はてなキーワード: theoryとは
「お前は研究者だ。学生と思って甘えるな」といった意味が暗に含まれているようにも思う。
こんな中でほぼ唯一、「先生」と呼んでよい存在が南部さんだった。
弦理論も、量子色力学も、電弱統一理論とその鍵であるヒッグス粒子も
南部さんは控えめな方だと知られていた。
自分の発見であってもそれを決して主張されない方だったそうだ。
そして南部さんの理論は往々にして理解されず、10年後に重要性がわかる、もしくは再発見されることが度々あった。
ベーテ・サルピータ方程式はその何年も前に南部さんが発表していたことが「発見」された。
自発的対称性の破れと南部・ゴールドストーンボゾンは今日日あらゆる物理分野に顔を出す。
ハドロンのために創られた弦理論は現在ではTheory of everything 候補だ。
2008年、益川さん、小林さんと共にノーベル賞を受賞された。
ノーベル賞なんて別に嬉しくないと言った益川さんが「南部先生といっしょに受賞できるなんて」といって泣いた。あれは例えるなら
「藤子不二雄と手塚治虫が講談社漫画賞を同時受賞して藤子藤雄Aが泣いた」
ようなものだった。
受賞時にアナウンサーの1人が
「今になって認められたお気持ちはどうですか?」と小林・益川氏にマイクを向けた。
それを見ていた人たちは怒った。
小林さん・益川さんが凄いのだ。
当時いろんな人がいろんな表現で説明しようとしていたけれど
あまりうまく伝わっていなかったように思う。
ノーベル賞自体は400年後には忘れ去られているかもしれない。
それは奇跡のような事なのに、知らない人がいるのはもったいないと思った。
ノーベル賞の顛末を見る限り、南部さんの死はあまり大きく報道されないのかもしれない。
だから増田で誰かと語りたい、誰かが語るのを聞きたいと思った。
ただ、ただ、悲しい。
南部さんは高齢になられても、たまに阪大付近の研究会に現れては
僕は一度もお会いできないままだった。今は後悔しかない。
ところで論証はどこに書いてありましたでしょうか?
ここでいう論理とは、思考の形式及び法則である。これに加えて、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりを指す。よく言われる「論理的に話す、書く」という言葉は、つながりを明確にし、論証を過不足なく行うということである。
論理学は、伝統的には哲学の一分野である。数学的演算の導入により、数理論理学(記号論理学)という分野ができた。現在では、数理論理学は数学と論理学のどちらであるとも(時にどちらでないとも)される。現在の論理学は、(それを論理学であるとするなら)数理論理学と、数理論理学をふまえた論理学、数理論理学でない論理学に分化している。
弁証法なども、「論理」なのであるが、論理学における論理とは異なる。これらは、論理というよりむしろ理論 (Theory)である。
安倍晋三は、経済の救済者ではなく、ナショナリストで、第二次世界大戦の残虐行為を否定し、経済政策に明らかに少ししか関心が無く、もし彼が正統派を否定していたとしても、良く考えて異端理論を採用したと言うよりも、学問的意見に対する一般の侮蔑を反映したものであろうと書いてありますね。
Now comes Shinzo Abe. As Noah Smith informs us, he is not anybody’s idea of an economic hero; he’s a nationalist, a denier of World War II atrocities, a man with little obvious interest in economic policy. If he’s defying the orthodoxy, it probably reflects his general contempt for learned opinion rather than a considered embrace of heterodox theory. - Is Japan the Country of the Future Again?
しかしムッソリーニを暗示しつつ、悪い人が正しい事をする事もあると言っています。
It will be a bitter irony if a pretty bad guy, with all the wrong motives, ends up doing the right thing economically, while all the good guys fail because they’re too determined to be, well, good guys. But that’s what happened in the 1930s, too …
雪崩は、たった一粒の小石によって引き起こされることもある。
1月21日、ケンブリッジ大学の数学者 Timothy Gowers が、
長年に渡ってエルゼビア社の論文誌をボイコットしている理由について、ブログに書いた。
オランダに本社を置く同社は、一流誌 Cell や Lancet をはじめとする定期刊行誌を2000誌所有している。
ノーベル賞の数学版とされるフィールズ賞を受賞した Gowers 博士は、この状況を望ましくないと考え、
今回のブログ記事が他の学者もボイコットに参加するきっかけになれば、と望んでいた。
実際、それが起こった。
Gowers のブログに感化されて、数学者 Tyler Neylon がオンライン署名サイトを設置し、
そのサイトを通じて研究者2700人以上(訳注:日本語訳執筆時点では5300人以上)が署名し、
自分の研究をエルゼビアの論文誌に投稿せず、エルゼビアに投稿された論文を査読せず、エルゼビアの編集作業にも協力しない、と誓約した。
その数は、数学者の表現を借りるならば、指数的に増大している。
実効性をともなっていくとすれば、大出版社にとってこれは、革命をつきつけられたようなものである。
Gowers 博士による非難は3点に集約される。
第一点として、エルゼビアの製品の料金は高すぎるということ。
第二点として、論文誌の「抱き合わせ」が広く行われているために、図書館はある論文誌を購読しようとするとき、興味のない他の論文誌もセットで買わなければならないこと。
第三点として、公的資金による研究に対して政府がフリーアクセスを要求することを禁じる法案(たとえば米国議会で審議に入る Research Works Act など)を支持していること。
エルゼビア側によれば、これは誤解を招く言い方だと言う。
2010年には、20億ポンドの収益に対して7億2400万ポンド(11億6000万ドル)の利益を得た。利益率は36%。
しかし、同社の Director of global academic relations の Nick Fowler は、
購読料水準は業界の平均であり、ここ数年の値上げ幅は他社より低いとしている。
Fowler 博士によれば、人もうらやむエルゼビアの利益率は、同社の効率的な経営の結果以外のなにものでもないという。
Neylon 博士による動議は、より広い文脈での学者と出版社の衝突の表れのひとつと見ることができる。
その衝突は、オンライン出版の台頭によって、ますます鮮やかに描き出されてきた。
学者は情報の自由と流動性に重きを置く文化に属しており(そもそも論文の査読と編集を無償で行っており)、
出版社は情報へのアクセスに課金して利益を最大化しようとする組織であり、
同時に権威ある論文誌の(すべてではないにしろ)ほとんどを掌握しているからである。
一触即発の状況は長年続いていた。
2006年には、 エルゼビアが出版する数学論文誌 Topology の編集委員会の全員が、アクセスの囲い込みと料金高騰への懸念を表明して辞任した。
ドイツの出版社シュプリンガーによる論文誌 K-theory の編集委員会は2007年に解散した。
多くの人は、ことが荒立てられるまでにこれほど長くかかったことに驚いている。
出版社をそのサイクルから追い出すことができる環境は十分に整っていた。
実際、商業出版の代替物をつくろうとする動きは何度か起こった。
コーネル大学のウェブサイト arXiv (X はカイの音のギリシャ文字を模しており、「アーカイブ」と発音される)は1991年にできた。
研究者は、まだ論文誌で出版されていない物理学の論文をそこに投稿することができ、
Public Library of Science (PLoS) は2000年にできた。
そこでは生物学と医学の分野でフリーの論文誌が7誌出版されている。
こうした動きへの熱意があったにも関わらず、伝統的な出版社の支配が続いたことには理由がある。
arXiv の論文は、公開後に容赦ない批判にさらされることは確かなものの、投稿前に正式なピアレビューは行われない。
PLoS は一部を寄付金でまかないながらも、論文1件あたり2900ドルの掲載料を課す。
これは著者の負担となり、金策に悩む大学にとっては無視できない金額である。
少なくなりつつあるとはいえ、電子版のみの出版に対する偏見もある。
こうしたことが重要なのは、大学と個々の研究者が、出版した論文の数と掲載された論文誌の名声に応じて評価されるからだ。
ともすれば新しい道具に挑戦することが期待される若手研究者は、その前に既存の権威ある論文誌で出版しなければならない。
さもなければ、発言力もなく昇進もない。
そして、新しい論文の運命を決める力のほとんどが権威の高い論文誌にあるために、「権威」の定義は少しずつしか変わらない。
商業出版社は、たとえば読者ではなく著者から料金をとるなどといったオープンアクセスのアイデアを試そうとしている。
しかしボイコットが広まっていけば、ことは急激に進展する可能性もある。
けっきょくのところ、学者が出版社を必要としている以上に、出版社には学者が必要なのである。
突然失脚する直前まで、えてして体制側は無敵に見えるものだ。
来たる学術の春にはご用心を。
911映画祭(http://www.peacefilm.net/911/)に参加してきた
以下、プログラム
9:30~開場
映画『真実を求める遺族たちのPress For Truth』
特別講演 田中宇(60分)
メインは海外ニュースを独自の視点で解説するメルマガを流してる田中氏の講演。
どの映画も、ホワイトハウスは悪だという論調で、ふっそんなのはもう既に知ってるぜって感じの客層。
これだけ長時間って事は、なんかサブリミナル的に仕込まれてるんじゃないかと思いきやそんな事もなく。
その中で、タメになった点をあげる。
・陰謀○の○に入る文字はなんでしょう?
→「説」(うちは「「論」だと思ったけど)
→conspiracy theory つまり、そんなものは主張や意見であって、虚偽で風説に過ぎないというセットが連想されるように、教育/報道されている。
→なぜ、そのセットなのか?を考える視点を持つべきだ。
というのが頭に残った。
メディアの側の仕事をしていると、そういうのを如実に感じることがある。
・○○がOLの間で大人気!
・大ヒット公開中!!
とかとか。 大体は捏造というか、後ろに「という事にしたい」というのが隠してあるんだよね。
1000人近くの意見が書き込まれると、不思議とそれが一般認識のような錯覚(というかもはや常識として流布される)
なんなんだろう。。
つい5,6年前までは日本人にとって中韓なんて、ラーメンマンとキムチだっけ?のどうでもいい国でしかなかったはずが、今や立派な仮想敵国。
本当に自分で見たのか?
中国人チョーセン人と話したことはあるのか? と。
アメリカが世界の覇権を手放そうとする今の時代、中国とかと対等にやりあって、ロシア、ASEAN+、果ては中東や南アメリカの資源を確保してくほうが国益に適ってると思うんだけどな。
ってな事を書くと、売国奴め!と真っ赤にして怒ってくる人が居たりするけれども。
いやはや。こわいこわい。
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小沢周り
小沢は中国の犬と言われているけれども、別に中国が好きなわけじゃなくて、アメリカの覇権が終わる今、国是を考えて、最善の策を取ろうとしてるに過ぎないと思う。
ベトナム、キューバ、アフガンにアメリカ(CIA)がやって来た事(共産主義は悪だ!と、過激派系組織に武器を流し内戦状態にして、時の王や元首を追放等々)を外務省付近の人は知ってるんだろう。
だから簡単には対米従属は辞められないんだろうなってのが解った。(気がする)
たぶん、中国も本当はアメリカに覇権を持ってもらって(戦争はコストがかかる=軍需産業がそれほどないから儲からない)いたいんだろう。
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まとめ
週刊新潮・文春が、この時期に不倫だとかのニュースを流す意味ってなんだろうって考えた
・社長の娘(17)が、管(の背後に居る神野)に人質に取られてて仕方なく!?
→だって、バレバレじゃない。 手法が安直過ぎないか?
This is a guide for foreign people who want to make money without difficulty.
Now, families will begin receiving about 130 US dollars monthly allowance for every child of junior high school age or younger. From next year, families will get about 260 US dollars month by month. That is to say, if you have 100 children, you can receive about 260,000 US dollar every month. Even adopted children are OK. The only things you need are your certificate of residence in Japan and your children's translated certificates of residence in any countries. Japanese citizenship is not needed. There is no number of children limit.
The Child Allowance is a concrete form of the Prime Minister Yukio Hatoyama's idealistic theory. He puts emphasis on the spirit of friendship. Thus, you don't need to hesitate to receive. Welcome to Japan.
You can receive about 130 US dollars monthly allowance for every child of junior high school age or younger.
No, there is no limit.
All you have to do is to stay in Japan.
Legally, there is no obvious distinction between biological children and adopted children.
Even if your children live in abroad, you can receive the Child Allowance.
He or she will receive 1.56 million US dollars. From next year, about 3.12 million US dollars will be paid.
The source is a tax which Japanese people pay.
My intention is to make the idiocy of the Child Allowance known all over the world. Now, fool politicians reign over Japan.
http://anond.hatelabo.jp/20100222091736
もう見ていないかもしれないけれども。
とりあえず、学部高学年向け又は大学院初級向けのテキストなら、必ず時間的不整合性についての解説があるはずなので、とりあえずはその辺から読み始めると良いと思う。RomerのAdvanced Macroeconomicsとか、斉藤誠の新しいマクロ経済学とか。ただ、これだけでは自分で議論をするには致命的に情報量が少ないので、Monetary Theory and Policy (Walsh)の当該章を熟読することを勧める。
コミットメントについてはゲーム論の入門書(ギボンズとか)を読んだ方が早い。サブゲーム完全性などを学ぶと、時間的不整合性のコンセプトもかなり容易に理解できるようになるだろう。ついでにIncomplete contract (verifiability)まで学ぶと、中銀を法制度で縛ってリフレ政策にコミットさせることの難しさが分かるようになる。これはHartのFirms, Contracts and Financial Structure辺りが入門書としてはお約束(ただ、最初からそこまで読もうとしない方がいいと思うが)。
君がこういった経済学の基本理論を押さえたリフレ村の論客になることを期待しています。外野としても、ここ数年のまるで進歩のない議論をウォッチし続けるのは飽きたので(しかも、議論が尽くされたようには見えない辺りがもどかしい)。
科学と生活のイーハトーヴ » 女性の自己実現と、不幸の取り引き
http://blog.ihatovo.com/archives/4816
かいつまんで読んだ解釈ですが、社会進出が進んだといえど、まだ完了していないという実感は根強く残っている。その一方で、働く/家事育児に専念する/両立させる、など選択肢が増えたことによる切り捨てたものへの後悔がもたらす不幸感(選択肢のパラドックス Barry Schwartz: The paradox of choice http://www.ted.com/index.php/talks/barry_schwartz_on_the_paradox_of_choice.html)も生じているという話題かと。
The Paradox of Declining Female Happiness | MND: Your Daily Dose of Counter-Theory
http://mensnewsdaily.com/2009/09/14/the-paradox-of-declining-female-happiness/
What Women Want Now - The State of the American Woman - TIME
http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1930277_1930145,00.html
CRT/tanaka Blog » Blog Archive » Women, Work and the Happiness Factor
http://blog.crt-tanaka.com/2009/10/women-work-and-the-happiness-factor/
Women’s Declining Happiness: The Paradox That Isn’t « Undecided
http://undecidedthebook.wordpress.com/2009/09/21/womens-declining-happiness-the-paradox-that-isnt/
Op-Ed Columnist - Blue Is the New Black - NYTimes.com
http://www.nytimes.com/2009/09/20/opinion/20dowd.html?hp
グールド自身による(自己の言説の歪曲された利用への)反論(訳は大意)
[T]ransitions are often found in the fossil record. Preserved transitions are not common -- and should not be, according to our understanding of evolution (see next section) but they are not entirely wanting, as creationists often claim. [He then discusses two examples: therapsid intermediaries between reptiles and mammals, and the half-dozen human species - found as of 1981 - that appear in an unbroken temporal sequence of progressively more modern features.]
移行形態の化石記録はしばしば発見されています。保存された移行形態は一般的ではありませんが、そしてそれは私たちの断続平行説が正しいのであればそうあるべきですが、まったく欠如している、そう創造論者は主張していますが、そういうわけではありません。
Faced with these facts of evolution and the philosophical bankruptcy of their own position, creationists rely upon distortion and innuendo to buttress their rhetorical claim. If I sound sharp or bitter, indeed I am -- for I have become a major target of these practices.
こういった進化の事実と彼ら自身の哲学的立場の破綻に直面して、創造論者は彼らの修辞的な主張を強化するために、歪曲と暗示に頼っています。もし私が辛辣に見えるのならば、実際その通りなのですが、それは私が彼らの実践の主要なターゲットとなっているからです。
I count myself among the evolutionists who argue for a jerky, or episodic, rather than a smoothly gradual, pace of change. In 1972 my colleague Niles Eldredge and I developed the theory of punctuated equilibrium. We argued that two outstanding facts of the fossil record -- geologically "sudden" origin of new species and failure to change thereafter (stasis) -- reflect the predictions of evolutionary theory, not the imperfections of the fossil record. In most theories, small isolated populations are the source of new species, and the process of speciation takes thousands or tens of thousands of years. This amount of time, so long when measured against our lives, is a geological microsecond . . .
私は自分を徐々に漸進的に変化が起きるというよりも、気まぐれで断続的に起きると考える進化論者のひとりであると考えています。
Since we proposed punctuated equilibria to explain trends, it is infuriating to be quoted again and again by creationists -- whether through design or stupidity, I do not know -- as admitting that the fossil record includes no transitional forms. Transitional forms are generally lacking at the species level, but they are abundant between larger groups.
(変化に)波があることを説明するために私たちが断続的平衡を主張して以来、何度も何度も創造論者によってデザインやなにやらを通じて、私が化石記録は移行形態を含まないと認めていると引用されたのは、はらわたの煮えくりかえる思いです。移行形態は一般的に種の水準では欠如していますが、それより大きいグループの間では豊富に存在するのです。
http://blog.goo.ne.jp/premier310/e/1fcfef25834d5f80331f42bfcc6b1c4c
The extreme rarity of transitional forms in the fossil record persists as the trade secret of paleontology. The evolutionary trees that adorn our textbooks have data only at the tips and nodes of their branches; the rest is inference, however reasonable, not the evidence of fossils. Yet Darwin was so wedded to gradualism that he wagered his entire theory on a denial of this literal record.
過渡的形態が化石記録には非常にまれであることは古生物学の「業界の秘密」であり続けてきた。教科書を飾る進化の系統樹には先端と分岐の結節点しかデータがない。どれほどそれが合理的なものであろうと、(過渡的形態の存在は)推論であって、化石の証拠によるものではない。それでもダーウィンは、彼の全理論をこの直接的な記録(過渡的形態の証拠の欠如)を否定することに賭けるほど、熱心に漸進主義を主張した。<()内は私の挿入>
原文はこれか。あと、訳はあんまり自信ないので大意、ということで。
ソースはここ。ちゃんと創造論批判の英語のサイトが検証してるみたいだな。
http://www.talkorigins.org/faqs/quotes/mine/part3.html
Quote #3.2のとこね。ざっと斜め読みしたところでは、グールドの断続平行説のからみで、中間形態がすべて存在するというところに疑問を投げているところで、進化論とか、化石の証拠能力に文句をつけているところではない、というところか。くわしいところは誰か訳して。
ちなみに、創造論者によって過渡的形態の欠如は進化論への反証として持ち出されるが、グールドの立場では、種が分化するときは漸進的にではなく急激に変化する、つまり過渡的形態が欠けることがある、ということだから、勿論、進化論とは何の矛盾もしない。くわしいことは断続平行説でぐぐれ。
ついでに、ここにも同じ発言への言及があるな。
http://www.allaboutthejourney.org/japanese/fossil-record.htm
IDの大御所の人の訳を見つけた。
化石記録における移行形態が極度にまれである事実は、古生物学の企業秘密(trade secret)になっている。我々の教科書を飾っている進化の樹(系統樹)は、その枝の先端と節においてのみデータが存在する。残りは、いかにもっともらしくても、推測であって化石の証拠によるものではない。
http://anond.hatelabo.jp/20090404235214です。
ご協力ありがとうございます。
普通の:
・Compiler Construction (Louden)
・Effective C# (Wagner)
・Compilers (Aho, et al.)
・Virtual Machines (Smith, Nair)
・Garbage Collection (Jones, Lins)
・車窓で旅する日本列島
・Common Lisp 第2版 (Steele Jr.)
・Assembly Language for Intel-Based Computers (Irvine)
・Concrete Mathematics (Knuth, et al.)
・Programming Language Pragmatics (Scott)
・Basic Category Theory for Computer Scientists (Pierce)
ダメげなの:
・サモンナイトコレクション
・しろ画集
・カーネリアンコレクション
・Bittersweet Fools ビジュアルファンブック
・ISO/IEC 13211 Information technology - Programming languages - Prolog - (Prologの規格書)
・県別マップル十数冊
整理されてなさすぎるのがよくわかった。
その他本棚にあるもの:
・危ない28号 3冊
・夏少女の紙袋
情報系の資格でも取るかと思って本を読んだら、待ち行列の話が載ってた。どうやらよく出るらしい。
しかしモデルの結果が公式的に書いてあるだけで説明がほとんどない。ネットで調べても同様だ。
サル用のいい加減な説明しか無い。日本で待ち行列を必要としているのは主にサルらしい。おそらくニホンザルだな。
英語で調べたら1分で大量に出てきた。
http://www.tkn.tu-berlin.de/curricula/ws0203/ue-kn/qt.pdf
http://www.win.tue.nl/~iadan/queueing.pdf
http://www.s3.kth.se/lcn/courses/2E1624/nain-qt-basics.pdf
http://www.research.rutgers.edu/~xili/cs352/queuing-theory.pdf
どうやら欧米のmonkeyは待ち行列(queueing theory)を必要としてないようだ。
しかし今度は説明が細かすぎる。100ページの英語を読むのはめんどくさすぎる。
マルコフチェーンの一般論とか無くてもなんとかなるだろ。もうちょっと簡潔にしてくれ。
つーか日本のヒトはもうちょっとしっかりしてくれ。なんでサルしかいねーんだよ。
しょうがないから一番上のshort introductionを読む。めんどくせえ。
リブログです。
An axiomatic basis for computer programming
C. A. R. Hoare
Communicating Sequential Processes (CSP)
C. A. R. Hoare
Call-by-name, call-by-value, and the lambda calculus
Gordon Plotkin
Towards a theory of type structure
John C. Reynolds
Definitional interpreters for higher-order programming languages
John C. Reynolds
Philip S. Abrams
The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engin
Sergey Brin and Lawrence Page
A Mathematical Theory of Communication
Claude Shannon
Communication Theory of Secrecy Systems
Claude Shannon
Bayesian Networks without Tears
Eugene Charniak
A Universal Algorithm for Sequential Data Compression
Jacob Ziv and Abraham Lempel
Let's Build a Compiler 1988-1995
Jack Crenshaw
Gauging Similarity via N-Grams: Language-Independent Sorting, Categorization, and Retrieval of Text
Marc Damashek
Richard P. Gabriel
Hints on Programming Language Design
C.A.R. Hoare
Why Functional Programming Matters
John Hughes
Kenneth E. Iverson
The next 700 programming languages
Peter J. Landin
Recursive Functions of Symbolic Expressions and their Computation by Machine (Part I) 1960
John McCarthy
Teach Yourself Programming in Ten Years 2001
Peter Norvig
Alan J. Perlis
The Complexity of Theorem Proving Procedures
Stephen A. Cook
Guy Steele and Gerald Sussman
A Method for Obtaining Digital Signatures and Public-Key Cryptosystems
R.L. Rivest, A. Shamir, and L. Adleman
http://www.zafar.se/bkz/Articles/ClassicCompScienceTexts
http://www.zafar.se/bkz/wiki/view/43bafac8c8570f4f
にあったけど、無くなっていたので
http://web.archive.org/web/20060823143349/www.zafar.se/bkz/home/classictextsincomputersc.html
から拾ってきた。
でも書いてる途中に↓を見つけてしまったのでした。
少し難しいかもしれないけど高校生にはぜひ読んでほしい本。ホロコーストの社会心理学による説明。
Product Description
When and why do groups target each other for extermination? How do seemingly normal people become participants in genocide? Why do some individuals come to the rescue of members of targeted groups, while others just passively observe their victimization? And how do perpetrators and bystanders later come to terms with the choices that they made? These questions have long vexed scholars and laypeople alike, and they have not decreased in urgency as we enter the twenty-first century. In this book--the first collection of essays representing social psychological perspectives on genocide and the Holocaust-- prominent social psychologists use the principles derived from contemporary research in their field to try to shed light on the behavior of the perpetrators of genocide. The primary focus of this volume is on the Holocaust, but the conclusions reached have relevance for attempts to understand any episode of mass killing. Among the topics covered are how crises and difficult life conditions might set the stage for violent intergroup conflict; why some groups are more likely than others to be selected as scapegoats; how certain cultural values and beliefs could facilitate the initiation of genocide; the roles of conformity and obedience to authority in shaping behavior; how engaging in violent behavior makes it easier to for one to aggress again; the evidence for a "genocide-prone" personality; and how perpetrators deceive themselves about what they have done. The book does not culminate in a grand theory of intergroup violence; instead, it seeks to provide the reader with new ways of making sense of the horrors of genocide. In other words, the goal of all of the contributors is to provide us with at least some of the knowledge that we will need to anticipate and prevent future such tragic episodes.
http://anond.hatelabo.jp/20080425143831
いんぼう【陰謀】ひそかに計画する、よくないくわだて。
(以上、大辞林)
陰謀論(いんぼうろん、conspiracy theory)または陰謀説(いんぼうせつ)とは、
1. 歴史上の出来事は、ある個人・団体の陰謀、策謀に基づき生じた
2. ある個人・団体の活動に、目的や内容が隠蔽されている活動がある
とする考え、もしくは考え方である。陰謀論に基づいて世界史を解釈することを、陰謀史観と呼ぶ。
(以上、Wikipedia)
陰謀があることを否定はしない。でも、「政府の公式発表はみんなウソで、実は奴等が企てたんだ」と考えてるのは単なる馬鹿だろ。
Running the world - Jarvis Cocker
Well, did you hear there's a natural order?
Those most deserving will end up with the most?
That the cream cannot help but always rise up to the top?
Well I say... shit floats.
If you thought things had changed, Friend, you'd better think again.
Bluntly put in the fewest of words:
Cunts are still running the world
Cunts are still running the world
Now the Working classes are absolete They are surplus to society's needs.
So let 'em all kill each other and get it made overseas.
That's the word, don't you know?
From the guys that's running the show.
Let's be perfectly clear boys and girls:
Cunts are still running the world
Cunts are still running the world
On feed your children on crayfish and lobster tails
Find a school near the top of the league.
In theory, I respect your right to exist -
I will kill you if you move in next me.
Ah, it stinks , Yeah, it sucks,
It's anthropologically unjust,
Oh but the takings are up by a third,
Cunts are still running the world
Cunts are still running the world
The free market is perfectly natural,
Do you think that I'm some kind of dummy?
It's the ideal way to order the world;
Fuck the morals - does it make any money?
And if you don't like it?
Then leave - or use your right to protest on the street.
Yeah, use you right but don't imagine that it's heard
Not whilst cunts are still running the world
Cunts are still running the world
Cunts are still running the world
Cunts are still running the world
Cunts are still running the world
ひぐらしファンとして、放送自粛に嘆き悲しんでいる著者でありますが、マスコミの安易な報道にはもっと嘆き悲しんでいる所存です。ひぐらしが原因で少女が殺害?ふざけんなよてめぇぬっこぬっこにしてやんよ、ということで、マスコミの報道に対して初歩的統計学知識でもって批判してみたいと思います。以下は、専門家でもマスコミ関係者でもない一ひぐらしファンの戯言です。
何らかの原因と結果を説明する理論を実証するには実験をしなければいけません。実験とは、検証したい変数を限定し、その変数に大してなんらかの人工的な付加をかけることで、理論構築のための結果を導きだそうとすることです。例えば、"ポテトチップスを食べると体重が増える"という理論を実証したいのであれば、必要数の被験者に大してフォアグラ用のガチョウのようにポテトチップスを食べ続けさせれば良いわけです。しかし、実験をするに当たって気をつけなければならないことは、人口的に付加与える変数以外に結果に影響を及ぼし得るような他の変数が多数あると結果は歪曲されてしまう、ということです。たとえば、"ポテトチップスを食べると体重が増える"を実証する実験を行うに当たり、被験者が他に高カロリーの食べ物を食べていたり、運動不足であったりすると、検証したいポテトチップスと体重増加の原因-結果関係を検証することが困難です。なので、実験する人間は被験者に大して厳しく食事管理を行ったり、適度な運動が可能なような環境を用意することが必要です。実験において重要なことは、検証する変数を限定すること、環境を設定すること、といえます。
実験をすることはお金もかかりますし、手間もかかります。そもそも、変数を限定する環境に被験者を長時間拘束することは、検証内容によっては非常に困難になります。そこで、実験の代わりに観察という手段で理論の実証を試みることになります。観察の場合、サンプルとして選ばれた人たちは自然な環境で通常の生活をし、実験者が彼らに人工的な付加を与えることはありません。実験者は通常生活を営むサンプルから検証したい変数を含むデータを集め、それをもとに変数と結果の関係性を実証します。重要なのは、観察の場合は、検証している変数の他に結果に影響を及ぼし得る変数がたくさんあることです。"ポテトチップスを食べると体重が増える"を例にとると、観察では被験者からポテトチップスを頻繁に食べるという情報と体重を聞き出し、それらの関係性を検証していく訳です。しかし、ポテトチップスを頻繁に食べ、かつ太っているサンプルの人間が、他にも多くの太る原因となる生活習慣を踏襲していることは安易に想像できることであり、ポテトチップスを頻繁に食べることはたくさんの変数の一つでしかありません 。サンプルのデータを使った観察からはポテトチップスという変数と体重という変数は並列に位置し、二つは関係している、ということしか導きだせません。ポテトチップスを食べるからピザになる、のではなく、ピザだからポテトチップスを良く食べている、かもしれないのです。多数の変数が関わっている観察においては、原因と結果を引き出すことはできません。
ひぐらし自粛事件を以上のことをふまえて検証してみます。まず、京都16歳少女の父殺害事件から”ひぐらしのなく頃に”という作品が少女を殺害に導いた、という原因と結果の理論をたてることは、現時点の証拠不足により不可能です。少女が殺害に導いた変数は、父との関係・学校での人間関係など計り知れません。 上記で検証したように、原因と結果を検証するには変数を限定しなければならないのであり、マスコミが安易に検証できるものではありません。 以下の
「歪曲して事件に影響があったかのように報道した」説に賛成の人が多いだろう… 何か事件が起こると、浅い考察で原因を探すのが現在のマスコミのお得意分野であることも事実である。
という近添さんの発言を厳密に検証すると以上のようになります。
しかしマスコミは結構狡賢いもので、”ひぐらしのなく頃に”が殺人の原因になりましたよーとは言いません。あくまでも二つの事柄の関係性を繰り返し、オドロオドロしい音楽とナレーションにのせて報道することによって、視聴者側が自らの頭で二つの事柄の原因-結果関係を描いてしまいます(マスコミやテレビが放送するリアリティーと現実世界の二つを視聴者がごっちゃに考えてしまう、ということを説明するCultivation Theoryという理論もあります)。 マスコミが放送しているのは関係性の羅列でしかなく、原因と結果は厳密な検証が行われないと実証されない、というリタラシーを持って報道を読むことが必要です。
更にマスコミは事件が起こると事件の一般化を試みます。”ひぐらしのなく頃に”を見ていた少女が父親を殺害した、よってかような作品を見ている人間は殺人者予備軍、というような図式です。しかし、個々の事件のようなケーススタディーにおいては、事件の構造的解析を行うことはできても、その事件から社会的な構造を描き、実証することはできません。サンプル数が1しかない検証内容なんて鼻糞くらいの価値しかありません。マスコミの報道を読むには、検証にはどれくらいのサンプルが使われているのかを注意深くまた批判的に見ていく必要があります。マスコミがよく使うメタ分析(既に行われている研究結果などを使って実証していくこと。専門家の話というのはこれに当たります)も視聴者自らが論文に当たって理論の検証を行うのが良いのかもしれません。あるある大辞典はメタ分析を適当に並べ立てて原因と結果をでっちあげた報道の悪いケースです。
エセ科学議論が一時期はやりましたが、エセ科学的な検証方法は科学以外の様々な議論に当てはまります。議論において、原因と結果を実証することは最も難しく、マスコミが行うような一夜漬けの検証では不可能といっても良いでしょう。しかし、マスコミの 原因-結果関係をでっちあげる安易な報道は強力な影響力をもっており、間違ったリアリティーを視聴者に植え付けます。マスコミの報道を反証するのに個々の事件に対する知識や専門的な知識はいりません。議論を批判するには、ちょっとした議論形式の知識と申し訳程度の統計学の知識で十分です。lovelovedogさんが似たようなスタンスでブログを書いてはりますね。マスコミのメタ分析に対するメタメタ分析(なんのこっちゃ) でもってばしばしっと文句をつけていくのが、健全たる市民としての義務だと思います。