はてなキーワード: オリンピックとは
SNS上でオリンピックの閉会式を評して昭和の成功体験の再現が~うんたらかんたらと呟いているアカウントを見かける
たいてい、おっさんどもが昭和の成功体験に固執しているから日本はダメなんだ
これからの日本の成長のためには昭和の成功体験から手を切る勇気が必要なんだと言ったニュアンスの意識高そうな話をしている
ところでこういう人たちが言う昭和の成功体験って具体的には何なんだろうか?
たぶん言ってる人たちもきっちり認識してるわけじゃなくて、なんとなく前例踏襲っぽいやり方って嫌だから
もっとナウっちいやり方で社会やりたいよねえというふわっとした気分なんだろうと思う
でもそんなに今どきの目新しいやり方って素晴らしいものなんだろうか?
そういう気分を利用されて非正規派遣とかが社会に拡大して、今悲惨な働き方してる人がいっぱい生まれたんじゃないの?
インターネットとSNSだって新しい技術とコミュニケーション手段だけど、それで社会全体が幸せになったかというとそうでもなさそうだよね
SNS上の放言にしたって昭和の成功体験を叩いてる人ってちゃんと物を考えてないと思う
でも、自分こそがこの社会の閉塞感を打破する進歩的価値観の持ち主なのだ。みたいな雰囲気を匂わせる言葉の使い方が妙に上手な人が多いんだよな
持論の展開に想像上のソースを持ってきてる時点で説得力がかなり低くなっている。やり直し。
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・追記
元増田が消えてる。
この世論調査の結果なんだけど、
開催してよかった | 25% |
どちらかといえば開催してよかった | 36% |
どちらかといえば開催すべきでなかった | 24% |
開催すべきでなかった | 14% |
答えない・わからない | 2% |
この中に「どちらとも言えない」という選択肢を加えたら、質問の性質とオリンピック開催に対する空気を考えたら、これくらいになると思うんだよね。
開催してよかった | 25% |
どちらかといえば開催してよかった | 18% |
どちらとも言えない | 30% |
どちらかといえば開催すべきでなかった | 12% |
開催すべきでなかった | 14% |
答えない・わからない | 2% |
なんでそう思うのかソースを出せと言われかもしれないが、一般的な日本人のアンケート調査を考えたときに「どちらとも言えない」の数字が上がると考えられないほうが不自然に思う。
世論調査の結果はオリンピック開催の悪い側面よりも良い側面のほうが上回ったと考える国民が多かったということを示している。
これは国内外を問わず出場した選手たちや様々な関係者の努力の成果とも言える。
オリンピック開催に不公平感を感じている事業者や労働者の犠牲によって作られたものとも言える。
そういったものの上に、開催を概ね支持する空気が醸成されたと言い換えることもできる。
この世論調査について思うのは、選手やボランティアを称賛するとともに、犠牲を強いられている人たちにも共感したいという選択肢を外していると思う。
選択するのは難しいという感情を表現するための選択肢を外すのは、マスメディアにとって都合が悪いからだろう。
世論調査の内容によっては、「どちらとも言えない」という選択肢は用意されていることもある。
その場合は、国民に態度を明確にさせるほうが逆に都合が悪いからだろう。
国内でのオリンピックCMを取り下げたトヨタの社長の株主総会で応答のことを思い出すと、政府よりも野党よりも組織委員会よりも、マスコミこそが国民を惑わす毒にしか思えない。
ロバを連れながら、夫婦二人が一緒に歩いていると、こう言われます。
「ロバがいるのに乗らないのか?」と。
また、ご主人がロバに乗って、奥様が歩いていると、こう言われるそうです。
「威張った旦那だ」
奥様がロバに乗って、ご主人が歩いていると、こう言われるそうです。
夫婦揃ってロバに乗っていると、こう言われるそうです。
「ロバがかわいそうだ」
毎回思うけどパラリンピック関係者ってどういう気持ちなんだろう
いつも日陰の存在でマスコミやニュースからついで扱いされてオリンピックのバーターでしかない存在
オリンピックの警備応援部隊の離任式があったそうだけどニュースはもうオリンピック後の祭りの終わりを報じていて4年後にまた会いましょう感満載
アライアーンス
オリンピックが終了しましたが作業内容としては特に変わらず、今日もアイツがアレでコイツがああだけにとどまらず、アイツをああ庇うということはこういうことなんですねぇ!などの見事な論理飛躍を見せていただけると作業にハリが出ると思います。
しかし、着地する時に尻すぼみになったり、着地場所に予期しないものが落ちていて大事故に繋がったりすることもあるので現場の片付けは徹底していってください。
今回の東京五輪では開会式も閉会式もはてなでやたら評判が悪いけれど。
本来、五輪で見せるべきは、人間の限界に挑むアスリートの姿であって、本来、開会式だの閉会式だのは付随したセレモニーに過ぎないはずである。
サッカーやラグビーのワールドカップやら世界陸上やらウインブルドンやらで、開会式それ自体を楽しみに待ってる人は、そんなにいないだろう。
なぜか五輪だけは、開催国がアイデアを尽くしたショーをみせるのが当然のようになってるけど、それこそ国威発揚とコマーシャリズムとテレビ放映権料ビジネスが結びついた、異様な見世物の行き着いた地点ではないのか。
聖火リレーも含めた壮麗なページェントとしての開会式のルーツがナチスドイツ政権下で開かれたベルリン・オリンピックにあることを、みんなもう少し思い出した方が良いと思う。
本来、開会式なんて選手が集まって開会宣言と選手宣誓やって、あとは花火上げて景気づけにブルーインパルスでも飛ばしておいたらそれでいいんのかもしれない。いや、それが本来だろうという気もする。
はてぶみてて興味深いのは、わりと今回の五輪開催自体に批判的な人が、こと開会式に限ってはダサかっただのmikiko案がみたかった電通が中抜しやがってバカヤロー的な方向で批判してる例が散見されること。
五輪は嫌いだけど、アイデアを尽くした面白いショーは見たかったということか。
五輪におけるアスリートの活躍が“お菓子本体”だとするならば、開・閉会式なんておまけのオモチャじゃないのか?と思うのだが。
未だにアスリートに向かって新型コロナを盾に「分からせ」ようとする人たちをたくさん見かける。
良心を刃物で抉るためだけに「人殺しの顔をしろ」というフレーズを決めゼリフのように使う人がいる。
どうしてもこの言葉が好きになれない。
「"死ね"はアウトだけど"死ねばいいのに"はただの願望だからセーフ」のような詭弁を感じる。
あくまでオーディエンスでいるために便利なフレーズを濫用する、小悪党のようなコスい行動にしか見えない。
オリンピックに限って言えばしっかり自宅待機している貴方の部屋にも、
世界のどこかで過酷な強制労働の末に安価で作られた物がきっと、いや必ず存在している。
こう言うと、まず間違いなくこんな答えが返ってくるだろう。
まあ、そう言うしかない。じゃないとこれまでの発言がブーメランになってしまう。
ただこれは他の人にも同じことが言える。自覚を持っていると開き直られれば何も言えない。
さすがに人殺し扱いするのはマズいから「せめて人殺しの顔をしろ」とオーディエンスの顔で叩いている以上、
居直られたらそれ以上の一線は超えられない。
となると、この発言はひらすら相手の良心を締め付けるか、あるいは開き直られてどうしようもなくなるか、
この二択を期待していることになる。何の意味があるの?と言わざるを得ない。
え、仮に開き直られてもこちらにダメージはないし、効く相手に効いて星が貰えればそれでいい?
完全に加害者じゃん。もう小賢しいフレーズは使わず直接人殺しと言って捕まってしまえよもう。
閉会式も終わり、17日間に渡る祭は閉幕した。様々なスキャンダルが見苦しさを演出し、もたらされる筈だった経済的恩恵もコロナ禍が打ち消した。開会式や閉会式は満足がいったものとはとても言えず、果てはパリ五輪の演出の方が良さそうと言われる始末。観客や観光客もおらず、あるのはオリンピックに伴う様々な制限と、首都東京でのコロナパンデミックのみ。
ここでふと思ってしまうのだ、もしコロナ禍がなければどうなっていたのか、と。コロナ禍さえなければ、最高のおもてなしで日本をアピールし、今後に繋げていけたんだと。こんな、よくわからない名誉しか得られなかった強がりの五輪ではなく、スキャンダルまみれで中途半端になった開閉幕式でもない、素晴らしい五輪が開催できたのではないか、と。
多分、そんな思いが、特にお偉い方にありそうな気がする。そうでなくても、一部の日本人には燻って、五輪の度に思い出させられる気がするのだ。
そして、恐らく50年後とかに、また招致活動が行われるのだろうなと思う。あの時出来なかった五輪を今再び日本人の手でやろうじゃないか、と。
そういう、五輪へのトラウマと、トラウマの克服に向けた思いという呪いをかけられたのが、今回の東京五輪だったんだろうなと思う。