はてなキーワード: 四天王とは
私は自分と向き合わなければならない
ここ2カ月、Vtuberにどっぷりハマった。ツイッターのフォローもしたし、スパチャも投げた。名前を呼ばれて嬉しかったし、コメントも読んで貰えた
この2カ月、幸せだった。生きる希望を貰えた。前を向く勇気を貰えた
ネガティブな話になるが付き合って欲しい
私は現実逃避がしたいのだ。現実逃避した先がVtuberだった、これが大前提だ
数十時間も見ていたらふと気づく。彼、彼女も人間なのだと。感情があるし、疲れてることもあるだろう、私と同じ人間なのだ。
それは頭で考えたものではなく、心が、体が感じたことだ。もしかしたら最初から心は気づいていたのかもしれない
Apex、マイクラ、どうぶつの森、ARK、どうしてもネタが被ってくる。これは仕方がないことかもしれない。Vtuber四天王ですら、クリアできなかった問題だ。
インターネットは広大で無限に感じるが、コンテンツを発信するとなると、狭く小さくなってしまう。その閉鎖感に息苦しさを覚えてしまう
単純な嫉妬だ。今までは見て見ぬ振りをしてきたが、お金こそまさに現実に戻されるきっかけだ。
唯一私とVtuberで比べることができる単位。月50万程度なら気にならない、むしろ応援したくなるが、月500万を超えるなら話が変わってくる。
Vtuberの魅力である「楽しそうにしてる」のも、嫉妬心に火をつける
のめりこんだ体が後ろに下がり、前のめりの時は見えなかったものが段々見えてきた。後ろに下がったと言うことは、現実に近づいた、と言うことになる
現実逃避の場所ではないと気付いた今、私の体は震え、足元がおぼつかない。ただただ怖い。どちらに転ぶかわからないからだ。そしてどちらに転びたいのかも……
先日、勇者との戦いにより四天王の一人であるアンドレアルが死亡した。
この件により南東方面の守りが脆弱になっているため、公認としてエビルプリースト(現在:四天王代理)を
四天王に昇格させ守りに当たらせる。
本人のモチベーションUPにより守りが固くなる
B「Aがやられたようだな」
C「奴は我ら四天王の中でも最強……」
D「これはえらいことになった」
B「修行しよう」
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B「我は四天王の1人B。Aの仇、とらせてもらう!」
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C「Bがやられたようだな」
D「これで四天王は残り半分」
C「まだ修行が足りないのか」
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C「儂は四天王の1人C。これまで戦った四天王と同じだと思うなよ」
勇者「確かに今まで戦った中じゃ一番強いんじゃね。やっぱり弱い順に来てるのか」
――――――――
D「Cまでやられたか」
D「もはや四天王は私1人」
D「揃いも揃って四天王の面汚しどもめ」
D「無様にやられやがって。とっとと勇者を倒してしまえばよかったものを」
――――――――
D「魔王様がやられたようだ」
D「これから私はどうすれば……」
D「……修行だ。もっと強くならないと。ひたすら強くなって勇者を倒すのみ!」
――――――――
救世主だからこそ衰退する講談界にトドメを刺す可能性が非常に高いと思っている。
まず後進、つまりは優れた弟子を育てる責任を果たしてない。今はまだその時ではないと考えているのは承知しているが「絶滅危惧職」と言われている奴がそんな悠長な事を言っている場合ではない。
上方落語を復興した師匠なんかは若い時から自分の芸を磨きながらでも凄い(良い意味でも悪い意味でも)弟子達を育てて死の直前まで孫弟子達の稽古も付けてたやんか。
伯山が本当に「落語と講談の立場を逆転させる」つもりならば、今後「神田派講談四天王」と讃えられる程の優秀な弟子達を育てるくらいないと絶対不可能だと思うが、そんな未来は全く見えない。
元増田の疑問に答えるには少々話が長くなる。と言うのもテレビの近代史に割と深く関わってるからだ。
実はコロッケ達の前に「先代の」ものまね四天王がいたんだ。所がそのうちの一人が愛人に刺されて命を落とした事で一気に黒歴史化した事で急遽コロッケ、清水アキラ、栗田貫一、そしてビジーフォーを新たな四天王に添えた。んでこいつらがそれぞれものまねに革命を起こす発明をしたんだ。例えば清水は鼻にセロテープ、クリカンはもしもシリーズ、ビジーフォーは人形を棒で操作するアレ(名前なんて言うの?)、そしてコロッケは背後から本人が登場、である。
美川憲一の「さそり座の女」を例によって大袈裟に歌っていると背後から本物が不機嫌な顔でやってきてコロッケが挙動不審になる姿が当時バズった訳だ。クスリで捕まって芸能界から消える前は男の娘、というか中性的な色気の美青年(かの三島由紀夫も惚れ込んだとか)だったが以降は「おネエのおっさん」と言うネタキャラとして再ブレイクを果たすことになる。
話をコロッケに戻そう。以降「デフォルメしまくり調子に乗る」姿と「怒られてキョドる」姿の落差が大きければ大きいほどウケる事に味をしめたコロッケのデフォルメがより大袈裟に、より不躾になるのは必然だった。これは俺の思い出話だが当時人気ドラマだった「教師びんびん物語」で田原俊彦の真似を披露した翌日の学校で女子全員が本気でキレてた程だ。
かくしてデフォルメものまねの第一人者となったコロッケだがここで誤算が生じる。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が放送開始されたのである。初回こそ手探り状態だったが第二回、次長課長の河本による「オメエに食わせるタンメンは無ェ!」で方向性が定まると以降「ディテールとリアリティーに拘る」コロッケとは真逆の芸風が主流になり若い人達もそれを観て育ってきたであろうからまあ要はコロッケが時代に取り残されたのである。
こいつのせいで今後ずーーーーーっとありとあらゆる漫画がマルチエンドやれマルチエンドやれ言われるようになる
というか今まさに言われまくっている
何十年も前に完結した漫画でも言われている
作者も主人公も断固としてメインヒロイン一筋の漫画にも言われている
主人公とヒロインが結ばれて子どもができて幸せに暮らしている様子が描かれて終わった漫画でも言われている
ずっと一途に想い合っていた2人の仲を引き裂いて見栄えはいいけど高飛車な当て馬の子と結婚させろと言っている
マルチエンドが存在したら主人公に見向きもされなかったあの子がヒロインを蹴落として本当の正妻になれたんだ、だからあの子が本当のヒロインなんだと自信満々に主張する
これだけ話題になったのなら「ぼく勉みたいな展開にしろ」と編集の意向に屈して同じように最終回と見せかけてあの子は正妻四天王の中でも最弱……と後出しマルチエンドを宣言する漫画が定期的に現れるようになるかもしれない
伊藤誠のようにこんな主人公ならくっつかない方がマシ、推しヒロインは振られてしまいメインヒロインにはなれなかったが無事逃げ切った、と思っていたら後出しマルチエンド発覚で主人公がひとりひとり女の子を汚していく様を見せつけられることも恒例になるのかもしれない
ぼく勉を許さない