未だにアスリートに向かって新型コロナを盾に「分からせ」ようとする人たちをたくさん見かける。
良心を刃物で抉るためだけに「人殺しの顔をしろ」というフレーズを決めゼリフのように使う人がいる。
どうしてもこの言葉が好きになれない。
「"死ね"はアウトだけど"死ねばいいのに"はただの願望だからセーフ」のような詭弁を感じる。
あくまでオーディエンスでいるために便利なフレーズを濫用する、小悪党のようなコスい行動にしか見えない。
オリンピックに限って言えばしっかり自宅待機している貴方の部屋にも、
世界のどこかで過酷な強制労働の末に安価で作られた物がきっと、いや必ず存在している。
こう言うと、まず間違いなくこんな答えが返ってくるだろう。
まあ、そう言うしかない。じゃないとこれまでの発言がブーメランになってしまう。
ただこれは他の人にも同じことが言える。自覚を持っていると開き直られれば何も言えない。
さすがに人殺し扱いするのはマズいから「せめて人殺しの顔をしろ」とオーディエンスの顔で叩いている以上、
居直られたらそれ以上の一線は超えられない。
となると、この発言はひらすら相手の良心を締め付けるか、あるいは開き直られてどうしようもなくなるか、
この二択を期待していることになる。何の意味があるの?と言わざるを得ない。
え、仮に開き直られてもこちらにダメージはないし、効く相手に効いて星が貰えればそれでいい?
完全に加害者じゃん。もう小賢しいフレーズは使わず直接人殺しと言って捕まってしまえよもう。
そうなんよね 「人殺しの顔をしろ」は「正義は我にあり」ってことにしたいだけ
開催支持派がアスリート無罪論を武器にして振りかざしてきた結果。 アスリートも全員が黙ってりゃもう少し非難の声は少なかったろうがしゃしゃってきて火に油注いだ奴も居たでしょ...