はてなキーワード: 外延とは
毎度毎度ネット文字創作界隈をお騒がせすることで有名な、「名興文庫」およびその「相談役」。
(詳しく説明するのは面倒なので、知らない人は「名興文庫」「本格ファンタジー」「ダークスレイヤー」あたりでツイッター検索をかけてもらえば、何となくその立ち位置が分かってもらえると思う)
今回は、日本において「本格ファンタジー」が根付くはずの土壌をラノベが破壊してしまった、という歴史認識を巡って学芸員の鞍馬アリス@kurama_fantasy氏と論戦を繰り広げているようだが、その中でこんな発言が出てきた。
ttps://twitter.com/kurama_fantasy/status/1698847925580022266
@kurama_fantasy
最初から土台をなしにされたと言うことを、歴史的な史料(当該時期の雑誌、新聞、評論、研究、書簡類、出版に関わる統計資料等、あるいは当事者の証言であるオーラル・ヒストリーを含んでいます)などを組み合わせて実証的に証明できないのであれば、デマや陰謀論の類と同じ価値しかないと思います。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1698849563380236367
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
ライトノベル宣言が出た頃の話と、先日私が引用していたファンタジーノベル大賞の『ヒロイックファンタジーは採用しない』という公言。
これによって長く一般小説に一ジャンルとしての本格的なファンタジーの土台がなくなったというただの事実を、わざわざ長い時間をかけて検証するのはあなたの自由ですよ。
一般的に「ライトノベル宣言」として知られるもの、そして「ライトノベル宣言」でググってトップに出てくるのは、「角川武蔵野ミュージアム」内の「マンガ・ラノベ図書館」で掲示されている、メディアワークスの創業者にして元角川書店社長の角川歴彦氏による文章だ。
ttps://kadcul.com/manga_light_novel_library
作家夏目漱石を代表とする近代文学は昭和期に入って純文学と大衆小説に分かれ多様に発展したが、 気がつけば名著名作として現代国語の教科書内の存在になっていた。 しかし青春文学を求めるヤングアダルトといわれる若者層はいつしか自分が選ぶ小説・文学の登場を渇望していたのであった。 ライトノベルは青春期の少年少女が与えられた本に満足せず、自分の意志で手に取る最初の本である。
ライトノベルの起源はイギリスの“円卓の騎士”や『指輪物語』から影響を受け、RPGリプレイから生れた『ロードス島戦記』だ。 座を囲んだプレイヤーの数だけ豊かな物語を紡ぐことのできるゲームから水野良は小説『ロードス島戦記』を誕生させた。
(このラノベの起源=ロードス説にもついても一部で議論が存在するが、今回の件とは関係がないので無視する)
実際鞍馬アリス氏も、「ライトノベル宣言」がマンガ・ラノベ図書館のこの文章であると解釈して話を進めている。
ttps://twitter.com/kurama_fantasy/status/1698903493632036891
@kurama_fantasy
前者はマンガ・ラノベ図書館開館によせて作成されたテクストであるかと思いますが、角川歴彦名義で角川書店がライトノベルというものをどのように発表時点で認識し、総括しているかは書いてありますが、本格ファンタジーとの関係性に関してはロードス島の部分以外では書かれていないテクストです。
これだけで決着が付きそうなところではあるが、相談役氏の過去ツイートおよび、執筆者不詳だが十中八九相談役氏が書いたと思われる名興文庫のコラムを見てみると、「ライトノベル宣言」について以下のように語られている。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1463850316441415687
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
くっそー、ファンノベ大賞が出た時の嫌な感じが30年かけて伏線回収されるなんて。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482181140610191362
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
世の中、小説なんてほぼ一生読まない人が大半なのに、そんな人たちも読めるような小説を出してお金にするなら、テーマも難しい表現もとことん取っ払ってディスポーザブルなモデルにするしかない。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482182010928250880
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
しかし、ライトノベルを始めた頃の出版社は、それが世の中だと知らなかった。
そりゃそうだ。小説界隈の人たちは自分たちが造り酒屋やウイスキーのブリュワリーだと思ってたんだもの。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482182689008467969
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
『初期のラノベがしっかりしてた』ってな言説は、それがウイスキー(小説)のエッセンスがそこそこに含まれていたからだ。
でも、水割りが売れ始めたので、某出版社が『これからはウイスキーだけじゃなくて水割りを真面目に売る!』って宣言したのよね。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1490340592727228417
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
カドカワがロードス島戦記をもって『ライトノベル宣言』をしたことによって、日本のファンタジーはある意味呪われてしまいました。
今や本格的なファンタジーのレーベルは無く、全てライトノベルです。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1568797511976091648
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
カドカワの『ライトノベル宣言』の切欠がロードス島戦記ですから。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1581241393715957760
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
KAZUさんはとても理性的に話せる人なので少し面白い話をすると、某社がライトノベル宣言を出した時に、ファンタジーにある区切りが発生してしまったのですよ。
私としてはライトと一般のファンタジーを明確に分けるか、いっそライトって呼称をもう無くして欲しいと思っています。構成が大変で。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1599779249946517505
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
年代的にはあの頃ですね。
まだラノベって言葉が無くて、ゲーム界隈で高まってたファンタジーへの認知がロードス島戦記で解放されて、ライトノベル宣言が為されたころまでですね。
私は本来のファンタジーを希望する~本格ファンタジーとは何か~ | 名興文庫
ttps://www.naocoshibunko.com/column004/
少し過去にさかのぼって説明しよう。『ロードス島戦記』の爆発的なヒットでカドカワが『ライトノベル宣言』を出してライトノベルの時代が明確になり始めるころ、それ以前は『ファンタジーノベル』と呼ばれていた作品群もライトノベルの前期と分類されるようになったが、この時期に新潮社が『ファンタジーをテーマにした文学賞』というコンセプトで『日本ファンタジーノベル大賞』を開始した。
お分かりだろうか。
この二点を前提にする限りは、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」が、マンガ・ラノベ図書館の同名文章を指しているとは考えにくい(ラノベ図書館のオープンは2020年8月)
では、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」とはいったい何なのだろうか?
「ライトノベル宣言」をダブルクォーテーションでかこってググってみても、マンガ・ラノベ図書館関連以外はほとんどヒットしない(冲方丁の「最後のライトノベル宣言」ぐらい)
こうなると、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」は、一般的には「ライトノベル宣言」とは呼ばれていないものを指している可能性が高い(そもそも実在しない可能性はとりあえず考えない)
実際、上で引用したツイートの中にも「いわゆるライトノベル宣言」という表現がある。また、そもそも読者発の「ライトノベル」というジャンル名を出版社側がおおっぴらに使い始めたのはだいぶ後になってからのことである、という事実はラノベ史を少しでもかじったことのある人間には常識だ。
実質的な「ライトノベル宣言」に該当しそうな候補としては何があるだろうか。少し考えて真っ先に思いついたのは、「電撃文庫創刊に際して」だ。
ttps://sai-zen-sen.jp/editors/blog/works/4-9.html
電撃文庫創刊に際して
文庫は、我が国にとどまらず、世界の書籍の流れのなかで〝小さな巨人”としての地位を築いてきた。古今東西の名著を、廉価で手に入りやすい形で提供してきたからこそ、人は文庫を自分の師として、また青春の想い出として、語りついできたのである。
その源を、文化的にはドイツのレクラム文庫に求めるにせよ、規模の上でイギリスのペンギンブックスに求めるにせよ、いま文庫は知識人の層の多様化に従って、ますますその意義を大きくしていると言ってよい。
文庫出版の意味するものは、激動の現代のみならず将来にわたって、大きくなることはあっても、小さくなることはないだろう。
「電撃文庫」は、そのように多様化した対象に応え、歴史に耐えうる作品を収録するのはもちろん、新しい世紀を迎えるにあたって、既成の枠をこえる新鮮で強烈なアイ・オープナーたりたい。
その特異さ故に、この存在は、かつて文庫がはじめて出版世界に登場したときと、同じ戸惑いを読書人に与えるかもしれない。
しかし、〈Changing Time,Changing Publishing〉時代は変わって、出版も変わる。時を重ねるなかで、精神の糧として、心の一隅を占めるものとして、次なる文化の担い手の若者たちに確かな評価を得られると信じて、ここに「電撃文庫」を出版する。
電撃文庫の巻末には必ず掲載されているこの文章(現在もあるのかは知らない)。ラノベを読んでいた人間なら、一度は目にしたことがあるだろう。
「レクラム文庫」「ペンギンブックス」「アイ・オープナーたりたい」などを意味も分からぬままマネして遊んでいた人も多いのではないか(その馴染み深さから、昨年、角川歴彦氏が逮捕された際にツイッターで擦られまくったことも記憶に新しい)
この文章の執筆者は、ラノベ図書館の「ライトノベル宣言」と同じく、当時メディアワークス社長だった角川歴彦氏である。というより、「Changing Time, Changing Publishing.」というフレーズが共通しているところを見ても、セルフオマージュというか、令和版「電撃文庫創刊に際して」として「ライトノベル宣言」が書かれたフシすらある。
逆に言うと、「電撃文庫創刊に際して」は平成版「ライトノベル宣言」である、と言えなくもないのではないか。
「ライトノベル」という用語自体が文中に存在しないのはもちろん、概念的にも直接ラノベに触れているとは言い難い内容ではあるが、他文庫の派生ではない純粋なラノベレーベルの中では恐らく初めての「発刊の辞」という意味でも、「実質的ライトノベル宣言」らしさはある。
この説でネックとなるのは、電撃文庫創刊時のメディアワークスは一応「角川」ではないということと、ラノベ以上に「本格ファンタジー」うんぬんとは全く関係がないという点だろうか。
仮説1と言っておきながら、2以降は思いつかなかった。尻切れトンボの検証で申し訳ない。
なんとなく、角川のファンタジーフェアやスニーカーの創刊あたりにも何かそれっぽい文章がありそうな気もするが……情報や仮説をお持ちの方は、トラバやブコメなどでこちらにお寄せいただきたい。
そんなの本人に聞けば済むことだろうと素人は思うかもしれないが、経験上、件の人物がこの手の問題についてまともに答えることはまずない。そのため、こちら側で勝手に調査して結論を出す方がかえって手っ取り早いのだ。
それから、せっかく見つけたのでついでに言及しておくと、こちらの東浩紀と桜坂洋と新城カズマの鼎談では、(相談役氏がいうところの)「ライトノベル宣言」とはむしろ真逆の歴史認識が示されている。
ttp://www.hajou.org/geetstate/cm70/hb_pp20-23.pdf
東 とはいえ、ライトノベルが崩壊するといっても、実はライトノベルの外延そのものが確定していない。SF だったら、SF 作家クラブがあって、福島正実が創刊した『SF マガジン』の歴史があって、ジャンルとしての基盤がはっきりしている。だから、SF が崩壊するといってもイメージが湧きやすいんだけど、それに対してライトノベルはどうか。例えば、安田均や水野良が集まってライトノベル宣言をしたわけでもないし、機関誌が創刊されたわけでもない。そこで決定的に違うと思うんですよね
インターネットは特別な資格なしに誰もが自由に発言できる空間である。それは明らかに大きな美点だ。
だが、何の気なしに発した曖昧な内容が、他の人間に検証・裏どりの多大な手間をかけさせてしまうこともある。
そこで空費される本来不要だったはずの労力について、全員が一度は考えてみてもらいたい。あなたにとってはどうでもいい話題の一つに過ぎなくても、そうではない人間がいる場合もあるのだ。ましてや、その道に詳しい専門家のような顔で情報発信するならなおさらである。
そういう人で数学の成績がそれほどでなかったり大学で数学を専攻している人というのが少ないのは、根本的に数学に対して能力がないのではなく、数式には文章と違って情感みたいなものがないとかいった理由で愛着を持てないからだと思います。
それで熱心に学ばないからそうなってるだけで、彼らのような類に数学の勉強を強制させたらそれこそ大化けして並みの数学者を凌駕する理解力を発揮するのではないでしょうか?
確かに高校時代まで重視される計算力(速さ)という意味の数学力は読解力とかすりもしない概念でしょう。
しかし大学に入ってまず習う位相や集合の理解にしてもあのページが進むごとに論理的に入り組んでいく解説についていくということについてはまさしく国語で成績を取ってきたのと共通する読解力がものを言うように思えてなりません。逆にあれを理解するのに要する読解力と小説なり評論なりの問題を解くのに要する読解力とでどこに違いがあるのか探す方が難しいでしょう。
双対の原理の事典での説明を私が見ても、パスカルの定理とブリアンションの定理の双対性が、束の外延と内包の双対性が成り立つからその特殊な場合として明らかに成り立つものなんだと言えるという趣旨に対して、束という遥かに抽象的な形式論理のなかで成り立ってることがあの目で見える形で定理の妥当性が明らかな射影幾何の双対性に一般と特殊の関係のなかでどうつながってくるというんだとさっぱり納得感がないわけです。
(というか双対の「原理」とかいっちゃってるけど、それはパスカルの定理とブリアンションの定理が同時に真であるということ公理として幾何学が構成されてるってこと?この場合まだ2定理が真なことは図示したとき直観的に明らかだからまだいいけど双対の原理に沿うように言葉を入れ替えた命題が全て視覚的にも正しいと判断できるような状況になってる保証はどこにもないよね?それをもそれを「真」と認めるものとして幾何学を構成しちゃってるってこと??)
国語において読解力があると知られている人は、そういう言わずもがなの部分も何が省略されているか察知する力に長けているはずというか、往々にしてその力の結果が間接的にも直接的にも「読解力が高い」と人に言わしめるときの「読解力」の構成要素になっているはずなのです。
だから、事典の記述についても私が納得できないのはその記述における「言わずもがな」の部分に想像力が及ばないからだとするなら、読解力の高い人ならこういう数学の高度な概念の解説も読みこなせるのではないかと思うわけです。
そういうわけで少なくとも数学の理論を学ぶという段階だけで見るならむしろ理系ぶってる人間よりも読解力が高い人のほうが驚異的な力を発揮するように思えます。研究の段階になるとそれがそうじゃなくなるんでしょうかね。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 139 | 21237 | 152.8 | 38 |
01 | 67 | 7646 | 114.1 | 48 |
02 | 48 | 6704 | 139.7 | 41.5 |
03 | 33 | 2157 | 65.4 | 32 |
04 | 27 | 3069 | 113.7 | 31 |
05 | 20 | 3272 | 163.6 | 106 |
06 | 33 | 5656 | 171.4 | 68 |
07 | 58 | 6061 | 104.5 | 52.5 |
08 | 100 | 8132 | 81.3 | 46 |
09 | 173 | 20858 | 120.6 | 47 |
10 | 198 | 23560 | 119.0 | 33 |
11 | 247 | 21139 | 85.6 | 43 |
12 | 265 | 21996 | 83.0 | 35 |
13 | 216 | 18797 | 87.0 | 42 |
14 | 172 | 19591 | 113.9 | 51.5 |
15 | 158 | 12697 | 80.4 | 44.5 |
16 | 187 | 13351 | 71.4 | 34 |
17 | 217 | 17776 | 81.9 | 35 |
18 | 233 | 15745 | 67.6 | 35 |
19 | 247 | 26415 | 106.9 | 41 |
20 | 212 | 15588 | 73.5 | 31 |
21 | 215 | 13494 | 62.8 | 34 |
22 | 216 | 24027 | 111.2 | 39.5 |
23 | 153 | 15394 | 100.6 | 46 |
1日 | 3634 | 344362 | 94.8 | 39 |
錦織(8), 88cm(5), うんたん(5), 外延(7), スギ薬局(6), さざ波(8), 無断リンク(3), カモノハシ(3), モガ(3), 内閣官房参与(3), 8kg(4), 五輪(60), 接種(37), 男性差別(13), アスリート(15), 国債(10), 憎しみ(12), オリンピック(76), 更(8), 戦わ(8), 辞退(8), ワクチン(80), 弱者男性(129), 選手(35), 開催(39), 強者(41), 打た(10), 人殺し(10), 打っ(21), キモい(47), 中止(30), 高齢者(21)
■読解の前に、88cmと8kg氏の他のnoteを読むのもよいと思います /20210511091241(21), ■ /20210510205605(19), ■「キモい」にも2通りあると思う(容姿の「キモい」と行為の「キモい /20210511120601(18), ■女だけど強者男性よりオタク男性が嫌い /20210510162041(17), ■みんなどんな仕事してるの? /20210511113348(17), ■ /20210511112931(17), ■なんで結婚したいの? /20210511113525(15), ■コロナについて、一年前の俺が言ってたこと。今、思うこと。 /20210511061102(15), ■弱者男性とまずいラーメンを出すラーメン屋 /20210510192735(14), ■上司にお前の机が散らかっているので印象が悪いと言われた。 /20210511190555(14), ■いじめが問題になった学校出身です /20210511015840(14), ■お前らの登録してるyoutubeチャンネル教えろよ /20210510224030(11), ■年収1000万を超えてわかったこと /20210510135954(11), ■白人や黒人の弱者男性は日本に来て救われてるって /20210511152002(9), ■【完成版】オリンピック開催派完全論破ガイド /20210511212419(8), ■鍵垢のスクショ貼るのは合法なの? /20210510185103(8), ■ウマ娘ブームとかで、オタクって世界の美しさを知らなかった可哀想な人達なんだなってようやくわかった /20210511011851(8), ■ /20210511041910(8), ■ジャスコって /20210511075651(8), ■蓮舫さんこそが総理大臣のうつわだ /20210511131457(8)
アイドルは大衆文化。ラノベは大衆文化。鉄道趣味は大衆文化。→だからオタク趣味として扱われることが多い
クラシック音楽は高級文化。純文学は高級文化。→だからオタク趣味として扱われることが少ない
これで話がすっきり整理されてるのに、
なぜか「大衆文化=多くの人が親しんでる文化」という誤認にもとづいて
「鉄道趣味は大衆文化じゃない」とか言い出したのはおまえだよね。
この場で混乱してるのはおまえだけだよ。
併用したほうが精確になりはするが。
これはあらゆる定義に言えるのでどうということもないなあ。
おまえの大好きな内包的定義でも万人が納得する定義をするのは難しい。
現実的には「ある程度の曖昧さをもたせることで多くの人を納得させる」ということになる。
議論が決着してなくても概ね合意が取れていれば意味があるんだよなあ。
高級文化ってのは「社会を上下に分けて上位のグループが持つ文化」のことなの
元増田からの流れの大衆文化は「多くの人が親しんでる文化」であって社会を上下には分けてないんだよ
だから元増田からの流れに対して高級文化って使うのは日本語を理解できてなくて、高級文化の意味も知らずにつかってることがわかるわけw
ガイジで草
そもそも外延的定義ってのは内包的定義によって条件なんかを規定した上で行わないと意味ないんだぞ
外延的定義だけで物事を規定しようとするなら、それは定義ではなくて「例の羅列」でしかないんだよw
すべてを網羅することが出来ないのであればそれは「定義」ではないぞ
何万人何億人といる人と議論して、誰がその議論に決着つけるの?
馬鹿すぎ
実際にそう見なしている奴もいるからな(原義的にはそちらのほうが近いまである)。
あとはその「見なし」に妥当性があるかどうかだぞ。
鉄道オタクは高級文化でも大衆文化でもないし、この元増田からの流れで言われてる大衆文化は「高級文化」の対義語として使うのが不適切だって話だぞ
だから「不適切ではない」という話をしている。不適切というならどこが不適切なのか明言してくれ。
現実には「外延的定義」は通用するので、それを否定するなら「あなたの中ではそうなんですね」としか言いようがないなあ。
議論するんだろ。「映画はオタク趣味か?」のように。「カモノハシは鳥類か?」のように。
実際にそう見なしている奴もいるからな(原義的にはそちらのほうが近いまである)。
あとはその「見なし」に妥当性があるかどうかだぞ。
一般に「クラシック音楽」や「純文学」は高級文化だと思われてるから、
それらの愛好家は「オタク」とは見なされにくいという話をしてるんだろ。
鉄道オタクは高級文化でも大衆文化でもないし、この元増田からの流れで言われてる大衆文化は「高級文化」の対義語として使うのが不適切だって話だぞ
音楽がオタク文化かどうかとか、音楽のジャンルによってオタク文化かとカッて話しだすのはマジで枝葉に噛み付く馬鹿でしかないわ
だから、ジャンルを一つ一つ挙げてって定義するなんてのは人によって違うんだから「定まった意義」じゃないだろw
お前の定義と俺の定義が違う場合どうすんの? 人によって違うけど「定まった意義」として運用出来ると思ってるとしたら馬鹿すぎ
「スポーツ」を「プレー」「観戦」「分析」などに細分化して、それらを個別の「趣味」とみなせば、「趣味」でオタクは定義できる、という話をしてるんだよ。
一般に「クラシック音楽」や「純文学」は高級文化だと思われてるから、
それらの愛好家は「オタク」とは見なされにくいという話をしてるんだろ。
馬鹿がオタク文化オタク趣味を定義出来るって言い出すから、ジャンルによって定義するなら外延的に「オタク趣味」みたいな定義の仕方が成立しないって言ってるだけだろ
ジャンルをひとつひとつ挙げていくことによってオタクを定義するのが「外延的な定義」なんだが。
「映画はオタク趣味か?」を議論することは、外延的定義の作業の一部であって、外延的定義の否定ではないぞ。
「スポーツを趣味とする人の中にもオタクと非オタがいるじゃないか(だから趣味でオタクは定義できない)」という話に対して、
「スポーツ」を「プレー」「観戦」「分析」などに細分化して、それらを個別の「趣味」とみなせば、「趣味」でオタクは定義できる、という話をしてるんだよ。
音楽ならアイドルの愛好家はオタクとして扱われることが多いがクラシック音楽はオタクとして扱われることが少ない。
文学もライトノベルならオタクだが純文学はオタクとして扱われることが少ない。
というだけの話だよね。
鉄道オタクは大衆文化じゃないからって話からバカが高級文化とか言い出してるから、その高級文化の使い方が間違ってることを指摘してるんだが
なんで「アイドルはオタクだけどクラシックはオタクじゃない」みたいな話してんの?
本筋からズレた話して逃げ回るなんて恥ずかしいわ
ほら、また100%の話をしてる。
馬鹿がオタク文化オタク趣味を定義出来るって言い出すから、ジャンルによって定義するなら外延的に「オタク趣味」みたいな定義の仕方が成立しないって言ってるだけだろ
この場合の大衆文化と高級文化は対義語じゃないんだが、アホすぎて草
大衆と高級を対義語として使う場合は、社会階層を高級と大衆の2つに分けた上で論じないと
高級文化である音楽や文学を大衆が楽しんでない古代から来たのか?w
「オタク文化」「オタク趣味」を外延的に定義することは出来るけど、「オタク文化」「オタク趣味」と「オタクの居る趣味」は必ずしも一緒ではないよね。
野球は明らかにオタク趣味とは言えないけど野球オタクはいるよね、それはどう処理するの?
「オタク文化」「オタク趣味」に限定するなら一般の大半がオタクとは言えなくなる可能性は高くなるし、そうじゃない定義の仕方をするのであればそれこそ外延的に定義することが出来なくなる。
GoTo大阪・札幌の除外延長へ…首相、全国での停止は「まだ考えていない」
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6379125
どうせ使わないから静観していたのだが、率直な意見として、あほみたい
人とカネの動きしか見てない、すげえ高所から国民をみた世紀のアホ政策だと思う
わいがコロナ対策委員長だったら、というあほみたいな想定するとすれば、
「ドア前換気扇」「透明パーティション」「垂直換気ダクト」をいっきに普及させるけどな
規格をきめてな
そしてすべての密空間(座席)はパーティションと垂直換気ダクトだ
飲食店をメインに定期的にチェックする
毎月50まんを配るとか、無駄すぎる
飲食だったら、持ち帰り業態への転換コンサルしてあげるとか、いろいろあるだろ
GoToで人をかきまわし、給付金でカネをかきまわし、具体的な進歩なし
経済しか詳しくない、すげえ偉そうな上から目線のあほが考えた政策と思う
あほすぐる