はてなキーワード: 不服従とは
この時期、いやこの時期じゃなくても人気なもの
それが生牡蠣。
でも、生牡蠣に対する人々のイメージは「おいしい」「あたる」「あたる」「あたる」
と、あたると考えている人が圧倒的に多いのだ。
僕は「生牡蠣が1280円で食べ放題」という驚きの情報を掴み社内に共有した。
世の中にはこのようなリスクを挙げ、生ガキを食べない人がいる。
私はこの考えはあらゆる人生の機会損失につながっていると思う。
生牡蠣を食べることで想定されるメリット・デメリットを一度整理したい。
・メリット
おいしい😋
やすい😍
ノロウィルスにかかるかもしれない💀
お金が減る💸
そして、これらの成立する可能性を「確実」か「不確実」で分ける。
・メリット
おいしい:確実💯
やすい:確実💯
ノロウィルスにかかるかもしれない:不確実❌
お金が減る:確実💯
ここで見てほしい。彼らが恐れているノロウィルスにかかる可能性は
不確実なのだ🤔🤔🤔🤔🤔🤔
加えて、挙げたメリットの2つはすでに享受できることが確定している🙂
一方で確定しているデメリットは1点だけ。
お金が減ることだけだ。
この時、言えることは
最善の状態では、「おいしく」「やすく」生牡蠣を食べられ、1280円だけ「お金が減る」
生牡蠣の美味しさとやすさは、ノロウィルスで寝込むデメリットを上回ることは確かだ😉
なぜならメリットは生牡蠣を食べるその瞬間だけではなく、思い出となりずっと続くからだ🤓
人間は記憶をし、その出来事を追体験することのできる生き物である。😇
僕は1年前に生牡蠣を食べたがその味や店の内装、そして友人との話を4割はおもいだすことができる🤓...く💁🐚😋デリシャス
人々は記憶を持っている。
体験は一過性のものではなく記憶という形でずっとのこる無形財産だ。
それは食べ物と違ってなくならない。
いつでもその価値を発揮できる。
リーダー、マネージャーの多様性がなくなり、ただ甘やかすだけの体制になって数年をたつが、残念なことに、効率がよくなるどころか、管理職から担当者までを覆う効率無視の文化が静かに醸成され、効率が数倍悪化してしまった。ごく一部のしっかりした生き残りの人たちだけが、こういった状況に気がついてはいるが、大多数を占める人たちが、効率を無視して、費用をたくさんかけて旧体制時代の数分の1の成果しか出せなくなったから、ビジネスも傾き始めてしまった。
いまのままだと、5年以内に、またリストラする事態に追い込まれると予言しておこう。別に預言者じゃなくても、これぐらいわかるが。
本来、ビジネスの成果と自分たちの業務(効率)は関連していると考えなければならないが、うまくいかないとき、外部環境のせいにしてしまう文化なので事業戦略とリンクして考えることができなくなってしまっている。
この中規模の会社で、経営層が現場の効率に関心を示さないから事態がよくなるはずもなく、毎年、xx %の小さな売り上げ減少の数値、しかし、中期的な大きな危機を見ようとせず、ただただ、費用削減だけに腐心している。これなら私がやったほうが、少しは、まし、、、に思える、かも。
https://anond.hatelabo.jp/20170723170123の人です。
>>nicoyou えーと?コミケはオタクの表現の場というものを守るために相当戦っているんだが。ひとり犯罪者出せばコミケ存続できないかもしれない。それをみんなわかってるからやらないんだよ。コミケのことみんな好きだからだよ <<
犯罪者を1人でも出したらコミケは存続できないのか?それだとしたら余りにもお粗末過ぎるし、それならいくらか犯罪者を出してもまだ一応存続できている中核派の方がマシだと思う(中核派のシンパでもねーし、侵害行為を正当化するつもりは無いことを前置きする。私は無政府資本主義者だが共産趣味者だ)。
私が言いたいことは、コミケは力を出して刑法175条に抗えば廃止に追い込めるかもしれないのに、それをやらないのかっていう話。
だから私はクライフの息子の命名エピソードを抵抗権の例として挙げた。
不満があるのに守るのは、ちとおかしくないのか?
そこら辺はまだネット民の嫌いなSEALDsの方が弁えていると思うぞ。
精一杯声を上げたんだから。
そもそもコミケって、日本漫画大会への対抗から生まれた、コミケもカウンターカルチャーじゃね?とは思うけどね。
>>hungchang 「マハトマ・ガンジーですら抵抗権を行使して不服従を実践したのに、なぜお前らはやんねーの、って話」ガンジーを越える人材の集い。<<
https://anond.hatelabo.jp/20170729145909
それは何故ですか?と問いたい。
法を破るのが許せないからですか?
少年法を破って少年の顔写真を載せる事には多くの人が賛同するのに、こう言うと犯罪者になってどうぞとかコミケに来るなとか普通におかしいと思うんだけど。
小休止。
私は、正直言って無修正でとやかく言われるのが嫌いだ。
よくこう言う奴がいる。
「スウェーデンやフィンランドを見習って腐苦死国家を!」とか言う人もそう。
人からみんなに役立つ(という建前の)徴税と言って国家が人から泥棒して成り立ってるものだろう福祉国家って。
万引きは財産権の侵害(わかりやすく言えば泥棒)だ。徴税も泥棒なんだよ。リバタリアニズムでは。
海外厨の話に戻すと、「日本は海外を見習え」厨は例えば緊急避妊薬のアクセスを諸外国並みにしろ、とか言わないんだね。
俺もそうだって自覚あるけど、海外を持ち出すならそれなりに筋は通してくれ。
一昔前ならアメリカの教育ガー、だったりして、それが今ならスウェーデン、フィンランド。
いい加減にしろって。
コミケから大きくずれたので話を戻すと、私は自前で同人をする事にした。コミでで売るとしてもそれはお試しサンプル的な感じかな。それと修正ありでもいいから買いたい人向け。
本当に分からない。
どうやら、修正を入れないと頒布できないというのに、自分でプリンターやら買って印刷する気配もない。
https://twitter.com/macaronicheese0/status/852924068898643968
けど、男性向けではコピー本は無料配布と思われるのか?よく分からんが、コピー本だとか自分で刷るとか色々あると思う。
本当にこの国は北朝鮮みたいだ
本題なんだけど、コミケは「コミケの存続ガー」ってやたら振りかざして法に対抗するつもりもないよな。
マハトマ・ガンジーですら抵抗権を行使して不服従を実践したのに、なぜお前らはやんねーの、って話。
それ、純粋に疑問に思うんだけど。
ネットショップでも出来るじゃん。海外サイトならそういうもので検閲受けないし、BOOTHなら見本誌チェックなどない。普通に売れるし。
抵抗権でもっと言えば、ヨハン・クライフの息子がジョルディって有名やん?
クライフに息子が生まれた時、当時フランコ将軍により『ジョルディ』とかカタルーニャ系の名前を禁じていたわけ。
それでも『ジョルディ』って名付けた訳だよ。「オランダの出生届のコピーだ」ってアリバイも作った。
まあこれは、その前日に5-0でバルサが買ったこともあるんだよな。
なんで俺がこうやって増田さんに愚痴ってるかと言うと、純粋に疑問に思うわけ。
なんでこんなろくでなし子裁判でも批判が吹き出てるのに、抵抗権を行使しないのか。
世間体ってのもあるんだろうけど、本当に自分のこと信じられるならそんなモン乗り越えられるだろ。
清岡純子が一昔前は普通にあったんだが今はタブー視されてるんだぜ?
そんな風に世の中は変わるんだよ。すぐに。
世相なんてこんなモンだろ。
頭のおかしい痛い一部のやつが世間という皮を被って糾弾するわけで、それはかつての部落解放同盟のつるし上げとかまなざし村と変わらん。
これは個人的な意見になる上、私は表現規制を推進している訳でも何でもないんだが、覚悟が無いなら同人活動やるな、同人活動に文句言うな。
あれだけ印刷所が「成年向同人誌は何時でも逮捕される可能性がある!」って煽ってんだよ?
そんな煽りを真に受けるなら「覚悟のないやつはしない」が正解じゃん。
何を言ってんの。
俺の思う同人活動が違うのか、抵抗権を行使して無修正で頒布するのはカウンターカルチャーの一つとして見るべきか。
正月になると思い出す。
関西の片田舎に高度経済成長にあわせて、造成された住宅街だったので、
見た目は綺麗な家が続いていたが、ふと道をはずれるととんでもなく大きな農家や、
浮浪者のような老人が住んでいる掘っ立て小屋(親からあそこには近づくなと教わる)
があるようなところだった。
ちなみにその「浮浪者のような老人」は頑固じじいを略して「ガンジー」と子どもから呼ばれていたが、
非暴力、不服従とは程遠く、小屋の前をわいわいと子どもたちが賑やかに集団下校するだけで、
「ごるぅああああああ!!!!!ぼけぇががああああああ!!!!!ぐるうう」
そんなある時、友人の近藤くんが「あの老人の小屋の裏の池で釣りをしないか?」と言い出した。
大丈夫なのか?内容がズルズル過ぎやしないか?
例えば かの国のドローンが攻撃されたり攻撃される危険がある場合、それらを守るために武器を使った攻撃をしたりするようになってしまうんだろ?
・・・米軍等の部隊の武器等の防護のための武器の使用ってところの内容だと。。
本当に大丈夫なのか?おいおい いくらなんでもそりゃ愚の骨頂ではないのか?
米軍等の部隊の武器等の防護のための武器の使用ってことはドローンなんかの無人機に対してもだよな・・・
そんな物のために、武器の使用を自衛官が行うことができるようにするのか?
あんな物のために・・・しかも自衛官が・・・まさかドローンの航路や索敵の補助なんつって現地近くに派遣されるなんてことないだろうな・・
しかも下士官たちにとってみれば それらに疑問を抱いても、訴えや意見をいえない。
『国外犯処罰規定の整備(第122条の2)以下に係る罰則について国外犯処罰規定を整備する。
① 上官の職務上の命令に対する多数共同しての反抗及び部隊の不法指揮
①はわかるんだが、②がなぁ・・・。
【追記】
そういえばさ
マハトマ・ガンジーのように非暴力、不服従を持ってすれば、自立した人間ないし民族はその自由を達することができる。しかし、それでは優遇を引き出すことはできない。反政府、すなわち左翼的活動化が暴力的になるのにはここに原因があり、彼らは権力側から何か自分の欲する金銭ないし待遇を引き出したいのであるから、彼らは暴力に訴えざるを得ない。例えば、もし反原発を行いたいと思うならば、原発のないところに移住し、木製の風車を建て、あるいは自動車を発電に用い、更に節制でもってその生活を達すことはできる。そして、活動家はみなそこに移住すればよい。しかし、左翼的活動家の目指すところはそうではない。むしろ、言葉の暴力でもって政府を攻撃し彼が意に沿わそうとするものである。また、もし在日朝鮮人において不当に彼らが搾取されているというのであれば、非暴力・不服従でもってその身の自由を達することができる。しかし、実際には、日本人の3倍もの生活保護を輩出しており、すでに多大なる行政サービスの恩恵を受けている。彼らにしてみれば過去の日帝の悪行のため、朝鮮人が優遇されるのは当たり前ということであろう。どちらも政府を彼が意に沿わそうとするものであり、言葉の暴力でもって政府を徹底的に攻撃するものである。政府なら侮辱しても構わないというのはおかしい。政府は国民のものであるならば、政府への侮辱は国民への侮辱に他ならない。
今日に至って、政府が民衆のものであるならば、政府にも自由があらねばならない。元々強権を持っている組織であるから、本来自由を持つはずである。しかし、現状、この政府の不活性さはどうであろう。幾つかでも抜本的な改革ができたのであろうか。国民主権の憲法を土台にして、国民の代表者がもっと自由に振るうことが可能であって欲しい。国民の主権を犯さない範囲において、政府はもっと自由活発に活動できるのではないか。愚かな代表を選んだならばその責任は国民が贖わなければならない。その上で、政府活動をより活発にするあるいは、われわれの政府の自由について考える時期に来ているのではないか。そんなに議員は民衆の声を聞く必要があるのか。国のため正しいと思ったことを行うための議員ではなかったか。国民は一旦選んだならば、委任した以上これに口を挟まずその政治活動全てを任せ、自由闊達に事が進むようにしなければならないのではないだろうか。あるいはそういう信念をもった議員を輩出することについて考えるべきなのかもしれない。
共通点が多い。
主張してる人間がだいたい同じだ。
非暴力不服従を謳っててしばき隊のようなヤクザを先頭に立たせてる。
アメリカなどでは、仮釈放なし終身刑を最高刑にするなどして一生牢獄から出られないよう被害者遺族の感情を恣意的に和らげようとする試みがあり、
また被害者遺族に対して保護プログラムを組むなどしてアフターケアに事欠かない。
しかし、日本ではまず加害者の人権や生活の保障を第一として、加害者のプライバシー侵害を非常に恐れており、一方被害者遺族へは集中砲火の如くメディアスクラムを強行している。
加えて、加害者の推定無罪を基本として、いかなる残酷な殺人であってもそれでも殺人をおかす人の生命を救おうと死刑回避を目論み、被害者やその遺族の感情を大いに無視した行動が多い。また、死刑廃止を唱える割に、それに代わる代替案が皆無。無期懲役を最高刑にしようとさえ考えている。
それは、死刑廃止論者が被害者の人権よりも加害者の人権の方が大事という極めて異常な精神状態の持ち主で、
光市母子殺害事件の、ドラえもん発言のような人間の生命を救おうと躍起になってる。
同様に原発廃止論者は何が危険なのかを説明せず、チェルノブイリなどの実例を挙げるにしてもその利益によって生活を営む人達の権利を著しく損なわせ、
また代替案を多くはコストが莫大な割に利益が少なく、その殆どは即効性のきわめて低い太陽光発電を掲げている。
この嘘は、後に日経新聞や産経新聞など各紙で報道されたため、今では多くの人が原発廃止案を白紙にしつつあるが、原発廃止論者はたくさんの人が死んだから廃止にすべきと主張を曲げない。一種の精神疾患だ。
廃止するにしても、そこで暮らす人はこれまでその利益によって潤ってきたのだから、彼らを十分に納得させられる代替案が急務であるのに棚上げだ。
似たような人間というと、フェミニストや沖縄の活動家もそうなのだがここでは割愛する。
とにかく、これだけ権利を主張するにも関わらず、その恩恵にこれまで預ってきた人達つまり地元住民の意見を無視して中止ないし廃止を求めるのは何が目的か?
彼ら廃止論者には共通項が多い。
例えばマハトマ・ガンディーが非暴力不服従というスローガンを唱えたのは、非暴力不服従の姿勢を貫いてインド人が何人死のうが気にならなかったからで、
最近ホットな居酒屋チェーン店のシャッチョさんは政治に色気出してるけれども過労自殺した店員の名前はナチュラルに覚えていないと思われる。
よくいる新興宗教の代表者だって信者を金づるとしか思ってない。じゃないと商業的に成功できない。
金、権限、地位のために頑張る人間というのは自然で、理念を全てに優先する人間というのは狂っている。
人が大学受験を頑張って良い就職にありつきたいと思うのは、ブラック企業勤務や非正規雇用者のようになりたくないという保身のためであるからで、間違いなく他人のためではない。
母親ならば子供のために何でもするというのは様々な作品で築かれてきた幻想で、実際はストレスが臨界点に達したら幼児虐待をするのはまず母親であるし、
ピストルを突きつけられて子供を殺したらお前は助けてやると言われたら、だいたいの母親は子供を真っ先に殺すものだ。
社会を憂うのではなく、「こういう社会にする。俺に従わない奴は殺されても仕方がない」という思想を持つことが革命者の素養であるわけで
身近によくある理不尽。
たとえば、他人から「あなたの性格は頑固だから治した方がいい」と言われた場合、
自分が頑固ではないことを証明しようとすれば「頑固」のレッテルがべったり貼りつくし、
逆に素直に肯定をしてしまえば、それはそれで「頑固」のレッテルを自ら貼ることになるし、
「本当に頑固だろうか」と保留しても、保留したいと考えていること自体が「頑固」を示す証拠になってしまう。
つまり、「あなたは○○である」と宣言されたときから差別や偏見が始まっており、
それを、言われた側は払しょくできないという宿命の輪に閉じ込められてしまうのだ。
そして、この一方的な暴力性について発話者は全く気づいていない。