はてなキーワード: ラブライブとは
消費者であることを恥と思う。しかし、人間は消費者であることでしか生きていくことができないのだ。
食べ物だけでない。人間は多くの物語を消費している。しかし、物語を消費することを恥と思わない人間が多い。最近、ラブライバーなる人間が缶バッチをジャラジャラ身につけ町を歩く姿をよく見る。私にしてみればこの行為は「私は物語を貪るように消費する豚である」という宣言のように思えるが、どうもこのラブライバーたちは誇らしげだ。どこでこの差が生まれたのだろうか。
ネットの出現は多くの人間を消費者でなく生産者にした。しかし、これは多くの場合見せかけの生産だ。おそらくラブライバーにとって缶バッチを付け誇らしげに町を歩くのは自らが生産(この場合の生産とはラブライブという物語を応援するという物語を生産するという行為)をしていると勘違いしているのだろう。
それ古い話だね
今期の話だと「ゆゆ式」ってアニメがそう(※厳密にいえば特殊例なのは知ってるが、あくまでリサイクル放送例として)。
2013年4月が初回放送で、今季(2016年1月~)BS11で再放送スタート。
以前からドラマ(今だと夕方に「相棒」再放送やってる)がやってた手口だったのを
NHKで今季アニメ放送始まった「ラブライブ」ってアニメも、スタート(第1期放送)は2013年1月で再放送もされている。
今はドラマ初回放送後、2回目の前に再放送するってスタイルも一般化したけど
地上波はほぼ同時放送、BSで数日遅れ、ニコニコなんかのネットで1週間~10日程度の遅れって感じで
初回見損ねた人をうまくフォローできるようにしている。
試行錯誤の部分が大きいけど
2015年9月~の編成でバラエティで結構あたりが出たのでネット配信をもうちょっとうまく使えるようになってきそうな気配はある。
こないだまでやっていたのは「六神合体ゴッドマーズ」(アニメ内のキャラが死んださい、現実でファン女性が集まってお葬式をやったというアニメ)だったり
1970年代後半〜現在のなかで昭和だった1989年までの、つまり70s80sの漫画アニメ風ということが言いたかったんだろう。
ラブライブの初期の絵柄で感じる昭和は 昭和50年代後半~64年までの昭和後期ですね。
1980年(昭和55年)~1989年(平成元年)の作品が載ってます。
これらの絵柄を見れば納得できると思う。
「……ああ、みゅーず、ね」
「……声優だから。世代も色々あるから。AKBとかE-Girlsとかと一緒にしてあげるなよ」
「アイドルをテーマにしたアニメの歌が売れて、それが今年の紅白に出たわけ」
「太い! どうしたあのふともも! どうした!」
「(画面から眼を逸らす)」
(数時間後)
「ねえ! Twitterのμ'sの感想、褒め言葉ばっかだよ! ナンデ!?」
「……ああ、そうだろうね、それは『ラブライブ!』を応援している層だね」
(2015/01/03)
「……え、何で『ラブライブ』みてんの」
「紅白でわかんなかったからさー、見ようかと思って、これ録ったのはNHKなんだけど、元々NHKの番組?」
「……紅白が出る前後にNHKが買い取っただけで、元はNHKとは関係ないんだな、これが」
「アンタ『ラブライブ!』みてたの?」
「それが見てないんだ。断片的にしか。アニメの顔も相変わらず識別できない。マジで」
「アンタ『ラブライブ!』みてたの?」
「見てないつってるだろ、アイドルものは二次元も三次元もわかんねえんだよ」
「へぇー。そう。あ、最初に流れてたアニメってこの娘たちなのね。廃校?」
「アンタ本当に『ラブライブ!』見てなかったんだね」
「だから見てないっつっただろ」
「学校ごとにアイドルがいる、スクールアイドルっていうのが存在する世界観みたいよ」
「いるわけねえだろがッ」
「だよね〜。はあー、ふーん、(ぽちっ)」
「ああ、早送りするね。まあそうだよね、俺でもそうする。ところで何で見ようと思ったの? つらくないこれ?」
「あったねえ。20年近く前だねえ。今はルフィであるところの田中真弓が大男の桐島カンナをかなり強引に演じてたりしてたねえ」
「でも私は『サクラ大戦』歌謡ショーの声優のひとたちを見てちゃんと感動出来てたのを覚えてるのよ」
「そうだよね」
「だからきっと紅白2015のμ'sに感動しているネットの人たちとかも同じ気持ちで、『ラブライブ!』がわかったら『サクラ大戦』歌謡ショーみたいに楽しめるのかなって思ったわけ」
「……あんた正しい人だよ、素晴らしいよ、むしろ俺が間違ってたよ」
「そお?」
(数分後)
「……あ、ただ終盤、止めて」
「なんで?」
「アンタ『ラブライブ!』みてたの?」
「見てない。でもこういう褒め所だけは散々言われてるから覚えてる。これおおよそ2年前の作品だけど、ほら、全身絵とアップ絵で切り替わってるでしょ」
「そうだね、なんか全身絵の方は顔が能面だね」
「この頃はまだアニメ風の3D演出を動かす技術が発展途上で、ラブライブはこの当時としてはかなり先駆的なやり方をしてた」
「ふーん(あまり聞いてない)で、紅白の録画を……ああー、こういうことだったのねー」
「そうね」
「あ、ただ、AKBとかにいてもおかしくないような子たちも結構いるね」
「ああ、そういうことになるのかな、アイドルと同じくらい声優アイドルも知らんけど」
「知らないの?」
「あー、日高のり子さんいるじゃーん」
「その世代はね、わかるよね」
あれほとんど主役みたいなもんだし。
ラブライブってそんなに設定や絵柄が変遷しているんだ。
つかそもそも「なかったこと」にされるような設定があるような作品なの?
声優としては高坂穂乃果以外の役を演ってない、という認識にされかかってるのは不憫だが、「いやそんなことはない!」っていう人でも出すのは「そんなゲームあったん?」というゲームのタイトルくらいで、『境界線上のホライゾン』とか『勇しぶ』の名を出す人はいない、ってところが更に不憫。
……しかし、かくいう自分もそれ(『ホライゾン』と『勇しぶ』)以外の出演作って言うとなんだっけ、と悩む。
ソシャゲは提供されるストーリー自体は薄いのだけど、ソシャゲがどのように展開していき、それに対して自分がどのようなことを感じたか、そういうものの積み重ねが振り返ってみると物語となり感動に繋がるのではないかと思う
それがアイマスなり艦これなりラブライブなりでは、キャラと自分の物語になり、ほんの僅かのフレーバーテキストだろうとそのキャラをぐっと近くに感じるのじゃないかな
追記
以前のゲームは感動を与える対価として金をもらった。
感動を与える対価として金をもらったのではない、金をもらう対価として感動を与えたんだ