消費者であることを恥と思う。しかし、人間は消費者であることでしか生きていくことができないのだ。
食べ物だけでない。人間は多くの物語を消費している。しかし、物語を消費することを恥と思わない人間が多い。最近、ラブライバーなる人間が缶バッチをジャラジャラ身につけ町を歩く姿をよく見る。私にしてみればこの行為は「私は物語を貪るように消費する豚である」という宣言のように思えるが、どうもこのラブライバーたちは誇らしげだ。どこでこの差が生まれたのだろうか。
ネットの出現は多くの人間を消費者でなく生産者にした。しかし、これは多くの場合見せかけの生産だ。おそらくラブライバーにとって缶バッチを付け誇らしげに町を歩くのは自らが生産(この場合の生産とはラブライブという物語を応援するという物語を生産するという行為)をしていると勘違いしているのだろう。