https://twitter.com/otoimi_gogen/status/940189427090915328?s=17
例えばこれ、aud- が「 音、音響、声」なのはいいとして、「意図の集中」、「区切り/終止」、「集合」ってそれぞれなんのことなのか。
意図とは何か。話者の意図のことか。集中とは意図が何に集中するのか。そもそも意図というのは集中するものなのか。
「区切り」と「終止」はたぶん同じことを別の言い方で言っているだけだろうけど、なんの区切りなのか。
「集合」とはなんの集合なのか。
こういうことが全くわからない。
また、根本的な問題として、「音と意味」について言ってるはずなのに、実際には音ではなく綴りとの対応関係を示しているようだ。ご存知の通り英語の綴りと音は一対一で対応しない。
増田に対する反応って
1.言及
わざわざ別のサービスを介して、ブックマークという形で文章残す意味ってあんの?
俺は増田に対してはいつも言及で文章化して意見聞いたりしてるんだけど、そのほうが相手からの返信あったりして会話できるじゃん。
断然言及のほうが簡単だし匿名だしいいと思うんだけど、ブックマークコメントする必要ってなに?
独り言として処理したいとか?
両方、仮に立場が男女逆になっても、全部男が悪いってことにされてんじゃん
女芸人No.1決定戦観てて思ったんだけど、女芸人ってネタの中身が面白いっていうのがほとんどない。
だいたいブス・デブ・おかしな恋愛で笑いを取りにきてる。女芸人が女としていかに滑稽な姿を見せるかで笑わせようとしているから面白くないのだと思った。
異性として見られていると思ってたら、ただの友達と見られていたとき。
どちらが罪深いのか。
追記1
ぼくは男だから「友達だと思っていたのに、実は恋愛対象で見られていたとき」の裏切られ感はまったく理解できない。
女性のみなさん、もしくは紳士のみなさん。この裏切られ感の気持ちの詳細を説明してください。
追記2
申し訳なさがあるとその後のコミュニケーションに壁ができるっていうか、
なんかちょっと気を遣っちゃってうまく会話ができなくなることを何度も経験してました(そういえば
追記3
実はここからが本題で。
一応「友達として…」を共有したうえでデートしたりしたんですが、
そのうちやっぱり恋愛感情が芽生えてくるじゃないですか!?!?!?
それでその子に今の思いを伝えたら、「友達として見ていた」と言われてしまった始末です。
やっぱり反省すべきはぼくなんですかね?
でもでも彼女もイケメンだの優しいだのめっちゃ言ってくるんですよ。
それに惑わされてしまいました。
自サバとは少し違うかもしれないが、最近すごく面倒な人と知り合った。
アラフィフの後半くらいの年齢だと思う。
昔はそれなりにモテたという経験があるのだろうが、いちいち人に対して上から目線で話しかけてくる。
今の職場は水商売とまではいかないけど接客をある程度必要とする飲食店で、訪れる人に対して親しく接するというのが運営方針だ。
私は前からそのお店にかよっていた常連で、先日色々あってその職場でアルバイトさせてもらうことになった。
そのBBAの特徴は色々あるんだけど、一番迷惑なのは「人の言わないことをズバズバ言うあたしってかっこいい」という勘違いをしているということだ。
具体的には、お客さんの1人が「いや~僕、もてないんです。なかなか好きな人に話しかけられなくて」という話題をしていたとき、割り込んできて
「それって単に努力が足りないんじゃない?今着てる服とか安物でしょ。それでモテないとか、なんか違うなあ~」
とか言い出す。
そのお客さんは別に深刻に恋愛相談してたんじゃなくて、周りに「恋人作らないの?」みたいなことを言われて謙遜して言っただけな流れだ。
そのBBAがいない時なら「じゃ、どういう人が好きなの?」とか「でも、(芸能人の名前)にちょっと似てるから絶対大丈夫だよ」みたいな軽い会話で愉快に流すところ。
一瞬会話が止まって、それでもそのお客さんが気を使って「僕、前にフラれたことがあるんで、今はあまり積極的に恋人欲しいってわけじゃ」と言うと今度はそのBBA
「ダメダメ!そうやって逃げてるから結果がついてこないの。努力もしないで言い訳してるからモテないんじゃない」
とか、さらに筋肉がだらしないとか、髪型がダサいとか次々にダメ出しを頼まれてもいないのしていく。
途中からそのお客さんも「はあ、そうっすね」みたいに引きつった笑いをしていた。
で、空気がちょっとしらけたんでお客さんが帰ろうとすると、一緒に席を立って肩を叩いたら
「頑張ってモテなさい!じゃ、またね」
とか、いかにも「ズケズケした物言いをしているけど、それはあたしがサバサバした性格をしてるから」とでも言いたそうな馴れ馴れしい態度で出口までついていこうとした。
そんなことが何度もあるので、私や他のスタッフがあとからメールなどで「ごめんね。また今度来てね」といったフォローをすることもよくある。
個人的な付き合いならそういう自サバ勘違いBBAとは距離をとればいいんだけど、同僚だからそういうわけにもいかない。
もちろん同僚にも自サバ勘違いアドバイスを発揮して、その服はセンスが悪い、最近太ってだらしないとかズケズケ言ってはそのあとでやたら馴れ馴れしい態度を取る。
一応昔からいる人なので店長もやめさせるとかは考えていないようなんだけど、本当に迷惑だしその人がいると会話の流れがすごく気まずくなる。
なんとかBBAを追い出すか、そういうクソババアな態度はみっともないということを教えてやりたいところなんだが。
あの年じゃあ無理かなあ。
集合論とフローチャートの知識があっても(そっちもそんなにないのだが)日本語のことが分からなきゃ無理だよ
もっと詳しい増田が別の枝に来てくれたみたいだから、そちらに任せます
丁寧に答えてくれてありがとう
あれ?ストロングゼロが出てこないんだけど...
https://anond.hatelabo.jp/20171211215457
よく理解できるときは自分が何がわかっていないかすぐにわかるし、質問もしやすいのだけど、わからないことが多すぎると質問もできない。
「わからないなら質問しろ」というのはわからない人を突き放してしまう。
上に貼った増田は、とてもよくできた質問だと思うから、これに返事を書けば俺もわかるかもしれないし他の人もわかるかもしれない。俺は自分でこんなにいい質問ができるとは思わない。
思い出せるかぎり小学四年生の頃にはすでに遺書を書いていたし、それ以前からもやんわりと死にたかった。
十歳の時点で死にたいって、なんだか親に問題がありそうだけどでも多分そんなことはぜんぜんない。いい親だった。いい親だったからこそいまなんとか生きていけてるような気さえする。でも家からははやく出たくて、高校は寮付きのところに行ったから15歳から家を出る形になった。いまとなっては、とくに父親にたいして申し訳なく思っている。(もう少し娘が家にいたほうが嬉しかったかなって)
不思議なのは、死にたいんだけど、死にたいはずなのに、自分自身にはぜんぜん不満がないってこと。性別も顔も声も生まれも立場も学歴も職場もいまのままでぜんぜんいい。友達については特に、この人たちと友達でいられてよかったと瞬時に思える人間が四人もいる。(いわゆる親友というかたちで名指ししても全く問題ない関係性のひとが四人)ほかにも、学校のコミュニティとか会社の同期とか、仲良くしてくれる人たちもいて、飲み会とか好きじゃないからあんまり予定は作らないけど、それでも週に一度はだれかと遊びに行くし、恋人と同棲もしている。なんの不満もない。趣味は読書と手芸。ものつくるの楽しい。(さいきんはどっちも興味わかなくなっちゃったけど)
なんだかぬるま湯の低温の希死感というか、死んでもいいのになあ、みたいな気持ち。昔は慟哭的な死にたさを抱えていたころもあったけど、あの頃と比べるとほんとマシになった。今は和らいでるから分かるけど、あのころは本当に本気でいつ死んでもかまわないと思ってた。いつまでこんな悲しいことが続くんだろうって思いながら、そのときそのときで、友達とか恋人とか、周りにいる人のおかげでなんとかうまいことやってきた。でもぜんぜん「死にたい」は消えない。一瞬いなくなったように思っても、気付けば身近にいる。
最近は失踪するといいのかもなあって思ってる。貯金500万あるから、それもって3年ぐらい失踪して、そんで困ったら死ぬのってどうかな。って自分と相談したい。あしたから行きません、ってメールしたらみんな困るかな。いや困るっていうか、心配してくれるだろうし親に連絡してくれるだろうし、同期もおおさわぎしてくれるだろうし友達なんてどれほど深刻に心配してくれるかわからない。家族のことみたいにあわてると思うし、ショックも与えちゃうと思う。弟が絶望するんじゃないかと思うとこわい。両親にはただただ申し訳なくて、なんの落ち度もないふたりがそんなひどく悲しい思いしなきゃいけない理由なんてないし、だからぜったい出来ないと思うけど、でもそういう選択肢を考えるだけで気持ちがほんの少し落ち着く。たとえば、四歳のころから一緒にいる犬のぬいぐるみはぜったいスーツケースの一番うえに詰めて持っていこう、とか、やるはずない悪戯の計画だけ立ててたのしくなるような感じ。
じつはもうすぐ誕生日なんだけど、友達がものすごくがんばって準備してパーティーひらいてくれた。ケーキも作ってくれた。わたしの好みにあわせた雑貨のお店探してくれてここで1万円まで買い物していいぞって言ってくれた。クリスマスパーティーも毎年してるしプレゼントなにがいいか早く決めてねって言ってくれる。父親のことすごく好きで尊敬してる。会社ではさいきん、若いのに周りが後押ししてくれてリーダーにあがった。料理上手な恋人がいる。ツイッターでは趣味の合う人と手軽に知り合えて話せて楽しい。初めて出したオリジナル小説の同人誌が(極小部数だけど)完売したときは嬉しかった。去年よりも成長した部分だってあると思う。自分の人生で変えたいところなんてひとつもない。何歳の頃にも戻る必要はない。そして、こんなに書き連ねてみてもだめ。毎年なぜか誕生日前はとくに死にたい。なんでだろ。
ほんとうにつらつら書いちゃったけど、ひとつだけ人のためになることが言えるかもしれない。「子供に死にたいって言われた」って、ママさんたちの育児相談所みたいなところにそんな書き込みがあって、子供が死にたいって言うなんてほんとうじゃないって、親を信用していればそんなこと言い出すわけないって、回答つけてる人がいた。そこまで批判的じゃなくても、もう少し配慮がたりないんじゃないかとか、善意のアドバイスをしている人もたくさんいた。みんないい人なんだと思う。死にたいって思ったことだってあるんだと思う。でも、わたしのような人間だけがそういうお母さんに言えることがあるとするなら、もしかしたらその子もわたしの同種で、あなたにはなんの落ち度もないのにどうしようもなく「死にたい」のかもしれません。だとしたらごめんなさい。わたしは両親が好きです。感謝しているし、すくなくとも今は外からみたらそれなりにちゃんとやっている人間に見えると思うし、そして二人にはなんの落ち度もなかったと思ってます。これだけはほんとうのことです。
その相談所を見ながら、そうか、子供が生まれちゃったら子供のためにぜったい死ねなくなるんだよなあ、って、ぬるい絶望の種がまた心臓に落ちてくの感じた。