はてなキーワード: 文字化けとは
夏休みあけ、久しぶりにパソコンを付けたら、最初のパスワードを入れる画面の、「今日は何の日か知っていますか?」みたいなところが□□□□□□□□□□□□?になっていた。
スタートボタンは無事だったけど、スタートの横にある「🔎検索」を押すと明らかに游ゴじゃないフォントで「□□□□検索」と出る。
メモ帳もWordもGIMP普通に開けるのに、研究室で買っている有料のグラフ描画ソフトは一瞬画面が開いてすぐ落ちる。これが問題で、このソフトがないとやっていけないので、先生に英語版を買ってもらって申し訳なかったし、いかんせん英語ができないので、ソフトの使いかたを人に教えてもらうときも押すボタンの名前じゃなくて上から何番目かで聞かなければいけないので地味に困った。毎回ソフト立ち上げてくれた同期先輩本当にありがとう。
ネットで調べて出てくる解決法は一通り試したけど効果なし。まあ卒業したらゲームにしか使わないし……と諦めていたけれど、それが!!今日!!!!!!直った!!!!!!!!!!
ことのいきさつは、メモ帳のフォントを見やすいものに変更したとき、ふと、Windowsのシステムフォントって今何なんだろうと思い立ち、游ゴシックだかYUGothicUIだか書いてあったが、もしかして、不具合は私がちまちま集めたフリーフォントが悪さをしているのではないか?と考えた。グラフ描画ソフトはノートパソコンでも開けなかったので。
それで今パソコンに入っているフォントを調べ、YUGothicUIと游ゴシックとごちゃっとなりそうな名前のフリーフォントを全部アンインストールした。5つくらいかな、気に入ってるのもあったので残念だったが全部消した。で、再起動したら、全部!文字が!ちゃんと表示されるようになったんだわ!!!すごい!!革命!!!!!!!!
もっと早く気づきたかったけどもういいわ!直ったし!!使いもしないフォントをばかすかインストールするのはもうやめます!!!!!
夜な夜な皿の枚数を数えるお菊の亡霊が現れるとの噂を聞きつけ、皿屋敷の裏にある井戸を訪れた。
もう夜が更けていたせいか、井戸に亡霊が現れ何やら数える声が聞こえる。
亡霊「0枚…1枚…2枚…」
私「で、出たーっ!0枚の前にもなにか数えていたけど、今着いたばかりで聞き取れなかったな」
亡霊(悲しそうに)「3枚…4枚…」
亡霊改めお菊(うなずく)「5枚…6枚…7枚…」
私「なんと、噂は本当だったか。お菊さん、数えながらもこちらの言葉は通じるようだね」
お菊(うなずく)「8枚…9枚…」
私「1枚足りないって言うのかな?」
お菊(首を横に振る)「:枚…;枚…」
私「あれ?違うのか。で、今何て言ったんだろう?」
お菊「<枚…=枚…>枚…」
お菊「?枚…」
お菊(首を横に振る)「@枚…A枚…B枚…」
私「分かった、ASCIIコードかよっ!しかも、さっきの<枚や>枚は文字化けしないようエスケープシーケンスまで使われているぞ」
お菊(ちょっと嬉しそうにうなずく)「D枚…E枚…」
私「こうなったら最後まで聞き届けてみよう。なにか力になれるかもしれない」
(中略)
お菊「y枚…z枚…」
私「そろそろ終わりか」
お菊「|枚…}枚…~枚…」
お菊「…」
少々の沈黙。
お菊(苦悶の表情で)「何度数えても最後の1枚が足りない…うらめしや…」
私「お菊さん、それは思い違いだよ!ASCIIコードの最後は制御文字のDELだから、次の文字『枚』が消えたんだよ!」
お菊(驚きながらも納得した様子で)「!?あら嬉しや…」
以後、お菊の亡霊はDEL…消え失せたのであった。
増田は老いていた。小さなスマホではてな匿名ダイアリーにアクセスし、独りで日記を書いていた。
1ブクマも付かない日が、既に八四日も続いていた。最初の四〇日は少年と一緒に日記を書いていた。しかし、ブクマの無いままに四〇日が過ぎると、少年に両親が告げた。あの老人はもう完全に「弱者男性」なんだよ、と。弱者男性とは、すっかり世間に見放されたということだ。
少年は両親の言いつけ通りに自分のアカウントでログインし、一週間で三回もホッテントリ入りした。増田が毎日ブクマ0で帰ってくるのを見るたびに、少年の心は痛んだ。彼はいつも増田を迎えに行って、増田の日記をトラバしたり、ブクマしたり、はてなスターをつけたり、Twitterで拡散するのだった。増田がはてな記法で書いたつもりの日記は、記号が文字化けしていて、永遠の敗北を示す旗印のように見えた。
増田は細くやつれ、首筋には深い皺が刻まれていた。増田に関しては何もかもが古かった。ただ、その両眼を除いては。彼の眼は、パープルスターと同じ色に輝き、喜びと不屈の光をたたえていた。
「増田じいさん」少年は増田に呼びかけた。「また一緒のアカウントで日記を書きたいな。はてなスターも多少貯まったし」
増田は少年に匿名日記の書き方を教えてきた。少年は彼を慕っていた。
「だめだ」増田は言った。「お前のアカウントは運がついてる。アカウントを変えないほうがいい」
「でも僕らは前に、八七日もブクマ0だった後で、三週間毎日ホッテントリ入りしたことがあったじゃないか」
「あったな」増田は言った。「分かってるさ。お前が自分のアカウントに変えたのは、俺の腕を疑ったからじゃない」
「親父だよ、アカウントを変えさせたのは。僕は子供だから、従うしかないんだ」
「分かってる」増田は言った。「当然のことだ」
「親父には、信じるってことができないんだよ」
「そうだな」増田は言った。「でも俺たちにはできる。そうだろ?」
「うん」少年は言った。「はてなブックマークで話題の少年ジャンププラス掲載『ハイパーインフレーション』を一緒に読もう。日記はその後で書こう」
「いいとも」老人は応じた。「はてな仲間として、一緒に読もう」
二人ははてなブックマークで腰をおろした。多くのブクマカが増田をからかったが、彼は怒らなかった。年配のブクマカたちの中には、彼を見て悲しむ者もいた。しかし彼らはそれを表には出さず、自民党はダメだとか、フェミとか、表現の自由戦士とか、おっぱいが揺れたかどうかとか、そういうことを穏やかに話すのだった。
(その後の話)
その後増田は誠心誠意を込めて日記を書き、バズりまくって2000ブクマまで行った。だが、過激な内容だったため垢BANされてしまい、日記も消えてしまった。うなだれて帰ってきたところを少年が励ます。「これからは二人一緒で日記を書こうね。ぼく、いろんなもの教わりたいんだもの。」そう、老人はアカウントを失ったが、素晴らしい友人を得たのである。そして3ヶ月後、この経験を描いた日記「老人増田と海」がノーベル文学賞、いや増田文学に選ばれた。増田と少年は手を取り合って大いに喜んだとさ。
Windowsマシンでしてるゲームのツール作るかーってなったからゴミ溜めあさったらPython環境が出てきたからそれで作ることにした。
別に誰が困るわけでも無しにまあいいかよろしくなあ!と書きはじめたんよ。
んでいろいろやりたいことが出てきてそのライブラリを探す。
しかたなしにリリースやタグを辿って2系をサポートしてたバージョン探して落とすの。
あ、pipとか使ってないしね。
誰も困らないと書いたけど環境的に自分が困るんだわ。でもべっつにーそれで3に上げる気になるわけでもない。
しかし海外のライブラリ、かな。すごくリリースノートとかchangelogが書かれてるんだよね。
勝手な印象だけど日本人のライブラリはリリースノートとか書かない人が多い印象ある。
あと日本人はバージョンを下に刻みすぎて2.xになってるのが稀とか多い。0.0.1で初リリースとか何年経っても0.1.10とか。
まあだから困ったけどどれもサポート切りを明記してくれてたから全然手間取らなかった。
良いヤツは最新版でも2.7以下はこのバージョン使えってれあどに書いてくれてるし。
そんでうーんうーん言いながらなんとか手で作業していた部分をすこし自動化できるツールができた。
コンソールに日本語が文字化けして出ちゃうからそこはこっちがローマ字で書いてやる妥協もあったけど。
毎回、かなり時間を書けてプログラムを書いて、これペイするのかなとモチベーションが上がらないんだけど完成したらすごい便利になるんだよね。
重い腰を上げる。プログラミングをするときにはギリギリできるんだけど、プログラミング言語のバージョンを上げるときには腰が上がらないんだよなー。
このまま俺は一生Python3ができない腰重おっさんとして生きていく気がする。手癖はprint hogeだぜー。
ぱいぱい。
あるオープンなネットコミュニティにて、知識が20年ぐらい前で止まっている文字通りの老害が偉そうに新人に講釈をたれていたので思いっきり鼻をへし折ってしまった。
未だに「IE11未満の対応を考えて~」とか、「Macではローマ数字は文字化けするからなるべく使わないように」とか、「文字コードは必ずUTF8を指定しましょう。ShiftJISでは…(ここからShiftJISの歴史の話が延々と続く)」とか言ってて、こりゃ時間の無駄だと思って「論破」してやった。
その結果なんだが、当然こちらは正論なので勝ってしまうわけだ。
以降、その人は表に出てこなくなった。
ものすごい罪悪感を感じるようになった。
正論なんだから勝つのは当然なんだ(ここでの「正論」は絶対的に正しいとかではなく、場を健全にする、ぐらいの意味合いでとらえてくれ)。
この武器の抜きどころは他にもあったよねっていう。
とはいえ、年単位で老害っぷりを傍若無人に発散されてはやっぱり困る。
戦争が早く終わることを願う。
311を忘れない。