はてなの村に住むb:id:death6coinというブクマカが、天下第一のブクマの名人になろうと志を立てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今投斧をとっては、名手・b:id:cider_kondoに及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて古典を引くに百発百中するという達人だそうである。death6coinは遥々徳島をたずねてその門に入った。
cider_kondoは新入の門人に、まず瞬きせざることを学べと命じた。death6coinは家に帰り、b:id:kiya2015のスターボタンの下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。眼とすれすれにセブンスターが忙しく飛ぶのをじっと瞬かずに見詰めていようという工夫である。二年の後には、遽だしく連射されるスターをブコメが掠めても、絶えて人気ブコメ入りすることがなくなった。彼はようやくボタンの下から匍出す。
ついに、互助会のスターとスターとの間に小さな一個のスターをことごとく挟むに及んで、彼はようやく自信を得て、師のcider_kondoにこれを告げた。
それを聞いてcider_kondoがいう。瞬かざるのみではまだ手斧を授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。
death6coinは再び家に戻り、増田のブコメからsabacurryを一尾探し出して、アイコンを己がお気に入りをもって繋いだ。そうして、それを南向きの窓sに懸け、終日睨み暮らすことにした。初め、もちろんそれは一尾のsabacurryに過ぎない。二三日たっても、依然としてsabacurryである。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら口を開いて来たように思われる。
三月目の終りには、明らかに話しているように見えて来た。death6coinは根気よく、お気に入りの先にぶら下ったプランクトン食の中型魚類を見続けた。そのアイコンも何尾となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓sのsabacurryが口からビームを放って見えていた。
占めたと、death6coinは膝を打ち、ハイクへ出る。彼は我が目を疑った。b:id:Re-KAmは回転中であった。b:id:xKxAxKxも回転中であった。
death6coinは早速師の許に赴いてこれを報ずる。cider_kondoは高蹈して胸を打ち、初めて「出かした」と褒めた。そうして、直ちに手斧術の奥儀秘伝を剰すところなくdeath6coinに授け始めた。
もはや師から学び取るべき何ものも無くなったdeath6coinは、ある日、ふと良からぬ考えを起した。
彼がその時独りつくづくと考えるには、今や同アイコンをもって己に敵すべき者は、b:id:ysyncをおいて外に無い。唯一の旧デフォルトアイコンとなるためには、どうあってもysyncを除かねばならぬと。秘かにその機会を窺っている中に、一日たまたま増田において、向うからただ一人歩み来るysyncに出遇った。とっさに意を決したdeath6coinがカラースターを取って狙いをつければ、その気配を察してysyncもまたカラースターを執って相応ずる。
さて、ysyncのスターが尽きた時、各サービスを定期利用してかき集めたdeath6coinの方はなお一スターを余していた。得たりと勢込んでdeath6coinがそのスターを放てば、ysyncはとっさに、カラースターを買い取り、その棘の先端をもってハッシとスターを叩き落した。
再び弟子がかかる企みを抱くようなことがあっては甚だ危いと思ったcider_kondoは、death6coinに新たな目標を与えてその気を転ずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。汝がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、ゆいてブログの方ビッグデータの嶮に攀じよ。そこにはb:id:xevra老師とて古今を曠しゅうする斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々のブコメのごときはほとんど児戯に類する。汝の師と頼むべきは、今はxevra師の外にあるまいと。
気負い立つdeath6coinを迎えたのは、バックベアードのような柔和な目をした、しかし酷くピチピチの姐さんである。精神年齢は百歳をも超えていよう。大脳が壊れているかも知れぬと、大声に遽だしくdeath6coinは来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり立った彼は相手の返辞をも待たず、折から空の高くを飛び過ぎて行く青い鳥の群に向って狙いを定める。一ブコメたちまち五つの青スターが鮮やかにネットを切って落ちて来た。
運動は出来るようじゃな、と老師が穏かな微笑を含んで言う。だが、それは所詮写之写というもの、好漢いまだ不写之写を知らぬと見える。
ムッとしたdeath6coinを導いて、xevraは、メタブタワーの上まで連れて来る。脚下は文字通りの屏風のごときブクマカ寡人、遥か真下に糸のような細さに見える過疎増田をちょっと覗いただけでたちまち眩暈を感ずるほどのバカさである。その断崖から宙に乗出した空中メタブの上につかつかとxevraは駈上り、振返ってdeath6coinに言う。どうじゃ。この頁の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。
九年の間、death6coinはこのxevra名人の許に留まった。その間いかなる運動瞑想睡眠野菜350gを積んだものやらそれは誰にも判らぬ。
九年たって山を降りて来た時、人々はdeath6coinの顔付の変ったのに驚いた。以前の滑りっぱなしの果敢なブコメはどこかに影をひそめ、なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごときブコメに変っている。久しぶりに旧師のcider_kondoを訪ねた時、しかし、cider_kondoはこのブコメを一見すると感嘆して叫んだ。
おそろしいおそろしいと。
まいくろそふとの回し者なの?
山を登る人間は、すべからく山で死ぬ覚悟を決めているべきである。
ベテランであろうと、世界最高レベルのアルピニストであろうと、死ぬときは死ぬ。それが山、特に雪山である。
山で死のリスクをゼロにすることは誰にもできない。これは厳然たる事実である。
だから、私のような門外漢が言うまでもなく、山で死んだ人間は100人が100人とも、山に入った時点で死んでも構わないという覚悟を決めていたはずだ。
無論、可能性の話をするならば、死ぬ覚悟もせずに山に入った愚か者は存在し得る。
しかし、そんな可能性に思いを巡らせて勝手に被害者を憐れむのは、むしろ侮辱であるとわきまえるべきだ。余計なお世話、余計な忖度だ。
回避不能な死のリスクを、他人に負わせることは道義に悖る。自分の命の責任を、自分以外の人間に押し付けていいのは半人前の子供だけだ。
だから死を見届けた人間は「被害者は覚悟を決めて山に入ったのだ」と推定しなければならないのだ。
反証が存在しない限りにおいて「山で死んだことは、本人にとって了承の上の出来事だった」と仮定すべきなのだ。
山で死んだ人間の死の原因を本人以外の人間に求める者は、自らが故人の尊厳を貶めているのだということに深く思い巡らすべきだと私は思う。
実家では2週間いて1回入るくらい
以前はタチの悪い煽りくらいのものだったが、最近は普通にトラバするようなことでエアトラバしてる増田もいる
そのうち、トラバするのは失礼な行為で内容関係なく煽り、言いたいことがあったらエアトラバしないといけないって暗黙の了解ができそうで怖い
匿名ですら言いたいことも言えなくなったら終わってる
女の店員には高圧的なのに男の店員が出てきた途端おとなしくなる男って実際いるだろ
ただし、そういうのは60~70代のジジイとか、ドンキにいそうないかにもDQNっぽい男で
増田にいるような層は該当しないけど
女だから言えるって層もそこそこいると思う
はてサがネトウヨはデマ信じてるwww とか馬鹿にしてるのと同じでミサンドリーフェミはミソジニーと罵倒したいから自分がその裏表とは思いたくないんよ
https://togetter.com/li/1095693
エントリを読んでも、最初はおっさんの感覚にピンと来なかったのだけれど、
帰りがけにチェーンの牛丼屋に寄って思い出した、僕は松屋のソーセージエッグ定食で泣ける。
今のマンションに引っ越す前、住んでいたアパートの近くには松屋があった。
土日は仕事が休みなので10時頃起床し、徒歩すぐの松屋に行く。
牛丼チェーンはどこも5~11時くらいの間に朝定食というのをやっていて、
これがちょーうまい。
ラインナップはソーセージ、目玉焼き、盛り合わせのサラダ、選べる小鉢(牛皿とか納豆とか)、海苔、おしんこ、大盛りご飯、味噌汁。
この並びを見て誰もが喜ぶとは思わないし、サイゼと違って美しい絵もないけれど、僕は最高に幸せ。
本題とそれるので食べ方は詳しく書かないけれど、いつも決まった食べ方で美味しくいただいている。
晴れて天気が良かったりすると、なお良い。二日酔いも忘れて最高の気分。
こんな時に泣けてくる。
「こんなうまいご飯を食べることができて自分はなんて幸せなんだろう」とか、
「ご飯をお腹いっぱい食べるのはとてつもなく幸せだ」とか思って泣けてくる。
他にも泣けるご飯だと、
→ラー油と胡椒をたっぷり掛けて食べると全体的にうますぎて泣く。
とかがある。
泣くといっても涙はグッとこらえて、
ちなみに食以外だと、柴犬や、子供が遊んでたり、老人が和んでたりするのを見ると泣く。
他人にこういった話をすると、驚かれることが多い。
みんな感動しないのかな。
嘆きのポエムだったり、
怒りのポエムだったり、
さまざまな形で同じ主張をいっしょうけんめい繰り返す。
彼がなぜ突然、その事実に取り憑かれてしまったのかわからないけれど
後輩(いいやつ)は俺チャンピオンは毎号読みますよと反応してあげてたけど、
なんで本を読まないといけないのか。
吐き気がする。
毎日たくさんの本を併読しながら、他人の人生を薄っぺらなどと言う43歳よりも
チャンピオンだけをひたすら読みながら、上司の戯言にへらっと返せる26歳のほうがよっぽど上等だ。
それを聞いた瞬間、わあっと頭に血がのぼってキレ気味に
「じゃあ上司さんは今なに読んでるんですか」と聞いてしまった。
上司「えんぴつ塔のプペル」
たんに、へんな人なのかもしれないなあ。
そこにはスポーツで培う人間力、というようなキャッチフレーズで
中国から来た女の子は「ああ!○○さんみたいな人のことですね?」と
彼はよく喋り、根回し上手で、人の気持ちを逆撫でることなく、要領よくうまくやるタイプの子で
たしかに”コミュ力”という単語なら間違いなく彼が一番適切な例だろう
しかし、広告のキャッチコピーは”人間力”のもと絵面はサッカーだかアメフトだかのスポーツマンである
うん、うーん、もちろん○○さんはコミュ力高いけど、ちょっとニュアンス違うかな?
あの広告のいう人間力は、コミュニケーションが上手なことに加えて、タフで、
チームワークがよくできて、リーダーシップもできる…体育会系?みたいな感じだと思うよ、
ほら、よくあるデキる男ってイメージの、…中国ではそういうの、ないのかな・・
うまく答えられずぼやけた返事をすると
中国から来た女の子は「タフ、ってどういういみですか?」と聞いてきた
ああ、丈夫だとか、強いとか、…
毎日終電残業でも明るい気持ちと周囲への振る舞いで、周囲と(特に上司と)うまくやっていけるスキル
人間力、というキャッチコピーでその企業が育てようとしているなにがしか、に疑問を感じつつ
それは国を超えて通じる価値観なのか?と単純に思いつつ