はてなキーワード: 浅田真央とは
安室奈美恵さんが引退するってなったときに、なんていうか彼女の人格っていうものはないよなあとぼんやり思っていて、でそんな感じの女はいつの時代もどこにでもいたなって思った。
安室奈美恵さんは絶頂期にできちゃった結婚をしたり、母親が殺害されたりなどとてもドラマチックな人生を送っている。でも彼女の言葉っていうものはどこにもない。
あるのかな、あるのかもしれないけれど、それは楽曲だとかからはにじみ出ない。
あくまでも彼女はただの「安室奈美恵」であって、その中の人が何を思ってどう感じたかはそのパフォーマンスには影響しない、そこに安定感がある。
いや、サユリストと呼ばれる人々にとって彼女が何を思ってどう感じてどうパフォーマンスに影響したかは言えるんだろうけど一般人にとっては吉永小百合さんは人生において何かがあったとしてもそれによって目の前の何かが変わることはない、安定感があり間違っても手首を切ったりはしないあくまでも理想の見るものの手のひらとても狭い想像の中で動いてくれる稀有な存在だ。
安室奈美恵さんの反対側にいるのが宇多田ヒカルさんだ。彼女は母親の死をモロにうけていてそれを自分の中でどうしても消化しなくてはならなくて歌う。音程は不安定で言動も不確かなときが多い。彼女にとっては母親の死というものは歌にのせて消化しなくてはならないものでその消化活動においてそれを聴いて癒される人も多いのだろう。でもとても不安定だ。そこに救いを求めてもいいものかどうなのか身内の死という誰にでもありうる現象において心が作品がこんなにも左右されるような人の作るものに対して、自分の心をゆだねてもいいものだろうか、的な。ここともに母親をある意味殺された歌姫ってことで対比させてドキュメンタリー作っても面白そうだし対談させたいとこですけど誰かそれやってほしいな。
プロゲーマーと、プロスポーツ選手に線を引こうとしてる人たちのほうが俺は理解できない。
ルールが変わるなんてのはいつでもあることで、同じルールの元で戦って勝てないなら、なんか変な政治力でルールが変わってても黙って耐えるのが日本のプロスポーツ選手の美学だ。鈴木大地にしても、岩崎恭子にしても、浅田真央にしてもみんなそうだ。
ウメハラなんかメインキャラはカプコンの調整によりクッソ弱体化されたが、今使ってるキャラは最強と言われている。それで勝てないならプレイヤーがクソなだけだ。同じキャラを使っているアメリカのプレイヤーは去年世界一になり、二日前の大会にも優勝した。ルールの問題でなくプレイヤーの問題でしかないのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20170411084732
そうなの?しらねえ
俺ネトウヨなのになあ
そうなの?しらねえ
浅田真央ってむしろフジテレビとかに嫌がらせされてるんじゃなかったっけ?
ずっこけてる場面のフリップを設置したスタジオに呼ばれてインタビュー受けてる画像とか見たことあるよ
あれコラなのかどうなのか確かめる根気なかったから判断保留だけど
気に食わないブームは在日認定して自分がオナニーの対象にしてるババア顔は国のシンボルみたいな発言するって自分の中で整合性ついてるの?
姉のほうがいいとか言ってる奴は何も判って無い
お前はメクラ
まあこの部分は世間も大半はメクラだが
浅が左右非対称なのをなんで無視するの?
落ち目になるまでは凄かったでしょ
お前も少しは外に出て世間を感じろよ?
ところで俺は勝ちまくってる結絃の方が好きだな
金メダリストだし2個目取れそうだし
無駄な空行はすまんと思うけど、
僕は、誰かが反論として浅田真央の"具体的な魅力"を語ってくれるのを期待して書いたので、
そこらへん、汲んでくれると助かる。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170411/k10010943961000.html
こういう節目に際しての文章の中には思いがけない名文がしばしばあるし、浅田真央の事が観測範囲に入らなくなって暫く経つから、
もしかしたら、僕の知らないうちに彼女に何か変化があって、意外と名文に出会えるかもしれない、
期待はずれだった。
そして予想どおりだった。
書かなければいけないことを通りいっぺん書いただけ。
【応援に対する感謝】【これまでの実績】【引退を考えるようになったきっかけ】【引退を決定づけた出来事】【これからの展望】
そこには「浅田真央でなければ書けないこと」が何もなかった。
彼女の最盛期がいつなのかは分からないが、世間の流れに疎い僕でも彼女の存在を認識した訳だから、
多分、選手としてはかなり能力の充実していた良い時期だっただろう。
当時、テレビで見る度に、なにやらレポーターや解説者達が興奮して誉めそやし、確かにいい得点を出していた。
しかし、すごいはずの彼女の演技を見ても自分の中にはなにか漠然とした印象しか残らなかった。
「技術的にはすごいんだろう」
自分はそう思った。
そうも思った。
しかし、現実には芸術点でも高い得点を出していた。それも結構安定して。
(多分そうだったと思う)
正直、自分の感性がおかしいのかもしれないと思ったし、今でも少しそう思う。
しかし、自分にとっては、例えば村主章枝や安藤美姫や高橋大輔の演技のような迫力・表現したいという欲望を感じなかった。
かと言って、例えばプルシェンコのような優美さも見受けられなかった。
ただ無機質な身体の動きがあるだけだった。少なくとも"表現"と言うにはあまりにも味わいがなかった。
それは"言葉にならない言葉"を全身から振り絞ることでないのか。
形にしきれない情念を見るものに対し訴えかけることではないのか。
あるいは、興奮や緊張、その上にのみ存在する楽しさなど、自らの心向きを寡黙な雄弁さで伝えることではないのか。
僕の言っていることがピンとこないなら、例えばバレエを見てほしい。
若手の登竜門であるローザンヌコンクール、中でもコンテンポラリーがおすすめである。
ともあれ、彼女は確かにアスリートなのかも知れないが、芸術家ではなかった。
初めのころはお子様だから仕方がないと思っていたが、いつまで経ってもそうだった。
ただ技術を高めたいというスポーツマンとしては立派な動機があるばかりで、
僕はそんな浅田真央が嫌いだった。