はてなキーワード: 合同葬とは
国葬とは何か。
これは「国家に功績ある臣下が死去した場合に天皇が指示して行う葬儀」のことだったが、
国葬令が廃され、天皇も主権者ではなくなった以上、戦前の「国葬」は完全に断絶したと言っていい。
直近の安倍晋三の「国葬」を除けば、戦後に行われた「国葬」は吉田茂の一例のみである。
その「国葬」は、国民が要請したわけでも、もちろん天皇が指示したわけでもなかった。
当時の総理大臣であり自民党総裁であった佐藤栄作の「強い意向」で決定されたものだった。
言うなれば「自民党の偉い人を称えるために自民党の偉い人がやりたくてやったもの」である。
知ってのとおり、国会で決められたものでも、法律で定められたものでもなかった。
無理を通してやったから、野党への根回しに随分と苦労したらしく(でもちゃんと了承を得てるんだからまだ偉いよね)、
「国葬」の名を冠してはいるものの、「国葬」そのものではないので、正式名称を「国葬儀」として誤魔化したりしている。
極端に言えば「自民党内閣が国葬だと称する謎の儀式」にすぎなかったのである。
佐藤栄作が死去したときも吉田茂と同じく「国葬」が検討されたという。
しかしこちらは退任後3年しか経っておらず総理大臣としての評価が定まっていないことや(安倍は…?)、
国葬に法的根拠がないままだったこと、また野党の反対などもあり、「国民葬」という形となった。
簡単に言えば「国葬は政府がすべての費用を税金で賄うが、国民葬は一部を国民有志の寄付により賄っている」である。
税金100%だと反対が大きいから、寄付を募ることでちょっと税金の割合を減らして誤魔化す。
「国家儀式だから税金を使う」という手段と目的が転倒して「税金を使えば国家儀式になる」とでも思っているように感じるね。
大平正芳が急死したときに、特に「現職の総理大臣として亡くなったから」という理由で、「内閣と自民党の合同葬」という形で葬儀が営まれた。
以降、現職かどうかにかかわらず、自民党の首相経験者の葬儀を「内閣・自民党合同葬」で行うことが、しれっと慣習化したという。
こうして見ると自民党は、
と徐々に範囲をズラしながら国家予算の支出を正当化してきたように思える。
しかしながら、本質的に「自民党の偉い人を称えるために自民党の偉い人がやりたくてやるもの」であるところは変わっていない。
たとえば不謹慎な仮定だが、民主党政権時の総理大臣経験者がたったいま亡くなったとして、
岸田内閣が(「国葬」でないにしても)その葬儀に国家予算を出すことはありえないだろう。
「国葬」「国民葬」「合同葬」などはどこまでいっても「自民党のセレモニー」でしかない。
にもかかわらず、「国葬」などと称することで、あたかも「国家の重大な儀式」であるかのように装おうとしているのである。
今回の「安倍晋三国葬儀の喪主=主催者を誰が務めるべきか」という問題の場合、
「国葬」が本当に「国家の儀式」なのであれば、安倍昭恵がつとめるべきではない。
(ちなみに安倍昭恵が「私人」であることは安倍内閣で閣議決定されている)
にもかかわらず喪主を安倍昭恵が務めるというのは語るに落ちている。
「国葬」がパブリックなのは「名称が国葬」「税金を使っている」といった表面的な部分だけで、
(しかし自民党支持者にとってはむしろ公私を混同したほうが良いのだろうなあ…根本にあるのが「安倍さんは頑張ったから盛大にお葬式してあげたい」という「私」マックスなお気持ちなので…)
「歴代首相は内閣自民の合同葬だったのに、なぜ安倍は国葬なのか」
に対する答えとして国葬支持派が
「在任期間が長く各国の首脳と交流があった安倍さんの葬儀にはたくさんの国の首脳が訪れるのだから、国を挙げて開催する必要がある」
って言ってたんだが、知らない?
今までの総理経験者も内閣と自民の合同葬だったんだから、それと同様でいいはず
弔問外交は国葬にこだわらずとも過去と同じく政府与党合同葬でも行えます。国葬の理由にはなりません。
当初、出席を表明された海外要人の欠席には日本国内の世論が少なからず影響。岸田総理が発信するのはまず国内でしょう。
これほどまでに「聞く力」を無視するのではなく。 https://t.co/QOaSzogBQh— 蓮舫💙💛RENHO🇯🇵 (@renho_sha) September 25, 2022
山上の行動がテロと定義されるかどうかは、定義の解釈にもよるし、あの行為を完全悪とみているのは壺しかいない。
多くの国民は、犯罪ではあるが山上に被害者的側面があったと認識している。
キッシーがかなり初期の段階で国葬の判断をしたのは結果的に勇み足となったわけだけど、まさかその後に、こんなに統一教会問題が炎上して国葬の是非にまで影響を与えると思っていなかっただろうから、当時を思えば致命的な判断ミスであったとも言えないな。近年で最大の権力者だった元総理が白昼堂々自作銃で暗殺されるという、日本史上に残る衝撃的な事件を受け、誰もが冷静さを失っていた時期で、総理も恐らくまだ冷静さを取り戻す前の決断だったのだろう。
自分は当初より、国葬だろうが内閣・自民合同葬だろうがどっちでも良いと思っていた。慣例通りなら合同葬になるけど、選挙演説中の暗殺ということを考えれば、公務員でいうところの殉職による特進のような形で1ランク上の国葬という判断もありかなと。なので国葬を行う根拠としての政府の説明にこの要素は欠かせないと思っていた。最近出た政府の公式見解にもこの要素が盛り込まれており、まぁ納得。
あとはもちろん法的根拠のところ。国葬について明示された法令上の規定はないとのことだが、それは合同葬も同じで、合同葬と同様の理屈で閣議決定でいけるとのこと。ひとまず法令に違反しないということはわかった(もちろん、法令で明文規定があるのが一番良いけど)。
はたして、ここ最近の最大の政治的な争点が国葬の開催の是非ということになったわけだが、もうお互い理屈ではなく後に引けない状況になっているので、どんなに議論しても歩み寄ることがないとわかっていて非常に不毛に感じている。政府がどんなに議論を尽くしても反対する野党の意見は変わる見込みはないし、野党がどんなに批判しても政府は撤回することはないことが見えている。論点もだいぶ出尽くしたし議論するだけ無駄、という状況である。
改めて考えると、やはり岸田総理が決断を早まったのかな、という気がする。新型コロナや物価高など、明らかに他に高い優先順位の政策について判断が求められる中、国葬にこだわって不毛な争点を作る必要はなかった。今後の改憲議論で世論を味方につけるためにも、国葬については妥協する、という戦略的な判断も必要だったのではないか。
とはいうものの、今更決まったことをウダウダいってても仕方なく、決断した以上は、国益にかなうよう海外要人に厳重な警護をつけたうえで混乱なく国葬を執り行ってほしい。
「民主主義を守る」だの「忌問外交」だの「テロとの闘い」New! だの後付の屁理屈ばかりでくだらない。
個人的には国葬儀にするのはありとは思っている。合同葬にしても公金を支出するのだし、政党が行うというのも筋が悪い。国の事業として行い、国の情報公開の対象にする、というのは理に叶うと思う。その場合、与野党問わず首相経験者、閣僚経験者は国葬儀を選べるようにし、遺族は辞退することもできる、という形にすべき。今回は時間がないので法制化は後から行う、で良い。それこそ閣議決定でそう決定すればよろしい。
そうした説明が行われれば賛成するのだけどね。後付の屁理屈ばかりでそうした説明は全く行われず、遺族の意向も無視している、身勝手な思惑で実行しようとしているとしか思えない。これでは賛成はできんわな。
そもそも「戦前の国葬」や「大喪の礼」と現在の「国葬儀」は別もの。
微妙に自民党も出資して「国家予算100%ではないですよ」と言って誤魔化すようになったのが「合同葬」。
成り立ちからしてクソだよ。
元総理だし額は別にいいんじゃねーの?とは思うが(海外からの来賓あるしセキュリティ担保は必要)
日中国交正常化させた田中角栄ですら国葬してないのになんの功績・実績があるから国葬???????
通例通り合同葬でいいでしょ
「故小渕恵三」内閣・自由民主党合同葬儀が平成12年6月8日、東京・北の丸公園の日本武道館で行われた。皇太子同妃両殿下を始め皇族方、衆参両議院議長、最高裁判所長官や国内各界の代表、クリントン米国大統領、金大中(キム・デジュン)韓国大統領ら特使、在京大使等世界153か国・3地域、22国際機関からの弔問客を含め約6000人が参列、平成12年5月14日に62歳で亡くなった正二位大勲位・小渕前総理の冥福を祈った。
ホンマにカルトの力って怖いよな
そもそも疑惑追求がてんこ盛りなのに実績が歴代元総理より薄いのに
「故小渕恵三」内閣・自由民主党合同葬儀が平成12年6月8日、東京・北の丸公園の日本武道館で行われた。皇太子同妃両殿下を始め皇族方、衆参両議院議長、最高裁判所長官や国内各界の代表、クリントン米国大統領、金大中(キム・デジュン)韓国大統領ら特使、在京大使等世界153か国・3地域、22国際機関からの弔問客を含め約6000人が参列、平成12年5月14日に62歳で亡くなった正二位大勲位・小渕前総理の冥福を祈った。
つか元総理や彼女が関わりがあったのは騒がれてる某宗教団体だけじゃないやん
おれおれ神道もでしょ