はてなキーワード: 低学歴とは
だが、だからといって親ガチャという語が内包している階級の固定化や格差の問題を否定する気はないし、寧ろそれらは問題であるとさえ考えている。
世間一般的には僕の家庭は経済的には恵まれている。父親は大手に勤め、兄弟2人とも首都圏中高一貫私立から難関国立大学に進学した。
これだけを見れば親ガチャに勝ったのだといわれるだろう。
だが、僕達兄弟の親は所謂“低学歴教育ママと無関心の父親”だった。“低学歴教育ママ”のデフォルトである束縛は勿論、それに加え暴力もあり、僕の体には未だに刃物の傷が残り、弟も親に殴られ骨が折れたことがある。
それに加え僕個人としては、「あなたは〇〇なんだから黙っていなさい」と中学時代に母親に言われたことが子供ながらに心に来た。
これは国内有数の進学校に入学していた弟に対して、中堅進学校に通っていた僕に母親が放った言葉だ。
多分自分で考えているよりもこの言葉より強烈なもので、それからは親に対し面従腹背で何を言われていてもヘラヘラするようになったと思う。
それなのにそれ以上酷い状況に追い込まれのが怖くて、いつもビクビクしながら親の顔色を伺い、先回りしてよく家事などをしていた。このような生活が続く中で、精神は摩耗していった。
だが大学に入学し一人暮らしをするようになった。一人暮らしは本当に精神的に楽で、そこで一時期は“毒親”といった言説にハマったりもした。(今はある程度は抜け出せたと思いたい)
途中から気持ち悪い唯の自分語りになってしまっていたが、要するに言いたいことは、一部分だけを見て“親ガチャ”という言葉を使うのはあまりに乱暴ではないかということだ。
親ガチャという語が内包する、階級の固定化、格差や毒親などの問題をそれぞれの問題として本来捉えるべきであり、親ガチャといったような雑な言葉を使うのではなく(雑な言葉であるから使われているというのもあるが)、より問題を明確にすることで解決の糸口も見えてくるように思える。
またそう考えないと、自分にとっての地獄であったあの中高時代をまるで存在しなかったようにされているようでやりきれない気持ちになる。
「あんたはブサイクなんだから勉強を人一倍頑張れ」って子どもの時母親によく言われたな。今になってその通りだって実感した。無名公立大学に通う俺にはもう希望なんて無いんだなって。後は高学歴や美男美女が幸せに生きるのを指をくわえて眺めるしかない。だって低学歴でブサイクって生きる価値なしだよな。自業自得なのは知ってるけど、この先一生飼い殺しにされ続けて、何のために生きるのかわかんない人生を送るって一番嫌だ。もういっそのこと、「低学歴でブサイクで取り柄無い奴は全員殺処分」っていう国の政策でもあった方がマシかも知れない。ずっと人生の勝ち組を妬みつつ、我に返って身から出たさびだって気づいて、自己嫌悪に陥るのをサイクルを死ぬまで繰り返し続けると思うと絶望する気にもならない。生きてるだけで十分とか、人類皆平等とか、全部嘘っぱちなのは知ってる。だって、元から人より劣ってる上にそれを補う努力を怠った俺の命に価値がないのは俺自身がよく分かってるから。
はてブだと高卒は詰みで大卒は人生勝ち組だからみんな大卒にしなきゃいけないみたいな主張がまかり通ってるけどな絶対大学なんかこないほうが幸せだよぼけ。文系はしらん。
日本でも屈指の大学入ってさ、まぁ結構勉強してそこそこのスキルはついたけど俺が失った青春は2度と取り戻せないしこれから先報われることもない。
周りの理系友達も同じだよ。口を揃えて文系行きたかったって言ってる。文系行ったやつは楽しそうなのによ〜〜。
子供も作らず結婚もせず余生をすごすんだからよ〜〜〜年収1億ないと報われねぇよ〜〜〜〜。
せっかく低学歴家庭から高学歴になったんだからよ、誰か俺を幸せにしてくれよ〜〜〜〜。
高学歴になったら幸せで社会階級の上に行けるはずなんだろ。嘘だよだって誰も検証してないもん。嘘じゃねえなら早く俺を上の世界に持ち上げてくれ。できないなら2度と言うな。
私は学歴厨だ。
自分の大学よりも上なのか下なのか常に探りたくなる衝動に駆られる。
まあよくない事であるという自覚はあるが、そういう話が回りでされている時だけ
いわばゴキブリホイホイならぬ学歴ホイホイといったところである。
大人になってまで学歴厨なんて恥ずかしいと思うこともあるのだが、
うちの会社の理不尽クソ野郎どもが軒並み自分より低学歴又は同じ程度の学歴だからだ。
理不尽クソ野郎どもに囲まれて仕事をするのは地獄だが、ここで私の学歴厨が功を奏すのだ。
例えば理不尽に怒られたとする。
勿論、高3の模試がどうだろうが大学どこに受かろうが仕事出来るやつが会社では偉い。
それは100も承知で分かっている。いいか、ここ重要だぞ。それは1 0 0 も 承 知 で わ か っ て い る。
だが、心の中で、こいつは自分がすらすらといていた問題を解けなかったやつなんだろうなとか、
自分が発表を見て笑っていた掲示板サイトの前で泣いてたやつかもしれないんだなとか、そこまで想像すると
どんなに偉くなっても、最終学歴は消えない。お前がF欄卒だったっていう恥ずかしい事実はけすことが出来ない。
少なくともあの時、私の方が一生懸命頑張れた人間であり、難題をクリアできた人間であるという事実は絶対に消えないのだ。
その確固たる事実が、私を奮い立たせてくれる。理不尽をやり過ごす勇気になる。
そして、少なくともあの時は自分の方が勝っていたのだから、今の状況を打開することが不可能なんてことは絶対にないはずだ。
どうだ。本物の学歴厨は、自分を奮い立たせる道具にその性質を使うんだ。
学歴厨、なめんじゃねえ。