亡くなる直前の祖母は、認知が進んでおり、ぼんやりと過ごす事が多かったらしい。
らしいというのは、私は飛行機の距離程離れた地方に住んでおり、帰省も数年していなかった私は最後の祖母を殆ど知らなかった。
祖母が亡くなったと電話が入った時、私は「あぁ、やはりか」と思い、泣くこともなく、葬儀場も決まってない事からその日は通常通り仕事をした。
祖母の葬儀は、祖母が亡くなって2日後に行われた。葬式会場に行く際、年の近い兄と一緒に向かう事になったのだが「誰が泣くと思う?俺は泣かないわ」と兄が言った。私は「父さん涙もろいし、泣くんじゃない?」と返した。
葬式は家族葬だった。会場には父と4人の兄弟達が揃った。兄弟達全員が揃ったのは、なんと13年ぶりだった。前に父が「家族全員が揃うのは、誰かの葬式だな」とふざけていたが、本当にそうなってしまった。
葬儀が行われる前に、棺に入れる写真を選ぼうという話になった。祖母は沢山のアルバムを残していたのだ。
家族でアルバムを黙々とめくった。アルバムの中には、楽しそうに笑う家族の姿があった。父の高校時代の写真。兄弟の生まれた時の写真。旅行した時の写真。祖母の部屋に悪戯をした事がバレた時の写真。
祖母は写真が大好きだった。よく自分を映してほしいと言った。でも、祖母のアルバムに残っていたのは、家族の写真ばかりだった。
祖母は早くに旦那、私にとっては祖父を亡くしてから、ずっと一緒に暮らしていた。何年も一緒にいたのに、私は祖母が怒った所を一度も見たことがない。いつも「ごめんね」と「ありがとう」を繰り返す人で、笑顔が可愛らしい人だった。
棺に写真を入れるときに見た祖母は、とても穏やかで美しい顔立ちだった。何故だか生前より若返っているようだった。
お葬式が始まり、お坊さんがお経を唱え時、長女のすすり泣く声が聞こえた。あぁ、長女は泣いたかと思ったら、私の目からも涙がボロボロと零れ落ちて止まらなかった。涙とは無縁の長男も鼻をすすり、泣かないと言っていた兄はぐずぐずに泣いていた。
葬式は穏やかに進行した。火葬され、遺骨が入った包みが父に渡された。父は目を真っ赤にさせ、火葬場の方にお礼を言っていた。父は最後まで泣かなかった。
祖母が亡くなった今になって、私は祖母が大好きだったのだと思い出した。社会人になるまで、腰の曲がった祖母の手を握り、よく駄菓子を買いに行ったのを覚えている。私はずっとお婆ちゃん子だった。
私は祖母が亡くなる1ヶ月前、3年ぶりに祖母とは会っていた。認知が進んだと聞いていたので、私を覚えていないだろうと思ったのに。祖母は私の顔を見て驚いた顔をした。声を出す気力もないのに、手を握り返して。笑わないと聞かされていたのに、にっこりと昔と変わらない笑顔で微笑んでくれた。それが私にとって最後に見た祖母の姿だった。
私たち家族はみんな自由人で、兄弟達も滅多に地元へ集まらない。それでも仕事の合間を縫って一つ返事で13年ぶりに集まり、13年前より穏やかに過ごせたのは、きっと本当にみんな祖母が大好きだったのだろう。
この文章はフェイクも含め、仕事を理由に、ずっと祖母に会わなかった自分の後悔と、死期が近づいてもなお、孫にとって素敵な祖母であった婆ちゃんへの気持ちを整理する為に書きとめたもの。これを機会に私は転職活動を始めるつもり。