はてなキーワード: ミュンヒハウゼンのトリレンマとは
http://anond.hatelabo.jp/20161228170808
ブコメやトラバ含めて「正しさ」という言葉を無邪気に受け入れてる人がちらちらと散見されてビビる。そんなものを自分たちは判別できると信じてる人がいるんですね(そうじゃないブコメもあるけどね)。原理主義がなくならないわけだよね。
何度か増田にも書いた事あるけど,「正しさ」というのは有限時間を生きる我々には判別し難いものなのですよ。
典型的なアポリアであり「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」だったり「ゲーデルの不完全性定理」などを参照してみると良いんじゃないだろか。
論理構造を考えればこれは自明ではあるのだけど一応ざっくり書いておこう。分野を問わず物事の正しさを充足理由律(事象Aの理由はBという構造)で語る場合、我々は議論の俎上で次の問題にぶちあたるでしょう。
増田の言う「暴力」とは「独断」の事なのだろうから,それが暴力であるという指摘ならある意味当たっている。こうした馬鹿げた「独断」を排除するために数学は公理系という協約(いったんここで理由の遡りをやめましょうという約束事)を敷いてるし実験科学は観測結果の有効性を定義する要件と協約を設けている。それは目的上「正しそうな」物に近傍させる為の道具でありそれがid:turanukimaruの言う合意なんでしょね。
なので「正しい」と言う事をベースに論を展開してるお話を見たら人並みの教養がある人はうさんくせーこと言ってるなこのバカって思うので気をつけましょうね。