野菜を切るときも、肉を切るときも、魚をさばくときも、母はその包丁一本しか使うことは無かった。
遊びに行った友だちの家の台所で調理する友だちのお母さんが使うのも文化包丁。
外で見る包丁は皆一様に文化包丁で、実家の包丁はなんだか少し違うぞと思っていた。
だからと言ってそれ以上特に考えた事も無く、私は大人になった。
本当は母と同じ菜切り包丁にしたかったのだけれど、どのお店でもメジャーなのは文化包丁なようで、だからまぁ良いかとそちらを買うことにした。
でもどうして母は菜切り包丁を使っていたのだろう。
使ってみれば文化包丁のほうが格段に使い勝手が良いのは間違いが無い。
生まれて初めて、何故なのか深く考えてみた時、ふとすっかり忘れていた小さな記憶が蘇った。
確かそれは私が10歳だかそこらの時だったと思う。
母がこっちこっちと手招きして私を呼び、洋服ダンスを開け、その奥の奥から新聞紙に包まれたモノを取り出して見せた。
「どうしてこんな所にこれがあるの」と聞くと、母は「危ないからね」とだけ言ったのだ。
そこまで思い出してハッとした。
危ないからね、の前には多分、命が、と付いていたのだ。
何故あの時気づかなかったのか、今にして思えば不思議で仕方無い。
私の父はろくでもない人間で毎晩酒に酔って暴れていた。
母の髪を鷲掴みにして振り回したり、更にヒートアップするとそこら中の物を投げてぶつけたりもした。
一番怖かったのは包丁を取り出した時で、けれど台所にあった包丁には切っ先が無かったから母が大怪我を負うことは無かった。
母はそこまで予期し、あえて切っ先のない菜切り包丁を使っていたのだとようやく思い至った。
あの新聞紙に包まれた包丁は、今でもあの場所に隠されているのだろう。
でも、では何故母はそうまでして包丁を持っていたのか。
危ないならば捨ててしまえば良い。
だって菜切り包丁だけで事足りていたのは間違い無いし、事実母があの隠された包丁を使っている姿は今までついぞ見たことも無い。
もしかすると、ここからは私の憶測にすぎないが、母はいつかそれを自分が使う日が来るかもしれないと思っていたのでは無いだろうか。
本当の意味での「防衛」の為に。
私の家は決して平和な家では無かったけれど、あの包丁が眠っている限りは少なくとも平和に見えるのだろう。
この先もあの包丁が出番無きままな事を切に願う。
いつか夫がまともになって、包丁を安心して使える日がくるのを夢見て、とっておいたんじゃないの?