はてなキーワード: スミスとは
ウィル・スミスのビンタ事件についてアメリカ人の反応と日本人の反応がまったく違う。
アメリカではウィル・スミスはサイコパス扱いされ、英語のコメント欄はクリス・ロックを称えるものばかり、アカデミーも暴力は許されない旨のコメントを発表した。
一方、日本では、愛する妻を守る旦那として素晴らしいと称賛を浴びている。はてなでさえ、ウィル・スミス擁護一色だった。
この違いは何から生まれているのかは明白であり、女を一人前として見ているかどうかが全く違う。
はっきりもう一度言うと、アメリカは成人女性は成人男性と全く同じ一人の大人の人間であるとして扱う一方で
日本では、女性は守られるべき庇護されるべき存在として扱われる。
この違いが、ウィル・スミス事件に対する正反対のリアクションとして日本とアメリカの間に現れたのだ。
「そんなことない!ウィル・スミスは愛する人を守っただけだ!」と否定したい人のために思考実験を行ってみよう。
仮に、ウィル・スミスと愛する幼い10歳の娘が一緒にアカデミー賞に出席してたとしよう。
そんな中でクリス・ロックが彼女のスキンヘッドについてジョークを飛ばしたとしよう。
そしてそれに対して今回と同じように怒ったウィル・スミスが壇上に上がりクリス・ロックをビンタしたとする。
これに対する反応はアメリカ人も今回の日本人と同じような反応をするだろう。
愛する人のためによくやったと。
子供は大人に対して意見を言うことができないし、子供は大人に守ってもらうべき存在だからだ。
だからこそ、アメリカ人もこの行動に対してはウィル・スミスを擁護する意見が多いだろう。日本人は言うまでもない。
一方、ウィル・スミスが5歳年上の筋骨隆々の愛する兄のウォーレン・スミスと一緒にアカデミー賞に出席してたとしよう。
そんな中でクリス・ロックが彼のスキンヘッドについてジョークを飛ばしたとしよう、
そしてそれに対して今回と同じように怒ったウィル・スミスが壇上に上がりクリス・ロックをビンタしたとする。
さあ、あなたはどう思うだろうか?正直に考えてみてほしい。
愛する人を守るためによくやったと思うだろうか?おそらくそうではないだろう。
なぜなら、ウォーレン・スミスは大人であり、不快に思うなら自分で主張することはできるし、
そのウォーレンの思いを勝手に汲み取り、ウィル・スミスがいきなり殴る必要はないからだ。
さあ、さて本題に戻ってみよう。
なぜアメリカではウィル・スミスは批判され、日本では称賛されたのか。
アメリカでは、妻のジェダは大人でありセレブリティであり自立しており自分で主張することができる存在として扱われている。
一方、日本では妻は守るべき庇護すべき自分で主張できないか弱い存在として扱われている。
だからこそ、こんなまったく正反対のリアクションの違いが出たのだ。
代わりに夫が守ってあげるのが当たり前だと。
リベラルとされるはてなでさえこの視点がまったくないのには驚いた。
別に日本が間違ってるとかアメリカが間違ってるとかではなく、明白な違いとして成人女性の扱いが違うのだ。女子供なのだ。
そしてそれを男性も女性も(むしろコメントを見ると女性の方が)肯定しているのだ。
AV出演の選択についても、日本では女性を守ってあげなきゃという視点で語られるが、アメリカでは自己選択権として真反対の議論がされるだろう。
それは日本の女性にとってありがたいことだろうし、悲しいことだろうと思う。
18歳男性の起業の権利や失敗の責任については、勝手に挑戦し、勝手に責任を負うことになるのが当然なのに
18歳男性のAV出演の権利や失敗の責任については、勝手に挑戦し、勝手に責任を負うことになるのが当然なのに
18歳女性のAV出演の権利や失敗の責任については大人たちが守ってあげなければいけないと議論しはじめる。
「妻は夫が守ってあげないといけないからね」「ウィル・スミスよくやった」
一方、アメリカでは評論家のミカ・ブルゼジンスキーはこう吐き捨てた。
「ウィル・スミスの好感度がますます上がる」というコメントを見て笑ってしまったんだが、あいつの好感度が高いのなんて日本だけでは?
そもそもウィル・スミスって俺様的な自分大好き野郎でいけすかないけど権力持ってて、アメリカでは海老蔵とかそういうのに近い扱いじゃないの?
ウィル・スミスは自分の出番増やすように圧力かけて、大作映画を潰すとか平気でやってることで有名な「大物俳優」ですよ。
何よりも「権力」「パワハラ」のイメージと結びついた俳優だから、むしろ暴力を振るったウィル・スミスがアメリカでは批判されて、最低のジョークを言ったクリス・ロックの方が称賛されてるのはあると思う。
ビンタにしても、ウィル・スミスはジョークを言われたときに笑ってるし、「ビンタしてる時ですらも」笑い顔を消せないままだよね?
その後のやたら言葉を区切ったFワードにしても、パフォーマンス臭が半端ないんだよなあ。
むしろクリス・ロックは、「映画界の大物」ウィル・俺様・スミスからビンタされても動揺せずにジョークを続け、アップになったときですらも目が全然泳いでない。
「パフォーマンスで暴力を振るう大物」と、「それに動じないコメディアン」という構図になってると思う。
(それもどうかと思うが)
あのジョークはカスみたいだとは思うけどそれなら言葉で応酬しろって話だし(たとえば橋下徹がボコボコに殴られたとして、暴力振るった側を擁護するか???)、ウィル・スミスの暴力を擁護するのはあり得ないよ。常識を疑う。
ウィイルスミスがフェミニズムを体現した。とか訳のわからない褒め方したからでは。
ウィルスミスのあれはヤンキーが彼女バカにされたので相手をボコった。って感じのことで、そんな奴は大昔からいるし。
なんも進歩性はない。
https://toyokeizai.net/articles/-/500544
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』って本が話題になってるらしいけれど
なんで取り上げるのがアダム・スミスなんだろうか
「愛とケアを無視した経済システムの始まりは、「経済学の父」と呼ばれるアダム・スミスだとマルサル氏は指摘する。スミスは生涯独身を貫いたが、人生のほとんどを母親のケアを受けながら研究に没頭し、受けたケアを計算に入れずに経済学の基礎を作った。」
って事は、『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』の答えは、『彼の母親』って事?なら単なる製造者責任だし別にいいじゃんと思う
少なくとも彼自身は女性と結婚して妻に家事を全て押し付けるような事はしなかったって事なんだろうし
槍玉に挙げられるのは可哀相じゃない?
なんで結婚して妻に任せっきりだった学者を例に出さないのか不思議
そういう学者も沢山いるだろうに