一極集中はそれこそ戦前からの国是みたいなもんなので今更緩和も難しかろうけどな
選択肢増やすには東京が抱え込んでるうまあじあふれる様々な物を手放して地方に分配しないと無理だし
都民様がそんなことに賛成するわけないし
ギター挫折したからバイオリンのオクターブ下のようなチューニングしたけど楽しい。
低い方からGDAEの4本だけ。
・足を踏まれたらより強く踏み返す。
・肩をぶつけられたらより強くぶつけ返す。
・女が近寄りそうになったら肘で殴って距離を作る。
・上記の事を行ってもし不満気に顔を観られたら、殺すぞ!!!という気合で本気で睨みつける。
・上記の行動はスーツを着ている大人、もしくは女性にしか行わない。
こうすることでどんな満員電車に乗ってもそれなりに快適なマイスペースを作って過ごせるようになりました。
気をつけなければならないのは絶対に「スーツを着ている大人、もしくは女」以外に対してこの行動を取ってはいけないということ。
普通の会社勤めの人間は、家族や地位や自分の生活等、守るものがあります。
そのため通勤時間中に多少不満な事があっても、喧嘩起こして遅刻はしたくない、傷害事件なんて起こすのは論外、と考えています。
そういう人は、ぶっ殺してやる!!!という態度で当たると対応が楽です。まず引っ込んでくれます。
ただ守るものが無い人は危険です。本当に喧嘩を買われてしまうリスクがあります。
東京に引っ越す際にインフラ整備費用という名目で都内転居税とか取ればいいんじゃね
最初は軽い自己卑下な感じの人かと思ったら、どんどんエスカレートしていき、私も退職するしか逃れる方法がなかった。
マネージメント層も相当苦しめられ、最後は彼女が自爆して強制退職となった。
私が当時を振り返ると、統合失調症なのだと思う。現実には起こっていないことを現実として認識(その全てがネガティブなこと)し、その原因を外部に向けていた。
選挙権を手に入れてから全て欠かさず自公以外に投票してきたのに何も変わらなかった
アメリカのクリVSトラ、イギリスのEU脱退選挙のような国を2分するような選挙と違ってつまらない
※長いです
漢字の書き取りは宿題で出された量の2倍するように言われていたし、夏休みのポスターや作文といった任意の課題は全部させられていた。
小3の時、私の書道のあまりの下手さに愕然とした母(書道経験者)は、私に書道を教え始めた。毎月子ども新聞のコンクールに出品して、夜中まで泣きながら練習することもあった。
小4に上がった時、母は問題集を4冊ほど買ってきて、これから毎日宿題のあとに問題集をやって、それから遊んでもいいと言った。カンニングをしたら、解答欄が一個ずつずれていたことからバレてかなりボコられた。高校にもなると大分減ったけれども、叩かれて痛かったものを3つ選ぶなら、掃除機、制服のベルト、健康スリッパだ。
市内にあったゆるい私学に上がってから大分遊ぶようになって(多少WJ界隈にハマったりとか)、成績が上から3分の1になったことを母は怒った。学費がもったいない、と言われた。
近くに住む祖母は、「あなたがよくできたら家のみんなが幸せになるんだから頑張りなさい」とよく言った。
祖父は孫の出来を近所中に自慢していたし、私が何かしら賞をとるなりいい成績をとるなりするとお小遣いをくれた。私はそれを母に預け、母はそれに手をつけることなく貯金してくれている。祖父は孫への援助も惜しまず、亡くなったとき口座には4000円ちょっとしか入っていなかった。
色々あって成績は持ちなおし、なんとかいいとこの大学に受かったけど、色々思うことはある。
小学生時代の課題漬けは嫌だったけれども、勉強そのものは嫌いじゃなかった。
好きな分野を見つけて、迷いながらも博士課程という人生詰んでるコースまで進んでいる。
母は昔から、強制的に何かを与えることが多かったけれども、一方、娘が好きなことを追求することにはとても好意的だった。幸い、私自身、読書以外のことに大した興味はなかったから。
だから、母子家庭なのに高い学費を何年も負担してくれたし、私の今を素朴に応援してくれている。博士課程がいかに人生詰んでたとしても。
娘が小4になったとき本屋に足を運んで問題集を選んだであろう母の気持ちを想像したり、受験生の時パートを3つ掛け持ちしていたことを考えたりすると、母のことを責める気にはなれない。年をとって丸くなったし。
問題は、私が勉強以外の分野で、自分を評価する基準を何ももってこなかったことだと思う。
みんなは「✕✕は真面目で頑張っているよ」と言うし、それが私の長所だも言うし、先生の反応も悪くないけれど、私は自分の勤勉さを評価されたいんじゃない。
研究をせず遊んでしまう時、頑張れない怠惰な自分は研究やめるべきじゃないかって考えるし(それは一般的な悩みかもしれないけど。好きなことってどこまで頑張れるんだろう)、私の存在は石くれほどの価値しかないと思う。
私はきっと、自分の他の部分で評価されたいのに、(好きなことであろうがなかろうが)勉強ができるかどうか、勉強を頑張れるかどうかしか、自分を評価する基準がない。
(自己肯定感がないとか普通のよくある悩みなのかもしれないけど、それはおいといて)
なんで、勉強ばかりして小さい頃にいい記憶が何一つないのに、勉強でしか評価されない世界にまた進んでしまったんだろうって思う。
勉強をとった私はただのブスで、気の利かない、人とうまく話せない、なんの取り柄もない人間でしかない。人に教えることもうまくなく、個別指導でほそぼそと教えるだけで、教育実習はぼろぼろだった。
民間に就職できるかもわからないけど、できたとして、仕事のできない人として罵倒される、自分のどんな部分も評価されない日々が待っていると思う。
カワ(・∀・)イイ!!
https://www.youtube.com/watch?v=ZjvJyjDoq5M
この映像をみてもらうと分かるけれど、
ブラックホールに吸い込まれると、ブラックホールの周辺をぐるぐる回るようになるのね。
(これは惑星が太陽の重力に引き寄せられた結果、公転するのと同じ)
このぐるぐる回っている時の時間の流れがゆっくりになるのです。
時間の流れが遅くなるので、止まって見えるのです。
もも
始まりと終わりで論旨が変わってるぞ
自分は明治の初めくらいから東京と地方を往復している家で、育ちは東京だから
本当昨今の人口の増え方町のキャパ超えてるし、すごく気持ちはわかるんだけど、
じゃあなんで東京に皆こぞって集まってくるか考えてみた。
東京に動きづらい人間でも余暇が楽しめるものが集中しすぎているからなんじゃないか。コンサートしかり、舞台しかり、美術展しかり。
例えばアメリカなら、国土があれだけ広くても、NYとLAで同じ催し物を、先にLAがやったりNYがやったりするし、
他の州にそれぞれよい施設があったりするし、
他の国でも首都にこそいろいろ集まっていたりするけど、首都以上に楽しめるような環境が出来てたりするし。
(イタリアならローマ以外にミラノとか。中国なら北京じゃなくて、上海や深圳とか。)
あと、日本の場合一度移動してしまうと戻りにくい動線の弱さとかも問題だと思う。
今度文化庁が京都にうつるから、これから10年位で一気にそういう楽しみが関西なり東北なり九州なりに分散して、
余暇施設が東京に過密に集まってるアホみたいな状態が変わると少しそういう意味で住まう場所の選択肢も変わってくると、いいなあ。
ツイッターやpixivで手軽に自分のイラストを投稿出来るようになった。
そういったサイトに投稿を行うとツイッターならば「いいね・RT」pixivならば「点数・ブックマーク」などという形で評価が行われる。
自分の投稿に対し目に見える形で行われる評価を、殆どの人間が多かれ少なかれ意識していると思う。
大手になるにつれ、意識していようがいまいがそういった人間臭い部分を出さない作家が多くなっていくだろう。
多くの人間はそういったネガティブな部分は見たくない、ということを分かっているからだ。
絵が伸びる作家になりたい、有名になりたい、という思いがあるならツイッターや他のSNS、不特定多数の人間が閲覧できる環境でそういった愚痴をこぼすのは避けた方がいい。
その発言をする時間を絵に向ければ少しでも投稿できる枚数が増えるし、見てくれる人も少しは増えるはずだ。描く時間が増えれば多少は画力もあがるだろう。
既に余程有名な絵師ならともかく、フォロワー3桁程度の駆け出し絵描きは絵について一丁前に自論を垂れたり、練習方法について人に語る前にに画力を高めた方が絶対に良い。
その時の自分はなんだか立派なことを言った気持ちになって満足するが、その発言は「評価されたい」という目標への足枷になってしまう。