はてなキーワード: 宇多丸とは
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聴いてて引っ掛かりがあったのが2点。「拳銃」と「帆高自身は何も犠牲にしていない」という指摘だ。
拳銃:
評の中では拳銃によってピントがずれてしまったと語られている。
ここに関しては異論はない。
ただ、拳銃がリビドーの象徴という解釈に対しては、別の解釈をしてみたい。
共産党本部のある代々木で、拳銃を2度捨てているということに意味が込められていたのではないか。
そして、武力革命の代替としてストライキを提起しているのではないか。
終盤ヒロインは、使命を放棄して生き残ることを選択しているわけだ。
いろんな業をヒロインだけが負わされて、帆高は何も犠牲にしていないという指摘だ。
のだが、ふと思ったのが「何かを犠牲にしないと何かを手に入れてはいけないんだっけ」ということだ。
いわゆる「欲しがりません勝つまでは」的な精神性が日本を停滞させている面があるのではないか。
今欲しいものを今欲しいと、もっと主張していってもよいのではないか。
そういったメッセージが込められていたのではないだろうか。
ってかんじだろ?? おまえほとんどアニメと映画しか見てないだろ??自分の知ってる範囲のことしか言ってないだろ?? それってお前が批判してる人と何にも変わらねぇじゃねぇか!
アニメは最近批評対象として主流になっているよ。お前が言ってるみたいなアニメを馬鹿にしてる批評家と、お前みたいな「てにおは」すらしっかりできてない批評家の意見なんか聞かなくていいんだよ!
確かに傑作をバンバン飛ばしているのだが、佳作も多い…というかクオリティの高さから何作っても佳作レベルにまでは持ち上げていた。
傑作の意味1:作品が非常にすぐれたできばえであること。また、その作品。
佳作の意味1:文学作品・芸術作品などで、出来栄えのいい作品。
「クオリティの高さから何作っても佳作レベルにまでは持ち上げていた。」ってなんだ??違和感を感じる。熟考で考えすぎて頭痛が痛いわぁ。評論家アコガレで難しい難解単語を使うと、後で後悔するぞ。
アニメは見ねぇんだよとか言ってる映画監督も、そんなこと言ってるから庵野の演出に超されてしまったのだと気付かないんだろうか。
「アニメは見ねぇんだよとか言ってる映画監督」って誰だよそれ??そいつの映画見たいから教えてくれよ!
サブカルがメインカルチャーになったこと。星野源が小林さんちのメイドラゴン主題歌を真っ先にかけること。
いい加減認めたほうが良い。置いて行かれているのことに気付いてほしい。
星野源や平井堅が評価しなくたってジャパリパークもおジャ魔女カーニバルも青空のラプソディも名曲だわ。 みんなが好きなものが好きでもそれでもいいのよ。
"映画"評論家の宇多丸さんも"映画評論家"評論家のお前さんも評価しなくたって、俺はおじゃる丸が大好きだわ!!
おじゃる丸見てねーだろ!アニメファンさんよ!! 見てくれよ!
傑作の意味2: 言動などが突飛でひどくこっけいなこと。また、そのさま。
あーーーーーーー!
でも気持ちはわかる!
詳しくないジャンルがあるのは仕方ないし、はっきり言えばアニメって細分化されすぎていて、もう、誰も全部の作品なんか抑えていないから、アニメファンでもそれぞれ偏りがある。だから、それ自体は仕方ないけど、井筒監督みたいに最初っからナメて掛かったりするヤツはダメだけど、アニメをさほど知らないと自覚している宇多丸は別にいい。アニメファンだって殆どは実写に詳しくないのは仕方が無い。のと一緒。
アニメをよく見る映画ファンなんだけど批評家が今更それ言う?ってことによく直面する。
いくら批評家が「新しい!」と言ってもそれアニメや漫画が散々やってきたことだよって思う。
あれはただのエヴァです。新しくもなんともない。同じことをしているだけ。
なんなら実写版キューティーハニーで同じことしてるけどどうせ当時「アニメ監督が…」と見てないだろう。
そしてアニメは名作と呼ばれるものがたくさん生まれていて、追いかけるのは並大抵のものではなく
もはや「佳作」レベルの過去作に関しては作品名も情報として入ってこなくなっているだろう。
確かに傑作をバンバン飛ばしているのだが、佳作も多い…というかクオリティの高さから何作っても佳作レベルにまでは持ち上げていた。
さらに時代観もあるので今ハルヒを見て面白い!新しい!と思っても現代っ子の感覚としては古い価値観のアニメである。
だから実写映画しか見てこなかった人は、最早今の感覚で何かを語ることは出来ないと昨今感じている。
君の名は。のヒットの時も「深夜アニメが映画になったもんだなぁ」という感想がアニメファンの中には多かったと思うし
なんなら「ゼロ年代エロゲ文脈」だなぁと思った人も多いかもしれない。
多分、実写しか見てこなかった批評家には新しいものとして映っているだろう。
セカイ系なんて言葉、アニメを見ていない映画評論家には理解不能だと思う。
しかし感覚としては20年前に生まれていたものがスタンダードになったと言うだけの話だ。
『天気の子』を新しいものとして捉えている批評家は、多分もう古く今の時代にはついていけてない。
白状すると、ツイッターで古いタイプの評論家リストを作って突っ込んだ。
例えば名探偵コナンが毎年爆発的ヒットをかましている中で、コナンのあらすじさえ知らない宇多丸さんとかは古いタイプの批評家なのだ。
(ただ彼はコナンで儲けようとして1年前はじめて読んで本を作った人をラジオに招くなど、ついて行こうとはしている。ニワカに教えてもらう程度には)
彼らは彼らで培った知識があるし、言葉の切れ味も良い。消えてほしいわけでは無い。
新しい文化を受け入れなくなった時点で、きっと終わっていたのだ。
さて、これから映画クラスタ、批評家を名乗る人もいるだろう(批評家自体が時代遅れかもしれないが)。
その人たちは、アニメを追ってほしい。いや、追わざるを得ないんだと思う。
その時に流行っているアニメくらいは追って見ろとしか言えない。
アニメは見ねぇんだよとか言ってる映画監督も、そんなこと言ってるから庵野の演出に超されてしまったのだと気付かないんだろうか。
サブカルがメインカルチャーになったこと。星野源が小林さんちのメイドラゴン主題歌を真っ先にかけること。
いい加減認めたほうが良い。置いて行かれているのことに気付いてほしい。
『未来のミライ』評と『オーシャンズ8』評を聴いていて思ったんだけど。
評論自体が的外れとか、私の感性と合わないってことは前からあって別にそれは良い。
ただ、この2つの評で彼は自分の意見と違うことを言っている人に「攻撃」をしている。
『未来のミライ』では主人公の声が子どもっぽくなくて入り込めないと言う人に。
『オーシャンズ8』ではストーリーの起伏がなくてケイパーものらしくないと言う人に。
作り手にはこういう意図があるからそう考えるのは「おかしい」、という態度で評論をしている。
こんな風に「感性の良さ」でマウンティングをすることは以前はなかった。
宇多丸氏が絶賛する映画に対する否定的な意見もそれはそれとして尊重して扱っていた。
しかも、前者は親交のある細田守作品だから、後者は女性人気のある作品でリベラルとしては否定できないから絶賛しているようにも思える。
練馬ザファッカーのD.Oという人が大麻とコカインの所持で逮捕されたというニュースがきっかけで、ここ数日いろんな日本語ラップを聴いていた。
普段は全く興味がないニワカなんだけど、単に韻を踏むだけじゃなく意味の繋がりや歌詞全体の構成もよく考えられていて、凄いな、真似できないなと思った。
聴いていてつくづく感じたのが、ラッパーの一部にとって薬物を使用することは必ずしも悪ではないというか、(大麻は特に)かっこいいことなんだよね。
歌詞にもよく出てくるし、今回の逮捕を受けてのファンのコメントも「早く帰ってきてほしい」「こんな逮捕でイメージ悪くなったりしない」と温かいものばかり。
だから彼は懲役食らっても出てきたらすぐに元の世界に戻れるんだろうな。
犯罪でもないことで大炎上する世界と比べるとある意味羨ましく感じる一方で
何がどれだけ悪いことかという定義がその人の所属コミュニティ次第だというのを思い知らされて恐ろしくもある。
あと、ライムスター宇多丸みたいな"表"の世界でコメンテーターとかもやってるけど、元々のラップの世界に砂をかけるような真似もできない人は大変そうだなと思ったりした。