はてなキーワード: 滝川とは
というのを検証してみようかと思ったのだけれど、それに際して面倒くさい前提をいくつか踏まえないといけない。
鉄道ファンの面倒くさいところとして、「鉄道の旅である以上持っている切符で乗れるところは鉄道に乗らなければ」というのがある。
その伝で言うと、函館青森間は青春18きっぷだけでは乗れないのだけど、2300円のオプション券を追加購入して、道南いさりび鉄道五稜郭〜木古内間と、北海道新幹線木古内〜奥津軽いまべつ間を乗ることができる。奥津軽いまべつ駅に隣接するJR津軽線の津軽二股駅から再び青春18きっぷの旅を再開することになる。
ただ、問題は道南いさりび鉄道もJR津軽線も著しく運転本数が少ない上に、どちらも北海道新幹線との乗り継ぎなんか全く考慮していないダイヤとなっていることで、結果函館青森間の移動に6時間7時間は平気でかかってしまう。実にアホくさい。これに対して、津軽海峡を結ぶフェリーは所要時間4時間弱、津軽海峡フェリーが1日8便で2220円から、青函フェリーも1日8便で1600円から。これなら鉄道ファンでもフェリーを選んじゃうよね。
JR北海道の経営難はつとに知られたところだけど、9年前とくらべても青春18きっぷで乗れる普通列車が経営難のあおりを受けてかなり減った。減っただけならいいんだが、JR北海道のダイヤ編成は、伝統的に普通列車から普通列車への乗り換えを全く考慮しない。乗り継ぐべき列車が前の列車の到着の直前、3分4分前に発車してることはザラにある。「普通同士の乗り継ぎなんて認めん、何が何でも特急料金払って特急に乗れ」と言わんばかりのダイヤを組む。まともな客はこんなことで腹を立てないだろうし、長距離を乗る客には安くて便利な切符は別にあるのだけど、18きっぷの利用者にはそういうことになっている。
とりあえず、今回は特急使わなくても鹿児島まで余裕で行けるのだけれど、ムーンライトながらを取れないときとかはこっちで時間短縮するしかないかも。
というわけで、旅程を考えてみた。
知床斜里 0728 - 0949 北見(4724D→4656D)
【旭川発1347の滝川行普通に3分だけ間に合わず2時間半足止め。こういうことするから北は嫌い】
岩見沢 1805 - 1843 札幌(区間快速いしかりライナー)
【札幌発1843の小樽行快速エアポートに連絡できれば1日目のうちに長万部まで行ける。札幌圏は混んでるから接続できないのはわかるけど悔しい】
札幌 2028 - 2114 小樽(区間快速いしかりライナー)
【この辺は時間と列車に余裕があるので札幌で止まらず小樽まで行ってもいい。オフ会なら札幌かなと】
【もう一本遅い列車もあるので、札幌なり小樽なりで時間が必要であればそちらでも可】
【これもあと10分くらい早く着くとギリギリ12時出港のフェリーに間に合うかもなんだが……。まあ函館で昼飯食おう】
【ほぼ同時刻にもっと安い青函フェリーも出るのだけど、次の列車への乗り継ぎを考えるとこちらを選択】
【この列車に乗るために青森ではなく新青森へ向かって、かつフェリーも早い津軽海峡フェリーを選択する】
【オフ会】
【オフ会】
JR北海道の学園都市線(札沼線)、北海道医療大学~石狩当別の廃線方針が打ち出された。まあだいぶ前からそうだろうなあって感じだったけど。増毛~留萌とか、富良野~新得と同時に発表されたけど、学園都市線にはなんか違和感がある。そもそもなんで学園都市線のこの区間って今まで残ったんだ?と。
石狩沼田~新十津川を廃止して、札沼線なのに札幌と沼田を結んでいない状況になった時点で、あえて残すぐらいこの区間はそんなに客がいたのかどうか疑問だ。
地図を見ると、札比内~新十津川は函館本線にかなり近いところを走っており、車で10数分行けば函館本線の駅に出れる。新十津川などバスで10分で特急停車駅の滝川駅に出れる。となると、残す価値があったのが疑問である。札沼線の本数が十分あったとしても、これでは滝川周りのが便利そうだ。特急もあるし。
流石に北海道医療大学の次の駅なので、札沼線で行ったほうが札幌までは早いが、5分程度である。
これらを考えると、当初の一部廃線時に、北海道医療大学までとは言わなくても、車で函館本線に10数分ラインである札比内あたりまでか
ちはやふるに感化されたの巻.
覚える順に書く.
上の句の先頭一文字が「むすめふさほせ」のものは1句ずつしか存在しないそうで.
(村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ)
意
にわか雨のしずくがまだ乾かずにとどまって輝いている針葉樹(杉や檜)の葉に、霧が谷間から涌き上がってくる秋の夕暮れの光景よ。
(住の江の 岸による波 夜さへや 夢の通ひ路 人目よくらむ)
意
住之江の岸に寄せる波の「寄る」という言葉ではないけれど、夜でさえ、夢の中で私のもとへ通う道でさえ、どうしてあなたはこんなに人目を避けて出てきてくれないのでしょうか。
(めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな)
意
せっかく久しぶりに逢えたのに、それが貴女だと分かるかどうかのわずかな間にあわただしく帰ってしまわれた。まるで雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のように。
(吹くからに 秋の草木(くさき)の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ)
意
山から秋風が吹くと、たちまち秋の草木がしおれはじめる。なるほど、だから山風のことを「嵐(荒らし)」と言うのだなあ
(寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ)
意
あまりにも寂しさがつのるので、庵から出て辺りを見渡してみると、どこも同じように寂しい、秋の夕暮れがひろがっていた
良暹法師
(ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明(ありあけ)の 月ぞ残れる)
意
ホトトギスが鳴いた方を眺めやれば、ホトトギスの姿は見えず、ただ明け方の月が淡く空に残っているばかりだった。
(瀬を早み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の われても末に 逢はむとぞ思ふ)
意
川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれる。しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれても、いつかはきっと再会しようと思っている。
http://www.nishinippon.co.jp/flash/f_kyushu/article/101609
で、今が異常なのかどうなのか分かるだろ、マスコミは
で、最近焼けたやつは治せるのか、いくら必要になるか、治そうとしてるやつはいるのか報道しろよ
韓国人が神社の木にマッチをあてる遊びだの流行ってるし、靖国に放火未遂いくらでもあるし、なんとかしないと神社全て焼かれるぞ。
昨年の火事でこんだけある
4月10日 東京都高尾市 千代田稲荷大明神の拝殿全焼 賽銭箱が空で逆上し放火された
5月1日 東京都三鷹市 井の頭公園内の親之井稲荷尊神社から出火
どの国でもあるいはどの宗教でも、死んだあとどうなるのか? は一大テーマだ。キリスト教は神の国に行くし、仏教は輪廻転生するし、神道は死んだら神様になる(そしてまた人間に戻ったりする)。
http://www.hachimangu.com/cgi/kouwa/kouwa.cgi?mode=one&namber=199&t...
神道では、人間が死ぬと、すべて神になると考えています。これは、私たちの魂は神から頂いた、神の分け霊、分霊と考えるからです。神の分霊なんだから死んで霊界に帰れば神に戻ると考える訳です。
私たちが死ぬと肉体と魂は別々になります。死んでまもない魂は、霊界での初心者、若葉マークの霊であると思います。肉体と魂が離れても実感として分からない時期、まだ死を認められない霊なのです。病気やケガで足を切断した人が、ないはずの足がかゆくなったり、痛くなったりすると聞きますが、そのような、まだ肉体のあった頃の感覚が離れられないでいる時期が若葉マークの霊であろうと思います。肉体の感覚が残っている内は、この世での執着心も残っているのです。
「自分は死んでしまったのか。それではもうこの世にはいられない。神の世界、仏の世界、御先祖様の世界へ還ろう。そして、魂の修行をして、神となって子孫を守っていこう」と決心したならば、執着心も切れて、迷うことなく霊界へ行くことができるのです。
この引用は一例だが、洒落怖あたりをみてもなんとなくこういう意識を持っている日本人は多いように思われる。仏教が入ってくる前の神道だと魂の修行とか言うのはなかったと思うが、その代わり祈祷などで鎮めていたのではないかな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A8%E9%9C%8A#cite_note-Yahoopedia-2
憎しみや怨みをもった人の生霊や、非業の死を遂げた人の霊。これが生きている人に災いを与えるとして恐れられている[2]。
霊魂信仰の考え方では、霊魂が肉体の中に安定しているときその人は生きていられる、と考える[2]。怨みや憎しみなどの感情があまりに激しいと、霊魂が肉体から遊離して生霊となり災いを与える、と考える[2]。
ちなみにこの死者が安楽に辿りつけない場合もあるという考えは日本固有ではないが、一神教系だと地獄にいくことがおおいようだ。アミニズムは現世に災いをもたらすらしい。
有名なのは平将門ですよね。生霊といえば源氏物語の御息所。医療や科学が発達していなかった時代に、アミニズムはそれを神様がやったってことで納得していた。一神教の場合も神の試練だと、仏教は功徳が足りないと思っていたのか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0
政争や戦乱の頻発した古代期を通して、怨霊の存在はよりいっそう強力なものに考えられた。怨霊とは、政争での失脚者や戦乱での敗北者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊である。怨霊は、その相手や敵などに災いをもたらす他、社会全体に対する災い(主に疫病の流行)をもたらす。古い例から見ていくと、藤原広嗣、井上内親王、他戸親王、早良親王などは亡霊になったとされる。こうした亡霊を復位させたり、諡号・官位を贈り、その霊を鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」として霊は鎮護の神として平穏を与えるという考え方が平安期を通しておこった。これが御霊信仰である。また、その鎮魂のための儀式として御霊会(ごりょうえ)が宮中行事として行われた。記録上、最初に確認できる御霊会は、863年(貞観5年)5月20日に行われた神泉苑で行われたもの(日本三代実録)である。
仏教的にはどちらかと言うと荒神の信仰に近いものかな。阿修羅とか。
靖国神社もそもそもはこの御霊信仰のもと建てられた神社である。
http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html
靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
前進は明治2年にできているので、戊辰戦争の御霊供養のために建てられた神社であり、その後の日本内の内戦および諸外国との戦争でなくなった人々の供養をしている、ということになっている。
政府のたてまえとしても、靖国神社参拝は御霊供養のため、ということになっており、単純に墓地に行くのとはまた違う意味合いを持っているようだ。そもそもが怨霊を鎮めるためのものなので、死に方(戦死・処刑)に関しては問わない。ところでここって空襲で亡くなった人は入ってるんですかね?それはまた各自か。そもそも神社って系列があるし、霊魂はどこでもいけるしな。
こうしてみると、靖国にA級戦犯が眠っているから参拝してはいけないというのは的外れで、むしろそういう人がいるからこそ供養はせにゃならんということになる。祈る内容は「もうしません」でも「つぎはぜったいかちます」でもなんでもいいわけだが、とりあえずこの観点から反対するのは無理筋だろう。
んで次に気になるのは、別に首相がいかなくてもいいんじゃね?という点である。
多分これは崇徳天皇のせい。
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ
いろいろとロマンチックなひとだが、気性が激しいともいう。
[要出典]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87
一方『今鏡』「すべらぎの中第二 八重の潮路」では、「憂き世のあまりにや、御病ひも年に添へて重らせ給ひければ」と寂しい生活の中で悲しさの余り、病気も年々重くなっていったとは記されているものの、自らを配流した者への怒りや恨みといった話はない。また配流先で崇徳院が実際に詠んだ「思ひやれ 都はるかに おきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを」(『風雅和歌集』)という歌を見ても、悲嘆の感情はうかがえても怨念を抱いていた様子はない。承久の乱で隠岐国に配流された後鳥羽上皇が、「われこそは にゐじま守よ 隠岐の海の あらきなみかぜ 心してふけ」(『遠島百首』)と怒りに満ちた歌を残しているのとは対照的である。
しっかり子供作ってエンジョイしてんじゃんとは思うが、日によっては荒ぶっていたのかもしれない。どちらかというと彼に対する罪の意識で、後々伝説が作られたような気がするが、なんせ千年前である。確かめるすべはないな。まぁいいや。とりあえず天上人の天皇が荒ぶって怨霊になってしまったので、天皇が御霊鎮魂をするようになったもよう。これが国のトップが御霊慰霊を行うようになった理由だろう。
1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
ちらっと調べた限り3がある以上それをひっくり返すのは無理筋だが、いまのところ行くこと自体は1で押し通している。奉納するとなると3に引っかかるのでそれが争点になるようだ。もし私費で奉納とかしてりゃ1があるので反対するほうが悪いが、そうではないのなら違憲判決が出されるのは妥当な所。
しかしそこまできっちりとやってしまうと、天皇制がそもそも違憲、内閣総理大臣を天皇から任命されるのも違憲になってしまうので極めてグレーである。
ただ天皇は戸籍がないので、日本国籍を持ってない。例外として日本国民ということになってはいるが、主権もないしこのへんもグレー。突っ込んではいけない領域である。
このうち1は明確に信教の自由があるので以降といくまいと自由。
2は前述のとおりグレー。
3は参拝が軍国主義につながるというのが主な反対の理由のようだが、参拝は御霊供養のためであり、反省するのも軍国主義を目指すのも当人次第(しかも信教の自由があるのでそれを規定することはできない)ので的外れ。一般的にキリスト教では参拝は神への信仰、仏教は魂は輪廻転生してしまっているので特に意味のない行為(参拝自体は功徳を積むため)で、御霊供養の概念はきちんと説明しないと伝わらないと思われる。4,5も同様。
したがって、問題の争点は政教分離の観点でOKなの?という部分だけだな。ちなみに諸外国がこれに反対するのは内政不干渉の原則に反するが、言うの自体は自由である。
生活保護費使途に疑問の声
http://news.cocolog-nifty.com/cs/article/detail/domestic-200910261414/1.htm
携帯代に25000円使うならば、外に使いよう(学費とか)はあるんじゃなかろうかとは思うけれど、生活保護費使途については、滝川の例もあるように再三問題視されることがあるのだが、生活保護法において支給してしまったものについて使用すべきものを細かく定められてはいない。
自動車禁止についても、弁護士団体からの反論(http://www.incl.ne.jp/~ksk/ksk/jyo/ji980901.html)があるぐらいである。
抜け道http://shblog00.blog17.fc2.com/blog-entry-31.htmlもあるようである。
このような抜け道を使ったのではないかと推測する滝川の事件(http://hanrei.atpedia.jp/html/112.html)のカギは、北大にあるような気がするのだが、かりにそうだとしても病院をかかえる市としては北大を敵には回せないので墓場まで持っていくのではなかろうか。
北大がなんといおうが、反論すべきだというのが正論ではあるが。
去年の秋、沖縄にひとりで行った。
死ぬか、と思って、車を飛ばして北の断崖に向かった。
はるか下に砕け散っている波の白い花をじっと眺めていたら、
なんだか気が済んだので宿に戻った。
誰も引き止めなかったことに満足したのだ。
吉松に流れる、あたたかい河にかかる橋の上でひとり踊った。
息を止めて、ほれ、いち・にい・さん、
滝川の凍れる路面の上でも踊った。
しい・ご・ろく、白銀のステージが輝いている。
稚内空港では同僚を見送るシスターが、なぜか私にも声をかけてくれた。
「行ってらっしゃい」
恋人ができた。
ひとを好きになる気持ちとは、
果てしない欠乏の具体化だと思い知らされる。
夢ですらそれを誤摩化すことはかなわず、
私はいやいやと現実を受け入れる準備を始める。
去年の秋、沖縄にひとりで行った。
死ぬか、と思って、車を飛ばして北の断崖に向かった。
はるか下に砕け散っている波の白い花をじっと眺めていたら、
なんだか気が済んだので宿に戻った。
誰も引き止めなかったことに満足したのだ。
吉松に流れる、あたたかい河にかかる橋の上でひとり踊った。
息を止めて、ほれ、いち・にい・さん、
滝川の凍れる路面の上でも踊った。
しい・ご・ろく、白銀のステージが輝いている。
稚内空港では同僚を見送るシスターが、なぜか私にも声をかけてくれた。
「行ってらっしゃい」
恋人ができた。
ひとを好きになる気持ちとは、
果てしない欠乏の具体化だと思い知らされる。
夢ですらそれを誤摩化すことはかなわず、
私はいやいやと現実を受け入れる準備を始める。