言いたいことはわかるので、選挙でどのような投票行動を選ぶことが愚かであるのかをはっきりさせてほしいと感じる。
①「自分が最も幸福になる選択肢に気が付かずに投票を行っている」なら「愚か」として構わないと思う 好感度は間違いなく下がるだろうけど愚かだから仕方ない
②「自分が最も幸福になるが全体の幸福度が下がりそうな投票を行う」を「愚か」とするのは不可能ではないけどやや無理がある
③「自分が最も幸福になるが発言者にとって不都合な投票を行う」を「愚か」とするのは愚か
そういう発言をする人って、①-③のどれに当たるのかをはっきりさせないせいで③をやっていると捉えられてしまう人が多い気がする。ただ、自分の発言が①であることを証明するのはかなり難しいと思う。
「青空文庫なりKindleなりで検索すればいくらでも読めるだろ」ではなく。
小説を読むとき、自分は文字から絵や音を想像しながら読んでいるが、恋愛の場面だけは何も想像できない。登場人物の表情が分からない。
面白い/面白くない以前の問題で、登場人物に感情移入できても、彼/彼女が抱く恋心には没入できない。「その気持ち分かる」がなさすぎて、五十音表をあ行から順番に見ているような気分で場面を読んでいる。当たり前だが、こう考えた時点で登場人物や物語に対する解像度は大幅に下がる。
正直、厨二コピペみたいで自分でもキモいなと思いながら書いてるけど、実際マジで分からないのだ。
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最近読んだ『若きウェルテルの悩み』を引き合いに出すが、主人公ウェルテルはシャルロッテ(ロッテ)という女性に恋をしていて、でもロッテには許嫁がいるからその恋は報われず、いろんな細かな不幸も重なって、結局ウェルテルは自殺してしまう。最初から希死念慮があるみたいな解説をどこかで読んだけど、最終的な自殺の後押しとなったのは失恋だと自分は解釈している。
超ざっくりとあらすじを要約すると「ウェルテルは失恋したので自殺した」となる。だが字面の上での因果関係は理解できても、だからといって「うんうん分かる。辛いよな。分かるよ」とまではいかない。その辛さには同情も共感も納得もできない。読んだ文章をうまく消化しきれない。失恋=辛いという公式を知っていても、自分で証明できない。実感としては無機質な報告書を読むように事実確認をしただけで読後感なんてものは無いし、当然ながら理解できないものは面白くないのでストレスと疲労感だけが残る。超有名な名作を理解できないという羞恥心が後から自分を責める。
「面白くなければ読まなければいい」で済むならそうしたいが、自分はそれができない環境に身を置いているため、ただただ苦痛。読み進めたページの分だけストレスが溜まる。『ウェルテル』だって読めと課題に出されたから読んだのであって、課題でなければたぶんウェルテルがロッテに恋心を抱いた場面(書簡体小説なので正確には手紙)で読むのをやめていた。
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必読と言われるような古典の名作ってだいたい主役の男女の恋愛要素が盛り込んであるし、その恋愛要素で話が動くし、恋愛要素そのものが主題になってたりするので、これから先こんな体たらくではやっていけないという不安が強い。実際に大学の講義で「『ウェルテル』を読んで共感できない若者はいない」とか先生に言い切られた。自分は20代になって少し経ちましたけど、話に共感できなかったのでもう若者じゃないんですね。
結局は自分が恋愛要素を忌避しているだけかも。嫌悪か? 好き嫌いの話なのか? それなら「自分が悪い」って単純に結論づけられるんだけどな。自分の今までの読み方が間違っていたってことなんだから。
改善しないといけないとは思っている。だから何とか読書量を増やして慣れようとしているのだが、これがしんどい。しんどいけど読まなきゃ改善できないから仕方なく読む。つらい。いつか小説を読むことすら苦痛になるのかもしれない。つらい。もっと昔からいっぱい読んでいればこんなことでいちいち悩んだりはしなかったんだろうな。薄っぺらい人生送ってきたんだな。つらい。
たったそれだけなのに、職場で「増田さんすげぇ!!」って超人扱いされた。
仕事で使わないから忘れて当然って言われるけど、自転車の乗り方みたいなもんで忘れようにも忘れられないと思うんだが。
微分忘れろっていわれても微分を知る前の自分には戻れないだろ。
自分と同世代(ちなみに40歳)だけでなく、20代ですら忘れてる。
自分はそんなに大学受験でエリートコースに乗れたほうじゃなく平々凡々だった。
偏差値は覚えてないが、どの教科もセンター試験で8割くらいだったと思う。
嬉しい反面、マジかって思う。
これは本当に思う
「書いてないことを勝手に読み取らない能力」って現代文の試験とかで無理矢理意識しないと養われないんだよな
外から読んでて勝手に脳内で間違った補完をしてても誰も指摘してくれない
反維新がよく言う「維新は文化施設を廃止した! だから維新支持者は文化に興味ない愚民!」とかもアホかとしか思わん。
廃止されたのってろくに利用者がいない施設であって、歴史博物館や市立美術館や東洋陶磁美術館や自然史博物館や市立科学館や図書館は普通に続いてるし、展示がショボくなったなんて事も特にないもの。
歴博なんて先週行ったらガラガラなのに係員は大勢いて逆に心配になったぞ。
(混むときは混むので、今回はテーマがマイナーなのと、まだコロナの影響があるのかもしれんが)
利用者がいなくても続けるのが行政の役目だ!とかご高説垂れる奴は、税金が無尽蔵だとでも思ってんのかよ。じゃあ私のしごと館も続けるべきだったのかよ。
ツイッターで「国際児童文学館がなくなって研究が大変になったから維新はクソ」とか言ってる奴がいて眩暈がしたわ。何でお前の個人的研究に市民府民の税金使わなきゃならないんだよ…。国か大学に頼めよ。
と思ってたら別のツイッターで「文楽の件で維新批判は分かったから実際に足を運んでほしい。文楽劇場閑古鳥だから」というのを見て、あーと納得。
疑問が一切なくて全て肯定の人のほうが少ないだろう
D_Amon 例えばプラモデル初回生産はものによっては数千個で、そういう小さな市場だから容易に買い占めて流通を塞き止めて高値で売りつける商売が成り立つ。メーカーは実需要的に供給大幅拡大はできない。わかるか塞き止め屋
塞ぎ止め屋などと悪し様に言っているが、それの何が悪いんだろう?
最初からメーカーが高値で売ればいいじゃないか。もちろん高すぎると売れないリスクがある。
転売ヤーはそのリスクを抱えて高値で売る。メーカーにとっては客も転売ヤーも買ってくれると言う点で同じ。客にとってはどちらからでも高く買うことになるから、同じ。
世間体が邪魔になる点だけが違うけど、その世間体を作ってるのはアンチ転売ですよね。
アドバイスの体裁をとった脅迫じゃんか。その言い方。下の「大学出てなさそう」さんとか、反転売勢って倫理を盾にして攻撃してくるのに、冷静な議論を持ちかけたりはしないよね。
mouki0911 商社は生産者から小売への取り次ぎだからむしろ産業の発展に寄与することを目的にしてるけど、転売は普通に小売店で買えるものを釣り上げるんだから産業を発展を阻害するんだよ。
規模の小さい服のセレクトショップなどは小売店から買い付ける場合もあると思う。原油価格高騰みたいに、需要が上がれば価格が釣り上がるのは普通のこと。転売の存在は生産者にとってプラスにならないがマイナスにもならない。阻害しているとは言えない。経済を回していると言う意味で社会にはプラスだ。生産者が最初から高く売れない理由があるなら、それこそが産業の発展を阻害している。転売は消費者にとってはマイナスだ。だけどそれは、元々が不正に安い価格で買えていただけでは? 高く売れない理由が生産者を押さえつけ、消費者に利する。転売ヤーはその鎖を断ち切って経済を回す。
小売店から買い付け出来ないようにする限定は不自然だと思う。A さんがレモネードを作っていて、B さんが買って別の誰かに販売していて、でも実は A さんは C さんにも売っていた。そのことで B さんが責められる。わけがわからない。この道徳を合理化するには小売店の厳密な定義が必要だ。
ピチピチじゃん