はてなキーワード: 日本会議とは
自民党:最近の桜を見る会とかにみられるような、公文書を破棄したり平気で嘘をついたりとかいうのは当然人間としてあり得ない行為だけど、より正確に言うと、日本会議とネトウヨと新自由主義者をこの世から抹殺したい。従って彼らから支持されている自民党を支持することは出来ない。
維新の会:新自由主義が党是なので。なんでも自己責任で片づけるから。
立憲/国民民主党:どんなにがんばっても自民党に勝てると思えないから。
共産党・社民党:共産主義(社会主義)はソ連と東欧諸国の崩壊で30年前に世界中で否定された思想。今でも続けている中国と北朝鮮はあのとおり。共産党を支持するということは、日本が北朝鮮みたいな国になってもいいという意味。
れいわ:最初はいいかもと思ったけど、最近共産党にすりよっているので察し。
N国:言うまでもない。
はてなのネット界隈でも年に数度道徳の教科書の問題が俎上となる。最近も子供が持ち帰ってきた道徳の教科書が「変なこと」を吹き込んでいるというtwitterの投稿がブックマークを集めていた。
私はこれから、原文やブックマークのおおよその論とは逆さに「こういう道徳も必要ではないか」という観点から考えてみたいと思う。
大きな論点は二つある。
私たちブックマークする人間は十分に教育を経てクリティカルな思考が(ある程度には)できるから、あの教科書に対して批判ができる。
ところが初めからそうではないだろう。小学校二年生の時を思い出して欲しい。
まずは周囲の仕事に気づき、それにより身の回りが成立している感覚を基礎的に学ぶことは重要だ。
まずそうする。そうしないと、子供に基礎的な社会性すら涵養されないのではないだろうか。
私たちは徹底的に(あるいは歴史的に)これを体験し修学してきた。
だからここは批判的になりがちだしなるべきだが、全く愛校心や「軍隊っぽさ」がないと、それはそれでバラバラになり立ち行かなくなると考えられているのではないか。
バランスを見極めていくべきて、少なくとも私はこれくらいは十分に必要と思う。
小学校二年生の時を思い出して欲しいのだけれど、教科書が世界の全てではない。
例えば校長の話は意味がわからなかったりたまにしか会わないから会話や指示にぎこちなさがあったりする。
保健の先生はトイレを濡らした犯人を俺だと決めつけて掃除をさせた。
小学二年生は、友人関係を含めて人間関係のるつぼの中にいよいよ参画していく時期だ。
改めて小学二年生を思い出して欲しい。テレビや教科書の「お題目」と現実との折り合いに、わずかでも気がつき始める。
ここで重要なことは「お題目」を知り、かつ「実態」を生きると言うことだろう。
「社会の規範や常識」とそれが必ずしも通用しない、それできっちり割り切れない「実態」の二重の感性。
「社会の規範や常識」が「お題目」とは言え重要だと言う話をしてきた。
とはいえ私たち大人は「社会の規範や常識」をどこに定めるか、不断の努力で議論し構築していかなくてはならない。
家庭でも地域でも普段の子供とのやりとりでも。そう言う視点からの批判ならばあの道徳の教科書への批判になりうるだろう。
逆に、歴史を書き換えた者こそが勝者になれる感じもしてて。その典型が明治維新。千数百年にわたって天皇が仏教の守護者だった歴史をなかったことにした。
日本の歴史は一旦GHQによって書き換えられたわけだけど、それをさらに上書きするための鉄砲玉が首相や萩生田周辺の幸福の科学とか日本会議なんだろう。日本人に最も親しまれている歴史書は教科書なんで。
彼らは高杉晋作ばりのヒロイズムに酔ってて、ドーパミンがドバドバ出てそう。ナチュラルにMDMA食ってる感じ。
公文書を気軽に破棄したり改ざんしたりするのは、少なくとも近代国家ではないということを自覚して欲しいとは思う。それを宣言したとして国民が受け入れるのかどうかは知らん。
皇室は男系絶対維持!女系は天皇にあらず皇室滅亡と一緒!すなわち日本滅亡! みたいな事いっちゃってる人らがそういう風に主張してるんだけど?
生命科学とか遺伝子工学とかの学問には疎いのでぶっちゃけ分からない事の方が多いのだが、自分の理解するところでは、
「X染色体と結合してXY染色体になった時点で相互遺伝的組換えが起こるのだから全く同一の(同じ塩基配列)が保持されたY染色体が次世代に受け継がれる事は無い」
つまり『綏靖天皇(第2代天皇)のY染色体は父親である神武天皇のY染色体とは同一ではない。父:神武天皇のY染色体と母:媛蹈鞴五十鈴媛のX染色体の塩基配列の(確率的に)ほぼ半々ずつを受け継いでいる。』