沈む泥船にしがみつくアホはいない
四肢切断を望む人々
http://x51.org/x/06/04/1009.php
そして現在、車椅子に乗って生活しているカールは、今になってようやく、四肢切断を後悔する兆しがあることを、正直に告白している。例えばそれは、車椅子では決して出来ないこと― 例えばビーチで砂浜を踏むといった ― に気づいたときである。
「(後悔を感じるのは)本当にちょっとした、些細なことなんです。でもそんなとき、自分はそれまで一体何を考えていたんだろうと、思うことがあるんです。」
ヒグマを追うようになって、色々な本を読んだり、またこういう撮影スタイルがめずらしく面白がっていただいたのか、クマと深く関わって生活する方々ともお話しする機会を頂いたこともあり、少しずつクマに関する知識も増えてきました。その中で印象に残っていたのが『オスグマ』という言葉。当時の私はクマに出会うことを目指すのが精いっぱいで、さほど個体ごとの特徴には注意を払えていませんでした。しかし、デカいオスグマというワードが耳に入ってくるとやっぱり気になります。
「足跡の幅が何cm以上ならオスグマ」とか、「体重〇〇kgだからこれは間違いなくオスグマ」とか…。なんだかボスキャラみたいじゃないですか。
どうやら格が違う大きさのようですが、当時の僕には実感がわきません。「大きなヒグマなら見たことある。肩も張っていて格好いい体躯だったし、あれがオスグマだったのかもな…」ぐらいに思っていたのです。 web
ヒグマをはじめとする野生動物を追うようになり、自分の足でフィールドを歩き、食性を知り、地形を知り、少しずつ被写体に近づけるようになってきました。クルーズ撮影や、名所での撮影など、例外もありますが、私の基本的な撮影スタイルは『歩いて撮ること』。そこには、出会いまでの長いプロセスを経た、動物達一頭一頭との出会い方があります。森であったり、海であったり、山の上であったり…。自ら手繰り寄せた『出会いのエピソード』は、撮影活動の中で蓄積してきた大切な財産です。そんなエピソードたちを、時々一つずつ、写真と共にご紹介できれば楽しいかなと思っています。更新頻度をキープするためにも、文字数は短めで。笑)
是非ぜひお付き合いください。web
グラフィックとか音質とかそういうのはそこそこでいい
お布団の中でゴロゴロしながらそれなりに楽しかったー!って思えるくらいで丁度いい
2020年の年末にデニーズを利用したところ、レシートに「メニューアンケートにご協力ください」との記載があることに気づきました。ふつうの感覚だと「こういうのやる人いるのかな?」と廃棄スルーするかもしれませんが、そこは私の職業病です笑。
このメニューアンケートの出来が最高でした!飲食店が行うお客様アンケートを成功させる、ただひとつの重要なポイントを見事に押さえているのです。それは何かと言えば――「アンケートの設計段階でお客様の状況を理解している」ことなのです。
「お客様を理解するために→アンケートを実施するのでは?(設計段階ではわかりようもないのだから)」と思ったかもしれません。実はこれ、順序が逆なのです。アンケートでは、「設計段階から」ある程度お客様の状況を理解していることが重要です。web
飲食店が行うアンケートは、ほとんどのケースで「味・値段・接客」の評価を総合的に問う内容から出来ています。一見、お客様の状況を踏まえた設計のように見えますが、このような紋切り型の質問で埋まる項目には、ほとんどお客様理解が入っていません。
でもただ単に性的な欲求だけで四肢切断されたいと思っているので、本当にされたら日常生活は大変だからなぁ。
10代の頃から検索しては悶々としているのでこれを海外ではアンプティーワナビーと呼ぶことも知っているし、やっちゃったワナビーが普通に後悔してるのも知ってる。
でもやっぱり憧れだよなぁ。
仰る通りです。参りました。
有名なのは和田アキ子さんだろう。毎年、芸能界の重鎮、アッコファミリーの面々が集い、大々的に開催される。その豪華メンバーに、一昨年はAbemaでテレビ中継もされていた。
勿論、ボクは参加したことはないのだが、毎年、幹事は誰、誰が何人規模で参加したか、などが話題になるので、ある意味「芸能人の靖国参拝」とボクは呼んでいる。(無論、漫才のネタですよ)
対称的に殿は歳を取るに連れ、毎年、誕生日が地味になっていった。
と仰られ、軍団に集合をかけることもなくなった。
誕生日後に、スタジオで偶々、お会いして祝福の言葉を言うと、口に手を当て「しー」とする。
「そういうのは言わなくていいんだよ」
弟子が誕生日を強調して、スタッフや周囲に気を遣わせることを良しとしないのだ。
70歳に成られた時は、古希の祝いとして、ご自宅にお届け物と個人的にお手紙を同封した。
殿にお手紙を書くことなど、弟子志願の時、以来なので緊張した。
内容についてはまだ書かないが、ハガキ職人が書くような、くだらないことだけを書いた。
翌日、フジテレビのバイキングの生出演後、移動の車に乗っていたら電話がかかってきた。殿からだ。車の中なのに直立不動してしまう。
「おい、水道橋!オマエの手紙は笑ったよ。なんだあれ、あれは最高だったなー。まー笑った、笑った。とにかくありがとよ!」
と言って切れた。
友人に借りて聴いたオムニバスアルバム「FAT MUSIC FOR FAT PEOPLE」
そのバンド名は STRUNG OUT,
僕が STRUNG OUTと 対バン?
「リハでやってみてメンバーからOKが出たら本番もやろうか」と連絡があった。
何がやりたいだと??
そしてセトリを貰っていない。
当日の動画です↓
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友人に借りて聴いたオムニバスアルバム「FAT MUSIC FOR FAT PEOPLE」
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伝説の名盤として後世に語られるオムニバス。その三曲目だったかな?それを聴いた時に始まった。
それを聴いた中学生はこんな事を思った。
web「自分がいつかバンドをやるとしたらこの三曲目のバンドみたいなのをやりたい!」
そのバンド名は STRUNG OUT,
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すぐに今は亡き新越谷タワレコに探しに行った。そこでFATから出た「twisted by design」を買い、一曲目の「too close to see」に心を撃ち抜かれた。
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それから数年。僕が今もやっているRIDDLEというバンドを始める直前の話だ。19歳の時の話。
先輩と一緒に初めてSTRUNGOUTのライブを観た。横浜ベイホール。黒づくめの五人組は次から次へと爆音で高速メロディックチューンを繰り出し、僕はモッシュピットで灰になった
新宿アシベ
どんだけ好きなんだと。
19歳の時も30越えてからも同じテンションでシンガロングし、ダイブし、号泣した。
2016年。いろんな巡り合わせで僕のバンドRIDDLEは結成から13年経ったこのタイミングで吉祥寺シータでのオープニングを務める事になった。
僕が STRUNG OUTと 対バン?
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公演当日。
STRUNGOUTへの愛。STRUNG OUT だけでなくFAT wreckというレーベルが、90sメロコアがどれだけ僕達の青春を彩ったか。
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あなたたちが!どれだけ日本のライブハウスシーンに夢を与えたか!
楽屋に帰ってからもSTRUNGOUTメンバーに拙い英語で同じような事を伝えた。たぶん僕は泣いてた。ギターのロブがハグしてくれた。
その日のライブは格別だった。最初は関係者エリアで観ていたのに「vevet alley」のイントロでモッシュピットに突っ込んで行った。
「too close to see」はいつだって、何回観たって泣いてしまう。何度聴いても完璧な一曲だと思ってしまう。
夢が一つ叶った。
そして、また共演したい!て夢ができた。
またまたSTRUNG OUT来日公演が決定した。今回は東京のみ二公演。
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今回は共演出来ないのはちょっと残念だけど当然僕はワンマンの方に行く気まんまんでワクワクしていた。
ところがだ。
前日に招聘元のチームの一員であるY君とメールしていたら「ギターのジェイクが身内の不幸で来れない。ギター一本の四人体制でやる事になりそうだ」と
何故かこの時僕は冗談で「残念だなー!僕結構弾けるけどなー!」みたいな事をメールした。
え!待って待って!冗談だよ!待って!お前は何を言っているんだ!
来れなくなったのは仕方ないとして一曲でも彼等のバンドの持ち味であるツインギターで演奏された方がお客さんも楽しいだろうという話だった。
話はサクサクと転がり、とりあえず僕は翌日会場にギターを持っていく事になった。
メンバーが何をやるかも解らないので練習しようにも出来ないし、何より前日の深夜だった。
「色々聞いてるかもだけどベストは尽くすけど期待しないでね。明日楽しみにしてます!」とメールして、開き直って寝た。
起きたらY君から連絡が来ていた。
「リハでやってみてメンバーからOKが出たら本番もやろうか」と連絡があった。
逆に言うとメンバーからNGが出る可能性も多いにあるということだ。
自信など全く無いがリハでちょこっと彼等の曲を合わせるだけでも一生の思い出だ!と腹をくくってアシベに向かった。
到着するとサウンドチェック最中。マジでジェイクはおらず、四人でワンマンをやり切る気のようだ。
Baのクリスが僕を見て「タカヒロだろ!早速合わせよう!」と声をかけてくれた。
雲の上を歩いてるみたいな気持ちでセッティングをしていると、Gtロブが「なにが弾ける?何がやりたい?」と。
何がやりたいだと??
僕はもしそう聞かれたら「too close to see!」と言うつもりだったのに何故か「vevet alley」と言った。何故わざわざ難しい曲を!!
五人で一回velvet alleyを通して、Voジェイソンが「完璧!」と言って何処かへ行った笑
この時点で僕は幸せ死にしそうだった。STRUNG OUTのメンバーとSTRUNG OUT演奏してるんだぜ!
クリスが「セッティングの時別の曲のリフ弾いてただろ?それをやってみよう!」と言い「no voice of mine」という曲を一回通した。「完璧!」と言いクリスはどこかへ去った。
ロブとジョーダンが僕の目を観て「too closeは弾けないの?」と言った。反射で僕は「自信無い!」と言った。
本当は一番弾ける曲だった。何度も何度も弾いてきた曲だ。
でも彼等の代表曲だ。僕なんかが弾いたらおこがましいし、日本のファンも良い顔しないだろうと思った。
ロブが弾いてみてと言うので軽くコード進行をひと回ししたら、二人は特に何も言わず何処かへ行った。
アメリカのバンドは日本とは違う。セットリストを提出などしないし、直前まで決めない。
オープンし続々とお客さんが入る中。僕は何曲やるのか何をやるのか何曲目にやるのかも解らないまま、アシベの倉庫でカチャカチャ練習していた。
19歳当時の僕を横浜ベイホールに連れてってくれた先輩バンドマンの上野さんに電話して、状況を説明し、「頑張れっていってください」とお願いするくらいにはテンパってた笑
先輩。TOO CLOSE TO SEEというバンドのギタリスト上野さんは「思いっきりやんなよ!」と言ってくれた。
スタートまで十五分というところで陰でガチャガチャ練習していた僕のところへロブが現れ、「さっきのアレだけどちょいちょい押さえ方違ったぞ。本当はこうだよ」と修正をしに来た。今言う?それ今言う?!
生きとったんか・・・われ