韓国では法的に学校での体罰が認められている。シバくための棒のサイズも規定されていて、文房具店で売られている。
これ豆なw
...ていうのを某TV番組で見かけたのもすでに10年前なので、その後法改正とかされてるのか知らんけどw
さすがGDPがひとりあたまで日本を超えるような先進国ですから、バカッター的なことをやらかすアホウもさぞ少ないんでしょうなw
作る料理のジャンルによって調味料の頻度ってかなり変わるのよね。
昔、和食を作っていたころ砂糖がかなりの勢いで減っていたけど、塩は全然減らなかった。
和食だとしょうゆ+砂糖orみりん+酒の三点セットで味付けすることが多いから。
ところが、中華、イタリアンとかの頻度が増え、和食の頻度が減ってきたら、砂糖を使うことが少なくなってきた(代わりに、初手ニンニクみじん切りが異常に多くなった)
さらに、和食で作るメニューが固定化※されてくると、砂糖を使う機会は皆無になった。
自炊は以前の何倍もやるようになっているのに。調味料入れの中の砂糖は一向に減らない。
つくる料理のジャンルによって使う調味料はかなり変わるのは間違いないと思う。
※作るのは、各種鍋(鍋の素を使用)、麺類(めんつゆを使用)、味噌汁・豚汁(味噌のみ)、魚塩焼き(塩のみ)、干物(調味料未使用)といったところ。
私は人生の中で、周りが女の人ばかりの社会でずっと生きてきている。
女兄弟しかいないし、部活は吹奏楽部だったし、仕事は女性向けの商品を扱う会社で働いている。
当然、友達は男より女の方が圧倒的に多い。
その周りにいる女友達を統計的に考えると、クズ男に引っ掛かっている女がめちゃくちゃいる。
「私、なんでクズ男ばかり付き合っちゃうんだろ」と自覚していながら前進するつもりもない悩みを抱えているバカ女が一定数いる。
だから「”なぜ”バカ女はクズ男ばかり付き合ってしまうのか」を個人的主観のみで色々と考えてみたので、備忘録用にここに書いておく。
まず、個人的な感覚としてバカ女は総じて「可哀想に見える」ことが特徴だと感じる。
どんな理由であれ、オーラや話し方で「この女は可哀想に見える」と思われてしまう女は、基本的にバカ女だと感じる。
これを前提として、バカ女に近寄ってくる3種類の男(全員がクズ男では無い)を挙げてみる。
これはもう完全にクズ男。
幸せの定義を「お互いが好き同士で、ある程度付き合って、結婚する」とするならば
ヤリ捨てポイするセフレ男、もしくは「ずっと好きだよ」と甘い言葉で誘ってくる既婚者の2パターンがほとんどだ。
これはクズ男ではない。
ただ、バカ女はこういう同じ種類の男とは仲良くなれない。仲良くしたくないのだ。
いわゆる弱者男性で、金もなけりゃ見た目も悪く、性格も捻くれている。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、バカ女は自分の境遇や見た目や考え方を棚に挙げて、同じ可哀想な男を”気持ち悪い”と判断をする。
これもクズ男ではない。
いわゆる理解のある彼くんで、一見「優しい男なら良いではないか」と思いがちだがこれはイケメンに限った話なのだ。
そうなると市場にいるのは優しい性格のブス男しか余っていないのだ。
こうなると「黙って妥協して優しい性格のブスでいいじゃん」と言いたくなるが、ここであの”ヤリチン男”が効いてくるのだ。
そうなると「なぜ、イケメンにもモテる私が、優しいだけしか取り柄がないブスと付き合わないといけないんだ」という思考になる。
ただ、そのイケメンヤリチン男は、可哀想な女とは付き合いたくないし、生涯を共にしたいとは微塵にも思っていない。
だって、どうせ付き合うならもっと可愛くてお金を持って安定している人がいいんだから。
これによって「可哀想な女」は他の種類の男には魅力を感じず、クズ男に振り回されながら1人で孤独に死んでいく”バカ女”になってしまうのだ。
経済的理由などで分かれる事になると、後になって後悔するタイプだと思うで、今は現状を受け入れるしか無いと思うぞ。改善は無理。惚れた弱み。
改善する努力はし続けるべきだが、離れるのは無理。
ただしある日突然スイッチが切れたように離れることができるかも知れないし、どう見ても彼氏さん食わず嫌いなので、パチッとはまって働くようになるかもしれない。
多世界解釈においては、観測前の状態において、あなたを含めたあらゆるものは、あらゆる可能性を含んだ状態の重ね合わせに存在していると考えられます。したがって、猫が死んでいる世界にあなたがいる場合、観測前から「死んでいる猫を観測することが決定づけられたあなた」ということになります。
しかし、多世界解釈においては、決定論的な要素は含まれていません。観測前の状態は確率的な状態であり、観測によって分岐が生じますが、どの世界が選ばれるかは確率的に決まるため、あらゆる可能性が等しく存在しているということになります。したがって、あなたが死んでいる猫を観測することが決定づけられていたわけではなく、あなたが観測することになった世界が確率的に選ばれたということになります。
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うーんあらゆる可能性の重ね合わせを総称した「私」を基準に考えれば確率論だけど、あらゆる可能性のうちのたった一つを取り出した「私」にとって、今後どちらの猫を目撃することになるかは、既に取り出したという前提で考えているのだから、決定論な気がするんだよな
女性が百合漫画描いているのも多いけど、最近増えている普通のアニメの百合展開でも女性が支持しているんだよね。
女性ってのは性別問わず可愛い、かっこいい、キレイなものが好きなのかな。宝塚もそうだし
借金は妻実家を建て直して一緒に住むってときに、借金で住宅ローンが引っかかったこともあり、自分の親と妻の親に頭下げて完済となりました。
正直なところ、100万円返すとの貯めるのだと、貯める方が10倍くらい楽だった。
どうがんばっても借金は減らなかった。
ただ、今にして思えばだけど、借金って直視したくないじゃん。だから家計簿とかちゃんと付けないし見ないし。
でも、貯金って溜まっていくのが嬉しいから見るじゃん。だから増える。
意識しないと減りも増えもしない。けど、俺は直視したくなかったから減らなかったんだなって、あとになってからわかった。
俺はだけどね。
相手が30手前の女とのことだから、グダグダズルズルと中学生のようなくだらないデートを繰り返してないで、さっさと付き合うか別れるかしなさい。
「あなたと一緒にいるととても楽しく、将来的にもあなたと共に過ごしたいと思っています。もしよろしければ恋人から始めていただけないでしょうか」と心の内を素直に言うがよろしい。付き合うだのセックスだのはスタートラインにすぎない。
嘘であってほしいけどね。環境や人もそうだけど、仕事の倫理的な部分がやべーと感じているならさっさと転職した方がいいわな。そういうのはジリジリ精神を削るから。Webディレクター的スキルセットで幅広い経験があれば、大手でも入り込めそうだけどな。知り合いのツテとかでワンチャンあるといいね。
多世界解釈に基づきシュレディンガーの猫を考えるとして、私が観測者だとします。今観測したら猫は死んでいました。しかし多世界解釈では生きている猫を観測している私がいる世界も観測前からの観測後の分岐先の世界として対等に存在していることのなります。
ここで生きている猫を観測している私も死んでいる猫を観測している私も同様に私であるはずです。しかし現実として現前の猫を観測している私をカッコつきで「私」と表記するとすれば、この「私」は観測する前から観測後までに、猫が死んでいる世界に進んだことになります。なぜ生きている世界ではなく死んでいる世界に「私」がいることとなったのでしょうか?
これは猫が生きている世界の私も同様の疑問を抱いているかもしれません。ちょっと何を言っているかわからないかもしれませんがわかる限りで答えてくれるだけでもありがたいです。