はてなキーワード: バニラとは
「スガキヤのソフトクリームは増税で値上がりしても160円。ミニなら110円。この値段でこのクオリティのソフトクリームは東海地方の学生たちの青春を支えているといっても過言ではないでしょう」
東京への出張の帰り道、名古屋に向かう新幹線の中。自由席で三人がけの通路側を確保し、ようやく終わった出張の疲れを癒すため寝入ろうとしたとき、隣の二人組の会話が耳に入ってしまった。話の入りは聞いていなかったが、スガキヤという馴染みのある単語が耳についたのだろう。俺は住まいは三重だが、大学も職場も名古屋であるため所謂ナゴヤメシには思い入れがあった。確かにこのヒゲの中年男性の言う通り、スガキヤのソフトクリームは学生時代よく食べた。
「そうは言ってもラーメン屋でしょ? さすがにソフトクリームだけを注文するわけにもいかないから、学生にラーメンの値段は重いんじゃないですか?」
「なにもわかっていないな」
声に出してしまっていた、と誤解するほど中年男性とシンクロしてしまった。
「スガキヤのラーメンはオーソドックスなメニューで330円。卵を落としても380円と非常にリーズナブルなんだ。それに加えて、スガキヤはイオンなどのモールに出店していることが多く、ソフトクリームだけなんて頼み方も全然アリだ」
より補足するなら、大学やパチンコ屋にも出店している。かくいう俺の通っている大学にもスガキヤのコーナーがあった。
「ふーん」
「おいおい、随分冷めた目だな」
「いやだって、330円のラーメンと言われても。僕が通ってるリストランテなら水ですよ」
「そのキャラなんか懐かしいな」
「そうですか? この前のグラタンときとかもこういう話をしたと思いますけど」
「そ、そうだったな……」
「ラーメンはいいですから、その名古屋アイストライアングルの一つ目がスガキヤのソフトクリームということですね」
名古屋アイストライアングル? 全く聞いたことのない言葉だ。名古屋に有名なアイスなんて他にあっただろうか。
「うむ。110円〜160円というソフトクリームの値段帯としては低層ながらも味量ともに中々のクオリティだ。ちなみに、このミニとレギュラーの差は店員の目分量らしいから、新人バイトが多い4月や5月はミニを注文してもレギュラーの量でくることがままあるらしい、が俺はまだ当たったことはない」
この男詳しいな。俺は一度、ミニなのにレギュラーサイズどころか、明らかにふざけた量のソフトクリームを出されたこともある。
「次だ」
中年男性が手で若い男のツッコミを制し、続きを語り出した。そうだ名古屋アイストライアングルのあと二角だ。
そうか、それがあったか。アイスという枠で考えたことがなかった。
「あー、甘味部の皆さんに奢ったっていう」
「そうだな。なのでここでは紹介を省略しよう」
む。残念だ。俺なら、あえて「おかげ庵の抹茶シロノワール」あたりを勧めたいところだ。おかげ庵は、どこにでもあるコメダと違って、なんと愛知県に7店舗しかない希少な店舗だけに、この中年男性も知らないことだろう。特に杁ケ池のあたりにある店舗はよく通ったものだ。
「そして名古屋アイストライアングルを形成する最後の一角が……」
ごくり、と唾を飲み込んだ瞬間、携帯電話が鳴り出した。
「おっと。お兄さんすいませんね」
そう言いながら二人は電話をしてもよいデッキへ移動し始めた。いやそれより、アイストライアングルの最後はいったい……
「お兄さんすいません煩かったですよね」
喋りかけられてしまった。よほど気になる顔をしてしまったのだろうか。
「い、いえ……」
名古屋アイストライアングル、いったいどの店のなんのアイスだったのだろうか。どうもあの中年男性の物言いからして、大須や栄にある女学生向けのフォトジェニックなアイスクリームではなさそうだ。ううむ気になる。
あの店だろうか、こちらだろうか、いやでも、しかし…… 早く知りたい。そう考えを巡らせていると、いつのまにか新幹線は静岡の辺りを走っていた。名古屋はまだ遠く、あの二人組は戻ってくる気配がない。
そんなことに思いを馳せていたら、新幹線の車内販売がやってきた。少しきを落ち受けるために、コーヒーでも飲むか。
「はい、ホットでよろしかったでしょうか」
無言でうなづく。
「ご一緒にアイスクリームはいかがでしょうか? コーヒーとご一緒ですと、60円お得になります」
ずっとアイスのことを考えていただけに渡りに船だ。ここでアイスクリームを頼まない手はないな。
「こちら大変硬くなっておりますので、少ししてからお召し上がりください」
そういって、席の前のテーブルを倒し、コーヒーとアイスクリームを置いてくれた。しまった、よく考えたらあの二人が帰ってきたときに少し気まずいな。まあ、良いか。今はとにかくアイスが食べたい。コーヒーを飲みながら、アイスが程良い硬さになるのを待つ。それにしても、こうしてアイスクリームが手元にあるからこそ思うのだが、名古屋アイストライアングルとはいったいなんなんだろうか。アイスを食べながら、アイスのことを考える、典型的なデブの発想だな、と自分で面白くなってしまった。
名古屋アイストライアングルの、スガキヤとコメダは名古屋に戻ってからいくらでも食べられるが、最後の一角の正体を見極めないと、いくらアイスを食べてもモヤモヤしていまいそうだ。
いったい……
目の前のアイスクリームは、まだ硬かった。
もちろん、個人の心構えが変わったところで物事はそう簡単に好転したりはしない。
亀が死ぬ気でやってもハードルは跳び越えられないし、居眠りしない兎に勝つなんて無理だ。
そのことが分からないタケモトさんではない。
だが案内してくれたコンサルタントの義理立てとして、とにかくパーティをつつがなく終了させようと思い直す。
そのためにやったのは、仕事で培ってきた対人スキルを応用することだった。
そつがない、つまらない接し方だ。
相手に好印象を与えることは難しいが、少なくとも自分の精神的負担は抑えられる。
期せずして、それはコンサルタントが最初に言っていた「気を張り過ぎない、見栄を張り過ぎない」状態に近かった。
チャンスをチャンスだと認識でき、それが手元にきても力みすぎない丁度いいコンディションである。
そしてチャンスは意外にも早く、そのお見合いパーティの終盤に訪れた。
対面した相手は、あまり着飾らないショートヘアーの女性だった。
学園でいうなら、クラスに密かなファンの多い地味っ子ってタイプらしい。
タケモトさんの喩え方はイマイチ分からなかったが、たぶん誉めているのだと思う。
とはいえ、最初の内は他の人と同様に接するつもりだったらしい。
コンサルタントに即席の消臭法を教えてもらっていたが、わずかに匂いが残っていたようだ。
「お、分かりますか?」
「ええ、私も同じものを吸っているので。紙タバコにありがちな匂いが少なくて、そこまで重たくないから吸いやすいんですよね」
「そうです、そうです。水タバコみたいなまろやかさがあるんですよ」
会話を続けていくと、タバコの銘柄以外の趣味嗜好も近いことが分かった。
ここに来て初めて、タケモトさんは心地よさを覚えた。
それら全てにストレスを感じないどころか、むしろ消えていくのを実感したという。
短絡的だが、運命の相手ってのはこんな感じなのかと思ったらしい。
「へー、割と近所じゃないですか。今まで出会ってなかったのが不思議ですね」
「いやあ、まったく本当ですよ」
「お時間となりました。みなさん席を離れてください」
なんとも時間が短く感じられた。