はてなキーワード: 障碍者とは
ネットでしか日本の様子が分からないので実際どうか分からないけれど、欧米はもっと酷い。
ドイツに住んでるけれど、こっちは数千人規模のデモが何度も起きてるし、彼らが警察と揉めて流血沙汰になってるニュースもある。日本はせいぜいコスプレしたおっさんが騒いでオタクと揉めたり、反ワクチンが拡声器持って厚労省の役人に嫌がらせしたりしてるくらいでしょ。
理解力が乏しい人は想像以上に多いけど彼らの一部は知的障碍者だと思うし、彼らを見下して分断を広げたり先鋭化させるのではなく、どうやってより多くの人の科学リテラシーを高められるのかを考えたい。
https://hochi.news/articles/20190727-OHT1T50057.html?page=1
立川志らく「死にたいなら1人で死んでくれよ」 https://www.j-cast.com/2019/05/28358527.html
障碍者殺傷事件なんて殺された被害者が死んで遺族が喜んでるとか言う酷い中傷書き込みがネットで繰り返されていたのに弁護士は誰もヘイト訴訟しないんだな
東大卒みたいな弁護士は植松聖に内心賛同してる奴が多数派なんだろう
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20190529-00127888
伊藤詩織とか木村花みたいな美人で勝ち組の時は誹謗中傷が訴訟になるのに貧困JKやイラクの人らは罵倒されまくり
受験生が東大に落ちたら自分も誹謗中傷されまくる側になって面白おかしく虐待され罵声を浴びるだけの人生なんだと思って絶望するのも無理はない
その昔生活保護という制度がない時代、(今でもそうだと思うけど)目の見えない人には按摩師や琵琶を引く仕事があり、結果的に食うには困らない程度の施しは受けていたわけだ。
そのほかにも今では障碍者と言われる人間に「利権として」与えられていた仕事は数限りなくあっただろう。
当然、友達も恋人もいないので、自分が死んだ後は何も残らないだろうし、それでせいせいすると思っている。
しかし、それと同時に自分が死んだ後に何も残らないというのはなんともつまらない話だなという矛盾した感情もある。
なので、おととしのコロナ禍という歴史的出来事もあったので、2020年からノートに日記を書く事にした。今の時代は紙に個人的記録を書く事がほぼないので、後世になってから今の時代の個人的記録はかなり希少な存在になるのではと思っている。だからノートに日記を書く事は後世の歴史家にとって多少は有難い事になるのではないか。(ブログなどのデジタル媒体はいつまでサービスが続くかわからないので)
ある種、自分の人生を献体として使われたらいいかなと考えている。よく死んだ後に自分の日記が見られるのが恥ずかしいとあるが、死んだら恥ずかしいと思う存在が無くなるのだから、あまり意味のない考えだと思ってる。
内容は自分の日記としての記録、印象に残った誰かが喋っていた事、Twitterなどのネットで気になった文章や画像、行った店や光景などの画像なんかを記載していったりしている。いずれ酒井伴四郎の日記みたいに歴史家や好事家の酒の肴にでもなればいいんじゃないだろうか。
そんなこんなで、2年ほど日記を書き続けているが、最大の関門が自分の死後どうやって第三者に引き渡すかだ。
東京に手帳類図書室という施設があるので、自分の終活間近に20年くらい公開禁止と伝えて(50年公開禁止と伝えて引き渡したりしてるみたい)譲渡するのが、現状一番理想ではあるが、この施設がそんな先まで存在しているかどうかはわからない。
まぁ将来的に契約したら自分の死後に色々と作業をしてくれるサービスが出来るのかもしれない。
なんにしても、自分が書いた日記がいつまで存在するかはわからない。明日ダメになるかもしれないし、10年後ダメになるかもしれないし、100年後にダメになるかもしれない。
100年後にまで残っていたら史料的にはけっこう面白いものになりそうだから、運よくその時まで残っていて欲しいものだ。仮に100年後に残っていたとしてもそもそも人類はいるのか、いたとしてもこんな史料を読み込むくらいにゆとりある社会なのかもわからんが。