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2023-09-05

ライトノベル宣言」の謎を追え

はじめに

毎度毎度ネット文字創作界隈をお騒がせすることで有名な、「名興文庫」およびその「相談役」。

(詳しく説明するのは面倒なので、知らない人は「名興文庫」「本格ファンタジー」「ダークスレイヤー」あたりでツイッター検索をかけてもらえば、何となくその立ち位置が分かってもらえると思う)

今回は、日本において「本格ファンタジー」が根付くはずの土壌をラノベ破壊してしまった、という歴史認識を巡って学芸員鞍馬アリス@kurama_fantasy氏と論戦を繰り広げているようだが、その中でこんな発言が出てきた。

ttps://twitter.com/kurama_fantasy/status/1698847925580022266

鞍馬アリス

@kurama_fantasy

最初から土台をなしにされたと言うことを、歴史的史料(当該時期の雑誌新聞評論研究書簡類、出版に関わる統計資料等、あるいは当事者証言であるオーラル・ヒストリーを含んでいます)などを組み合わせて実証的に証明できないのであれば、デマ陰謀論の類と同じ価値しかないと思います

午前8:58 · 2023年9月5日

ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1698849563380236367

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

ライトノベル宣言が出た頃の話と、先日私が引用していたファンタジーノベル大賞の『ヒロイックファンタジー採用しない』という公言

これによって長く一般小説に一ジャンルとしての本格的なファンタジーの土台がなくなったというただの事実を、わざわざ長い時間をかけて検証するのはあなた自由ですよ。

午前9:04 · 2023年9月5日

さて、「ライトノベル宣言」とは一体なんのことだろうか。

ライトノベル宣言」の謎

一般的に「ライトノベル宣言」として知られるもの、そして「ライトノベル宣言」でググってトップに出てくるのは、「角川武蔵野ミュージアム」内の「マンガラノベ図書館」で掲示されている、メディアワークス創業者にして元角川書店社長角川歴彦氏による文章だ。

マンガラノベ図書館特設ページ|角川武蔵野ミュージアム

ttps://kadcul.com/manga_light_novel_library

ライトノベル宣言

マンガラノベ図書館 開館によせて

作家夏目漱石代表とする近代文学昭和期に入って純文学大衆小説に分かれ多様に発展したが、 気がつけば名著名作として現代国語教科書内の存在になっていた。 しか青春文学を求めるヤングアダルトといわれる若者はいしか自分が選ぶ小説文学の登場を渇望していたのであった。 ライトノベル青春期の少年少女が与えられた本に満足せず、自分意志で手に取る最初の本である

ライトノベル起源イギリスの“円卓の騎士”や『指輪物語から影響を受け、RPGリプレイから生れた『ロードス島戦記』だ。 座を囲んだプレイヤーの数だけ豊かな物語を紡ぐことのできるゲームから水野良小説ロードス島戦記』を誕生させた。

このラノベの起源ロードス説にもついても一部で議論存在するが、今回の件とは関係がないので無視する)

実際鞍馬アリス氏も、「ライトノベル宣言」がマンガラノベ図書館のこの文章である解釈して話を進めている。

ttps://twitter.com/kurama_fantasy/status/1698903493632036891

鞍馬アリス

@kurama_fantasy

前者はマンガラノベ図書館開館によせて作成されたテクストであるかと思いますが、角川歴彦名義で角川書店ライトノベルというものをどのように発表時点で認識し、総括しているかは書いてありますが、本格ファンタジーとの関係性に関してはロードス島の部分以外では書かれていないテクストです。

午後0:38 · 2023年9月5日



これだけで決着が付きそうなところではあるが、相談役氏の過去ツイートおよび、執筆者不詳だが十中八九相談役氏が書いたと思われる名興文庫コラムを見てみると、「ライトノベル宣言」について以下のように語られている。

ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1463850316441415687

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

くっそー、ファンノベ大賞が出た時の嫌な感じが30年かけて伏線回収されるなんて。

ちなみに当時のリアルな話をすると、ロードス島戦記で『ライトノベル宣言』がなされたころね。

あの頃から和製の『本格』は時が止まっているんだよ。

午後9:41 · 2021年11月25日



ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482181140610191362

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

世の中、小説なんてほぼ一生読まない人が大半なのに、そんな人たちも読めるような小説を出してお金にするなら、テーマも難しい表現もとことん取っ払ってディスポーザブルモデルにするしかない。

酒なら毎日高いウイスキーを買う人はそんなにおらず、発泡酒やストゼロの方が数字的には強いからね。

午前11:41 · 2022年1月15日

ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482182010928250880

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

しかし、ライトノベルを始めた頃の出版社は、それが世の中だと知らなかった。

そりゃそうだ。小説界隈の人たちは自分たちが造り酒屋ウイスキーブリュワリーだと思ってたんだもの

からちょっと水割りを作って将来的にウイスキー(小説)のファンを増やそう』ってライトノベルを始めたのよね。

午前11:45 · 2022年1月15日

ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482182689008467969

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

『初期のラノベがしっかりしてた』ってな言説は、それがウイスキー(小説)のエッセンスがそこそこに含まれていたからだ。

でも、水割りが売れ始めたので、某出版社が『これからウイスキーだけじゃなくて水割りを真面目に売る!』って宣言したのよね。

これがいわゆるライトノベル宣言だ。

午前11:47 · 2022年1月15日



ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1490340592727228417

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

カドカワロードス島戦記をもって『ライトノベル宣言』をしたことによって、日本ファンタジーある意味呪われてしまいました。

今や本格的なファンタジーレーベルは無く、全てライトノベルです。

自分はこの状況が非常に良くないと思っている、生粋ファンタジーファンです。

午前0:04 · 2022年2月7日



ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1568797511976091648

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

ロードス島は間違いなくラノベですね。

カドカワの『ライトノベル宣言』の切欠がロードス島戦記ですから

フォーチュン・クエストラノベって名前が出る前から小説ですね。分類としてはラノベに近い気はします。

午後0:04 · 2022年9月11日



ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1581241393715957760

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

KAZUさんはとても理性的に話せる人なので少し面白い話をすると、某社がライトノベル宣言を出した時に、ファンタジーにある区切りが発生してしまったのですよ。

私としてはライト一般ファンタジーを明確に分けるか、いっそライトって呼称をもう無くして欲しいと思っています構成が大変で。

午後8:11 · 2022年10月15日



ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1599779249946517505

堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

@kadas_blue

年代的にはあの頃ですね。

まだラノベって言葉が無くて、ゲーム界隈で高まってたファンタジーへの認知ロードス島戦記解放されて、ライトノベル宣言が為されたころまでですね。

午後11:54 · 2022年12月5日



私は本来ファンタジー希望する~本格ファンタジーとは何か~ | 名興文庫

ttps://www.naocoshibunko.com/column004/

少し過去にさかのぼって説明しよう。『ロードス島戦記』の爆発的なヒットでカドカワが『ライトノベル宣言』を出してライトノベル時代が明確になり始めるころ、それ以前は『ファンタジーノベル』と呼ばれていた作品群もライトノベルの前期と分類されるようになったが、この時期に新潮社が『ファンタジーテーマにした文学賞』というコンセプトで『日本ファンタジーノベル大賞』を開始した。


お分かりだろうか。

この二点を前提にする限りは、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」が、マンガラノベ図書館の同名文章を指しているとは考えにくい(ラノベ図書館オープン2020年8月

では、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」とはいったい何なのだろうか?


仮説1:「電撃文庫創刊に際して」

ライトノベル宣言」をダブルクォーテーションでかこってググってみても、マンガラノベ図書館関連以外はほとんどヒットしない(冲方丁の「最後ライトノベル宣言」ぐらい)

こうなると、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」は、一般的には「ライトノベル宣言」とは呼ばれていないものを指している可能性が高い(そもそも実在しない可能性はとりあえず考えない)

実際、上で引用したツイートの中にも「いわゆるライトノベル宣言」という表現がある。また、そもそも読者発の「ライトノベル」というジャンル名を出版社側がおおっぴらに使い始めたのはだいぶ後になってからのことである、という事実ラノベ史を少しでもかじったことのある人間には常識だ。

実質的な「ライトノベル宣言」に該当しそうな候補としては何があるだろうか。少し考えて真っ先に思いついたのは、「電撃文庫創刊に際して」だ。

ttps://sai-zen-sen.jp/editors/blog/works/4-9.html

大塚英志エッセイから孫引き

電撃文庫創刊に際して

 文庫は、我が国にとどまらず、世界書籍の流れのなかで〝小さな巨人”としての地位を築いてきた。古今東西の名著を、廉価で手に入りやすい形で提供してきたからこそ、人は文庫自分の師として、また青春の想い出として、語りついできたのである

 その源を、文化的にはドイツのレクラム文庫に求めるにせよ、規模の上でイギリスペンギンブックスに求めるにせよ、いま文庫知識人の層の多様化に従って、ますますその意義を大きくしていると言ってよい。

 文庫出版意味するものは、激動の現代のみならず将来にわたって、大きくなることはあっても、小さくなることはないだろう。

電撃文庫」は、そのように多様化した対象に応え、歴史に耐えうる作品を収録するのはもちろん、新しい世紀を迎えるにあたって、既成の枠をこえる新鮮で強烈なアイ・オープナーたりたい。

 その特異さ故に、この存在は、かつて文庫がはじめて出版世界に登場したときと、同じ戸惑いを読書人に与えるかもしれない。

 しかし、〈Changing Time,Changing Publishing〉時代は変わって、出版も変わる。時を重ねるなかで、精神の糧として、心の一隅を占めるものとして、次なる文化担い手若者たちに確かな評価を得られると信じて、ここに「電撃文庫」を出版する。

1993年6月10

角川歴彦



電撃文庫の巻末には必ず掲載されているこの文章現在もあるのかは知らない)。ラノベを読んでいた人間なら、一度は目にしたことがあるだろう。

「レクラム文庫」「ペンギンブックス」「アイ・オープナーたりたい」などを意味も分からぬままマネして遊んでいた人も多いのではないか(その馴染み深さから、昨年、角川歴彦氏が逮捕された際にツイッターで擦られまくったことも記憶に新しい)

この文章執筆者は、ラノベ図書館の「ライトノベル宣言」と同じく、当時メディアワークス社長だった角川歴彦である。というより、「Changing Time, Changing Publishing.」というフレーズ共通しているところを見ても、セルフオマージュというか、令和版「電撃文庫創刊に際して」として「ライトノベル宣言」が書かれたフシすらある。

逆に言うと、電撃文庫創刊に際して」は平成版「ライトノベル宣言である、と言えなくもないのではないか

ライトノベル」という用語自体が文中に存在しないのはもちろん、概念的にも直接ラノベに触れているとは言い難い内容ではあるが、他文庫派生ではない純粋ラノベレーベルの中では恐らく初めての「発刊の辞」という意味でも、「実質的ライトノベル宣言」らしさはある。

この説でネックとなるのは、電撃文庫創刊時のメディアワークスは一応「角川」ではないということと、ラノベ以上に「本格ファンタジー」うんぬんとは全く関係がないという点だろうか。

終わりに:未知なるラ宣を夢に求めて

仮説1と言っておきながら、2以降は思いつかなかった。尻切れトンボ検証申し訳ない。

なんとなく、角川のファンタジーフェアやスニーカーの創刊あたりにも何かそれっぽい文章がありそうな気もするが……情報や仮説をお持ちの方は、トラバブコメなどでこちらにお寄せいただきたい。

そんなの本人に聞けば済むことだろうと素人は思うかもしれないが、経験上、件の人物がこの手の問題についてまともに答えることはまずない。そのため、こちら側で勝手調査して結論を出す方がかえって手っ取り早いのだ。

それから、せっかく見つけたのでついでに言及しておくと、こちらの東浩紀桜坂洋新城カズマ鼎談では、(相談役氏がいうところの)「ライトノベル宣言」とはむしろ真逆歴史認識が示されている。

ttp://www.hajou.org/geetstate/cm70/hb_pp20-23.pdf

東 とはいえライトノベル崩壊するといっても、実はライトノベル外延のものが確定していない。SF だったら、SF 作家クラブがあって、福島正実が創刊した『SF マガジン』の歴史があって、ジャンルとしての基盤がはっきりしている。だからSF崩壊するといってもイメージが湧きやすいんだけど、それに対してライトノベルはどうか。例えば、安田均水野良が集まってライトノベル宣言をしたわけでもないし、機関誌が創刊されたわけでもない。そこで決定的に違うと思うんですよね



最後蛇足ながら、ひとこと苦言を呈させてもらう。

インターネット特別資格なしに誰もが自由発言できる空間である。それは明らかに大きな美点だ。

だが、何の気なしに発した曖昧な内容が、他の人間検証・裏どりの多大な手間をかけさせてしまうこともある。

そこで空費される本来不要だったはずの労力について、全員が一度は考えてみてもらいたい。あなたにとってはどうでもいい話題の一つに過ぎなくても、そうではない人間がいる場合もあるのだ。ましてや、その道に詳しい専門家のような顔で情報発信するならなおさらである

(この増田自身は好きでやっていることなので別にいいが)

追記

https://anond.hatelabo.jp/20230906123632

2014-03-15

STAP細胞剽窃問題についてのとある会話

A(私):STAP細胞問題についてある大学教授研究員がこんなことをつぶやいている。

これから査読を引き受ける際に、捏造剽窃まで念頭に入れて論文を読まないといけないとしたら、やってられない。 https://twitter.com/hirokagi/status/442575902942035968

理研STAP細胞問題で驚くのは、倫理観の欠如だ。ここまで滅茶苦茶だと、何を信じてよいのか分からない。写真を使いまわされても、画像操作されても、レフェリーが見抜くのは難しい。全ての著者の過去論文に全部目を通すのは無理だ。 https://twitter.com/galois225/status/442623715348455424

インチキ論文査読するのは全く無駄なので、査読した人たちのリソース時間)が無駄になる。上手に文章を書くところまでは許容範囲だけれど、データ自体捏造であるのは、許容されません。 https://twitter.com/buvery/status/442577799451119618

B(歴史学者):それは学問に身をおくものとして怠慢だ。そのような発言を学者研究者がしてはいけない。

A:しかし実際にこの問題をきっかけに今後チェック体制が厳しくなると、時間お金や人員を余分に割く必要が生まれるので、彼らの発言は愚痴ではあるがもっともでは。

B:このような学問の妨げとなるような発言をしてはいけない。あのような論文を上に通さないためにも査読とは時間をかけるものだ。

A:現存する全ての論文写真を把握するのは無理だ。だから不正はないというある程度の信頼性によって成り立っていたはずが、この一件でそれが崩れそうになっている。改善するために新たにリソースを割くことで効率も落ちる。彼らはそれを愚痴にしている。

B:愚痴を言うべきではない。論文というもの時間をかけて多くの人が査読審査するものだ。今回は気付けずにNatureにまで通してしまった理研内部の怠慢でもあるし、Natureにも厳しく審査をするレフェリーがいるはずなのにこうなってしまった。

A:では愚痴必要性については個人の主観なのでこれ以上議論する気はない。ただ彼らの言うように剽窃を完全に見抜くのは不可能だ。本来ならばNature剽窃100%完全に見抜くことは可能だと?

B:可能だ。Natureほどであればしっかりとしたレフェリー体制が整っており、何重にも審査している。しかしながら今回はそこの怠慢で起きてしまったミスだ。

A:Natureがどの程度の人員と時間をかけているかは不明だが、完全に剽窃を見抜くのは物理的に不可能ではないか。

小休止

A:Nature査読ポリシーがあったので引用する。

実際にNature査読ポリシー(Peer-review policy : authors & referees @ npg)には以下のような記述があります

(私なりの日本語直訳を併記、正確には元の英文を参照してください)

"If the manuscript is deemed important enough to be published in a high visibility journal, referees ensure that it is internally consistent, thereby ferreting out spurious conclusions or clumsy frauds.

(対象とする論文が)雑誌に掲載するに値する重要性があると認められるならば、査読者は誤った結論(spurious conclusions)や不器用不正(clumsy frauds)を探し出した(ferret out)上で、論文が首尾一貫していることを確認する。"

からさまにわかるような不器用不正査読で見抜きたい。

"Journal editors do not expect peer review to ferret out cleverly concealed, deliberate deceptions.

巧妙に隠された意図的な虚偽(cleverly concealed, deliberate deceptions)を査読者が見つけ出すことは期待しない。"

ただし、巧妙な不正を見抜くことは無理。

論文査読ではデータ捏造などの不正を見つけることはあまり期待されていない」 http://masa-cbl.hatenadiary.jp/entry/20140311/1394548424

A:次に雑誌記事を引用する。

日本マスメディアはなぜか『nature』を金科玉条のように扱っているんだが、同誌に掲載された論文の半分はのちのちの検証で間違いだったことが判明するそうです。もちろん『nature』では専門家らに論文査読させ、ある程度の裏付けを取ってから掲載します。しかし、それも完全ではあり得ない。これまで世界中に出ている全ての論文画像データに目を通し、それらを正確に記憶している研究者などいません。

「なぜ『nature』は「STAP細胞論文を掲載したかhttp://agora-web.jp/archives/1585914.html

A:これらのように、Nature査読する上で完全に不正を見抜くことは想定していないとしている。

B:それならばNature査読システムは腐っている。もしくは自然科学という分野が腐っている。査読過程不正を見抜くことを放棄してはいけない。

A:しかしながらこの査読ポリシー合理的だ。やはり現存する全ての論文を把握し不正を見抜くのは現実味がない。時間がかかりすぎる。

B:自然科学の分野においてはそうかもしれないが、人文科学、たとえば歴史学論文においては査読は正確に行っている。

A:分野の問題ではない。どの分野であろうが、膨大な数の論文がある現状で剽窃100%見抜くのは不可能だ。

B:不可能ではない。一体Natureの何を守ろうとしている?

A:今の文脈のどこにNature擁護する要素があったのか。自然科学人文科学の間に優劣をつけているわけでもない。剽窃を完全に見抜くのは不可能だと言っている。

B:あの論文を上に通してしまった人達責任がある。なぜチェックできなかったのか。このせいで世間から学問根底が疑われてしまう。

A:Natureに通すまでにあの論文を通したあらゆる人に責任は生ずる。この一件により、今後査読者は「この論文剽窃ではないか」ということを念頭に置かなければいけなくなり、本来不必要であった労力を費やすことになる。

B:これまでの多くの学者が労力を費やしていないわけがない。

A:労力を費やしていないとは一言も言っていない。さらに別の労力が必要になると言っている。

下平行線

2009-03-03

portupgrade -f '<2011-06-22' 古いのを新しく
portupgrade -f '>2011-08-08' 新しいのをもう一度
portupgrade -x editors/openoffice-3
vi /usr/local/libdata/pkgconfig/libpanelapplet-2.0.pc
Requires: add libgnomeui-2.0
portupgrade -x japanese/im-ja
portupgrade -x java/diablo-jdk16

2009-02-07

編プロマガジンハウス? BRUTUS農業特集

BRUTUS農業特集は農水省とのタイアップなんだって。R25みたい。3,000万円!

それはかまわないのだけど、BRUTUSウェブサイトの“From Editors ”を読むと、違うような書き方がされていてかっこわるい。

企画はもともとあった」を強調してるような。

(参照1)事情説明

http://www.kiryuusha.com/blosxom.cgi/books/090206a.html

(参照2)BRUTUSWeb(真ん中付近のFrom Editorsクリック

http://magazineworld.jp/brutus/656/

で、「かっこわりー」で止まっていたのだが、少し調べたらもうひと展開あった。

特集冒頭で佐藤可士和に続いて紹介され、キャッチフレーズ「“今年こそ、土に触れ、耕し、育てるニッポン”」への賛同者のようにも映るナガオカケンメイ氏が、ブログにて違和感を表明していた。

(参照3)被取材者ナガオカケンメイ氏のブログ

http://web.d-department.jp/blog/2009/02/post_492.html

被取材者ができあがりを見て「こんなものになるなんて聞いてない」と、トラブることはよくある。でも、広告的なものだとわかっていて取材を受けていたのなら……どうだろう。プロデザイナーという立場の人間が、自分インタビューを受けコメントした雑誌の表紙にもの言うような無粋なことするだろうか?

ナガオカ氏のコメント自分には「純粋雑誌BRUTUSのオピニオンに対する異論」に映る。何が言いたいのかと言うと、この特集の前提に「農水省との3,000万円の随意契約」があるのを、編集部は被取材者にちゃんと伝えていなかったのではないかということ。編集権の所在を明確にしないまま取材をし、1冊つくってしまったのではないか?

随意契約だと知った上で読めば、読むほどに妙な箇所が目につく。

★表紙下“今年こそ…”のキャッチの最後の“ニッポン

★中綴じの「BRUTUS RECOMEND 日本全国野菜直売所49」という付録(なんで中綴じ?)

★「掲載指示」がありそうなトピックと「BRUTUS」的なトピックカオスになってるコラム

“From Editors ”の言葉から予想される、「企画の骨組みを編集部がつくった(そこにタイアップ要素を盛り込んだ)」というやり方であったならば、こうはならないと思う。必ず入れて欲しい要素はこれ、明るく楽しく問題点には触れない……PR誌をつくるときのようなオーダーがまずあったことがうかがわれ、「BRUTUSの特集が、編集権込みで買い取られた」ような印象。編プロマガジンハウス

雑誌売れないし、広告入らないし、何でもやって生き残る術を探るのが正しいと思う。タイアップだめなんて死んでも言わないが、3,000万円もらっても、編集者の意地で「『日本全国野菜直売所』をリストで紹介するのは意味ないです」と役所に言って欲しかった。なんかその辺が投げやりで、言われるがままな感じがして残念。取材したいと思ったランボルギーニ野菜直売所破綻なくしなやかに結びつけるのが、“タイアップ特集”における腕の見せどころだと思うのだけど……。

金だしてPR誌買わされた人、いるんだろうな。これって食品偽装の発想と、おんなじような……違うか。

予測だらけですみません。戯れ言でした。

 
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