東京大学が生活に使えないという理由で糞であるとの評価はしないが、残酷な悪人で、何を言っているのか分からないし、遊べないしつまらないし、何が面白いのか
分からないという理由付けで糞と言う結論を述べさせてもらう。特に法令であるが、法律自体が技術的にどのように制定されているか分からないし、制定された法律が
どのように解釈されているか全く分からないし、つまらないし、そこの内部に埋め込まれているものにしても、用いている技術にしても、魅力を認める余地はない。
現代数学であると、複数の関係する定理を発見し、それらを組み合わせてより高次の定理を証明し、次第に、最終的に目的とする定理の証明に至るという構造をしているので、
いわゆる高いところに登るのが好きな子供にとって魅力があるし、それをやって完成したときの感激はひとしおのものがある。これは、東京大学法学部の授業は一般に厳しいものとなる。
しかし・・・ 卒業したときの感激は何にも代えがたいものである、と、昔の学部長が述べていたのと同じである。
ところが一般に法科大学院で習う法令の技術は、三枝洋一先生が、しまった、ロースクールは止めたんだっけ、と言っているように、法科大学院で習うものは、上記のように、複数の定理を
教科書に書き、次第に目的の定理の構成に至るような構造をしているかどうか分からない上、東京にある工場の構造なども、それが哲学的にどのようなものであるか全く教えていないので
人気を認める余地はない。