問題はあるにせよ、問題を自覚して全て引き受ける覚悟で行うなら、その行為は許容されるのか? という問いに一般化・抽象化されるかと思います
増田が宗教者だったら言うことはないんだけど、
誰/何が行為を許容するのか気になる。
(当方そういった超越的な存在ないと考える。)
子供は不幸にもなるし、最悪苦しんで自殺する。
一方、幸せな瞬間をたまに味わいつつ、「まぁこんなもんか」と生きることもありうる。
(前者の存在により、後者が自己肯定している感は否めないが。。。)
合理性を超越した選択だ。
Permalink | 記事への反応(2) | 00:29
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なるほど、誰が許容するのか? というのは興味深い論点ですね これはちょっと誤解を招いてしまうかもしれませんが、究極的には「行為を行う自分」なのかなと思います 私には、人は...
自分が親から生まれた生き物の分際で正当性だの決められると思うこと自体が、ヘーゲルの不完全性定理に反するんだよ。
言いたいことはわかるが、ゲーデルとヘーゲルは別人だ。 あと当方、正当性の話はしていないので、元増田にリプライ頼む。
すまないね。 彼はバイバイしたみたいだから。
こ、これが増田の教養レベルか……
誰かしら?