に結合し、ウイルスによる細胞への感染を促進させることになる。実際、食細胞(単球、マクロファージ、樹状細胞など)は、ウイルス粒子に付着した抗体を認識する受容体(Fc-γ-RIIaと呼ばれる)を持っており、ウイルス-抗体複合体を内在化することによって、これらの細胞への感染を可能にしている。
SARS-CoV-2の新しいBA.4およびBA.5亜型に関するデータは、特にヒトin vivoではまだ断片的なものです。これらのウイルスは、フランスでの6I波(2022年3月下旬から4月中旬)において、BA.2亜型よりも約8%(BA.4)および12%(BA.5)感染力が強いようである。また、これらのウイルスは、BA.2亜種に比べて中和抗体に対する耐性が4倍高いようです。これらのウイルスは,毒性および致死性はそれほど高くないが,ヒトの肺細胞において(BA.2亜種と比較して)高い効率で複製することができた.
猫伝染性腹膜炎(FIP)は、SARS-CoV-2などのコロナウイルスによって引き起こされる猫のウイルス性疾患である。この2つのコロナウイルスは、別々の科に属していますが、近縁のものです。
FIPウイルスは、猫に感染しますが、他の生物種(ヒトを含む)には感染しません。FIPウイルスは腸管コロナウイルスであり、突然変異により病原性を持つようになりました。FIPに関連する病態は、Covid-19病に類似しています。FIPとSARS-CoV-2は宿主のレニン-アンジオテンシン系(RAS)を攻撃し、それぞれネコとヒトのAT1R受容体を標的にする予定である。
猫には不活化FIPウイルス、あるいはFIPウイルスのスパイクタンパク質を発現する組み換えワクシニアベクターに基づくワクチン候補が接種されてきた。しかし、このワクチン接種では、強毒FIPウイルスの鼻腔内接種から保護されなかった。それどころか、ワクチン接種を受けたネコは、ワクチン未接種のネコよりも感染しやすかった。
このように保護されないことから、促進抗体の存在によるADE現象の存在が示唆される。この促進抗体によって、ウイルスは標的細胞への侵入がより容易になる。このウイルスによる細胞への感染を促進するメカニズムが、SARS-CoV-2に対する複数回のブースターワクチン接種時に見られるとしたら問題である。SARS-CoV-2の新型の出現が続いているため、ヒトへの移行は理論的には可能である。
Covid-19のワクチンを複数回接種すると、複数回注射・接種した人に後天性免疫不全症候群(AIDS)(HIVとは無関係の免疫症候群である)が誘発されると予想されます。実際、ワクチン(mRNAワクチンやウイルスベクターワクチン)が産生するスパイクタンパク質の一定割合、あるいはワクチン(不活化ウイルスワクチンやスパイクタンパク質組み換えワクチン)に含まれるスパイクタンパク質は、SARS-CoV-2と同様に標的細胞のACE2受容体に結合する可能性があります。
細胞のACE2受容体と相互作用することにより、ワクチンのSpikeタンパク質は、ウイルスと同じ有害作用、すなわち、身体の器官や組織の機能に不可欠なユビキタス生理システムであるレニン・アンジオテンシン系(RAS)の機能障害を引き起こすことになると考えられる。RASは、分子パターン認識Toll様受容体と結合したAT1R受容体を介して自然免疫を制御している。したがって、RASの機能不全は、それが制御している自然免疫の崩壊を伴うことになる。
自然免疫(微生物に非特異的)は、その後、TおよびBリンパ球に基づく適応/獲得免疫(微生物に特異的)の引き金となる役割を担っている。したがって、自然免疫の破綻は、適応/獲得免疫の破綻、すなわち免疫系の全般的な破綻をもたらしているのである。
結論として、ワクチンの反復注射は、複数回注射/接種された人においてAIDSの発症をもたらす可能性がある。さらに、「臨界」閾値を超えるレベルの任意の1つの抗原(この場合、SARS-CoV-2スパイクタンパク質)のワクチン注射を繰り返すと、必然的に自然免疫の調節不全と潜在的な自己免疫疾患の発症を引き起こすことが報告されている。このように、現在のCovid-19ワクチンには、少なくとも、(1)Spikeタンパク質がRASと自然免疫に直接有害な作用を及ぼすこと、(2)これらの注射の繰り返しが宿主の自然免疫を混乱させること、(3)脂質ナノ粒子などの特定のアジュバントの有害作用が考えられること、から、ワクチンを複数回注射しない正当な科学的理由がある。
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ドスケベ経済社会(ドスケベけいざいしゃかい)とは、財・サービスの交換を性行為によって媒介する経済の一形態。ドスケベ・エコノミー、セックス・エコノミーと呼ばれることもある。
ドスケベ経済社会における労働の対価は金銭ではなく性行為として支払われる。
資本主義経済において、科学的進歩により衣食住が充足し、生存のために労働の必要がなくなった社会では、人々は性的欲求を満たす目的のためだけに貨幣をやり取りするようになると考えられている。
ドスケベ経済社会とは、上記の理由により貨幣が役割を失い、通貨の流通量が激減した結果、貨幣の代わりに性行為が財・サービスの交換を媒介するようになった経済体制を指す。
よくある話だ。SNSで漫画がものすごくバズった。それがきっかけで連載している。
小学生の時から漫画は描いていて、学生時代〜社会人はずっと趣味で漫画を描いていた。コミケ大好き。
怖い編集担当さんの噂、決められた締め切り、決められたページ数、好きなものを描けないらしいという噂…
そんなのを聞いてたら、コミケで本出してる方が楽しいだろ、とずっと思っていた。
・愛猫が高齢になってきて、家で一緒にいる時間を増やしたかった
・前の仕事は人との接触が多く、ワクチンを打ってるとはいえ、感染しそうで毎日ストレスだった
・家族の一人がコロナの抗体ができない体質で、自分が媒介になってしまうのではとストレスだった
・趣味で描いた絵がyoutubeやインスタに転載されまくって、削除申請も通らず、趣味で描くことに嫌気がさした
・来年40歳だし、そろそろオリジナルの漫画描いてみようかな〜と思った
まだ悩んでるんだけど、ここで言及した可能性について考察したい。
男性の性衝動には多寡がある。居ても立っても居られない男がいれば、常に平静さを保てる人もいる。加害を未然に防ぐのを考えているのだから、欲望の強い個体をどうするかに焦点をしぼる必要がある。
彼の性欲を抑える方法として、AV などのセックスファンタジーの摂取が役割を果たしているのは否めないと思う。夢精で済ますのが理想的と見る立場からは、ファンタジーは性欲を煽って高めているように見える。でも一方で、吐精を促して賢者化するハンディな手段という側面は確かにある。
私が提示した ❶ 夢精で済ます ❷ 理性を高める、このふたつは効率の側面で女性威迫型の虚構を超えるだろうか。厄介さは夢精体験がいつ起こるのか予測不能な点にある。あまり知られていないが、成熟した男性器は夢精しないらしい。生産された精子を体内に吸収してリサイクルする能力が完成しているからだ。不幸にして未成年の多感な時期に、夢精のトラブルは起こりやすい。
目覚めたときに夢精しているのに気づいて対処に追われた男子も多いと聞く。なんとか親にバレないように隠蔽しなければいけない。登校前に。
女子の初潮は、赤飯を炊いて祝う文化があったのを思い出して欲しい。夢精の処理をクリーンに行うために未然にする準備は、女子のナプキンやタンポンほどには整備されていない。いやさ全く開発されてないと言っても過言ではないと思う。男性器は収縮があるのでラップを巻いても就寝中に外れてしまう。粘度の少ない状態の液は、隙間から流出しやすい。進歩した技術で現実的に安価な解決策を作れるだろうか? 検討される間も無く、積極的な吐精か消極的な夢精かの選択は、まるで自明のように積極性へと舵を切っていた。事実上、少年たちは選択権を持ってないと言える。
理性を高める方法は、輪ゴムを使った方法が知られている。アルコール依存症の方々などが使うやり方で、お酒を飲みたい欲望が高まってきたときに、腕に巻いた輪ゴムを弾いて、我に帰るのである。極めて即時性が高いので、おそらく性加害を防ぐためにも有効だと思う。だが困難もある。アルコール依存は対処としてトリガーとなる刺激、お酒の広告などを避ける。コンビニやスーパーで酒類のある場所に近づかないようにする。日々注意して生きるのは社会生活を送る上で間違いなく辛い習慣だが、性欲での回避行動は輪をかけて厳しいはずだ。あらゆる場所に女性はいるのだから。
「スク水揚げ」を目撃しただろうか。要するにただの魚の水揚げの報告に集まったブックマークコメントは、しかし主旨とは全く異なるものだった。少女を性的に消費する祭りが大々的に興る一方で、それを注意する活動はおろそかにされてる。増田でだってベロベロ舐める女性への威迫が、そこかしこに付けられてるのに、ほぼほぼ咎められてないよね。回避行動の困難さの他方、
理性を高める何かは、個人的努力の範囲では手軽さはなく、むしろ厭世家の修行のような格好になってしまうだろう。言語でのコミュニケーションを媒介にして厚く行われる必要がある。いま私の中に浮かんでいるイメージは、往年の非モテ論壇のありようだ。非モテの男性同士がブログを通じてトラックバックを投げ合っている様子は、現在の中島のイデアとは似ているようで大きく異なる。
中島が友だちの弱者男性、磯野を誘って東京ドームでキャッチボールするイメージは、弱者男性の共助のロールモデルとして深く増田たちの心に刻まれた。牧歌的な光景は、まるでもともと孤独の救いの原風景であったかのようだ。しかし混じりなき善意にも関わらず、中島の救いは、磯野を言葉で説得することでは為されてないことに注意してほしい。
非モテ論壇の議論に結論は無かったかもしれない。しかし、彼らの価値観に作用したのは疑う余地がない。男性性の「善きあり方」を模索していく方向性は、未達のままに放棄された希望だと思う。その先に道を探すべきだ。内心の自由の内側にこもるのでなく。