はてなキーワード: 帳面とは
サイバーメガネさんの「政治・選挙業界の闇の用語集」 というエントリを目にして、学生時代、東京都議選候補者の事務所で働いた時のことを思い出したので、つらつら書いてみる。
その自民党候補者の事務所で働き始めたのは、べつに支持者だったからではない。
むしろ、当時の若者の常で「それほど政治に興味はないが、しいて言えば左寄り」だったと思う。
なのに、なぜ働いたかといえば、単に友人から「とっぱらいの、面白いバイトがある」と紹介されただけの話である。
9時から18時まで日給1万円、延長の時は時給1000円、半日しか来れないときはそれでも良い、しかも昼食付きという条件に魅力を感じて、
選挙公示日の2週間前くらいから、そのバイトにはいることになった。
なお、現在、選挙事務所が、ウグイス嬢などの特殊技能を持っていない単純な運動員をバイトとして雇うのは、公職選挙法で禁じられている筈である。
当時の規定がどうだったのかは、よく知らない。
ただ、バイトにいった初日、「外で何か聞かれたら、○○事務所のボランティアですと答えるように」という注意があった。
あと、昼食は無料で弁当が出たのだが、なにか帳面のようなものに、弁当と金額が書いてあって、サインをさせられたが、
それでいて、とっぱらいの一万円をもらうにあたって、なにかにサインしたり、書類をもらったりすることはなかった。
仕事は、荷物を運んだり、連日どこかの体育館や集会場で行われている個人演説会の会場設営や後片付けをしたり、街頭演説の交通整理やビラ配りをしたり、
要するに雑用だった。
応援にきた時の首相に道を開けるため、群衆を抑える、みたいなこともあった。
あと、選挙カーの通れない細い路地を、候補者を先頭に自転車で走り抜けながら支持を訴えて走り回ったこともあった。
候補者のあとを、背中に候補者名や政党名を書いた「のぼり」をたてて路地を練り歩いたりもした。これは、内部で「桃太郎」と呼ばれていた。
「桃太郎」には「先発隊」が出されることもあった。
あらかじめ、候補者の一群が来る前に、支持者の家に声をかけて、表に出て先生に声をかけてくれるように頼んでおくのだ。
候補者が自ら支持者の家にいったら、公選法で禁じられている「戸別訪問」だが、あらかじめ支持者が公道に出ていれば、そうはならない。
告示日がすぎて、ドタバタと忙しくなっていたある日、印を付けられた地図を渡されて「ここのお宅にいって、先生のポスターを剥がしてきて」と頼まれた。
普段も街中で政治家や政党のポスターを見かけるが、選挙期間中は指定された掲示板以外にポスターを掲示してはならず、
実は、告示日が来る前のバイトの主な仕事として、選挙区を自転車で走り回ってポスターをはがして回る、というのがあったのだが、
それでも「見落とし」というのは当然ある。
そのまま、掲示をしていると、その筋(たぶん、選挙管理委員会)から警告のファックスがくるらしく、
その時は、大急ぎでバイトがポスターを剥がしに駆けつけるのである。
指定された場所は、ゴミゴミとした「アパート」というより「長屋」とでもいったほうが似合うような、古びた木造集合住宅が密集した地域であった。
今でも、東京の東部には案外そういう建物が残っているが、当時は今以上に、そういう地域が多かった。
その雰囲気は、サラリーマン家庭が圧倒的多数を占める、いわゆる「ベッドタウン」で育った大学生にとって、
物珍しさと一抹の不安を呼び覚まさせるに十分だった。
問題のポスターは、その木造長屋の二階の雨戸の戸袋に貼ってあった。
窓から乗り出さなければ、張ることも剥がすことも不可能な場所だ。
マッチ箱のような大きさの昔ながらのドアチャイムを押すと、引き戸を開けて出てきたのは
絵に描いたような「下町のばあさん」だった。腰がかなり曲がっていた。
来意を告げると、「ああ、そう。剥がさなきゃいけないのは知っていたけれど、あの場所じゃ自分でできなくてねえ」と言われた。
二階の窓から身を乗り出して、ポスターを剥がし終えると、ばあさんが冷たい麦茶を出してくれた。
ありがたくいただいていると、ばあさんがこんなことを言った。
「お宅の先生、ちゃんと頑張ってるの? こっちの方、まだ全然選挙カー来ないじゃないのよ。KM党とKS党ばっかりよ」
僕は思わず、ばあさんの方をじっと見た。選挙カーが来るのを待ちわびている人を、人生で初めて見て、いささか驚いたからだ。
「あたしゃね、SK学会とか、KS党とか、大っ嫌いなのよ。だからお宅の先生にも頑張ってもらわなきゃ。あたしも知り合いに投票してくれるように頼んでんだからさ」
ばあさんの言うことは、政策がどうとか、そんなこととは関係ない次元ではあったけれど、でも十分筋が通っていた。
あんな騒々しく名前を連呼して支持者の獲得なんてできるのだろうか、むしろ逆効果じゃないのか、と、それまでは漠然と思っていた。
世の中には選挙カーがこないと「先生、ちゃんと頑張ってるの?」と心配する支持者がいるのだ。
そして、その支持者が、さらなる支持者を獲得するために動いてくれるのだ。
もともと、候補者のことなどろくに興味がなく、選挙カーが来たら「うるせえなあ」としか反応しない層の反感によるデメリットよりも、
「ああ、先生、頑張っているなあ。あたしも頑張らなきゃ」というばあさんの意識に呼びかける効果のほうが、大きいのであろう。
世の中の仕組みをもう一つ知れた気分になって、いささか感心しながら事務所に戻ると、事務所の司令塔でもある候補者の長女に「ごくろうさま」と声をかけられた。
そして、彼女は、笑いながらこんなことをいった。
「あのあたり、ゴミゴミしてほんと汚いでしょう? いっそ地震でも起こって全部燃えちゃえば、再開発でもできるんでしょうけどねぇ」
彼女の父親の地位は、その「ゴミゴミしてほんと汚い」ところに住んでいるばあさんたちに支えられている筈であるのだが、
彼女にとってそこは、さっさと燃えてしまえばいい場所のようであった。
もともと冷めた目でこのバイトをしていた上に、さらに「軽蔑」の気持ちが加わったのだが、それはそれとして、バイト代は魅力的だったので、僕はその事務所に通い詰めた。
そういえば、投票日当日、事務所の整理などの仕事があったので、やはりバイトにいったのだが、
そのとき、事務所の「コールセンター」で、女性たちが支持者名簿を片手に電話をかけまくっていた。
女性たちは、「○○事務所のものですが、本日の選挙、投票にいかれましたか? 大事な選挙ですので、ぜひ投票なさってくださいね」などと呼びかけていた。
「○○候補への投票をお願いします」と当日に電話で呼びかけてしまうと、公選法違反になるということだった。
事務所の幹部たちは、1時間ごとにだされる投票所ごとの投票者数が記された紙を見て、「○○地区の出足がおそいなあ」などと言いながら、
女性たちに「○○のほうを強化して」などと、電話をかける先を指示していた。
結局、その候補者は当選した。開票速報が流れたときにも事務所にいたのだが、それはもう大層な盛り上がりようだった。
関係の深い人々はもちろんのこと、つい一か月ほど前に縁をもったばかりのバイトの大半も、それなりに興奮していた。
一月の間、同じ目標に向かって働くことによって生まれる一体感が、その興奮を生み出すエネルギーの源泉となっていたのだろうが、
先の一件で事務所に軽蔑の念をもっていたので、心の中ではかなり冷めた目でその光景を見ていた。
表向きは、その歓喜の輪に加わって、翌日に行われた祝賀会でも、随分ご相伴にあずかって、ビールやら桶の寿司やらをしこたまいただいたけれども。
このとき、結局、一月で20万近くを稼いだ僕は、その資金で海外へと貧乏旅行に出た。
インドで、現地で知り合った人に
「この国は世界最大の民主主義国なんだけれど、まだまだ文字が読めない人も多いので、
選挙の投票用紙には政党のマークが印刷してあって、それに印をつけるんだ」という話を聞いて、
「選挙ってなんだろう」と考えたりもした。
あれ以来、選挙の現場に直接かかわったことはないが、選挙の季節が来て、候補者の名前を連呼する声が聞こえると、
ああ、この辺りに、あの候補者の支援者が住んでいるのだろうか、などと考える。
選挙は一度も棄権したことはないが、選挙カーによる名前の連呼は、僕の投票行動にはいささかも影響を与えていない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。
会えば愚痴。
・仕事で億の機械を買ったら壊れ買ったら壊れをもう三回繰り返しており職場の雰囲気が悪いを通り越して、皆がヤケになってきた。
・人員移動が激しすぎて3ヶ月に一度仕事を覚えるまえに人が去り、多部署のベテランが回されてくる。
・担当者が無能からの有害にジョブチェンジしたため、可能な限りの顔見知りを他社からもかき集め、シルバーウィーク消しとばして作業。
・職場の上司が消臭剤を設置してもぷんぷん臭うようなワキガで、職場用の夏服にすべて臭いが染み付いた。もう着れない。
・社内恋愛カップルが大爆発の末に別れた。その2人と当人で同じチームでとても辛い。
・知人から野良子犬を押し付けられた。あのままほっとけば死んでいたような状態だったので引き受けたが後悔してる。
(押し付けた側の話を聞くと、あなたが自分から引き取ると申し出たとのことですが……)
・5年まえ、後輩の机が汚すぎて掃除を手伝ったら十年まえの不要な帳面が出てきた。
(5年間同じ愚痴をくり返すほど汚かったわけじゃないらしく、特にカビも虫も腐った食べ物もなかったとのこと)
・システムを構築し運用が軌道に乗り始めたら、その部署ごと解体された。
(仕事ってそういうもんだよね)
なんでだろうなぁー。
三途の川で石を積んでは崩され、積んでは崩され的な仕事しかしてないおかげで、
「仕事ってそういうもんだよねー」って思ってるところある。
皆、自分の悪事は誰にもバレなければ大丈夫と思っているかもしれないけど、
小さいモノから、大きいモノまで、全てエンマ様の帳面に書かれているんだよ。
守護霊っているでしょ。
ある出来事で、自分が何を思い、どんな行動し、その行動が、どんなふうに人々に影響を与えていったか?
だから、自分を騙すことは出来ないし、正直に、自分が犯した罪を見つめて、人生の速い段階から罪の償いをした方がいいよ。
ちなみに自分は、自分が人生で犯した罪を紙に書き出して整理・把握している。
それで、その罪が償われるように日々、生きている。
幸な事に、私の今生の人生では、それほど大きな罪は犯していない…。
例えば、12歳の時、●●さんが大切にしていた花瓶を割ってしまったけど、怒られると思って黙っていた、とか。
小学校の時、クラスの▲▲さんがクラスメイトに苛められていたけど傍観していた、とか、
あと、もうちょい、ダメなやつがあるけど、代替は、小さい事ばかりで良かったと思っている。
おおむねの過ちは、無知な10代までにやらかした事で、20代からは殆ど、罪悪感の感じるような悪事は犯していない。
20代になってからやらかした大きな過ちと言えば、ユーチューブとかで無断UPロードかもしれない動画を見てしまったことだ。
人生で理不尽に人にてキレた(怒鳴った)事は1回だけだし、これも、ストレスが異常な程溜まりまくっていた時期だし、どうしようもなかった…。
誰にもばれていないと思って安心していても、
過ちがあると、天使は助けてくれないし、運もついてこないんだって。
5時にラジオが入り、NHKの特別番組が流れはじめて目を覚ました。うつらうつらしながら、いくつかの投稿を聞く。家で息子とホームステイのオーストラリア人の青年を亡くした人。二階に寝ていた2人は三階の梁の下敷きになったらしい。建材とベッドの間に挟まれて、ベッドをパタパタと叩く音がしていたという。投稿したお父さんにはどうにもできず、仕方がないので、その息子をそこにおいたまま、近所の家の救出を手伝っていたとのこと。これで、一人分だ。ホームステイの青年の話は出なかった。娘さんは無事で今2人の子供をなしている、という報告も添えられていた。ホームステイの青年はどういう人生を送ってきていたのか、娘さんは震災の後どう生きられたのか。この投稿をされているご本人は。想像を絶する。のんきに生きている自分のような人間とは別の「壮絶な」人生を送られたのだろうな、と心を閉じそうになる。
そこで思い直した。あぁしかし、この手紙はわたしの帳面と同じようなものではないか。布団の中でうつぶせになって寝る前に置いたモレスキンの場所を確かめる。父が亡くなって少し経つが、葬儀を終えたとき、様々な情報や感情がバラバラにわいてきて、これはどこかに拾っておかなければいけない、と思って、新しい帳面を出して、書き始めたのだった。2日前の葬儀のこと、今日の市役所への届け出のこと、父が死ぬ直前のこと、3つ上なのに容色いまだ衰えぬ従姉妹に久しぶりに会って俺脳内掲示板に「従姉妹が美人すぎる件」スレが久しぶりに上がったこと…思いついたものから採集するつもりで、白紙のページに、文やタイムラインや絵で書いた。
「充分に書く」「気が済むまで書く」ことなど最初から放棄していたから、どれも簡単なものだが、そのとき感じたいくつかの微妙な感情を拾うことができた。起きたことのなかに「ここは泣くポイントなのではないか?」という箇所を見つけて、そこをつつくようにエモく書きながら涙ぐむ(複数の時間をまたぐような表現をすると人間は簡単に泣く)こともあった。
わたしは、「はてな匿名ダイアリー」で改行たっぷりに書かれるような自己憐憫の文章が大嫌い(掲示板みたいに対話してる奴はもっと嫌い)なので、書きながら感情に埋没してしまわないように、帳面の構成自体も、書き始めは右のページから書いて左を空けておき、左は後から書き入れることにした。いくつかの声のパッチワークのような使い方をするのが自然に思えた。思春期の若者みたいに、自分が書いたエモいことで盛り上がってさらに書いて、それで方向性が絞られてそこに内面のことしか書けなくなって、じき熱がひいたら内面ほじくるのに飽きて、あとには5ページくらい書いた帳面が残る…みたいなのは、さすがに嫌だ。
極度に飽きっぽい自分の性格もある。深く突っ込まなくていいから、続けることを優先しなくてはならない。日常の時間と並行させながら、父の死やその周辺の時間を記録再生しなくてはいけない。そう思った。だから、いろいろ書いた、とは言っても、それぞれは、思い出しメモに毛が生えた程度のものを、日常の思いつきや飯のおかずメモに交えて、頁のあちこちに、ちょこちょこと書いていったにすぎない。
それでも、自分がウジウジしたことを文字にしたこと、そしてそこを読み返してメソメソできるということが、驚きであった。げぇ、そんなことするんだ、俺が。(あと、仏壇に手を合わせたとき、父に向かって何か言ったりすることがあるのも、われながら驚きだ。)
しかしそれは、やらずにはいられなかったことだ。ラジオで読まれる便りを聞きながら、これはわたしの帳面と同じだ、と思ったのはそういうことだった。死んだ人の人生がどうだったのか、残された人の人生がどれほど壮絶だったのか、知ることは難しい。壮絶ったって20年ずっと1秒も絶え間なく死者を背負ってきたわけではないだろうし、投稿されている文章だって20年かけて整理された心が書いたものなのだ。取捨選択も誇張も忘却もあるだろう。簡単に言えば、死者のことを思い続けるのは難しいことだ。わたしの帳面につまらない落書きや関係ないことが書き入れられ、ページが進むごとに書き物の性質も変わっていってしまうように。しかし、ページをめくって過去をたどると、今でもちょっとは、感情が動かされる。それはわたしに起きたことで、そのことが私を少し変えてしまった、それは確かなことだ。このエモいメモは、ことの一部しか見ていないし誇張ではあるだろうが、ともかくも、わたしはこれを書かずにはいられなかった。
いやだな〜、漫画じゃあるまいし。そんなオバサンいるわけないでしょ?いたらたいへんだ。
追記。
つけたすのを忘れていた。帳面に載っていないので、死ぬのは、だめ。
多少ずるいかもしれんけど、怒るのダンナにやらせなよ。
自分ひとりだけが怒ってる=悪い母親って背負うのが一番まずいよ。
ジジババは?半日でもいいから、親に預けて遊びに行け!
一番いいのはジジババ連れて遊びに行く!面倒はジジババに任せて遊ぶ!
子連れ友達でもいいよ。集団で面倒見ると気が楽。
至る所に落書きするなら、至る所にでっかい紙はりまくれ。
あと、水で消えるクレヨン系もいいぞ。
「ここ書いちゃダメ」といいつつ、書かれても大丈夫な準備をしておくんだ。
あと
「壁に書いたら消さなきゃいけない。
お母さんはXXちゃんの絵を取っておきたいから、紙に書いて」
って言うのどう?
「自分の物」大好きっ子なら、自由帳買ってあげると喜んでそこに書きまくる。
(床にも書くからできるだけでかい帳面&消せる筆記用具で)
障子紙とか、壁紙は張替えできっから。
適度に叱りつつ、
「そのうち直そー。どんな柄にしよっかなー」って楽しみにする!
すぐに直さない、掃除しない。どーせすぐに汚れる!
怒るのは大事。ただし、10秒数えてから怒る事。
叩くのも、個人的には大事だと思う。ただし、場面と叩き方は要注意。
絶対にストレスになるから。
ストレス発散で虐待してるって言う人間いるけど、絶対違うからね!
「ストレス->虐待->虐待のストレス->虐待」の繰り返しで膨れ上がるよ。
他の増田も言ってるけど、顔はやめとけ。
心理的攻撃力が高すぎる。
頭やでこパッチン(殴るんじゃなくて「ぱーっちーん!」って感じで)
おしりぺんぺん
位でいいと思う。
二歳なら「叩かれた!怒られた!」って分かるだけでOK。痛み要らない。
言う事聞かない場合は、なんで聞かないのか(聞けないのか)子供の立場に立って考える。
あと、子供が言う事を理解する猶予を与える。
隣国で女王交代の儀が執り行われるとの話を聞いたので、愛用している小さく丈夫な革の旅行鞄に、筆と帳面とありったけの乾物を入れ早速出かけることにした。助平と思われるかもしれないが、私は人様に助平と申せる程に助平ではない。照れや恥からではなく、真実人並み程度の助平心しか持ち合わせていないのだ。それならば何故、女王交代の儀の知らせを聞くや否や隣国まで出かけることにしたのかと言うと、理由は三つある。
一つは私がしがない物書きであること。それも自らの世界を書く創り手ではなく、異境の珍奇なる事柄を面白可笑しく書く記し手であるからだ。十日程前に大家に納めた店賃で蓄えは全てなくなってしまったので、ここ何日かは温かい飯を食らうこともできずにひたすら乾物を囓っていた。何か書かねば飢えてしまうし、飢えはせずとも店賃を払えなければ追い出されて凍え死んでしまう。しかし書くことがない。諸国を放浪した際に見聞きした珍奇なる事はほとんど書いてしまっていた。どうしたものか。嘘八百を書いてしまおうか。そんな時に女王交代の儀の話を聞いたのだから、一も二もなく飛びついたわけだ。
二つ目は私が珍奇なる事柄が三度の飯よりも大好きであること。食うや食わずの物書きなど堅気の人間はやりたがらぬことを望んで生業としたのはそのためである。稚い頃から記し手の話を手に入れると飯を食うのも忘れて何度も何度も読み返し、頭に浮かべたその珍奇なる世界に思いを馳せていた。商家の倅として生まれた私だが、数をパチパチ弾くだけの変わり映えしない生活に飽き飽きしていたせいか、尋常ではない入れ込みようであった。そんな私だが隣国の女王交代の儀は未だ見たことがなかった。前回の儀は十六年前。既に珍奇なる事柄に興味を持っていたのだが、十をようやく超えたばかりの子には隣国は少し遠すぎた。夜明け前に荷を持って出かけたのだが、翌日の夜には親から捜索を頼まれた者たちに連れ戻されてしまった。三つ隣りの村だった。それ以来、女王交代の儀には並々ならぬ関心を持っていたというわけだ。
そして三つ目。いくら書くことがないとは言え、いくら稚い頃から関心を持っていたとは言え、隣国はそれでも旅に出るにはまだ遠い。容易ならぬ山道を幾日も歩くよりは、手っ取り早く嘘八百を記してしまうなり、それでなくとも以前に書いた珍奇なる事柄を記してしまった方が、良いではないか。そう考えるのが常であろうし、他の珍奇なる事柄ならば私もそう考えたかもしれない。しかしそれでも私は迷うことなく家を出た。すなわち三つ目の理由とは、二つの理由を後押しして迷わず出かける程度にはある、私の助平心ということだ。
そうして乾物を囓りながら小さな旅行鞄を片手に私は隣国へと旅立った。
隣国へ着いたのは儀の一日前だった。儀は取り決められてから十と五日後に執り行われる。噂を聞いてからすぐに飛び出た御陰で間に合った。街の外れの安い宿屋でなけなしの銭を渡し部屋を取ってから、まずは儀の執り行われる広場へ足を向けた。広場には縦横五丈、高さ一丈程の舞台のようなものが造られていた。何人かの職人が最後の仕上げに舞台へ上がる段を拵えていた。明日執り行われる事を考えると何とも言えない気分になるが、それを見たさに来ているのだから我ながら始末が悪い。
陽も沈んできたので宿に帰ると何やら賑わっていた。先ほどは裏通りから入ったので気付かなかったがどうやら宿があるのは裏手であって、その向こうにある中央の通りと面してる方に酒場があるようだった。宿の奥にある細い通路を抜けると賑やかな酒場に出た。中央の通りに面してるとは言っても街の外れには変わりがないので上等な客層ではなかった。眺めていると顔を真っ赤にした日に焼けた中年男が声をかけてきた。私が旅の者で、しかも記し手であることがわかると、珍奇なる話を求められたので話してやると、大層気に入ったようで酒を奢ってくれた。こうして珍奇なる事柄を多く知っていると得なこともある。話をし尽くし、奢ってってもらい尽くした自分の街では使えないのが残念だが。男と話をしていると明日を大層楽しみにしていることがわかった。新たな女王の誕生だ。これから国は良くなる。そうは言っていたが下卑た笑いからは、それが本心とはとても思えなかった。
男が酔い潰れてしまったので酒場を見回すと俯いて飲んでる男がいた。酔い潰れた男が注文していた酒を手に持ち、その男のもとへと行き、酒を注いでやった。特に驚くことも嫌がることもなかったので、そのまま前の椅子に座り酒を飲むことにした。しばらくすると男は愚痴り始めた。幼いときから知っている。心の底から崇めていた。しょうがないことなんだろうが。やりきれない。自分より少し若い男はそう愚痴をこぼしやはり酔い潰れてしまった。恐らく初めての女王交代の儀なんだろう。もし自分がこの国に生まれてたらどう思うだろう。そんなことを考えながら酒場を後にした。部屋に戻るとすぐに睡魔に襲われ眠りに落ちた。久しぶりの酒のせいだろう。結局答えは出ずに考えだけがぐるぐる回っていた。
翌朝、太陽の眩しさに目が覚めた。朝は大分過ぎているようだったが、儀が執り行われる昼にはまだ時間があるようだった。乾物を囓りながら広場に行くと街中の人間が集まっていた。下卑た笑いを浮かべる男に、俯きがちな男。そんな男を呆れた目で見る女に、にやにやしながら待つ女。恐らく街中の人という人が集まっていた。そんな様子を見ていると太鼓の音が鳴り響く。後ろを見やると兵士に連れられた女王が、いや元女王がやってきた。手を縄で縛られ、襤褸切れの首の所だけに穴を開けた服で、歩く度にちらりちらりと肌が見える。しかし、それでもなお女王の風格を纏っているのだから、なかなかの傑物だったのだろう。囃し立てる男達に、罵声を浴びせる女達。その中を兵士達が道を作り、元女王は舞台へと上がった。
そして仰々しい礼装をした老人が束ねた紙を手にして舞台へ上がる。女王を補佐してた中で一番の有力者が告げると聞くので彼がそうなのだろう。老人は恭しく女王の罪状を述べた。曰く不作。曰く日照り。曰く疫病。さしもの女王でも如何ともし難いことばかりだった。罪状を告げ終わると兵士が元女王の身を纏う襤褸切れを剥ぎ取り、性器を模した木型を手にした老人が女王の股間に突き刺す。女王の小さな悲鳴と共に赤い血が流れる。老人が破瓜の血を吸った木型を掲げると大きな歓声が沸いた。その後は代わる代わるに犯され続けた。脂ぎった男に、木型を持った女に、行為の意味もわからぬ稚児の拳に、そして昨日酒場で悩んでいた俯いてた男に。
陽が暮れるまで犯し嬲られ罵倒されつくした女王には、もう女王の威厳は宿っていなかった。それどころか人としての心さえも壊れてしまったようで、目の焦点は合わないままだった。そして呻き声しか発せられなくなった白濁の元女王が横たわる舞台に火がつけられる。人々はその周りを騒ぎながら踊る。夜が明けるまで。国を悪くした元女王がいなくなったことに喜びながら、新たな女王が国を良くしてくれることを祈りながら。
翌朝、国へ帰ることにした。金穴と好奇心と少しの助平心で来たものの、人並み程度の助平心しか持たない私には少し重すぎたようだった。満たされた好奇心以上に後味の悪さが残る。それでも飯の種ができただけいいかと街を出る途中、城の前を通りかかると新女王の戴冠式が行われていた。そこにはまだ物心もついてないだろう稚児が、数えきれないくらいの人間に崇められていた。何かわからない子ども達は不思議そうにしていたが、大人達は皆真剣に頭を下げて女王を讃えていた。
少し歩くと、酒場で出会った日に焼けた中年男がいた。周りと同じように真剣に崇めている様子だったが相変わらず下卑た笑みを浮かべていた。何かを期待するような下卑た笑みを。またしばらく歩くと、酒場で出会った自分より少し年下の俯いてた男がいた。彼もまた真剣ではあったが日に焼けた中年男と同じ顔をしていた。この街ではこうして大人になっていくのだろう。真剣に崇めれば崇めた分だけカタルシスは大きくなる。だからこそ、この街の大人は皆真剣なのだろう。不思議そうに大人の真似して頭を下げてる子を見て、一昨日の問いが再び頭に上る。小さな旅行鞄から取り出した乾物を囓りながら、私は隣国を去った。
はてなブックマーク - なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
幼児期などに親から体罰を受けた子供は、その時には親に従うが、長期的には反社会的行為などマイナス面の大きいことが米コロンビア大学の心理学研究チームが26日までに発表した調査結果で分かった。
私は、幼い精神を名誉と自由に向かって育て上げようとする教育においては、すべての暴力を否定します。
力によっては決してなし得ないのだと言いたいのです。
徳をもって人を支配する者は王たり。
力をもって人を支配するものは弱く、
富をもって人を支配する者は貧し。
筍子
相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。
相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。
ジョン・モーリー
(脅迫)
第222条 生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。
2 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、前項と同様とする。
(強要)
第223条 生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する。
2 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者も、前項と同様とする。
3 前2項の罪の未遂は、罰する。
虐待されました。虐待には時効はあるのでしょうか? - Yahoo!知恵袋
性的虐待の時効は何年でしょうか?子供の頃父に受けた性的虐待が原因で今、心療内科に通っています。
幼少時代、親から暴力を受けていて、現在に至るまで「熟睡」した事がありません。寝込みを殴られることがあった為
私は18歳の高校3年生です。数日後に大学入試を控えています。が、父親が変わった人間で女だからとゆう理由で進学に反対されています。私立も受けれず落ちたら就職です。
父親の言う事に反抗したら何をされるかわからないような家庭です。
今までもたくさん暴力や嫌がらせをされてきました。
はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):8歳男児が親を射殺 「尻を叩かれる回数を帳面に付けていた。1000回を超えたから殺した」
「児童虐待」と「老人虐待」の根っこにあるもの - 明橋大二 Fan!
asahi.com(朝日新聞社):心身障害者に「犬猫と同じ」 富山の施設職員が虐待 - 社会
世代間伝達現象・・・・虐待を受けて育った親が成長後に子供を虐待するようになるという現象。(虐待が世代を超えて伝わるという現象)
幼少期に愛されなかった人間はなぜ一生その傷がなくならないのでしょうか?
人のミスを叱ったり注意したりする時に一番してはいけないこと。それは全人格否定だと思う。
しつけとは、他人のことをどれほど考えていないかを隠すことである。
はてなブックマーク - 厳しく育てられるとどういう子どもに育つの?:アルファルファモザイク
その同僚は、「複雑な」家庭に育ち、親の愛情が乏しい育ち方をしているらしい。
どこか異常な人間は、必ず親や家庭環境に問題があるのだ、と友人は断言していた。
子供の為っていうのはやめなよ。
「自分の為」っていいな。
叱った直後、別のことをしようと手を動かしたときに、次男が私の手の動きを見ておびえたんです。
子どもは、黙る。
親は、自分の「教育的」な脅しが「効いた」ことに満足する。
しかし、それは本当に「効いて」いるんだろうか?
相手の同意なく相手を支配できるほど優れた人など存在し得ない。
相手を自分の好みに変えようと思うことは相手の人格を無視した行為。
「子供の頃、親から厳しく育てられた」 と言う受刑者が少なくないのに気づいたのは、受刑者たちとの面接を始めてからしばらく経った後のことでした。
最初のうちは、厳しく育てられた者がどうして非行や犯罪など悪いことを繰り返すのだろうかと、その意味がよく分かりませんでしたが、
聞いているうちに、それは親からの体罰や虐待を受けて育てられたということでした。
行為障害のある非行少年や反社会性人格障害をもつ犯罪者に特徴的なことは、
幼児期から周囲との暖かい人間関係が妨げられ、正常な感受性や良心や道徳心が育たず、
他人の苦しみや悲しみに無関心で、相手に苦痛や被害を与えても、相手の痛みが分からないなど、
よい対人関係を続けるのに必要な感受性の希薄さが感じられることです。
Amazon.co.jp: 荒廃のカルテ―少年鑑別番号1589 (新潮文庫): 横川 和夫: 本
母親が刑務所で服役中に生れ、乳児院と養護施設で育った少年が女子学生を殺害した。
裁判所は「性欲の満足という酌量の余地のまったくない動機」からの犯行と断定し無期懲役を言い渡した。
裁かれるべきは本当に彼一人なのか?
少年が育った環境の荒廃を追跡取材する過程で浮かび上ったきたものは、普通の家庭もまた彼の様な少年を育てているのではないかという恐しい真実だった。
Firedragon戦記/絆なき者の記録 アイヒマン実験に想う事
子どもを殴る時に笑う。
Mariaの戦いと祈り | 過去は変えられない。でも、子どもたちの未来は変えられる…
「ヤクザになったある養護施設の卒園生が、
『オレは殴られて育ったおかげで根性がついた。根性をつけてくれた施設には感謝している』と言いました。
児童養護施設で“体罰” 女子中学生に慰謝料払う - MSN産経ニュース
http://blog.dogadyaga.com/?eid=131918
とにかく 大声で 子供を 怒鳴り倒す。
凄まじい。
“何ぐずぐずやってんだ 馬鹿野郎”
“何で こんな問題が わかんないんだよう”
多分 耳元で 怒鳴っているのだろう。
そのうち パシンと たたく音。
この子と すれ違ったことが あるが
平凡な 普通の子で 表情に 乏しい。
ヒステリー 金切り声。
子供は 逃げ場がなく
これが 2 時間 続く。
“もう 絶対に ぐずぐずしません。
許して ください お願いします”
ずーっと 泣いている。
こんな セリフで 子供に 謝らせる 親というのは
どういう 神経なのか、、、
近所でも 評判になっている。
この家の 子供は 間違いなく まっすぐ 育たない。
そして 必ず 事件が 起きる。 太鼓判。
冗談ではなく 近頃は 奈良のように
火をつけられるぞと 家族で 話し合う。
受刑者の37%幼少時に親からの虐待経験。虐待は世代を越えて移っていく
[夜泣き][対策][対処法][泣きピタ][ホワイトノイズ]耳もとで「シー! シー!」と言う。
廊下にご飯や味噌汁をばら撒いてそこで食べなさい・母親の異常教育と無差別殺傷事件の要因か:イザ!
「秋葉原事件」犯人と母親の関係 親族が分析 : J-CASTテレビウォッチ
伯父は「(容疑者が)一度、弟と一緒に家出してきたといって私の所へ来たことがある。
理由を聞くと母親に厳しく怒られ、家を出ていけと言われたようだ。
高校進学すると、両親の言うことをきかなくなり、家庭もバラバラになっていった」という。
livedoor ニュース - 加藤智大を狂わせた“母親の異常教育”
「親は嫌いとか憎しみを超えている。他人だ」
Amazon.co.jp: 僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真実: 草薙 厚子: 本
『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)が送られてきた。
昨年6月に奈良県で起きた事件は、16歳の少年が自宅に放火して、継母、弟、妹が亡くなるという悲劇を招いた。
その少年には4歳のときから勉強を強要し、暴力を振るう父親への憎しみがあった。
草薙さんの著作は、少年の供述調書などを紹介しつつ、殺人へと到る心境を綴った少年直筆の「殺人カレンダー」を公開している。
「僕はこれまでパパから受けた嫌なことを思い出しました。パパの厳しい監視の下で勉強させられ、怒鳴られたり蹴られたり、本をぶつけられたりお茶をかけられたりしたことを。
なんでパパからこんな暴力を受けなければならないんや。一生懸命勉強しているやないか。
何か方法を考えてパパを殺そう。パパを殺して僕も家出しよう。自分の人生をやり直そうーー。僕はそう思うようになりました」。
奈良の少年放火殺人 鑑定医と著者宅捜索 本出版で地検 供述調書漏えい容疑
「子は親の鏡」子どもたちはこうして生き方を学びます(皇太子紹介の詩) - 踊る小児科医のblog
批判ばかりされた子供は、非難することをおぼえる。
殴られて大きくなった子供は、力に頼ることをおぼえる。
皮肉にさらされた子供は、鈍い良心の持ち主となる。
しかし
激励を受けた子供は、自信をおぼえる。
寛容にであった子供は、忍耐をおぼえる。
賞賛を受けた子供は、評価することをおぼえる。
友情を知る子供は、親切をおぼえる。
可愛がられ 抱きしめられた子供は、
世界中の愛情を感じ取ることをおぼえる。
ドロシー・ロー・ノルト
初め墓所の近くに住んでいたところ、孟子が葬式の真似をして遊ぶので市中に引っ越した。
すると礼儀作法を真似たのでそこに居を定めた。
404 Blog Not Found:ドロシー・ロー・ノルトへの返歌
子育て・教育論・理想と現実、及び「さんさん録」の感想|ミーム吉田のネットニュースクリッパー
asahi.com(朝日新聞社):長期体罰の子、脳が萎縮 熊本大准教授が共同研究 - サイエンス
【科学】子どものときに激しい体罰を長期間受けた人は脳の一部がいしゅく…日米共同チーム
Amazon.co.jp: いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳: マーチン・H. タイチャー, Martin H. Teicher, 友田 明美: 本
児童虐待が脳に残す傷 M. H. タイチャー:日経サイエンス
私たちマサチューセッツ州ベルモントにあるマクリーン病院とハーバード大学の共同研究グループは,
虐待の影響を研究して,これとは少し違う結果を得た。子どもの脳は身体的な経験を通して発達していく。
被虐待児は、他人の不幸を喜ぶ冷酷な世界でも生き抜くように適応
極端なストレスは、さまざまな反社会的行動を起こすように脳を変えていく。
ホルモンの量が変化し、子どもの脳の配線を永久に変えてしまう。
他人の不幸を喜ぶような冷酷な世界でも生き抜けるように適応しうるのだ。
適切な世話をし、激しいストレスを与えないことが子どもの脳に大切だと私たちは考えている。
そうすれば、左右両半球の統合もうまくいき、子どもは攻撃的にならずに、 情緒的に安定していて、
他人に同情・共感する社会的な能力も備わった大人になるだろう。
Amazon.co.jp: 新・子どもの虐待―生きる力が侵されるとき (岩波ブックレット): 森田 ゆり: 本
年長者による子どもへの「暴力によるコントロール」と捉えている。
体罰も性的暴力も「虐待」
夏への扉 The Door into Summer 子供ばかり責められるのはなぜか
団地住まいであるため泣き叫ぶ声などから近所中に知られていた。
幼い息子の目の前でその母親を執拗に殴り、怯える息子も見かねて止めに入ると
今度は息子をぶちのめしたうえ風呂場へ引きずって行き水の入った浴槽に頭を突っ込み押さえつけるなど壮絶を極めた。
母親の前に立ちはだかってかばったために、ぶん殴られて失神したこともあった。
耐えかねた母親は自殺し、首を吊って脱力し糞尿を垂れ流してぶら下がる母親の無惨な姿を見ながら11歳の息子は泣きじゃくっていた。
そのあたりから普段の言動に異常さが表れてきて、
【裁判】「体罰やしつけが被告の精神状態に影響を与えた。責任能力は喪失状態だった」と、鑑定医 夫バラバラ殺人事件 東京地裁
木村医師は「父親からの暴力に近い体罰やしつけが歌織被告の精神状態に影響を与えた」と歌織被告の成育歴から分析。
その上で「行動責任能力は喪失していた」と述べた。
また、金部長も「責任能力が喪失したことは推認できる」と報告した。
公判で弁護側は、歌織被告が長期間のDV(配偶者間暴力)で心的外傷後ストレス障害(PTSD)となり、
「自分をコントロールできずに殺害に及んだ」と主張している。
【セレブ妻鑑定人尋問(1)】経済学部志望の被告に「男漁りに行きたいのか」と父「女はスチュワーデス」(9:58~10:15) (1/3ページ)
木村鑑定人「まずは生育歴を報告したい。
歌織被告の最初の記憶はトイレで父にぶたれているところだった。
おそらく幼稚園に上がる前のことで、
便座の上で『ごめんなさい』と叫んでいたけどやめようとしなかった」
【セレブ妻鑑定人尋問(1)】経済学部志望の被告に「男漁りに行きたいのか」と父「女はスチュワーデス」(9:58~10:15) (2/3ページ)
木村鑑定人「小中学校のとき、色んなことがあったはずだがあまり覚えていない。
ただ、父がかなり体罰に近いことを繰り返していた。
木村鑑定人「生育の注目点は、父からの暴力や体罰。
父は否定していたが、(父と母の)別々に聞くと、頻繁にあったことが語られた。
理由を説明することはなく、『泣けば許されると思っているのか』と追い打ちをかけるような状況だった。
父の暴力は虐待の構図に近く、深刻な心理的影響が推認される」
【セレブ妻鑑定人尋問(1)】経済学部志望の被告に「男漁りに行きたいのか」と父「女はスチュワーデス」(9:58~10:15) (3/3ページ)
母も止めずにいた。結果として、きつい言い方だが共謀関係になる。
母にも不信感を抱いたことがあったようだ」
木村鑑定人「DV(配偶者間暴力)によってなぜ両親が保護しなかったのか。
ここに最大の理由がある。感情を安定させることができず、動揺しやすくなったり、鈍くなった。
常に叱責を受けていると、いちいち傷ついてはいられなくなるからだ。
対人関係でも警戒したり、深い関係にならない傾向になる」
【再び歌織被告質問(8)完】「性的写真」が別れられなかった理由 法廷でも「言いたくなかった」(11:45~12:02) (1/4ページ) - MSN産経ニュース
モンスターマザーのこどもたちは、いずれ母親を軽蔑するようになるでしょう。
こどもたちの母親離れは早いでしょう。
Amazon.co.jp: 毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫): スーザン・フォワード, 玉置 悟: 本
私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。
ヒラリー・クリントンは、「3歳までの経験が将来の発育に重要で、平和な市民に育つか凶暴な市民に育つかを決める」と主張し、
とにかく世界は動いている