うちも認知症の祖母結構な期間介護してたから気持ちは良くわかる。2年くらい前に死んじゃったけけどね。
経口補水液のゼリーとか、赤ん坊用の離乳食とかイヤイヤって拒否する祖母の口に流し込んでた。
トイレも出来なくなってるから、家で介護してた時もそこらじゅうに糞尿垂れ流してた。
普段下ネタ嫌いな母が片付けながら「これがホントのクソババアだわ」って言ってた。
食事を与えたり着替えさせたり世話するたびに、なんでも嫌がってよく助けて助けてってわめいたらしい。
自分が誰なのかも、目の前の娘たちのこともわからないし、何故自分がこんな状況になってるのかも
本当に何もわからない。
晩年の祖母を見舞った時の印象はとにかく不安そうでおどおどしてて
怖い目に会いたくないからかずっと愛想笑いみたいに引きつった笑顔をしてた。
自分はというと、その時期もう実家出てたし年に数回帰るくらいだった。
母は、もっと帰ってきてくれとか、今の仕事辞めて実家に帰ってこいとか無責任なこと言ってたな。
それだけ心身ともに母もキツかったんだろうけど、それでも自分は往復8時間かけて帰省する機会を増やす気にもならなかったし
ただ生き長らえさせられてる祖母に会うのも嫌だったし、あってもどうせ祖母は自分のことは分からない。
だから当時はそういう時間を自分の生活のために使ったし、今もそのことを後悔したりとかは特にない。
比較的近くに住んでいた弟は頻繁に帰ってたみたいだけど、俺のいないところで薄情野郎って思ってたろうな。別にいいけど。
とはいえ、必死に祖母の世話をする母たちにもうやめなよとはいえない。
何故なら、母たちにとって祖母だけが本当の意味での肉親だからだ。
祖父はもう10年以上前に死んだが、その祖父の無茶に振り回されながらも必死で子どもたちを祖母は守り続けてきた。
どんな時も味方であり続けた。その無償の愛の重みは他の人間には分からない。俺ら家族でも全部は分からない。
やっと終わったんだなって、当事者でもないのにホッとしてしまっていた。
最後に棺桶閉める時も手を合わせて、今まで大変ご苦労様でしたってそれだけ言った。
葬式は生きて残された人のためにやるってよくいうけど、終末介護も同じだよ。
今まで散々苦労かけて育ててくれた親だもの、最後くらいは自分の好きなように世話して、
寝たきりでもなんでもいいから生き続けて欲しいって思っちゃうんだよ。
もはや祖母の自我とか意思とかどうでもいいんだよ、ただ死んでほしくないから世話し続けるんだよ。
理屈とか合理性とは全く逆の判断だよね、でも人間だから最後は感情で動くんだよ。
今の自分なら子どもを育てることが最優先になっちゃうな。薄情と言われても自分の妻子の方が守りたいもの。
でも20年後ならまた違うんだろうなあ。
こんな状態で生きるなんていやだ。 うちの祖母は86で、15年前くらいからアルツになり、在宅介護を続けていたが6年ほど前からは施設で寝たきりになっている。 寝た認知症もかなり進み...
うちも認知症の祖母結構な期間介護してたから気持ちは良くわかる。2年くらい前に死んじゃったけけどね。 介護は母と独身の叔母が付きっきりだった。 経口補水液のゼリーとか、赤...