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2010-09-05

iphone とかipadとか

新しいipodtouchが発売される。値段も安い。

だから3世代を買ってみた。(つっこむな)

twitterはiシリーズサービスだからi関係のつぶやきが多い多い。

そして、皆が皆そろって絶賛してやがる。

そしてtouchをいやいやながら買ってみたのだが

自分嫌悪感がどこから来ていたのかわかった。

スマホiphoneなんて世間では少数派かもしれない。だけれど、twitter上では多数派。

ここだったんだろうな。自分がiシリーズに対する嫌悪感は。

所謂マクドナルドユニクロといった大衆性に似た感情だ。

きっと、少数派きどっていたら、多数派になっていましたよとかそんな感じ。

後、そういった皆がいいと言っているものに、自分が染まる事に対する嫌悪

自分は人と違うものを持ちたかった(iphoneは世間では少数派だけれども)というこれまでこだわりとおしてきた事に対する諦めに似た何か。

ああ、これで、自分ネットの中のカジェッターな人と横一列かとかいう失望感

結局、最適化されるんだよ。皆がユニクロ着て、ipadとか持つことが、効率いいわけだから。

こういう事に対して自分は気持ち悪いって感じる。

iシリーズ自分になじめない理由は、自分らしさを消して大衆を持ってきているところだ(カスタマイズできるけれど足りない)

何か、人の持ち物を触っているようなそんな感じ。

ガラケーだと機種とキャリアがかぶる事ってあまりないんだけれど、iシリーズは色とかケースでくらいしか差別化できないしiphone,ipodtouch,ipadあたりになってくると、1,2色しかないわけだからなおさらそれは感じる。

2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。

育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バス時間も早く、夕方差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。

みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。

高校卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地最初下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半風呂がなく、トイレ玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。

トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。

山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。

田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだあなたたちはそれを知らない。

盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方サービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要いから、田舎人間はそれを喜ぶのだ。

そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。

どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイのものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ


私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。




補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。

たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウン生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。

私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内はいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

2010-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20100807090834

黒髪ロングでスカートで色白で、

割り勘OKだが奢られても過剰でない程度の感謝の意を上手に示してくれて

おいしい店のおいしさはちゃんと分かるけれど、マクドナルドでもOKで

愚痴はこぼさず、女友達とのつきあいも上手にこなし、料理がうまくて一人暮らし

経験は少なめだけれど、SEXには適度に積極的で、気分のアップダウンが少なく、

とにかく自分に惚れてて、何をしても感激してくれる21歳の学歴並で正社員


…ならどうだろう?

結局、こういう女が好きなんだろ?

黒髪ロングでスカートで、

割り勘OK、マクドナルド大好き。

愚痴はこぼさず、女友達ともつるまず、料理がうまくて一人暮らし

フェラ騎乗位が上手でクンニが嫌いで、だけど経験は2回だけ。

生理の時は抜いてくれる。

しかも自分に惚れてて、告白してくれて、浮気してもちょっと謝れば許してくれる、21歳の低学歴派遣社員

俺は好きだ。

2010-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20100731173542

マジレスすればいいんだよ

俺「確かにAOSSボタンはついてるけど使ってない。全部手動設定してるんだ。で、接続に当たってはセキュリティの設定が必要なわけだけど、

その辺は出来るよね?WPA2で暗号化してるから古いDSはつなげないよ。WPA2の暗号化キーは16進数で設定してある。もちろん64文字でね。

もちろん暗号化キーだから一度しか言わないよ、キーは21537289ACEDE2153289F21890532ECFE213ね。設定できるよね?

それと、MACアドレスフィルタリングも設定してるから、まず君のDSMACアドレスを教えてほしい。当然ながらパケットキャプチャもさせてもらうよ。

ここまで聞いて接続できないというなら君には無線LANを使う資格がないとしか言えない。今すぐマクドナルドにでもパパとママと一緒に行ってきなよ」

暗号化キーはさすがに無理だろうが、それ以外はおまえらならすらすら言えるだろ

マクドナルド(通称マクドなう

こんなとこにガキ連れてきてダベる若い親連中はなんなんだよ。

子どもがギャーギャー叫んで走りまわってたら注意しようとは思わんのか。

そんなに今の子育てってバグってんのかよ。

俺いま19のゆとりだけどそんなの絶対許されなかったぞ。

枕踏んだり本を足で片づけたりしただけで皿洗いと風呂掃除させられたもん。

食事中に立ち歩くのは行儀が悪いって躾けられてたから、初めてドリンクバードリンクおかわりしたの高3だもん。

公の場所でデカい声出すなんてとてもとても。

俺の話はともかく、怒るときはしっかり怒ってしつけるのがそれが理想の親だろうが。

虐待虐待ってかまびすしい世の中だけどさ。

てかそもそももっとマトモなもの食わせてやれよ。

せっかくの昼ご飯だろうが。

ガツガツチーズバーガー喰わせてたらてめーみたいにピザるぞ。

まあ人の振り見て我が振り直せということで、今日フルーリーはガマンします。

2010-07-25

都心マクドナルドトイレ

繁華街マックトイレって、なんか便器の裏とか、タンクの横とかに紙袋とか隠されてるよね?あれ、なんなの?なんかの取引場所とかになってたりするのかな?

男子トイレなんで盗撮じゃないとはおもうんだけど、なんか気になる。

気持ち悪いから蹴り出しておくんだけどさ、ポテチとかお菓子の袋とかがそのまま入ってたりするんだ。

中身違うだろ!って気になるわけですよ。

でも、事件に巻き込まれるのやだからあけたことがないんだ。

こないだは新潟銘菓網代焼がトイレの手洗い場所に散らばってる光景に出くわしたことがある。

誰かあけたんだろうけど、なんなんだろう。何がはいってた?

おしえてください。白い粉系?

2010-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20100720100958

よし、もし10分割して500円で非贅沢品なら、10分割したのを10個買おう。あれ、単価500円だからこれなら非贅沢品?

いや、まったくもって、その通りなんだが?

ホールケーキと、カットケーキが同じだという人にとっては、分割したケーキを買えばいいんだろ?

ただ、一般的には、分割するとロスが出るので高くなる。

ホールケーキが3000円だとすると

6分割のカットケーキは600円になる。

贅沢品の税率が10% 食料品の税率が5%としても

3000円x1.10=3300円

600x6x1.05=3780円

ケーキじゃなくて、菓子類でも良いが、個別梱包は高いだろ?同じ値段じゃないだろ?

マクドナルドバリューセットを単品で買ったら、同じ値段か?

セットで高い税率払った方が得なこともある。

 

だから、一概には言えない。

いまでも、節税方式は山ほどあるのに、そんな細かいことを言っても仕方が無かろうと。

実際、値段が近ければ、数円とか数十円下げて、税率を変えることはあるだろうが、数百円、数千円はなれていれば、

下げようって思う奴はいないし、手間書けて、分割しようと思う奴も少ないよ。

いたとしても、それで物価が下がるなら、消費者として なにを文句を言うの?なにが不満なの?

2010-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20100718162626

負の所得税ってどうやって?

って話と それこそ、長期滞在の外国人労働者もいるなかで、負の所得税制度が煩雑になりすぎる。

長期滞在の外国人労働者からも、消費税は徴税することになるが、負の所得税を返すのかと。そうすると、難民などまで考えると、税収は減ってしまう可能性がある。

 

あと、徴税は科目に対して税率を変えるものであって、価格に対して変えるものではないかと。

なので、食料品という名目であれば、一律。

どこかの国のように、マクドナルドを持ち帰れば、食料品で減税。食べていけば、外食で高税。

高い肉でも持ち帰れば低税率 安い肉でも食べていけば高税率かと。

もともと、税率であって、税額ではないから。高いもので低税率でも額面はある程度あるわけだし、いいのではないだろうか?

 

あと、やるべきなのは、家賃は低税率で、不動産収入には高税率とかやるべきだね。

地下げがおこらないと、この国は住みにくい。

http://anond.hatelabo.jp/20100718012329

消費税に関してなんですが、

確かにそういう段階税にする考えもあると思います。

ただ段階税にする場合考えなければいけない点が2点。

まず一つに、どこまでを「必需品」としてどこまでを「ぜいたく品」とするか、という問題。

例えば米とかだとわかりやすいけど、じゃあ100グラム1000円の肉とかは?10000円だと?

しまむらは必需品だとしてポールスミスは?エルメスは?

となるわけです。また、例えばおかし付きおもちゃとかの扱いも難しい。

欧州の某国では、マクドナルドテイクアウトは課税でイートインだと非課税とかいう

アホらしい事態も起こってるらしいです。

その辺の線引きがかなり難しく、コンセンサスをとれるのか、というのが1点。

もう一点が、税徴収コストの問題。

消費税は、税収に対して税徴収コストが少なく、その意味で「効率的」だったのが

色々めんどくさくすると税徴収コストが膨大になって、増税意味が薄れますよ、と。

まぁそれでも15とか20%にするなら必要だと思いますけどね。

2010-07-10

マクドナルドジューシーチキンクレーマー扱い

ジューシーチキンを食べた。生だった。


店員に見せると新しいのを持ってきた。

でも、さっきのは生じゃないと店員は言った。


そんなはずはない、ではもう一度一緒に見ましょう。

そう言うと店員は持ってこれないと言いはった。


ではなぜ新しいのを持ってきたか、と尋ねると

店員は、あなたが不満を言ったからだ、と言った。


でももう気持ち悪いからいらないと断ると、

店員は、いやそれは困る、食べてくれと言った。


埒があかないのでサイトから顧客相談窓口に相談した。

すると1週間かかってようやくメールが帰ってきた。


内容は、「私以外からは苦情がきていない」が主文で

あとはテンプレートのようだった。心がまるで通っていないメールだった。



安さが売りの会社に期待してはいけない。

私が間違っていた。

2010-07-02

どんな無能でも実施できるものがよいマニュアル

anond:20100702010352

上司共々ちらっと話したけど、折角作ったマニュアル全然活用出来てない。

それはマニュアルが悪い。

マクドナルドの接客マニュアルレベルに手とり足とり書かないと、人は期待通りには動かないよ

2010-06-20

英語が出来ない奴をクビにすべき3つの理由

http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/810ee47297d49033c2a4b43a0a5216e0/page/1/

http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/12e944b3494ce767ea7f03b7b7d051d9

楽天社長さんが「英語の出来ない役員はクビだ」と言ったのが色々と盛り上がっているようで。海外で働いていると、この社長さんの危機感が痛いほど分かるので、少し書いてみた。

能力5割引で勝負させられる

「これからの時代は英語が出来ないと~」というネタは既に数十年は語られた手垢のついたネタであって、それに対する反発も大体類型化されている。そのひとつが、「英語が出来なくても、実力さえあればちゃんと認めてもらえる」というもの。これは間違ってはいない。東大先生でも、英語をしゃべるのも聞くのも全く駄目なのに世界的な知名度を勝ち得ている人はいる(ハーバードだかどこかのセミナーでは、全ての質問に"I don't know"で通して聴衆を困惑の渦に叩き込んだとかいう武勇伝を聞いたことがある←うろ覚えだが)。ただし、これはそこら辺の常人から抜きん出て優秀な天才にだけ通用する文句だと思ったほうがいい。

大概の場合、説得力を生むのは話の内容ではなく、本人の態度と場の雰囲気だ。まず、英語が出来ないと自信を持ってしゃべれない。これだけでプレゼンの説得力は2割は下がる。更に聞き手は、聞き取りづらくて文法間違いがあちこちにある英語を、脳内補正しながら内容を咀嚼せねばならない。この場合プレゼン完璧に理路整然と組み立てられていないと、聞き手のストレス限界を超える。そこまでのプレゼン巧者はそうはいない。それどころか、日本人プレゼン英語以前の問題として構成が下手糞なケースが多いように思う。これで更に2割引。

更に厳しいのは質疑応答。質問に対して短くかつ的確に答えるのが理想だが、そもそも質問を聞き取るのが一苦労だ。特に、予想外のところに突込みが入ってしまうと類推が効かないのでお手上げになる。ここで聞き返す勇気を持てずに適当な返答をしてしまうと、「こいつはただの馬鹿なのか」という疑念が聞き手の胸中にわきあがる。そしてこの疑念は、「お前は何の資格があって俺の貴重な1時間無駄にするのか」という怒りに直結する。ちなみに、この怒りをはっきり口になさる正直者も少なくない。

1年ほど前に他社のプレゼンに顔を出して日本人プレゼンを聞く機会があったのだが、ほぼ上のケースにはまっていて頭を抱えたくなった。後ろのほうで聞いていて、聴衆が盛大な誤解をしているのが分かる。そしてその誤解に基づいて的外れな質問をして、それにスピーカー日本人イエス、とか言ってしまっている。そのプレゼン日本採用されている或る技術規格を欧米でも採用すべきか、それとももっと急進的なプラン採用すべきか、というものだったのだが、聞き手は「日本が急進的な規格を採用しなかったのは、奴等が臆病だったからだ」という確信左手に抱えて会議室を出ていった。

ちなみに、この日本人英語力は日本でならば十分に水準以上、TOEICなら900点は余裕で超えているだろうというレベルである。能力的にも、少なくとも聞き手の多くより優秀だったのではないかと思う(主観)。それでも、この体たらくなのだ。おつむが多少足りなくても英語の出来る人間を採りたくもなる。さもなければ同時通訳を同行させるかだが、あんなコストの高い人たちを社長重役以外の出張にも同行させるのは現実的ではない。

酒が飲めない

欧米コネ社会である。人脈作りに対する意識は高い。じゃぁどうやって人脈を作るのかといえば、やっぱり酒が手っ取り早い。国際会合か何かの後には、大概みんなでバーにしけこんだりするものだ。そこで仕事の話の続きをしたり、馬鹿話をしたりして仲良くなって、顔をつないでいく。大切なチャンスである。

なのに日本人は大概これに参加しない。気持ちは分かる。苦痛だもの。席のあるディナーなら、話の輪からはじき出されはしないという安心感がある。でもバーではそうは行かない。みんなめいめい話の輪を作って話し込んでいる。彼らの話もろくに理解できないのに、いったいどうやって話の輪に混ざるというのか?女性なら壁の花を気取っていても絵になるが、男が壁際でちびちびビールをやっていても見向きもされない。つい何度もトイレに行って時間をつぶしてみたりしてしまう。あんな苦痛を味わうくらいなら、マクドナルドハンバーガーでもかじっていたほうがましである。

でも、それをやっている限り、誰も太平洋の彼方、ガラパゴス諸島よりも更に遠い島の出来事を気にしてはくれない。知らないんだから、気にかけようがない。これで日本が失っている有形無形の利益は、無視できる大きさではないと思う。

ニュースソースが狭い=話題が狭い

人脈をつなぐ方法は酒だけじゃない。メールでもいい。バーで立ち話よりも100倍簡単だ。でも、特に用もないのにメールを送るのもはばかられる。そういう時に物を言うのが手持ちの「ネタ」の数だ。何か面白いネタを仕入れて、「これ面白いよ」と送る。何人かからは返事が返ってくるかもしれない。そこから何か話が回りだすかもしれない。こういうことをまめにやっている人は結構多い。しゃべるのは下手でも読み書きなら何とかなる日本人にはお勧めの方法だ。

しかし、普段英語ニュースソースを読みなれていないと、これが出来ない。もちろん、日本語情報量馬鹿にならない。世界トップクラスだとは思う。仕事日本語の本を読んでいると、たまにこう驚かれる。「なんで仕事日本語の本を読むの?」 ほとんどの国では、専門書は英語で読むものであって、現地語でマニアックな本が翻訳出版されていることなど、考えられないのだ。

しかしその日本語でも、英語情報量には及ばない。なにしろ、世界中の優秀な人の大多数が使う言語である。アメリカ人日本人教養レベルが同じか、仮に日本人のほうが上だったとしても、英語話者の教養水準は日本語話者のそれよりも高くなってしまうのは、残念ながら事実だ。日本語ソースだけで、「おっ」と驚かれるネタ提供し続けるのはかなり難しいと思う。大体、日本語ソースだと翻訳しないといけないので、時間がかかりすぎてやっていられない。こんなことは仕事の片手間でないと継続できるわけがないのだから。



もちろん、以上の話は現在と将来に海外の人と付き合う可能性のある人にだけ当てはまる話であって、それ以外の人をクビにする必要などない。大体、英語学習は本当に時間がかかる。年を取れば取るほど効率が悪くなる。必要もないのに「なんとなく」英語勉強するのは人生無駄遣いだ。それよりも子供と遊ぶ時間を増やしたほうが遥かにましだろう。

でも、将来海外を相手に仕事をする可能性があるのなら、早い段階で一度海外仕事をする選択肢を考えたほうがいいと思う。もし理系スキルを持っているのなら、海外仕事を得るのは思っているよりも簡単だ(最近どの国も労働ビザを出し渋る傾向があるので、現地の大学院留学して、そこで同期と一緒に就職活動をするのが手っ取り早いと思う)。欧米会社は、特にアメリカでは、日本人想像する以上に機会をくれる。その会社が必要としているスキルさえ保持していれば、英語はそこまで問題とはされない。こんなえらそうなことを書いている自分も、入社した当初は「お前が何をしゃべってるのか全く理解できない」と言われていたんだから。

上で書いたことと矛盾してるじゃないか、と思う人もいるかもしれない。でも、最前線の兵隊にプレゼン能力コネも必要ない。言われたことをちゃんと出来さえすれば、それ以上は要求されない。そこから軍曹殿に成り上がるためには、どちらも必要になるのだけれど。でもどうせ軍曹クラスにまで出世するには数年はかかる。その数年、必死で食らいつけば、最低限の英語力は身につくというわけだ。そこからは自分努力能力と社交性を賭けた勝負になる。

そして、そのころには、楽天社長さんと同じような「危機感」を共有するようになっているんじゃないかと思う。


(ちょっとだけ追記:酒が飲めなければ、コーラを飲んでおけばよい。宗教上駄目な人も多いし、その辺りにはおおむね寛大。大学生とかだと事情は違うかもしれないけど。要は、その場でくっちゃべれるなら問題ない。)

2010-06-13

2010/6/13 場違い

35歳男。

休日に一人でマクドナルドで食事。別に普通、なんとも思わない。

休日に一人でモスバーガーで食事。場違い感を感じまくる。

なんでだろう?

2010-06-11

しばらくぶりに中野に行った。

相変わらず人がたくさんいた。マクドナルドに入ってハンバーガーを食べたがほとんど味がしない。

暑いのに癖でホットコーヒーを頼んでしまったことを後悔。

中野にはマニアック映画館があるはずだが、まだあるだろうか。

あとすごくマイナー演劇をやるテルプシコールはまだあるんだろうか。

打ち合わせの帰りに早稲田のお世話になった会社挨拶にいくつもりだったが、

打ち合わせの内容がすぐに作業を要求するものだったので寄る時間がなかった。

先に行くべきだった。

はてブ戦争の話を読む。自分がちょっとでも好意をもっているなら、相手を大切にすべき。

プラトニックな愛はとても大事だと思った。

自転車が来週組み上がってくるらしく楽しみだ。

今度はどこに行こうか。どんな深い山にいけるだろう。前よりも遠くに早く行けるようになっているはず。

これからは自転車にとってよい季節になる。夜でさえも走れるのだから。

すべての道を支配している。

さっき蚊がいたけど見失った。どこにいったんだろう。

2010-05-30

配慮の足りない男

今日、とあるマクドナルドチキンタッタ食ってたら隣に席取りしてきたであろう若い男と女の集団(男2女1だったか?)が現れて、明らかに隣は離れてるのに

「隣に座る」「やだあ」と男の人が言ってきた。

どう考えても配慮が足りない。

結局隣は女性が座ったが、女性の方がわりかし常識的だったような気がする。

2010-05-24

マクドナルドでチンタラ仕事してる連中がいるのに、俺には仕事が無い。

代わってくれ。頼むから。

2010-05-17

小手指ウォッチング 一日目

小手指モスバーガーで昼食を摂っていると、男一人、女二人の大学生と思しきグループが、談笑しながら通りを歩いている。

これから彼らはアパートの一室で3Pをする。そう直感が告げた。

直感でなくても、最近高校生セックスを覚えてから大学にくるので、目的は違っても手段としてカラダを求めることはあるだろう。

不況のさなかに危機感が無いと思われるかもしれないが、あくまでも彼らは、将来を嘱望されたエリート候補である。バッファはそこらの大学生とは比べものにならないだろう。

新学期も始まってまだひと月である。

しかし、彼らの風貌はよくいるリア充そのものだ。髪を染め、適度に着こなし、適度に肌の手入れをする様はまさしく現代の若者その者であると言えよう。

所沢早稲田大学の巣である。正確に言うと所沢には日芸や他の専門学校もあるのですべてがそうだとは言わないが、その環境早稲田大学生に特化したものである。

私が昼食を摂っているモスバーガーこそ社長日大だが、周りを見わたせば西友西武鉄道西武タクシー西武球場西武グループの管轄内に有り。

銀行三井住友銀行支店を出していて、みずほ銀行出張所こそ出しているが、支店ではない。MUFJに至ってはATMである。なんという待遇の違い。

出している店の数々も早稲田生をターゲットにしている。西友に似つかわしくないスタバみずほマクドナルドボボラマーマが西友と同じ敷地内にある。

通りの向かいにミスド和民、早稲アカなど、「ポスト早稲田生ならここを使え」と言わんばかりのメンツである。

ちなみに小手指駅は始発で鉄道が出る場所でもあり、交通の便はよい。

駅前のバスターミナルには、朝早稲田大学生と見える大学生が、エンジ色で早稲田大学の装飾が施された送迎バスを目当てに、開店前のラーメン屋のごとく列をなしている。ざっと20人はいるだろう。もっとかもしれない。これは大学イメージとしてどうなのだろう、と個人的には思っているが、まあ彼らはそれで満足しているのだから、何も言うまい

そんな小手指にも、将来を期待されてか、大手企業が手をとり、「小手指タワーズ」なるものを建設することが既に決定している。先のマクドナルドの向かい、MUFJのATMの隣の建物は、タワーズの外観ショールームを常設展示しており(水曜定休)、小手指で骨を埋めようという人たちに強烈なイムパクトを与えること請け合いである。

しかし、駅前に10階以上のビルが建つと、駅がひどくしょぼく見えるだろう。おそらく、そのタワーズ完成にあわせて駅舎も建て替えるにちがいない。そうでなければ駅前のなか卯オリジン弁当がかわいそうだ。

2010-04-21

今日の会話

上司(三十代前半)の会話にはパターンがある。

この世の人間には「上」と「下」があるということを強調し、それを見分けるラインがあるという。

レストランで、1分以内でメニューを決められない

トイレの「大」が2分以上かかる

マクドナルドで、フライドポテト用にケチャップを付けるよう頼む

・グレーや黒のTシャツを着る

・○○県出身である

無趣味

以上に当てはまる人間社会の「下」に位置する人間だとし、仕事はやらないと宣言している。

正直俺はもう、この党大会に毎日出席するのが嫌になった。

こんな人間の下に居るべきではないんだろう。でも未だに辞めてない。

2010-04-15

グローバル企業ねぇ・・・・

グローバリゼーション意味

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100407

ちきりんのこの論法に従ったら、Googleスターバックスグローバル企業じゃなくなる気がするが。

多分アップルグローバル企業じゃなくなるだろう。

スターバックスなんか、「フラペチーノ」を出すのに、どんだけ苦労したかっていう話があったしな。

ケンタッキー分からんが、コカコーラだってグローバルじゃなくなるだろうな。

マクドナルドグローバルかな?日本以外でどういう風な企画とか通ったり通らなかったりするのか知らないけど。

てか「ちきりんが絶賛する定義」でのグローバル企業なんて世界にどんだけ存在するかってレベルだと思うがな。

2010-04-14

東横線日吉駅を最寄りとする住宅街に友人が住んでいる。

僕はその友人に呼ばれ、その駅に降りた。

ステーションには雪だるまの体にぴったりな銀球がある。

そこに私服学生が群れており、まっすぐ進むと某私立大学がある。

私はそこにポロシャツを着て臨んだわけだが、彼らは私を目にすると嘲りの表情を浮かべる。

おそらく、服がダサいよ、僕の通ってる大学にはそんなかっぺファッションは通用しないよ、ということを主張したいのだろう。

実にぬるい生き物である。ステータスの高い大学にはステータスの高い服装が求められる、ということなのだろう。

僕はそういうベニヤ板環境は好んでいないので、彼らに笑みを浮かべておき、友人の家へ足を急ぐこととする。

しかし、腹が空いた。友人に気を遣わせてもあれなので、とりあえず何かで満たしておこうと思い、マクドナルドへ入る。

案の定、中にもそういう人でごった返していた。都会には都会の空気がある。それを察知できない田舎者はトンペーにでも通っていなさい、と言いたい空気であった。

私はそこでホットアップルパイを注文する。外は暑いが、食べたいものは変わらない。

中の空気が悪かったが、我慢して食べる。視線も刺さる。ああ、そうだ。俺はここの人間じゃない。わかっているからその目をこちらに向けないでおくれ。

ダストボックスゴミを入れ、外に出る。むっとする室内と、からっとした室外のコントラスト。僕は嫌いじゃない。

2010-04-06

都会に住むということ

千葉某所の職場からバスで30分弱の社員寮から出ることになったので、

遠くなるけど、もっと都会のほうに住むことにした。それがX年前。

山手線の内側。地下鉄の駅から徒歩3分の、そこそこ便利な立地。住宅ビジネス街が入り混じる。

最初の通勤時間電車で1時間ちょい。1回乗り換えあり。

途中から職場が都下に変わったので、ちょっと近くなった。通勤時間50分、乗り換え1回。

1日1時間通勤時間増加は辛いかなぁと思っていたんだけれども、電車だと本が読めるんだよね。

娯楽の本も読むし、技術参考書とかも読んでる。

家だとどうしてもネットに逃避しちゃうところ、電車だと妙な集中力が働いて、どんどん読める。

これは良い副産物だった。

仕事関係はこんなところ。

あとはプライベート

出不精がかなり改善された。

前は、都内で飲もう!ってなると、帰りが大変だよなぁとつい二の足を踏んでしまったんだけど、

今はすぐ帰れるから(最悪タクシーでも)ハードルがすごく低くなった。

映画とか、20時半開始でも余裕で電車で帰れる。終電はあまり気にしない。

博物館とかに行くのも一仕事だったけど、今は金曜日時間延長とかすごく便利に使えてる。

都内でコンサートがあっても、定時でさくっと終われば間に合うのが便利。帰りも楽だし。

行動範囲が広がった。選択肢が増えた。

寮にいたころは、家の周辺と、会社の周辺と、数駅先のショッピングモールと、たまに都内に出るくらいと

すごく限られた範囲だったけど、

今は通勤途中にちょっと下車してみたり、一駅足を伸ばしてみたりして、お店の開拓とかもできる。

本を買うにしても、池袋ジュンク堂リブロか、新宿ブックファースト×2&紀伊國屋書店か、選ぶ余地がある。

家電もビックやヨドバシやヤマダもあるし、秋葉原に行けばジャンクだって買える。

夜中にお腹が空いたら、マクドナルド松屋コンビニも歩いていける範囲なら両手分くらいはある。

便利すぎてもう離れられないかもしれない。

でも、いいことだけではない。

物価微妙に高かったり(すごく高くはない)、治安微妙になってきたり(公園ホームレス

都会の住宅地ならではの欠点はある。

それでも都会がいい。

自分にはここが合っていた。

2010-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20100324150449

マクドナルド大学生と言わず、高校生でも戦力にするよねぇ。凡人に非凡な成果を上げさせることが組織の役割であり、その組織を作るのがマネジメント(上司)の役割。

2010-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20100303170135

中の人が誰かとかは知らんけど、俺もそう思う。マクドナルドは上手すぎる。あんな糞商品を安くもない値段で、それであれだけ流行ってるんだから。

牛丼屋は勝手価格競争激化させていった感じ。

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