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はてなキーワード: フェルマー予想とは

2024-04-23

  ABC予想は、デビット=ヤリマッサーが昭和60年に提唱した、これがあるとフェルマー予想だけでなく、似たような未解決問題が一挙に解決するということだったが、フェルマー予想に対しては

  証明をn≦5に限定させるという記載があるだけで、3,4,5の理想的証明はどこにもあがっていない。ABC予想は、一読して、多くの専門的研究のすえにたどり着いた定理であり、

  難解。 フェルマー予想が出来なかった歴史的経緯も誰一人として説明する者はいない。 何がしたいのか?意味が分からない。

    ABC予想を証明しなくても、弱いモーデル予想や、カタラン予想は、個別解決すればいい、しかも、フェルマー予想は既に解決されているので、ABC予想は要らない。それよりも・・・

   フェルマー予想研究するとすると、代数的サイクルとエタールコホモロジーという1つの教科書ができる。その教科書を読んだ方がいいのではないかという感じがする。

  パスカル定理は、ジョンブリリアンコットの定理双対をなして、この定理は色々な技術に出て来るので証明必要最小限となっている。メネラウス定理と比を取ると出来るということになっている。

   初等幾何学を縦にすると現代法令理解できるとは思わないので、法学部で学ぶ現代法令技術は、初等分野の問題構成比較して、もっと別種のものではないかと思う。

    にわかにおそろしくむつかしくなるということを、我々はまだ知る由もなかったのである

    私が興味を持っているのは、 フェルマーの小定理であり、 a^(p-1) ≡ 1 mod p である。  ただしこの場合、a,p は互いに素であるという条件が必要であり、真理関係的卓越性

  までは分からない。

2024-03-21

                第 2 問

 (ア)  次の日本語英語に直せ。

    

    永谷正男に対し、字下げが、若い頃に、いいことばかりしていたことを理解する状態にするのは、日本人自力で、フェルマー予想を確定させるよりも難しい。

 (イ)  次の写真は、九州消防署を、朝の8時30分、 夜の10時30分に撮影したものである。その見た目に関する感想を、 100字程度の英語で書け。

2024-03-19

  x^4+y^4=z^4 だと、赤チャートの一番後ろに解答が書いてあって大学入試レベルだが、 x^3+y^3=z^3のときは、学習参考書にもないので、

  3のとき巡査が出てきても、分からない。

                   3のときは多分、当直員でも到達できる人はいないし、

    3,4のとき出来れば、後は、素数ときだけでいいが、

  全部証明になると思ってるだけでそうすることが出来る人はいないだろう。ワイルズ論文みても何書いてるかわからないし、三枝先生講義も何言ってるのか分からない。

    発狂して、スーパーコンピュータ使っても、スパコンでは、フェルマー予想は解けないし。

     C×からC×に行くような、アーリュドグループ準同型をとってきたりして?  しかしこれは、コリヴァギンフラッハ法という正統な解き方ではないので、別解なので

  コリヴァギンフラッハ法がありました

    という説明はもう既に、1996年に本が書かれていてそこに大体の歴史は書いてありますが、そういう状態のものを作ることはできないということです、はい

2024-03-14

  それからまーひとついうならば数学検定1級をしたらどうかということですが、数学問題にも、面白いものとくだらないものがありますので、当然、面白いものをやりたいわけです

   だとすると何が面白いのかというと当然、凄くて魅力的な状態のもの研究したいわけです。 コラッツ数列は、 そういう奴でまだ届いていないものです。

  フェルマー予想も多分、魅力的な状態のものではないかと思うが・・・

   全ての楕円関数は1つも有理点を通らないものなので、そういう状態なのが、フェルマー予想だと思いますが。 u^3+v^3=1 は1つも有理点を通過しないような式であると思います

  どうでしょうか、何か有益見解をお願いします。そういう状態になっている式ということでしょうか?

2024-03-01

    意匠のようなつまらないもの意匠法によって意匠権として保護を受けることについて疑問なしとしない。無体財産権は、特許権著作権意匠権の順番に価値があります

   特許権実用新案権になるとあまり知的レベルが高いのに対して、デザインというのは結局、人間視覚を通じて対象に美観があるようにみせる仕掛けや設計

     最近インターネットにあがっている意匠の例として、自分で解いたわけではないもの、 フェルマー予想論文といったものがあげられる。特殊なやり方で自分論文を書いたもののように

  みせているだけで全然面白くない。しかし、自分で解いたかのような陶酔感を得られるという意味で、それが意匠である。それを権利として保護することに何の価値があるのか。

    意匠法では、工業製品と一体となった進歩性の高いデザインに関して、意匠権として権利を認める。 しかし、デザインは、視覚に訴えて、人間をして幸福にしなければ文芸価値がまるで

  ないので、

2021-09-29

anond:20210927011443

数学論文では「正しさ」は査読通過の前提です。

ここは科学全般の「正しさ」とは異なります

理由は以下の通りです。

科学全般論文では、最終的に正しさを決めるのは実験です。

ところが、数学では実験により正しさを確かめることはできません。

応用数学では状況が異なるかもしれません。)

そういうわけで、査読通過の際は建前上は正しさが前提になっています

(もちろん、数学論文でも出版後に論文が訂正・撤回されることは珍しくはないです。)

以上が数学科学全般について正しさの認識が異なるということの説明です。

以下に私の認識を述べさせていただきます

論点1

出版された」という意味においては査読は終わったと表現して問題ないと考えます

ただし、上記の通り数学では査読通過は「正しさ」が前提です。

数学論文の正しさへの疑い(それは数学的な内実を伴っているように少なくとも表面上は見える)が表明されている中で、編集委員会がそれに対する何らの注釈論文に付け加えない形で論文出版するというのは、通常では考えられないことです。

前例ほとんどないはずです。

論点2

上述の論点1の通りですので、本件では論文掲載は正しさを特に担保しません。

例えば、「フェルマー予想」では慎重な査読したこと当然の帰結として、査読通過が直ちに論文の(十分信頼できるレベルでの)正しさを意味しました。

一般論として、査読の「慎重さ」の度合いにより、査読通過が担保する論文の「正しさ」が増減するのは当然のことです。

論点3

「皆無」というよりはむしろ、少数ながら存在すると表現する方が正確だと考えます

もちろんその数が今後増減することはあるでしょう。

なお、zbMATH(やMR)で論文の根幹となる部分の正しさに疑義を呈するようなレビュー掲載されるのは非常に稀です。

総論として、本件が数学界ではよくあることなどでは決してないことは間違いありません。

以下は参考です(何か誘導したい結論があるわけではありません)。

本件についてredditでもしばしば議論されています英語)。

否定的意見が多いように見受けられます

また、参考になる事例として「ケプラー予想」を挙げます

(本件とケプラー予想類似を指摘しているのではありません。)

別の事例としては「ポアンカレ予想」があります

この事例では論文査読出版プロセスとして)されなかった(雑誌投稿すらされなかった)にも関わらず、複数検証チーム自然発生的に検証活動を開始して、数年の内に正しさが確認されました。

その検証結果は数学界に受け入れられました。

 
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