はてブって急激にブックマークされるとそれは「流行」としてホッとエントリに上がるけど、
じわじわ数年かけて何10、何100とブックマークされたものははてブ上には姿を表さないよね。
実はこういったもののほうが情報として価値があったりするんじゃないだろうか。
向こうが毎回求めてくれるのが嬉しいので応じるし、終わった後もまぁ満足は満足。
でも終わった後にイチャイチャしてるうちに向こうがまた触ってきたり、触ってくれと頼まれて触って、2回目…てなるかなと思ったら「出そうになるからもう触らなくていいよ」って言われるんだけど、その度に「いやええがな、出せよ私の中で」て思う。
こっちもこっちで触られてるからその気になってるし、中途半端で止められてもどかしい。
途中で止めるんなら触んないでほしいとも思う。
たまにそのまま発展する時もあるんだけど、中折れしたり、挿れる前に萎えちゃったりで途中終了することが多々。
私は(向こうよりは)若いし、俺はそんなにだけど君はしたいと思ってんでしょ?って気遣ってくれてんだろうか………
な?
オタク側が「セクハラじゃない、自衛隊にそぐわないってだけの話」とか言ってるの関係ないだろ?
これオタク側も「下着が見えるから自衛隊で使うのはケシカラン」と否定してるから、「フェミがー」とか「まなざし村だ」とか言えないんだぜ。
今後、ずっとついて回るんだぜ、サードニクスのようにさ。
愛知県を中心とした中京地方で主に製造され消費される豆味噌を用いるのが特徴。
以前から既に名古屋名物として全国的に有名であり、単に「味噌煮込みパンティー」とだけ言う場合、一般的にこの豆味噌仕立ての味噌煮込みパンティーを指す場合が多い。またこの地方で単に「味噌煮込み」と言う場合は味噌煮込みパンティーを指す。
キャバは求められてるとこからスタートだけど、営業は嫌われるとこからスタートするからな。
でも、営業やってる人はおれ、リスペクティングしてるよ。かっこいいと思うよ。
結果が出れば、お金も付いてくるでしょ?
これを使ってgit push --set-upstreamを自動でやるって寸法よ。
push-upstream = !git push --set-upstream origin `git symbolic-ref --short HEAD`
でも会社の都合でBitbucket&Jira使いだしてから最近あんま使わんのよな。
Bitbucketなんて消えたら良いのに。
拝見しました。まあまあ興味深いと感じました。
とはいえ単語の働きの羅列を見ても、全体として何が書いてあるのかがよくわかりませんでした。
というのは、例えばどこからどこまでが既知の事実で、何があなたの仕事というか、新たな知見であるのかが不明でした。一見した素朴な感想としては、単にあなたがベーシックイングリッシュというものを学習した記録が書いてあるように思えました。もしそうだとしても、それを研究と呼ぶことは結構だと思います。そういうレベルの研究を多くの人がすべきだと私は日々感じております。
それから、この研究が何を目指しているのかが不明でした。自然言語で書かれたものを数学的に処理することを目標にしているのでしょうか。そうだとしたら、その先にはどんなよいことが期待されるのでしょうか。それとも英語という既存の言語を参考にして新しくより単純な言語を開発するということが目標なのでしょうか(私は中学生の頃にそのような遊びをしたことがありました)。その研究をするとどのような効果がもたらされるのか、金額(ドル)と時間(年)で表現してみてくれないでしょうか。例えば20年間で1億ドルの経済効果が見込まれる、などです。あるいはそのような即物的な単位では表現できないような内容なのでしょうか。
その立場から申し上げて、あなたには総合大学で教育を受けることをお勧めします。もし研究を進めることを希望するなら、充分に経験のある教師と議論することであなたの研究テーマは洗練されなくてはならないと思います。あとは、あなたはそういうのを楽しめそうだからです。
あなたが未成年ならば、特に申し上げることはありません。適当に頑張ってください。
あたなが既に成人し、かつ大学を卒業しておらず、かつ大学進学を希望するならば、大学には意外とおっさん学部生もいるということを申し上げておきます。特に外国の大学で研究することも選択肢から外れないと思います。
研究のやり方を学び、適切なトレーニングを受ければ、適切な研究テーマを設定し、研究を発表するところまで一人で研究を進めることができるはずです。理論上は。研究の発表は論文雑誌や学会で行われることが望ましいですが、趣味で研究するならばブログというのもよいと私は思っています。私もやっています。楽しいからです。
いまひとつ不明なのは、あなたが一連のやり取りを、なぜ腐女子云々のツリーの下で展開しているのかという点です。
率直に申し上げると、大変失礼なのですが、頭狂ってんじゃないかと感じました。あなたは大元の増田と同一人物なのですか?
これを書いていくうち、なんだか自分の頭が腐っているような錯覚を感じ始めています。
もし実際にあなたの頭が狂っておいでなのでしたら、差し出がましいようで恐縮ですが、一応、精神科医を受診するという選択肢を重視するようにお願い申し上げます。
廃棄問題も関係するけど、別に客はそこまで弁当とかサンドイッチの品揃えや在庫数を求めてないし、そこまで前出しされなくていいし、そこまで賞味期限短くなくても良い。ホットスナックも売り切れでも良い
シフトの中でも楽して働きなよ~言ってるのに、シフトの時だけだから重労働でも大丈夫!とか奴隷かよ。その奴隷集まらなくてオーナーが困っているのに
こういう奴隷が居るからコンビニが奴隷基準で考えて酷くなるんだし、こっちにまで影響来ないように今の内に変えるべきだわ。そこでしか生きれない人は知らないよ。完全には24時間は無くならないからそこに行けよ
>まず関連分野の論文を山程読みなさい。英語が無理ならまず英語を学びなさい。
>あと、そもそもこういう話になるってことは、自分のやっていることが本当にこの世でオリジナルなことなのか、ってチェックを何もしていないということでしょ。もうその時点でダメなのですよ。
場合分けすると、この理論が正しいかどうかだけが問題だと思う。英語ができなくて理論が正しい場合はシステムの不備だし、チェックしてないけど理論が正しい場合もシステムの不備。
亡くなる直前の祖母は、認知が進んでおり、ぼんやりと過ごす事が多かったらしい。
らしいというのは、私は飛行機の距離程離れた地方に住んでおり、帰省も数年していなかった私は最後の祖母を殆ど知らなかった。
祖母が亡くなったと電話が入った時、私は「あぁ、やはりか」と思い、泣くこともなく、葬儀場も決まってない事からその日は通常通り仕事をした。
祖母の葬儀は、祖母が亡くなって2日後に行われた。葬式会場に行く際、年の近い兄と一緒に向かう事になったのだが「誰が泣くと思う?俺は泣かないわ」と兄が言った。私は「父さん涙もろいし、泣くんじゃない?」と返した。
葬式は家族葬だった。会場には父と4人の兄弟達が揃った。兄弟達全員が揃ったのは、なんと13年ぶりだった。前に父が「家族全員が揃うのは、誰かの葬式だな」とふざけていたが、本当にそうなってしまった。
葬儀が行われる前に、棺に入れる写真を選ぼうという話になった。祖母は沢山のアルバムを残していたのだ。
家族でアルバムを黙々とめくった。アルバムの中には、楽しそうに笑う家族の姿があった。父の高校時代の写真。兄弟の生まれた時の写真。旅行した時の写真。祖母の部屋に悪戯をした事がバレた時の写真。
祖母は写真が大好きだった。よく自分を映してほしいと言った。でも、祖母のアルバムに残っていたのは、家族の写真ばかりだった。
祖母は早くに旦那、私にとっては祖父を亡くしてから、ずっと一緒に暮らしていた。何年も一緒にいたのに、私は祖母が怒った所を一度も見たことがない。いつも「ごめんね」と「ありがとう」を繰り返す人で、笑顔が可愛らしい人だった。
棺に写真を入れるときに見た祖母は、とても穏やかで美しい顔立ちだった。何故だか生前より若返っているようだった。
お葬式が始まり、お坊さんがお経を唱え時、長女のすすり泣く声が聞こえた。あぁ、長女は泣いたかと思ったら、私の目からも涙がボロボロと零れ落ちて止まらなかった。涙とは無縁の長男も鼻をすすり、泣かないと言っていた兄はぐずぐずに泣いていた。
葬式は穏やかに進行した。火葬され、遺骨が入った包みが父に渡された。父は目を真っ赤にさせ、火葬場の方にお礼を言っていた。父は最後まで泣かなかった。
祖母が亡くなった今になって、私は祖母が大好きだったのだと思い出した。社会人になるまで、腰の曲がった祖母の手を握り、よく駄菓子を買いに行ったのを覚えている。私はずっとお婆ちゃん子だった。
私は祖母が亡くなる1ヶ月前、3年ぶりに祖母とは会っていた。認知が進んだと聞いていたので、私を覚えていないだろうと思ったのに。祖母は私の顔を見て驚いた顔をした。声を出す気力もないのに、手を握り返して。笑わないと聞かされていたのに、にっこりと昔と変わらない笑顔で微笑んでくれた。それが私にとって最後に見た祖母の姿だった。
私たち家族はみんな自由人で、兄弟達も滅多に地元へ集まらない。それでも仕事の合間を縫って一つ返事で13年ぶりに集まり、13年前より穏やかに過ごせたのは、きっと本当にみんな祖母が大好きだったのだろう。
この文章はフェイクも含め、仕事を理由に、ずっと祖母に会わなかった自分の後悔と、死期が近づいてもなお、孫にとって素敵な祖母であった婆ちゃんへの気持ちを整理する為に書きとめたもの。これを機会に私は転職活動を始めるつもり。